第二十二話 帝国の作戦
「やれやれ」
大公国のとある家。
そこの地下室でヴァレールはため息を吐いていた。
「エイブラハム君、本名はカスパル。帝国軍の隠密部隊所属。三年前から大公国に潜入。現地にて商人として活動しつつ、婚約者を作り、一年前に結婚。大した経歴だ」
ヴァレールは調べ上げた経歴を言いながら、目の前の男を見る。
椅子に縛り上げられた男は、すでに虫の息だった。
帝国軍の精鋭ともいえる隠密部隊とはいえ、相手は十二天魔導の一人。
しかも完全な奇襲だった。
最初の一手ですべて決まってしまった。
「嘘に嘘を重ねすぎると、そのうち何が本当かわからなくなる。これは経験談ではあるんだが……喋ることがないのは何が本当かわからないからか?」
「……殺せ……」
「おいおい、残された妻のことを考えたらどうだ? 暗号文の読み方を教えてくれればそれでいいんだぞ?」
「知らないものは……教えられん……」
カスパルは荒い息を吐きながら告げる。
それはすでに何度か繰り返された質問だった。
カスパルの意識はもう朦朧としていた。
無理もない。
カスパルの左手の指はすべて切断されていた。
ヴァレールの仕業だ。
「ふむ、ちまちまやるのは面倒だ」
そう言うとヴァレールは指を振るう。
風が吹いたかと思うと、地下室にカスパルの叫び声が響き渡った。
カスパルの右手の指もすべて切断されたからだ。
痛みと出血でカスパルの意識が遠のき始める。
「指がなくとも幸せに暮らすことはできる。わざわざ敵地で妻を作ったのは愛していたからのはず。吐け」
カスパルは朦朧とする意識の中で、妻との思い出を振り返っていた。
カモフラージュのための結婚。
そう心に言い聞かせ続けていた。
けれど、実際は違う。
愛していた。
だからこそ、誓ってもいた。
妻を理由に国を裏切るようなことはしない、と。
「くたばれ……」
「見事と言っておこう。愚かだがな」
そう言ってヴァレールはカスパルを始末した。
そして。
「帝国の隠密部隊は皆、口が堅いようだな」
何事もなかったようにヴァレールは暗号文に目を向ける。
解読は半ばまで進んでいるが、肝心な部分が読めない。
これ以上、解読に時間を割くわけにもいかないため、帝国軍の隠密部隊を探し回っているのだが、誰も口を割らない。
「もしや、本当に知らないか?」
ここまで口を割らないとなると、その可能性が出てきた。
全員が抵抗している素振りをしているだけで、本当に知らない。
それほど重要度の高い暗号文の可能性がある。
そうなると、こうやって末端の隠密部隊を探すだけでは埒が明かないかもしれない。
ふむ、と顎に手を当ててヴァレールは考え込む。
しかし。
「エイブラハムー? エイブラハムー! どこにいるのー?」
上から声が聞こえてきた。
カスパルの妻だ。
ヴァレールはごくごく自然な動作で魔法を準備していた。
妻を消すためだ。
だが、すぐにそれを思いとどまる。
「危ない危ない。癖というのは怖いな」
思わず動いていた右手を左手で抑える。
そのまま、ヴァレールは風と共にその場を後にした。
そのうちカスパルの死体は見つかるだろうが、大した痛手にはならない。
この周辺では衝撃的な事件として扱われるだろうが、ヴァレールの仕業と気づく者はいない。
「俺も丸くなったもんだ」
少し離れたところに移動したヴァレールは、妻を始末しなかったことに対して呟く。
昔なら躊躇せず殺していた。
生かしておくメリットがないからだ。
たとえ、大公国の一般市民であっても、だ。
これがルテティア皇国の民でも対処は変わらない。
しかし、それをすると露骨に機嫌が悪くなる同僚がいる。
機嫌が悪くなるだけならともかく、怒りを向けてくる。
黙っていればわからないことだが、下手な嘘は見抜かれる。ならば、嘘をつかないように行動するしかない。
「さすがに大賢者様を敵に回したくはないからな」
声と共にヴァレールは姿を消した。
目的地は帝国。
この暗号文は末端の人間では解けない。
ならば、帝国内にいる者に聞くしかない。
危険ではあるが、それ以外に手はない。
戦いが起きた際、ヴァレールが動くことはほとんどない。
それはヴァレールの領分ではないからだ。
ゆえにヴァレールは危険を冒す。
情報を集めることこそ、ヴァレールの戦いだからだ。
■■■
数日後。
帝国領内でヴァレールは協力者と接触していた。
とはいえ、面と向かって会うわけではない。
「手紙の解読が終わった」
「感謝する」
帝国の街にある小さなカフェ。
そこのオープンテラスで、ヴァレールと協力者は背中合わせで会話をする。
「あんなものをどこで手に入れた?」
「伝手があってな。それで?」
「伝手だと? これは最高レベルの暗号文だぞ? 限られた者しかこれを使うことはできんし、移送にも相当な監視がつく」
「そうか」
協力者の言葉にヴァレールは短く答える。
それはヴァレールにとってあまり意味のないことだったからだ。
手に入れられる者すら限られる。
つまり、伝手は限られる。
バレれば大変なことになるわけだが、そんなことに怯えている暇はヴァレールにはなかった。
「早く聞かせてくれ」
「……日時まではわからなかった。しかし、作戦内容はわかった」
「日時が一番知りたかったんだがな」
「こちらにも限界がある。よく聞け、作戦は総勢四十万での王国、皇国への同時攻撃」
「大盤振る舞いだな」
さすが帝国といえばそれまでだが、帝国とて四十万の軍勢を動かすのは一苦労なはず。
それ相応の見返りが期待できると踏んでの行動だろう。
「そして、それらを囮として……大公国の首都を落とす気だ。すでに部隊は大公国へ入っている」
「狙いは大公国か……しかし、帝国の部隊を見逃すとは思えんが?」
隠密部隊の一人や二人ならいざ知らず、首都を落とすならば普通の部隊を動員せざるをえない。
数も相当なはず。
見逃すほど大公国も間抜けではない。
だが。
「クラーケンがルテティア皇国内に出現したはずだ。あれも作戦のうち。せき止められていた船が一気に港へ殺到した混乱に乗じて、潜入している」
「魔物まで利用できるのか? 帝国は」
「知らん。だが、そう書かれている」
「困ったものだ」
ヴァレールは呟くと立ち上がる。
すでに協力者に用はない。
あとは動くだけ。
「行くのか?」
「もちろん」
「気休めだが、気をつけろ。作戦が近いせいか、帝国軍の目が厳しい」
「ありがたく受け取っておこう」
そう言いつつ、ヴァレールは不敵に笑う。
この程度の厳しさでは止めることは不可能だと、ヴァレール自身が一番わかっていたからだ。
そしてヴァレールは帝国領内から帰還し、大賢者の下へ向かうのだった。




