第二十九話 帝国軍と魔物
ロイが出立してすぐ。
学院は防衛体制に入っていた。
アンダーテイルの市民は避難させられ、学院には戦える者が集まっていた。
生徒たちには避難するか、留まるかの選択が委ねられた。
多くの生徒たちは避難を選び、王国の生徒は王国との国境へ、皇国の生徒は皇国との国境へ避難していった。
所詮、他国のこと。
いまだ生徒である自分たちには関係ないというのが大多数の生徒の意見だった。
それでも。
「残ってくださり、ありがとうございます。ユキナさん」
「残念だけど、大公国のためじゃないわ。私は私の矜持と覚悟のために残ったの」
「それでも嬉しいです」
レナとユキナは学院の物見塔にいた。
丘の上にある学院から周辺を一望できる。
敵が首都を狙う以上、学院の近くを通る必要がある。
学院の方針は二つ。
帝国軍が素通りするならば、敵の後背を脅かし、首都への攻撃を鈍らせる。
帝国軍が学院を攻略しに来るならば、学院の防御魔法を使って敵の攻撃を防ぎ、時間を稼ぐ。
どちらにせよ、敵の早期発見が最重要だった。
いつ、敵が来るかわからないため、ユキナとレナは物見塔にいたのだ。
首都とは違い、学院は戦いを想定した組織だ。
より強い生徒を育てる組織であり、教師たちも優秀な者が揃っている。
ゆえに、知らせが来た時点で敵の攻撃を想定して動いていた。
敵がいつ来るかわからないから、まだ大丈夫ではなく、いつ来るかわからないならば、すぐに備える必要があるという考え方をしていた。
その動きの早さが功を奏した。
物見塔にいたユキナは視界に違和感を覚えた。
学院から見て港は西にあり、首都は東にある。
ユキナはその西側に違和感を覚えていた。
何かがおかしい。
けれど、言葉にはできない。
何かがおかしいことはわかる。けれど、言葉にできない。
「レナさん、あそこ、変じゃないかしら?」
「どこですか? いえ? 私には何にも見えませんけど……」
レナはユキナが指さした場所を見るが、何も感じることはできなかった。
しかし、ユキナの違和感は消えない。
何かがおかしいとユキナの感覚が言っていた。
そしてユキナはその感覚を信頼していた。
目の良さこそユキナの強みだからだ。
常にそれに助けられてきた。
ロイにしつこく付きまとっているのも、その感覚を得たからだ。
ゆえにユキナは剣を抜いた。
「レナさん、少し寒くなるわよ」
「は、はい!」
「魔剣――氷華閃」
ユキナの剣が形を変える。
自らの剣を氷の魔剣に昇華させ、違和感の正体を突き止めるべく。
その一帯を凍らせた。
一瞬で気温が下がり、レナは自分の体を抱きしめるが、すぐにそんな余裕はなくなった。
ユキナが違和感を抱いた一帯。
そこに巨大な魔物が浮かび上がったからだ。
緑の体色で、足は前足のみ。蛇のような下半身を持ち、這うようにして移動している。
その大きさは数十メートルほどもあり、その背には帝国軍の兵士たちが乗っていた。
「な、なんですか……? あれ……」
「文献での知識だけど……タランタシオ……別名は擬態蛇。自ら吐き出す煙で周囲に溶け込む魔物よ」
説明しながら、ユキナはタランタシオを睨みつける。
ユキナはそこにいる何かを凍らせる気で剣を振った。
しかし、タランタシオは凍らなかった。擬態を見破ることはできたが、タランタシオ自体は健在だ。
大きな魔物はそれだけで脅威となる。
「どうして帝国軍が魔物の背に……?」
「わからないわ。けど、バレた以上、こちらに来るわ。鐘を鳴らして!」
「は、はい!」
レナは敵襲を知らせる鐘を鳴らす。
それによって、学院全体が騒がしくなる。
だが。
「な、なんだあれは!?」
「どうして帝国軍が魔物と行動している!?」
「何が起こっているんだ!?」
教師はともかく、生徒たちに実戦経験はない。
あれほど大きな魔物を見たことはないうえに、帝国軍が魔物と行動を共にしているという異質さに動揺が走る。
それはレナも同様だった。
その間に帝国軍はタランタシオの背中に設置した大型の砲で、学院を砲撃する。
曲線を描いて、何発かが学院の防御魔法に着弾して、爆発する。
防御魔法のおかげで被害はないが、その衝撃と音で生徒たちが完全に委縮してしまう。
その間に帝国軍の一部がタランタシオから降りて、学院へと向かってくる。
このまま接近されたら勝ち目はない。
だから。
「狼狽えるのはやめなさい!! 見なさい!! 敵の魔物は体が大きいだけ! 動きも遅い! 姿形に惑わされる必要はないわ! 私たちの相手は迫る帝国軍のみ!! ここを抜かれれば首都が間近なことを思い出しなさい!! 必ず援軍が駆けつける! それまで時間を稼ぐ役目は私たちにしかできない!! 今すぐ配置につきなさい! 敵を迎撃するわよ!!」
ユキナは声を発した。
そのまま物見塔から飛び降りて、迎撃地点へと向かう。
丘の上にある学院を攻める場合、敵が来る場所は限定される。
「全員城壁の上へ!」
指示を出しながらユキナは、周りを見渡す。
生徒の動きが鈍い。
初めての実戦という者がほとんどだ。
かくいうユキナとて、帝国軍と相対するのは初めて。
ただ、ユキナと周りの生徒は違った。
ユキナはいずれ来る実戦を明確に意識し、準備をしていた。
覚悟の差が動きに出ていた。
ユキナは自分も城壁へ上がると、帝国軍の動きに目を向ける。
帝国軍は素通りすることは無理と判断したのか、正門に向かって進軍を開始していた。
しかし、丘上にある学院には傾斜が存在する。
しかも正門までは一本道。
帝国軍は盾を構えた重装歩兵を前面に展開し、ゆっくりとその一本道を進んでくる。
魔導科の生徒たちが恐怖に駆られ、魔法を放つが、すべて盾に防がれる。
お返しとばかりに帝国兵が隙間から魔導銃を撃ってくる。それは防御魔法に阻まれるが、生徒たちを恐怖させるには十分だった。
状況を察したユキナは、深く息を吸った。
現在、迫ってきている帝国軍は前衛部隊。
とにかく壁に取りつくことが目的の部隊だ。
防御魔法は強力だが、限りもあるうえに入ってくる敵を拒むようなものではない。
内側に入られたら無意味となる。
すべてを把握したユキナは、自分にできることをやる決意を固めた。
それは。
敵に切り込むこと。
「一人突っ込んでくるぞ!!」
城壁を飛び越えたユキナに対して、帝国軍が声を張り上げる。
そして盾の隙間から魔導銃を撃つが、ユキナは氷の壁をいくつも作って、魔導銃を防ぐ。
そのまま盾を持つ重装歩兵に肉薄すると、装甲の薄い関節部に剣を突き刺した。
ユキナの魔剣は氷の魔剣。
突き刺された兵士は、内側から冷気を流し込まれ、凍死してしまう。
狙いは盾を持つ重装歩兵。
剣を抜き、ユキナを仕留めようとする重装歩兵だが、ユキナの素早い動きについていくことができず、ユキナの魔剣の犠牲になっていく。
後ろにいた魔導銃を持った兵士たちも、ユキナに向かって銃を放つが、ユキナはそれを軽く首を動かすだけで避けてしまう。
「見て避けた……!?」
「なんだ、こいつは!?」
「これ以上、好きにさせるな! 人数をかけろ!!」
指揮官が叫ぶが、元々、正門までの道は一本道。
大人数が展開できるスペースがないのだ。
しかもユキナの魔剣によって、次々に兵士は無力化されていく。
そして、ユキナは重装歩兵をすべて排除したことを確認すると、周囲にいた帝国兵を残らず氷漬けにして、その場を離脱した。
氷の彫像となった同僚の姿を見て、帝国兵たちの足が竦む。
城壁へ戻ったユキナは、そんな帝国兵へ向かって言い放つ。
「学生ばかりならば突破できるとでも? 馬鹿にするのはいいかげんにしなさい。ここはグラスレイン学院。三国の精鋭が集まる場所よ。この場にいるどの生徒も、あなたたちより強い。覚悟をもって挑んできなさい」
ユキナの言葉を聞き、生徒たちが声を上げた。
士気が上がったのを見て、帝国の指揮官は一時撤退を選択した。
ユキナは荒い息を整え、腕の震えを抑える。
とにかく敵を押し返した。
緒戦は学院の勝ちだ。
そう満足していると。
鐘が鳴った。
「さらに三体の魔物が!!」
その報告を聞いて、ユキナは少しだけ眉を顰めるのだった。




