18.聖女の回想 其の三
無駄にだだっ広い学院の敷地内を走り回ること数分。
昼休みが終了する直前に、運よくセドリックを見つけることが出来た。
リュートは一緒にいないみたいだけど、とりあえずセドリックに余計な事を言ってないか確認しないと!
「………………あぁ、アンズか」
「セドリック! ……どうしたの、そんなに顔色悪くして」
真っ青な顔を見て、焦燥より心配の気持ちが勝つ。
リュートと話してやり込められたんだろうか。
たしかにリュートは勉強が出来ない割には屁理屈をこねるのが上手い。
話し合いをする時には真正面から相手とぶつかり合うセドリックとは相性が悪い。
だから、セドリックが口で負けても仕方ない。
でも、ただ言い負かされたにしてはおかしいくらい落ち込んでる。
よっぽど心に来るようなことを言われたんだろうか。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だ。色々と思うことがあってな」
歯切れの悪い言葉の後にガシガシと髪を掻くセドリックに、いつもの謎の自信に満ち溢れた様子はない。
セドリックのことは心配だけど、リュートに余計な事を言ってないか確認しないといけない。
もしアタシが聖女だって知ってしまっていたら。
リュートはそんなことしないと思うけど、他の人に言いふらさないように口止めしないといけない。
「セドリック、少し話があるんだけど」
「………………」
イラッ
「うじうじするな! シャキッとしなさい!」
セドリックの丸まった背中を平手で叩く。
バシーンッ! という大きな音が鳴り、うめき声と共にセドリックの背筋が伸びる。
辛気臭いのは嫌いだから、セドリックが何か落ち込むたびに背中を叩くのが習慣になっている。
……貴族に手を上げるって本当はマズいんだろうけど。そこはセドリックの優しさに感謝だ。
「……そうだな。ここで悩んでも良い事はない」
セドリックが顔を上げた。
さっきまでの何か思い詰めたような表情ではなく、どこか吹っ切れたような、それでいていつもより真剣な顔をしていた。
「アンズ、話がある」
「奇遇ね。アタシもよ」
「場所を移動しよう。なるべく人目に付かないところが良い」
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やってきたのは裏庭に近い建物の影。
午後の授業が始まる鐘の音はとっくに鳴った。入学してから初めてのサボリだ。
……大丈夫だよね? 特待生取り消しになったりしないよね?
これまで真面目にやってきたし、成績も良いから大丈夫なはず。
………………たぶん。
間違いなく……たぶん。きっと!
「アンズ。君には出会った頃から、世話になってばかりだ」
退学の恐怖にアタシが打ち震えていると、セドリックが思い出話を始めた。
「実力に見合わず天狗になっていた私を諌め、進むべき道を示してくれた」
いや、初対面でいきなり「私と君では身分が違う!」とか言いやがったから頬を平手打ちしただけなんだけどね。
少し打ち解けたら「私が父の跡を継げるのか……」ってモジモジしてたからお尻を蹴飛ばして「頑張れ頑張れできるできる! 俺だってこのマイナス20℃のところ、シジミガトゥルルって頑張ってんだから!」って激飛ばしただけだし。
暴力振るったらヤバいかなって思ったけど、セドリックが「もっとだ! もっと強く頼む!」って喜ぶもんだからつい。
いや、冷静になって思い返してみたらセドリック気持ち悪いわね。
「一方で私はといえば、君に何もしてやれていない」
「そんなことはないわよ。勉強を教えてもらって助かってるわ」
セドリック、変態だけど成績はめちゃくちゃいい。
特待生として学年上位をキープしないといけないアタシにとっては、セドリックとの勉強会はすごくありがたかったりする。
人にものを教えるのが上手だから、本当は学院の教師とか向いてるんじゃないかと思う。
……まあ、セドリックに教えてもらったこと全部そのままリュートに言っても「I don't wanna know.」としか返事が返ってこないんだけど。何語?
そのまま歌い出すし踊り出すからリュートの成績向上計画は諦めた。
「いや、そんな事くらいでは君から受けた恩を返すにはとても足りない」
気にしなくていいのに。
というか恩を売った覚えはないし。
ただ、アタシの気に食わないところを叩いて治しただけ。
お母さんが「釜戸の調子が悪いねえ!」って蹴り入れてるのと一緒よ。
「こんな私では、君の隣に立つには相応しくない。聖騎手候補筆頭だと持て囃されてはいるが、君にはもっと素晴らしい人がいるはずだ」
筆頭? そんなの聞いたことないけど?
……またジェームズか。おべっか使うのだけは上手いからなぁ。
「タナベに言われて目が覚めた。私には私が望む全てを手に入れることなど出来ない。だが、それが分かっていても諦められない物もある。そう気付かされたんだ。だから──」
え、なに? リュートそんなに良いこと言ったの? 喧嘩腰で話しに行ったセドリックを改心させるって何やってるの。
何を言ったらセドリックにこんな覚悟がある目をさせられるの。
「──アンズ、聞いてくれ!」
セドリックが拳をグッと握り締め、アタシと目を合わせる。
「私は、アンズを愛している!
必ず君を幸せにしてみせる!
だから、私を選んでほしい!
私と一緒に、これからの人生を歩んでくれないか!」
それは、これまでなぁなぁで済ませてきた関係を決定づけるための言葉。
間違いなく本心から出てきたセドリックの想い。
ジェームズでも、ユーリでも、リュートでもなく。
自分を選んでほしい。
セドリックらしい、まっすぐな告白。
だからアタシも、それに対する返答は決まっていた。
「ありがとうセドリック。あなたの気持ちはすごく嬉しい」
「なら!」
「でも、ごめん」
自分の気持ちに嘘はつけないから。
「アタシは、セドリックと一緒には歩いていけないよ」
唇を血が出るくらい噛み締めて俯くセドリック。
彼がどんな気持ちなのか、アタシには分からない。
ぬるい関係に甘んじて先に進もうとしないアタシに、セドリックへかける言葉はない。
「……やはり、タナベか」
「うん……」
ポツリと漏らした言葉に頷く。
さっきまで伸びていたセドリックの背中は、再び丸く小さく縮んでしまっていた。
「どうしてアイツなんだ……。アンズと会うのが少し早かったからか?」
「いや、それもあるけどね」
たぶんリュートより早くセドリックに会っていたとしても、アタシはリュートを選んだと思うよ。
「リュートだけなんだよね。初対面のアタシを『平民』じゃなくて『アンズ』だって言ってくれたのは」
この学院に入ってから今まで。
アタシはどこに行っても『特待生の平民』だった。
『あの特待生の……』
『あなたが平民の……』
名乗っても、必ず定型文のように言われる。
そういうレッテルを常に貼られてきた。
もちろん仲良くなった人もいる。友だちもできた。セドリックとも仲良くなって、お互いを名前で呼ぶようになって──
『アンズって名前なの? アンズお前、めっちゃ良い奴だな!』
──雑草食べて死にかけてた馬鹿が、満面の笑みでアタシの名前を呼んでくれた。
その嬉しさを共感してくれる人は、きっと誰もいないだろう。
共感してもらう必要もない。
ただ、アタシの胸にあればいい。
「そうか。最初から、勝ち目なんてなかったんだな……」
「ごめんね」
「いや、謝る必要はない。君はただ、自分の気持ちに従っただけ。私になんら負い目を感じる必要はないさ」
ただ、今はそっとしておいてくれ。
セドリックはそう言うと、アタシに背中を向けてどこかへと去って──
「いやちょっと待てぃ」
その場の雰囲気に流されるところだった。
結局リュートに聖女バレしたの? してないの?
そこら辺が分からないと困る!
「離してくれアンズ。引き留めてくれるのは嬉しいが、私はいま1人になりたいんだ」
「いやアタシもあんたに用事があるんだって!」
「敗者は口を開かず。ただ去り行くのみ……」
駄目だコイツ! 人の話を全然聞いてくれない!
ええい、センチメンタルに浸ってないで戻ってきなさいってば!
「ギョペッ………………!」
………………うん?
セドリックの肩を掴んで揺さぶっていると、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは──
「やぁ、奇遇だな知り合い2号。
……助けてくれても、いいのよ?」
──レイア公爵令嬢に卍固めを喰らっているリュートだった。
いや、何してんの?