第二十五話 早馬
ヴァレールがいかに速いとはいえ、俺のように皇国から王国へ瞬時に移動できるわけじゃない。
その間に俺は学院に戻っていた。
剣聖と大賢者として動くなら、落第貴族のロイは邪魔だ。
俺は頭の中でヴァレールが広げた地図を思い出す。
港から首都に直行する場合。
首都の手前にはこの学院がある。
首都に敵が迫る場合、おそらくこの学院は敵を食い止めるために動くだろう。
周辺に、というか大公国内にこの学院以上の戦力を抱える拠点はないからだ。
生徒を参加させないにせよ、精鋭の教師陣だけでも相当な戦力だ。
そうなると、ここにいるとロイとして動き続けなければいけない。
そんな余裕はさすがにない。
ヴァレールは王国へ向かう途中、大公国に知らせると言っていた。
大公国において、首都の次に重要なのがこの学院だ。
すぐ早馬が来るはず。
それが来たら行動開始だ。
■■■
俺は外に出ず、ジッと部屋で待っていた。
その時を。
そして、それはやってきた。
「お兄様! 大変です!」
珍しくレナが慌てた様子で部屋に入ってきた。
ベッドで横になっていた俺は起き上がる。
「どうした?」
「今、早馬が来て……帝国軍が大公国に潜入していて、首都攻略に動いているそうです!」
「帝国軍が大公国に? 誤報じゃないのか?」
「皇国の十二天魔導からの情報で、確かだそうです! 今、学院はその話で持ち切りです!」
レナが話を聞けば、必ず俺のところに来ると思っていた。
だから部屋にいたわけだ。
これで心置きなく動ける。
「信頼できる情報ならやることは一つだな」
「はい! 学院は防衛準備に入るそうです! ただ、高等部の三年生は実習でいないので……」
「いても大差はない。帝国軍が首都を本気で落とす気なら、学院が抵抗しても突破できるように備えているはずだ。ここは三国の逸材が集まる場所だからな」
言いながら、俺はベッドから出て身支度を始めた。
授業に出る身支度じゃない、学院を出る身支度だ。
「お兄様……?」
「準備しろ。父上に知らせにいくぞ」
「え……?」
「敵がいつ来るかわからない以上、さっさと父上に知らせるべきだ。首都からもいずれ早馬が出るだろうが、父上は軽んじられているからな。俺たちが伝えたほうが早い」
「で、ですが……」
レナは少し言葉に詰まる。
言いたいことはわかる。
「安心しろ。学院も生徒に戦わせたりしない。貴重な人材だからな。王国、皇国の生徒は避難させられるだろうし、俺たちのような大公国出身者も外に出されるはずだ」
「理解はできます。けれど……二人で領地に向かってはルヴェル男爵家の者は逃げたと思われます」
「思わせておけばいい」
「お兄様が良くても、私は良くありません! 私が馬鹿にされるならまだしも、我が家のことを言われるのは我慢できません! お兄様には考えがあり、お父様はいつも国のことを考えているのに!!」
レナはそう言うと、俺の顔を見てきた。
レナは基本的に俺の言うことには従う。
しかし、今は従えないらしい。
気にしてないように見えて、ルヴェル男爵家が色々と言われていることに鬱憤は溜まっていたようだ。
まいったなぁ。
領地まで連れて行って、俺は適当に理由をつけて父上に同行しないつもりだったが。
まぁ、悪いことばかりではない。
レナがついてこないなら、移動中は誰の目も気にしなくていい。それだけ素早く剣聖と大賢者として動けるということだ。
とはいえ、心配だ。
「私は……残ります。私が残ればお兄様に逃げたという人はいないはずです! ルヴェル男爵家の名誉を守れます」
「覚悟を決めているところ悪いが、お前が残っても言う奴は言う。言わせておけばいい」
「言い返すことができます! お兄様は言い返さなくても平気かもしれませんが、私は言い返したいんです!! もう決めましたから!」
それだけ言うとレナは頭を下げて、走って行ってしまう。
追いかけたほうがいいんだろうが、あいにく時間がない。
まぁ、レナとて優秀な生徒だ。
帝国兵に遅れは取らないだろう。
ただ、戦場になるかもしれないところに残していくのは気が引ける。
いざとなればすべてを捨てて助けるだけだが……。
「可愛い妹の反抗期かしら?」
「そんなところだな。素直な子だったはずなんだが」
「素直に兄想いなんだと思うわ」
部屋にやってきたユキナはそう言って小さく笑う。
そんなユキナの手には剣が握られていた。
「君も残るのか?」
「ええ、三国の盟約を守る義務があるもの」
「正直、焼け石に水だと思うぞ?」
「それでも。私がここに残ることに意味があるわ。逃げるのは簡単よ。早々に逃げ支度をしている人たちもいるわ。けど……私は祖国を守るためにこの学院に来たわ。それは帝国と戦うということ。なら、逃げるわけにはいかないわ。私の祖国を守るという覚悟はそこまで甘くないの」
「立派だな。けど、成長段階の今、戦うことは想定してないんじゃないか? 多くの生徒が強くなってから戦うつもりだったはず。今はまだ弱いと思っているなら逃げるのは一つの手段だ。だから学院も生徒には無理強いはしないはず」
「そうかもしれないわね。けど、敵は待ってくれないわ。強くなるのを待っていたらいつまで経っても戦えない。剣聖になると決めたときから、私は強い相手には立ち向かうと決めているの。その覚悟がないなら剣聖にはなれないから。自分より強いからといって、逃げる者に剣聖は任せられないでしょ?」
ユキナは自然体の雰囲気のまま告げる。
気負っているわけじゃない。
本当に思っていることを言っているんだろう。
さすがに剣聖を本気で目指すだけあって、メンタリティが他の生徒たちとは一線を画している。
生徒のメンタルじゃない。前線に出ている戦士のメンタルだ。
「レナさんは任せて。私が守るわ」
「できれば二人とも逃げてほしいんだけどなぁ」
「できない相談ね。ここを素通りされたら首都を落とされるわ。そうなれば三国同盟は崩壊してしまう。ここで稼ぐ時間が大切なの。必ず援軍が来る。それまで耐えてみせるわ」
さすがにユキナはここの重要性を理解していたか。
帝国が首都を狙っているという事実だけで、帝国が望む事態も予想できるんだろう。
ゆえにこそ、ここで時間を稼ぐ必要がある。
けれど。
「俺は必ず父上をここに導くが……それでどうにかなるかわからないぞ? 援軍は来るだろうが、援軍が決定打になるかはわからない。それでも戦えるか?」
「皇国のことはわからないけれど、王国のことならよくわかっているわ。我が国の陛下は三国同盟の重要性をよく理解しているはず。だから必ず援軍を派遣してくださるわ。それまでは……私が王国の代表としてこの場を守るわ」
「そこまでの覚悟があるなら何も言わない。だけど……無茶はするな。自慢じゃないが、父上は三国随一の指揮官だ。父上さえくれば時間はいくらでも稼げる」
「期待してるわ」
ユキナは笑顔で告げる。
そんなユキナの横を俺は通り過ぎて、部屋を出た。
そこで。
「ねぇ、聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「ロイ君は……来てくれる?」
「元気があったらな」
短く答えて俺は歩き出す。
これでロイ・ルヴェルとして動く必要性はなくなる。
気がかりはたくさんだが……。
とにかく一つ一つ対処していくしかない。
 




