5 ショートコント:ラーメン屋
5 ショートコント:ラーメン屋
一人の客がラーメン屋に入ってきた。カウンターに10個の丸椅子が並んでいる小さな店だった。50歳くらいの店長が一人で切り盛りしていた。
夜の12時を少し過ぎたこともあってか、客は誰もいなかった。
主人「へい、いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。食券をお願いします」
入口に自動食券売り機があった。左上からラーメン、チャーシューメンとボタンが順番に並び、右下の最後の目立たないところに「一日3食限定スペシャルラーメン」というボタンがあった。値段は1000円と、驚くほど高いわけではなかった。
客「「一日3食限定スペシャルラーメン」はありますか」
主「はい。お客様はラッキーですね。日が変わったばかりなのでできますよ」
客は「一日3食限定スペシャルラーメン」のボタンを押して、食券を手にした。
主「では、お好きな席に座ってください。食券はカウンターに出してくださいね。スペシャル一丁、スペシャル一丁、スペシャル一丁・・・・・」
客「一人でこだまをやっているのですか?」
主「店が活気づきますからね。
それじゃあ、ご注文をお聞きします」
客「だから、スペシャルラーメンなんですけど」
主「うちのスペシャルはお客様のニーズに対応したオーダーメイドになっているんです」
客「おっ、本格的ですね」
主「最初に、塩、醤油、味噌、豚骨の中から何をお選びになられますか」
客「じゃあ、味噌を」
主「味噌一丁、味噌一丁、味噌一丁」
客「その一人エコーはやめてもらえますか。もう深夜なので、静かに食べたい気分なんですよ」
主「はい、了解しました。では、信州みそ、八丁味噌、麦みそ、白みその中からお選びください」
客「味噌まで選べるの。じゃあ、信州みそで」
主「信州みそ一丁、信州みそ一丁、信州みそいっちょう・・・・・」
(思い出して、声が小さくなる)
主「ラーメンスープのだしを、豚骨、鶏がら、煮干しからお選びください」
客「だしまで選べるの。何にしようかな・・・」
主「それじゃあ、だしはなしということで」
客「ちょっと待ってよ。だしがなければただの味噌汁ラーメンでしょう。少しくらい考える時間を頂戴よ。では、豚骨で」
主「麺はどうしますか」
客「やや硬めで」
主「そんな抽象的な表現は止めてもらえますか。硬さは0から100の数値で選べます。世の中デジタルの時代ですから」
客「おっ、かっこいいな。先端を走ってるよ。じゃあ、0は何なのよ」
主「昨日から煮込んで、麺がどろどろに溶けて形がなくなっています。いわゆる流動食ですね」
客「そんなのいらんわ。じゃあ、100は」
主「茹でずにそのままどんぶりに入れます」
客「食べられるか。普通はどのくらいなの」
主「標準は50でやや硬めが70となっています」
客「では70で」
主「せめて71にしてくださいよ。下一桁がないと数値化した意味がないでしょう」
客「じゃあ、71で。70と71の違いはどこにあるの?・・・・・無視かい」
主「麺の太さはどうなさいますか」
客「太麺で」
主「極太麺だと直径10センチはありますが」
客「そんなのもうラーメンじゃないだろう。一本口に入れたら窒息してしまうわい。直径5ミリ以下にしてね。ちょっと麺を見せてよ。そう、それでいいよ」
主「3.7ミリ一丁。これで茹でる時間を計算しますね」
客「そうだよね。麺の太さで茹でる時間が決まるよね」
主「ルートをかけて、タンゼント、インテグラルにっと・・・」
客「そんなに複雑なんかい」
主「微分方程式なもので」
客「ほんまかい? それで答えは」
主「3分です」
客「小数点はないんかい」
主「3分は70なので、お客さんは71ですから3分1秒にしておきます」
客「微分方程式じゃないのかい。おおざっぱやな。それに1秒加えたら柔くなるやろ。71は70より1だけ硬めと違うんかい」
主「麺の量は」
客「普通でいいよ」
主「普通と言われましても、それはお客さまの主観でありまして、お客様の普通と私の普通は違いますので」
客「何グラムと言われてもラーメンの厳密な量はわからないな。どんぶりを見せてよ」
主「どんぶりも選べるようになっています」
客「どんぶりまで。面倒くさくなってきたな。いったい何種類あるの」
主「形、大きさ、柄で70種類はあるかと」
客「そんなにあるの。それ、こんなに小さな店では無駄でしょう。せめて普通盛と大盛の2種類に統一した方がいいんじゃないの」
主「そうですよね。形が違うので重ねることもできないんですよ」
客「わかってるなら、そうせんかい。たった一日3食のためにそんなに凝る必要がどこにあるんじゃ」
主「何しろスペシャルですから。当店の一番の売りですから」
客「わかった、わかった。では、このオーソドックスなどんぶりでお願いね」
主「たまにはこの鶴首の花瓶でお召し上がるのはどうでしょうか。まだ使ったお客さんはいないんですよ」
客「それでどうやってラーメンを食べるんだよ。イソップ物語の鶴じゃああるまいに。箸が下まで届かないだろう。ストローを使うの? それでも麺を食べるの難しくない」
主「そのために麺の硬さ0の流動食タイプがあります」
客「ああ、そうなの。そうだったのね。分かったけど、いらないよね。ご主人はこの鶴首で食べたことがあるの?」
主「そりゃあ、店主として責任がありますから」
客「さすがだね。それで美味しかったの?」
主「粘っこくて、ストローの中を登ってこないんですよ。顔を真っ赤にして吸っても中につまっちゃって。死ぬかと思いました」
客「わかりました。この普通のどんぶりでいいよ。麺の量は、このどんぶりに入るくらいの量でお願いね」
主「何グラムでしょうか」
客「任せるから。ああ、そのくらい。それで何グラム? 157グラム、それで結構です」
主「では、トッピングはいかがなさいますか」
客「既定のものはないの。チャーシューとかシナチクとかネギとか。何かのってないの」
主「オーダーメイドを貫かせていただいてますので」
客「面倒臭いな。もうスペシャルやめじゃ。ただの味噌ラーメンでええわい。味噌ラーメンとの差額300円戻してもらわなくてもええから」
主「もう引き戻すことはできません」
客「だれがそんなことを決めたんじゃ。おまえだろう」
主「ここでおやめになると10万円の違約金が発生します」
客「それもおまえが決めたんだろう。どこにそんなの書いてあるんじゃ」
主「トイレの中に貼っています」
客「誰がトイレに入るんじゃ」
主「場所を有効活用していますので」
客「ここは暴力ラーメン屋か。ええわい、つきあったるわい。いったいどこまでいったんじゃ」
主「トッピングです」
客「チャーシューと野菜、それに卵も。おっと、半熟にするか、固くするかなんて聞くんじゃないよ。半熟で」
主「生も目玉焼きも卵焼きもスクランブルエッグもできますが」
客「半熟で」
主「お野菜は、キャベツ、ニンジン、モヤシ、トマト、キュウリ、エリンギ、ナス、ゴボウがありますが、いかがいたしますか?」
客「キャベツ、ニンジン、モヤシでお願い」
主「産地は?」
客「地物で」
主「ニンジンは地物を切らしておりますが」
客「千葉のもので」
主「ニンニクはいかがなさいますか」
客「青森産3グラムで」
主「慣れてきましたね。このリズム感ですよ。では、サイドメニュは何になさいますか」
客「何があるの」
主「定番の焼き餃子とチャーハンができますが」
客「じゃあ、餃子お願い」
主「餃子を頼むんですか?」
客「頼んじゃいけないの?」
主「なにしろスペシャルですから、ここはラーメンだけを食べてもらいたいんですけどね。餃子を食べながらは、いささか邪道かと」
客「じゃあ、聞くなよ。もう餃子はいらないから、ラーメンだけで」
主「では、信州みそ豚骨だしラーメン、チャーシュー、野菜、卵トッピング一丁」
客「野菜のいため具合は聞かれなかったから、よかったよ」
主「スペシャルラーメン、お待たせ」
別の客が入ってくる
主「いらっしゃい。味噌ラーメン一丁。味噌ラーメン一丁、味噌ラーメン一丁・・・・」
主「味噌ラーメン、お待ちどうさま」
客「ちょっと待ってよ。その味噌ラーメン、おれのスペシャルラーメンとまったく同じじゃないの?」
主「そりゃあ、お客さんが平凡な人間だからですよ」