98.羽翼のガラクタ-11
未だ中天にも至らぬ陽光に一枚の羽を掲げ透かし、ギアは内心で「ああ、これはもうダメなのか」と評価を下す。そのあまりな酷情さに我ながら情けなくなるが、やはり大して心を動かされない事に、然程の違和感も覚えない。
「なあ師匠。その羽、随分と見てるけど、なんかすげえ道具なのか?」
「…実は僕も気になってました。大振りな鳥の羽、にしか見えませんが」
ギアがアイテムボックスの中から「コレは売れるのではないか」や「これなら売っても問題ない」と判断し、茣蓙の上に並べて虫干しと勤しんでいた代物を目敏く見つけ、エスコとバオは疑問を投げかける。
ギアの手の中には、結果として三枚の大きな、子供の肘先位はありそうな羽に筆を走らせた代物が握られていた。
「あー…えっと、気になる?」
逸らかすように適当な相槌を打つが、一度芽生えた好奇心の苗は、止められない様子だ。
「めっちゃ!」
「…興味無いかと言われれば、嘘になります」
「まあコイツは、何て言うか『呪符』の一種だな」
以上、説明終了。
そう言おうとしたが、そうは問屋が卸さないらしく、怒涛の如き追撃が始まった。
「呪符ってソレ、聞いたことあるぞ!なら魔法道具なのかよ!」
「やっぱり!そうじゃあないかと思っていたんです!」
エスコもバオも、想像以上に興奮が酷い。確かに魔法道具と言われればその範疇ではあるが、所詮は『呪符』だ。それ程高揚する程の物かと言われれば、疑問が残る。
双翼の呪符という名前の、一応は魔法道具と言っても良いのかもしれないが、その効果は然程でもないし、使い途も限定的だ。効果範囲も狭ければ当然の如く、汎用性は無い。
「なあ、ところで師匠。…『呪符』ってなんだ?」
「…そっからかよ」
根本的な説明をしなければならない事に疲労を覚えるが、確かに此方に来て以来、呪符を見かけた事はなかった。一般的には出回らない代物であれば、説明は必要だろう。
「まあなんだ。魔物の鳥、要は魔鳥の羽とか、他にも錬金術師なんかが魔化を施した護符に魔法なり呪いなりを込めたものが呪符だな。まあ、こいつ等には大した魔法は込められてねえけどな」
効果はそれなりの物が多いが、魔法を使えない者でも使えるのが強みだと続けると、二人は興奮に拍車をかける。
「やべえ!やっぱすげえんだな、呪符!」
「僕たちにも扱える魔法…興味深いです。どういった魔法なのですか?」
効果はそれなり、と言えば興味が覚めてしまうだろうと目論んだ予想に反して、更に二人して詰め寄っては圧を掛けてくる。確かにイザという際の保険ではあるが、備えておくに越したことは無いし、此処まで詮索されては、誤魔化すべくもない。
「…あー、そのなんだ。其処も気になる?」
「めっちゃ!」
「気にならないと言えば、嘘になります」
「まあ、だよなあ…」
そうまで言われては『鴻鵠鳥の双翼』と呼ばれるこの『呪符』の説明をこの二人に、しなければならない。説明しなければそれこそ公平とは言えない。ギアには、ズルい大人として、その責任がある。
「まあコイツは、『双翼』って形式の呪符なんだ」
「ソウヨク?」
「翼が一対、つまり二つってことですよ」
今一つ理解の及ばなかったエスコに、バオが補足を入れる。思った通り、中々に良いコンビなのだろう。
「そうそう。まあ効果としては有りがちだな。予め一枚目を対象の人や物に張り付けておき、二枚目を何かに張ると二つの場所を瞬時に入れ替えるという物だ」
「すげーじゃん!」
「やはり魔法道具、使い勝手良さそうですね」
「案外そうでもないぞ。効果は精々、視認出来る範囲が限界だしな。あと一枚目と二枚目を同じ対象に張り付けても無効となりキャンセルされる」
「まあそりゃ、おんなじものに張ったって意味ねぇしな」
「具体的には、どの様に使うのですか?」
中々に掘り下げてくる。商売への意識も危機管理能力も、一先ずは及第点だろう。
「ああそうだな。双翼のどっちでもいいんだけど、まず一枚目を対象に張るだろ。そうするとそいつは溶ける様に消えて見えなくなる。見えてないだけでちゃんと貼られっぱなしだけどな」
「それから?」
「んで、二枚目を別の物に張り付ける。するとその瞬間に二つの位置が入れ替わる」
但し今ギアが今持っている物はこの三枚とも片割れを失ったものであり、既に効果を発揮していない。そうした片割れを失ったものがこの三枚であり、安い物でもないので、それなりに損をしたと面白おかしく話を盛る。本命は、これからだ。
「え?じゃあ、その三枚とも、ぶっちゃけガラクタなの?」
「ああ、そうだぜ。…だからほら、こう!」
掛け声と共にその内の一枚をエスコにバシンと音が鳴るくらいに打ち付けてみる…が、何も起こらない。
「うおあああ!まじビビった!いきなり何すんだよ師匠!」
「はっはっは。ほらな、何も起こらねえだろ」
「笑い事じゃありませんよ、師匠…」
呪符談義はもう充分だろう。ギアからすればこの話を続けたいわけでもない。それよりお前たちは将来どう考えてるんだと話を逸らす。
「将来、ですか?」
「そりゃあ勿論、大商人だぜ!街にでっかい店構えてさ!」
夢は大きく希望は輝かしく。将来を大きく夢見ることは、決して悪い事ではない。
しかし人生の先達として、夢破れた先駆者として。些かの助言と小言が、ギアの口から吐いて出てしまう。
計画や想定は多分に自分の希望や都合が含まれてしまう。こうなったら良い、やこうすれば上手く行くが先に来てしまうが、現実はそれ程上手く行きはしない。常に最悪の状態を想定しておけと諭す。失敗して、それでも挽回できるようにしておくことがが大切だ、と。
二人は満面の笑みで答えた。
「分かったよ師匠!」
「勉強になります、師匠!」
この顔は、多分分かっていないだろう。希望と野望に満ちた、無鉄砲で無謀な若者特有の瞳だ。何が可笑しいのか、口元は笑いをどうにか堪えているのが分かる程に緩んでいる。まあいずれわかるだろうと結論付ける。
「あ、そういや聞きたかったんだけどよ。最初にあった時、お前ら三人じゃなかったか?」
金髪の少年がいない。この二人を見て、常に感じていた違和感の正体は、それなのだろう。思い返してみれば、姦しくも鬱陶しい三人組だったはずだ。
「ああ、あいつか…。いや、ぶっちゃけ知らないんだよ」
「ええ…。友達じゃあねえのかよ」
そんな明け透けな物言いに、つい口を挟んでしまう。
「あの日偶々あの場所に一緒にいただけ、なんです。正直に言えば、名前も知りません」
「なんか随分と人懐っこい奴でさ。やたら話があって直ぐに仲良くなったんだけど」
「ええ、その彼に『鷲獅子を買った商人がいる』と話を聞いて師匠を探して一緒に燥いで…気が付いたらもういなくなってましたね」
「良かったら一緒に弟子入りしようぜって誘う心算だったんだけどさ」
「ええ。でも結果的に仲間外れにしたみたいで…、彼には悪いことをしました」
大人になって久しく忘れていたが、そう言われてみればギアにも少年時代と言うものがあり、その頃にはその日あって仲良くなった友達というのも、確かにいたものだ。あの時カブトムシを競わせ合った少年は、今頃どこで何をしているだろうか。まあ少なくとも、異世界で途方に暮れていることは無いだろうが。
「マスター」
益体も無いことに思いを馳せていると、不意に背後から声を掛けられた。
ドキリ、と一つ胸が弾む。とは言え、誰何することも無く、ギアは自身の愛する娘の声を聴き間違えたりなどはしない。吃逆を鳴らせたのは、別の理由からだ。
「お、おうプニ。どうした?」
「はい、こちらです。今日のお弁当、お忘れになっていましたので」
布にくるまれた弁当を差し出すプニの浅く被ったフードから満面の笑みが零れ、ギアの心と辺りを照らす。その輝かんばかりの笑顔は、日射しよりも眩しいに違いなかった。
非ざるべき失態だ。
顔には出さず、胸中で自身を罵倒する。ここ数日、プニはギアの為に手ずから弁当を拵えて渡してくれているというのに、それを忘れるなど。いやそもそも、なぜ態々、二人の時間を惜しんで、愛する娘を宿に残していたのかと。
「…あ、え?」
「これは…」
こいつらに会わせたくなかったからだ。
「それでは戻りますね。お疲れの出ませぬよう」
そう微笑みと共に踵を返すプニの後ろ姿を、どれ程見送っただろう。三人が三人とも、一言も発しはしないが、その意味はそれぞれで異なる。二人は絶句で、ギアからすれば「黙っていろ」だ。
「お、おっちゃ、おっちゃん!今の誰だよ!」
ようやく思考を再起動出来たのか、エスコが捲し立てる。
師匠はどうした。そう内心で毒づきながらも、鷹揚に返す。出来れば流したいが。
「だれがおっちゃんだ。…俺の娘だよ」
「娘さん、ですか…。あまり似てませんね」
「ほっとけ!」
バオの失礼な物言いを他所にどこか思いつめたように百面相を繰り返していたエスコが、その癖の強い赤毛を大きく揺らし、意を決したように詰め寄って来た。
「お、おっちゃ!いや師匠いや、おお、お義父さん!」
「…は?」
「むむむ娘さんを、お、俺に下さい!」




