2.異世界なんてお呼びじゃない
鏡を抜けると、そこは異世界であった――…。
ってか?
おい、どういうことだこれ。
俺は目の前の景色に呆然と口を開けた。
さっきまで俺は、学校の階段にいたはずだ。
それがどうだ、いま目の前には、瑞々しい草木生い茂る草原が広がっているのである。
「なん――…はぁ?」
…追いつかん、まったく理解が追いつかんぞ。
順を追って思い出せ。学校の七不思議を試そうと大鏡の前にいたよな、俺。
そんでバカみたいに祈ったら突然、鏡が光り出して変なモン映して、何となく手を伸ばしたらここにいた…。
つまりここは。
(鏡の中?)
馬鹿か。
草原のどこにも人の姿は見えない。
さっきまで鏡に映ってたような森も見えないし、雨も降ってやしない。
俺の頭がおかしくなってないなら、鏡に映ってたはずの森と男はどこへ行ったんだ?
とりあえず立ち上がって辺りを見回す。
数本の木々はあれど、見渡す限り草ばっかりだ。
これがホントの大草原不可避!…って、んなこと言ったって草も生えんわな。
恐る恐る一歩踏み出してみると、やわらかい感触が上履きごしに感じ取れた。
(東京にこんな場所あるわけない…よな…)
否応なく押しよせるパニックを必死に押しとどめて先へ進む。
…と、草原の向こうにまったく見覚えのない景色が見えだした。
「…ん?なんだあれ…」
まず目に入ったのは大きな城。
中世ヨーロッパ建築にありそうな尖塔が見える。薄靄の向こうにあってハッキリしないが、距離からしてだいぶデカいことが伺える。
そして、その城を取り囲むように、小さな家がたくさん並んでいる。
どうやら、俺が今いる草原は小高い丘のようになっていて、眼下に見えるのは城下町…と呼ぶべきところのようだ。
…。
(城下町、って…)
自分で考えたくせに、不安感に顔がゆがむ…。
一面の草原に見たことのない街。そして城。
どう考えても日本じゃない。
それどころか、ここへ来た経緯を考えると、地球上の街かどうかすら…。
「……どこだ…ここ――…」
パニックになることを避けたくて思わず声に出したが、弱々しいつぶやきは風に消えた。
無論、答える者はいない…。
否。
馬のいななきがそれに応えた。
「…!」
背後から馬の足音が聞こえる。馬、だよな、多分…。
いや、なんでもいい。自分以外の生き物がいれば多少は安心できる。
俺は音が聞こえるほうへ足を向けた。
足音はどんどん大きくなってくる。
やがて、木の影から1頭の白馬が姿を見せた。
だが、それと同時に、俺は馬が人をのせていることに気がついた。
「……あ――…!」
思わず声を上げた。
白馬に乗っていたのは、さっき鏡で見た金髪の男だったのだ。
歳は20代前半、ってとこか?
鏡で見たときは雨でびしょぬれでハッキリ見えなかったが、つややかな金髪と海みたいな青い瞳が目につく。
とんでもなくイケメンだ。そして、中世の騎士よろしく、銀の甲冑に白のローブを羽織っている。
「…なんだお前」
うわしゃべった。
声までイケメンとかなんだこいつ。鏡じゃ泣きじゃくってたのに。
「ええ、と…」
俺はなんと答えるべきか分からず黙り込んだ。
ここはどこだ。どうして俺はこんなところにいるんだ。
てかお前だれだ。
「…?」
男は眉根を寄せて馬から降りた。
「見ない服だな。観光か?」
「…ええと…」
「…?ここは景色がいいだろ、ディノワールの王都が一望できる唯一の場所だ」
「…」
「風が気持ちいい」
話しかけているのか単なるひとりごとか、男は本当に気持ちよさそうに目を閉じた。
ディノワール?王都?なんのことだよ。
俺はとにかく何か話しかけようと思って、けどなにから言うべきか分からず、結果いちばん意味不明な単語をつぶやいた。
「…リュカ――…?」
その言葉に、はじかれたようにこちらを見る男。
「あッ……」
「…なぜ、その名前……」
相手の動揺にかえってこっちがうろたえた。
なんで口走っちゃったんだ。鏡での光景を見る限り、こいつの名前でもなさそうなのに。
困った俺は誤魔化すように、にへら…と中途半端な笑みを浮かべた。
「えーと…その、ここはどこですか…?」
「…は?」
男はさらに眉をひそめた。
~~~~~
俺と男をのせた馬は、いつの間にか丘を降りていた。
男はリオン・ナイトレイと名乗った。
的を射ないはずの俺の話を、後ろから手綱を引きつつ生真面目に聞いている。
「…つまり、お前は別の世界から来た、と?」
「えーと、そうなんのかな…」
自分で言っていても意味不明だ。
だが、リオンはひとつ相槌を打つとアッサリ言った。
「なるほどな。どおりで見たことない服を着ているわけだ」
「えっ?信じんの?俺がそもそも信じらんないんだけど」
「…」
反射的に後ろを振り向くと、リオンは無表情に体をそらした。
オ?避けられたんか?
「…では、今度はこの世界の話をしようか。ここはディノワール王国という。お前の世界じゃどうか知らないが、魔法によって成り立ち、そして闇から厄災がやってくる国だ」
「ま、魔法?厄災?」
「やっぱりそこからだよな。この世界には『闇の者』と呼ばれる厄災が太古の昔から存在する。人のかたちを模し黒い瘴気を振りまき…とまあ、人間に害をなす敵だと思ってくれていい。その闇の者たちを退けるため、王国は昔からさまざまな策を講じてきた。王国騎士団の常設、占い師による厄災発生の予言。聖女の召喚なんかもそのひとつ」
「ちょ、待て待て待て」
情報量多いんだよ、一度に入れないでくれ。
つまりなんだ?
ここはマンガみたいなファンタジーな世界で、厄災とかいうやつをボコすために王国騎士団やら予言やら聖女の召喚やらをやってきた歴史がある、と…。
…ん?
「はっ?聖女の召喚?」
すっとんきょうな声を上げてしまった。
召喚って、なんか俺がこっちへ来た現象と、何となく当てはまるワードだ。
背後でリオンがうなずく。
「話が早いな。要するに、この国ではたびたび、お前のような異世界人をこちらへ呼び寄せて聖女としていたんだ。前例があるから驚きは特にない」
「うえぇ!?い、いや聖女ったって俺、女じゃないぞ?」
「なに、違うのか?」
「見りゃわかるだろ、男だオトコ!」
「冗談だ」
な、なんだこいつ。
再度振り向いて表情を確認するが、リオンの顔からは感情が読み取れない。
「そ、それにそういう召喚って、魔法陣みたいなやつ使うんじゃねえの?マンガあんま読まねえから知らんけど」
「マンガというのは知らんが、聖女召喚の儀式の際には、魔法陣を使うというのは聞いたことがある」
「や、やっぱそうだよな…?なんであんな原っぱに放り出されたんだよ…?」
「知らん」
リオンの反応はそっけない。
こいつ、すげえ淡々としてるな…。
イケメンなうえ寡黙な感じ。こっちはわけ分からん状況でパニクってるのに…なんか腹立ってくるな。
「そもそも最近、聖女召喚の儀式が行われたかどうかも定かではない。異世界からの召喚は、厄災対抗には効果が薄いと相当昔に廃止されたはずだ。今さら呼び寄せる理由がない」
「え…?じゃ、俺なんのために呼ばれたんだ…?てか、そもそも呼ばれたのか?」
「それを確かめるために、いま城へ向かっている」
「…」
はい?
「いまなんて?」
「もうすぐディノワール城に着くぞ。陛下に謁見するから、心の準備くらいはしとけ」
「…は…」
はあー!!?
気が付けば、まわりはとっくに城下の街並みに変わり、道の先に巨大な城が近づいているではないか。
「早く言えよ!?」
「ウルサイ。気づかなかったお前が悪い」
な、な、なんだこいつ!?
すっげームカつく!