7 小説:老人とロボット
7 小説:老人とロボット
太平洋のどこかに小さな島国があった。
炎天下、ポンコツの人型ロボットが一人で鍬を持って黙々と畑を耕していた。畑を耕すのがこのロボットの仕事であった。100年以上も昔には、人間がこのロボットのように鍬を振り下ろしていたらしい。100年前から、工場では人間に代わってロボットが働くようになったが、その頃は農業でも耕運機の普及により鍬を持つ人間はいなくなった。そして耕運機はどんな畑の形状にも対応して無人運転化されていった。
最近、近くの海で巨大な海底地震が起こり、海岸にあったこの島唯一の原子力発電所は津波によって破壊され、原子炉が爆発して放射能が島全体に巻き散らかされた。巨大地震で多くの人はなくなり、生き残った人々は国際救助隊によってこの島から船で脱出し、世界中に散らばって、再びこの島に戻ってくることはなかった。この島の繁栄をもたらしたAIロボット文明はこうして壊滅した。
島から脱出したのが全国民であるというわけではなかった。身寄りのない老人たちの何人かはこの島から出ていくことを強行に拒み、島に残った。残留老人たちは互いに連絡を取り合うこともせず、一人ひとりが単独で生活した。老人の中でもこうした孤独を好み、その先の死を覚悟した人たちが島に残ったのだ。
巨大地震の前には島におよそ100万の人が住んでいたが、地震後に島に残っている人の正確な数字はわからないが、合わせても10人もいないのではないかと思われた。そんな少数の老人が島にばらばらに住み、互いに顔を合わすこともなく連絡を取り合うこともしないので、一人で生きているのとなんら変わりがなかった。こうして島はゴーストタウンとなっていった。
老人たちが死ぬまでの食料は、スーパーマーケットに十分な量が残されていた。肉や魚、野菜などの生鮮食料品は、冷凍食品と共に停電になってすぐに駄目になったが、主食の米はすべての銘柄があり、色々な種類の缶詰が豊富に残されていた。それらすべてが取りに行けば、誰に気兼ねすることもなく無料で入手できるのである。
老人たちはいまさら放射能を浴びることが怖いとは思わなかった。大量の放射能を被曝することによって癌になろうが、住み慣れた島を出て、残り少ない余生を不安に駆られながら生きるよりは、静かな暮らしを全うできると考えた。もともと子供や親戚などの身寄りもなかった人たちだ。
巨大地震が襲う前から、老人たちには国から人型ロボットが一人に一台、ペットとして提供されていた。この科学技術の高度に進んだ時代なので、より精巧なものを支給することも十分可能だったが、老人にはこの程度の簡単なものがいいだろうと判断された。実際、老人には複雑な操作と定期的なメインテナンスを必要とする、高度で繊細なロボットは必要なかった。
老人は自分のロボットに名前をつけ、囲碁や将棋の相手をしてもらった。ロボットは接戦に持ち込みつつも、最後は主人を勝たせるように、手加減をしているように思えた。そのことを老人も薄々感づいてはいたが、それをロボットに問い詰めることはなかった。
ロボットには、老人が乗った車椅子を押したり、一人で買い物に行ったりするくらいの能力はあった。テレビのクイズ番組を並んで見ていると、控えめな声で正解を言い当てるところをみると、知識も相当あるらしかった。老人よりもよっぽど賢そうだったが、ロボットはそのことをおくびにも出さなかった。ましてや尊大に振る舞うことはなかった。ロボットは人間に従うように、プログラミングされているのだろう。しゃべることはできるが、決しておしゃべりではない。この人型ロボットが世に出た頃は、おしゃべりなロボットが人気だったが、老人たちには出しゃばっているように思えたらしく、いろいろなところでいざこざが起こった。こうして寡黙なタイプのロボットが老人向けに無料で配布されることに決まったのだ。エネルギーは電気で、一晩充電すれば一日中動くことができる。だから、老人が寝静まった頃に、自分でコンセントをつないで眠りについた。
この家の老人も災害後に島に残った老人の一人である。かれの傍にはトムと名付けたロボットがいた。老人が少年だった頃、アトムという有名なロボットがテレビの中で活躍していたので、それから呼びやすいように短縮してトムにしたのだった。
トムは災害が起こってからは、老人と一緒に家の修理をした。それは島からみんながいなくなってからも変わりはない。老人に指示されて、老人では持てないような大きな石を除けていった。力は圧倒的に老人よりはある。数日に一度は二人でスーパーマーケットに缶詰を入手しに行った。老人の指示のままに、ショッピングカートに缶詰などの食糧品やトイレットペーパーなどの日用品を載せた。ガスコンロとガスボンベも必要だった。老人が疲れたと言った時は、ショッピングカートに乗せて家まで帰った。
ある日、老人は、新鮮な野菜が食べたいと言い出した。しばらく新鮮な野菜を食べていないので、ビタミン不足で元気が出ないと思ったのだろう、トムはドラッグストアーからビタミン剤を持ってきて、老人に飲ませた。老人はトムの指示に黙って従った。それからトムは老人とホームセンターに行って鍬を入手し、老人から鍬の使い方を学んで畑を耕し始めた。土には高濃度の放射能が含まれているので、ロボットはホームセンターに袋に入った土がたくさんあるので、それを大きな鉢に入れて野菜を育てようと提案したが、老人はやんわりとそれを断り、この故郷の大地で育った野菜が食べたいと言った。ロボットはそれ以上何も言わずに、鍬を振るった。
ホームセンターで手に入れたハクサイやキャベツ、ナス、ニンジン、ジャガイモ、それにトマトやスイカの種を入手して植えた。定期的に水をやり、有機肥料もやった。かいがいしく世話をしたかいもあって、数か月後にはたくさんの野菜ができたが、トマトは少ししか実らなかった。それでも実ったものは甘くて美味しかった。スイカはひとつだけだが、見たこともないような巨大なものが実った。老人は放射能の影響かもしれないと言った。
野菜には高濃度の放射能が含まれていて普段は食べることができないが、老人はお構いなしにサラダにしたり、炒め物にして美味しそうに食べた。トムが一緒に食べられないのがとても残念そうだった。
老人は野菜炒めに肉を入れたいと言い出した。島で飼育されていた牛や豚、鶏は飼っていた人がいなくなると、しばらくして全部死に絶えた。それから野生の動物だけが異常に増殖して、島で我が物顔にふるまうようになった。この島の最大にして最上位の動物は猪である。庭にまで出没するようになった野生の猪を罠で捕まえることになった。老人の指示で大きな落とし穴を掘った。上にござを被せて土を盛った。毎日、落とし穴を点検したが、何もわなにかかっていなかった。
ある日、猪が穴の下で大きな声で呻いているのが聞こえた。老人はロボットに大きな石を猪に投げるように指示し、二人で次々に石を投げた。そのうち猪は動かなくなった。老人は猪が死んだと言った。ロボットは死ぬということは、二度と動かなくなることだと思った。穴の下に降りて、イノシシの手足にロープをかけて引き上げた。老人は馬鹿力だと褒めてくれた。
ホームセンターから持ってきた包丁やナイフでイノシシを解体した。凄い量の肉がとれて、老人は喜んだ。老人は庭でバーベキューを始め、久しぶりに深酒をした。老人はトムの手をとって踊り出した。トムに何かご褒美をやろうと言ったが、トムは何も欲しいものが思いつかなかったが、この老人との時間が永遠であればと願った。老人は猪の牙をくれた。
老人は今度は刺身が食べたいと言い出した。5キロも行けば海がある。老人を背負っていけば簡単に海にいける。そこで魚を捕まえればいい。多分、海に潜れば簡単に魚を捕まえられるだろう。トムの仲間はかれの主人と一緒に定期的にプールで泳いでいたのだから。泳いだり潜るのが難しいわけではない。だが、老人は、海は塩水なので、すぐにトムの体は錆びてしまうと言って、魚を捕まえに行く話は老人の口から二度と出てこなくなった。
ある日、老人が動けなくなった。トムはドラッグストアーから体温計を持ってきて、熱を測った。40℃の熱があった。トムはタオルで熱を冷やした。ドラッグストアーに行って、解熱剤を持って老人に飲ませた。そのかいがあって、熱は下がってきたが、老人は憔悴しきっていた。もはや立ち上がれないようだった。ロボットは育てた巨大スイカを小さく切って、それを老人に与えた。老人は少し食べてほほ笑んだ。
トムは朝早く起きて海に行って潜った。透き通ったきれいな海だった。色々な魚が泳いでいたので、それを手づかみでとった。サザエもアワビもとった。それを急いで持ち帰って、刺身にしたり、焼き魚にしたり、つぼ焼きにして、老人の横においた。老人は動かなかった。少しつついてみたが、ぴくりともしなかった。トムにはプログラミングされていなかったはずの大きな声を出して泣いた。涙は流れなかった。
トムは老人を埋葬するために、大きな穴を掘ったが、だんだん自分の動きがぎこちなくなり、力がなくなっていくのがわかった。それでもトムは全力を振り絞って、老人を掘った穴の中に静かに横たえた。それが終わると、老人の上にさび付いて動けなくなった自分の体が倒れ、それを合図に、大量の土がかれらを包むように落ちた。




