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美祢林太郎短編集  作者: 美祢林太郎
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6 ショートコント:ラーメン屋2

6 ショートコント:ラーメン屋2


入ったラーメン屋は空いていた。

主人「お好きな席にどうぞ」

Aは一番奥の席に座った。


主人「醤油ラーメンですね。ニンニク、ショウガ、油、野菜を増量できますが、どうします」

A「それじゃあ、野菜を増量で」

主人「前のメニューから一品選べますけど、何にします」

A「じゃあ、餃子をお願い」

主人「餃子一丁。空いてますから、広く使ってくださいね」


そう言われて、Aは右側の間仕切りのアクリル板を左に移動して、座っている空間を広く確保した。


Aがラーメンが出てくるのを待っていると、道路工事の作業員風の一団が店に入って来て、それぞればらばらに座った。そのうちの1人が、Aの右の席に座った。かれは相撲取りのように恰幅のいい男だった。かれは辛味噌ラーメン大盛とチャーハン大盛を頼んだ。


主「はい、醤油ラーメンお待ち」

A「お水をお願いします」

主「入り口にありますので、セルフでお願いします」

そこで、水を汲むためにかれは立ち上がり、前に進もうとしたが、隣の客が椅子を後方に出していたので、通り抜けることができないでいると、それに気づいた隣の客が前に椅子を引いてくれた。「すみません」と言って、通り抜ける際に隣の席を見ると、アクリル板の間隔が異常に狭く、客の肩幅よりも狭く感じられた。かれは一瞬にして緊張感が走った。それでも、とりあえずそのまま水を汲みに行って戻ってきた。隣の席の巨体の客はかれが通過するまで席を前に引いたままだった。かれは「すみません」とかすれるような声で言ったが、巨体の男には聞こえていないようだった。

再び席を立つのが嫌だったので、水を満タンに入れたコップを持っていた。なんと、運が悪いことに、巨体の客の傍を通過する時に、緊張のあまりにコップが揺れて水がこぼれ、こともあろうか、冷水とともに小さな氷が巨体の襟を通して背中に入ってしまった。その瞬間、巨体の男は驚いて「ひやっ」と言って飛び上がり、右手を肩越しに左手を腹越しに氷の場所を探した。大男は体を右左にくねり、ズボンからシャツを出して、氷を取ろうともがいた。そして、やっと氷は床に落ちた。

巨体の男が声を上げた時、店の客や店員が一斉にこちらを見た。巨体の男の連れの男たちの怖い視線が、かれに一斉に向けられた。かれは「すみません、すみません」と平謝りをしたが、そのたびにコップから水がこぼれた。巨体の男は座りながら「いいから、いいから」と小声で言ったが、その頭にコップの水が滴り落ちた。

大男は恥ずかしがり屋なのか、ずっと俯いたままなので表情はわからなかったが、右腕の拳が堅く握られたのを見て、Aは冷や汗が出た。異常に間隔の狭いアクリル板に挟まった大男の背中の作業着の中央は、汗とは違った大きな染みを作り、おしぼりで拭いた頭もまだ髪が濡れていた。

Aは自分の席に座り、大男の席と自分の席を比べると、自分の席が隣の席の2倍の広さになっていることがわかった。この騒動の間に、自分の席のど真ん中には、涼しそうに醤油ラーメンが鎮座していた。かれはコップの水を一気に飲んで、内心「しまった」と思った。もはや水を飲みたいと思っても、隣の席を通過する勇気はなかったからだ。

かれが醤油ラーメンを食べ始めると、大きな男の狭いテーブルに辛味噌ラーメンの大きなどんぶりと大盛チャーハンのでかい皿を店員が運んできた。店員は一瞬、どこに置けるのだろうかと困っている風だったが、アクリル板を移動する頭はなかったようだ。かれは店員に一言声をかけてもらえれば、これ幸いとアクリル板を移動したのにである。かれは店員から声をかかるのを待ち、アクリル板に手をかけて準備していた。だが、声はかからなかった。

大男は慣れたように、醤油などの調味料がのっているセットを奥に移動し、とりあえず大きなどんぶりを置き、チャーハンの皿をアクリル板に持たれかけさせて、斜めにして置いた。もう少し傾斜をつけたら、山崩れが起こりそうな、そんな微妙な置き方であった。さらにチャーハンにはスープがついてきた。これはどうするのだろうと見ていると、店員から直接受け取って、テーブルの上に置かず、片手でぐびっと飲み干して、店員に容器を返した。Aはその豪快さに見惚れてしまった。熱くはなかったのだろうかと心配になったが、熱くはなかったのだろう。

大男は脇を締めて小さくなって、大きな汗をかきながら、辛味噌ラーメンを食べ始めた。かれは大男に気を取られていたが、この気づまりな状況から脱するためには、早く食べて店を出なくてはいけないと思い、目の前のラーメンをいつも以上の速さで食べ始めた。すると「お待ち」と言って、餃子が運ばれてきた。そう言えば、餃子を頼んでいたのだ。早く出たいのに、餃子も食べなければならない。しかし目の前には醤油などの調味料のセットはなく、隣の大男の席にあった。こうなったら、酢醤油なしで食べることに決めた。が、その時、隣の大男がこのことに気づいたようで、調味料のセットをかれの方に無言で回してくれた。Aは席の広さを悟られるかもしれないと内心焦ったが、恐縮しながらもそのセットを頭を何度も下げて受け取った。その際、アクリル板が大男の方に傾いた。この機に乗じてアクリル板を移動させることができる好機かと思ったが、自分の手はふさがっていた。大男は俊敏に倒れる前にアクリル板を持って、元通りの位置に立てた。かれはこの好機をものにすることができなかった。

 Aは哀願するように主人の方を見た。主人が一声かけて状況を好転させてくれるかもしれないと思ったからだ。主人も状況を察しているようだったが、責任を逃れるように、目が合うとすぐに視線を外した。アクリル板に大男の肘が当たって、アクリル板がこちらに倒れそうになった。大男はすまなさそうにアクリル板を元に戻そうと手を出して、袖がラーメンの汁で濡れた。

 かれは愛想笑いを浮かべながら、このチャンスにアクリル板を自分の方に引き寄せようとしたが、大男が手際よく元の位置に戻した。大男の袖から汁が滴って落ちた。

 かれはラーメンを食べるどころではなくなった。もう、まだあまり食べていないが、残して早く立ち去ろうと思った矢先、大男が「マスター、こんなおいしいラーメンを残す奴の気が知れませんよね」と言い、マスターが「ありがとうございます」と笑顔で答えた。店全体が和んだ空気となった。Aは再び必死でラーメンを食べることにした。

Aはラーメンを食べながらも、大男に気づかれる前に、アクリル板を移動しなければならないと思った。かれはアクリル板に右の肘を当て、少し倒してこちらに引き寄せる作戦を立てたが、思いのほかアクリル板が傾き、大男の後頭部に当たってしまった。大男は自分が倒したと勘違いし、かれに謝った。かれはそのすきにアクリル板を手前に引き寄せた。大男は立ち上がると、遠近感によって自分の前が異常に広く奥が深いように見えて、かれは恐縮しているようだった。そして、大男は水を汲みにいった。かれはそのすきにアクリル板を隣の席と同じ面積になるように戻した。大男は席が広くなったのを見て、少しにんまりとしたようだった。

 仲間たちも食事が終わったようで、連れ立って出て行った。外で大男に対した仲間が語り掛けていた。

仲間「また窮屈なところで食べていたよな。おまえ、変な趣味しているな」

大男「狭いテーブルに皿をいっぱいに並べて食べるのがいいんだ。豊かな気になるじゃないか。それに隣の席の人もゆったりと食べられていいだろう。おれが来る時には、店長にあの席のアクリル板を移動するように頼んでんだ」

仲間「店長、いつもニコニコして隣の席の奴のふるまいを見ているものな。おまえも時々、わざとアクリル板を倒してんだろう

大男「よく見てんな。わざとじゃないけどさ」

仲間「午後からも仕事頑張って行こうな」

 Aは昼食が終わってどっと疲れが出て、午後は会社を早退した。かれはその後、食堂のカウンターでアクリル板の衝立を見ると、それを自分の方に引き寄せて、狭い間隔の中で器用に食事をするようになった。この狭い空間がかれを落ち着けさせた。


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