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94.羽翼のガラクタ-7

「クルルルゥ」


 虚空を見上げる鷲獅子(グリフィン)の、転がすような鳴き声が未だ青い空へと一つ、響いた。

 太陽はまだ中天に差し掛かる程でもなく、澄んだ空の彼方には天まで届くような入道雲が一つばかり聳えている。


「よしよし」


 機嫌良さそうに鷲獅子の胴を撫でるプニの声が、小さくも耳に届く。思っていたよりもスリムで、毛足が長い。撫で心地は、悪くなさそうに見える。撫でられる等の鷲獅子は、その図体の割には、猫の様なしなやかさで歩いていた。


「…はぁあああ」


 お手本のような快晴に似つかわしくない、どんよりとした溜息を零すのは、誰あろうギアその人だ。鷲獅子の手綱をその手に曳きながら、鈍い足取りで街中を進んでいる。

 往来の人々は、物珍しいようにけったいな物でも見るかのように、無遠慮な眼をそれでも遠巻きに投げつけてくる。しかしそんな視線も今は気にならない。いや、気に出来ない。


「…やっちまったなあ」


 税に保険に手数料にと、予定外の出費が嵩みに嵩んで、結果として総額は金貨130枚を超えた。精々が馬の2、3頭で金貨にして70枚程度と想定していたが、その倍近くにもなればさもありなん。そもそも当初の予定通り、馬を買い求めていれば十分に予算内に収まる目論見だったのだ。良い物に目移りしあれもこれもと望み、欲をかくうちに損をする、というのは不変の真理でもある。

 金額が問題なのではない。所持金にはまだ余裕があるし、此方での稼ぎ方も少しずつではあるが分かってきたという自負もある。しかしいつ何時何があるか分からない世の中なのだ、貯蓄していて間違いは無いし、何より自制できなかったというのがいただけない。


 正直に言えば、馬でも充分に事足りた筈だ。

 確かに世話の手間が少ないのも魅力だが、そこに「馬よりも格好良いのではないか」や「他の人と被らないだろう」という想いが全く無かったかと問われれば、否定が出来ない。幻想的で空想的な世界観丸出しの生物である鷲獅子を所有し使役するという事が、自身の琴線に触れたのだ。


 我ながら子供っぽいとは思うが、しかしもう買ってしまったものは仕方ない。


「まあ、しゃあねえな」


 そう気持ちを言葉にして、踏ん切りを付ける。何時までも落ち込んでいても仕方がない、何はともあれ曳車(コート)を用意しなくては。その為には、タブレットをまさぐる必要がある。人目に付くところで自身のタブレットも「倉庫」も晒すわけにはいかない。その為には。


「…よし、一度街の外に出るか。プニ、すまんが付き合ってくれ」

「了解しました!勿論です!」

「お、おう…気合入ってるな」


 歩を進める度に割れる人混みを掻きわけることも無く悠々と進み、「二壁」を超え「外壁」を潜り抜ける。といっても正門や大門ではない、壁の外に広がる集落や畑に用がある平民が利用するための小さな、門と呼ぶのも烏滸がましいような扉だ。大通りに用はない、どころか人目に付く心算がそもそもない。


 そんな、赤錆の浮いた鉄の柵でしかない扉を押し開けようと手を掛けると、不意に背後から声を掛けられた。


「なあなあおっちゃん!」


 誰がおっちゃんだ。

 元の世界に於いても「若く見える」と評されることもあったし、此方の世界では愛する娘に愛想を尽かされぬよう、殊更に見目には気を遣っている。振り向いて確認してみれば、その声の高さから察する通りの、年端も行かぬ少年が三人、こちらを指差していた。正確には、鷲獅子を指しているのだろう。癖のない金髪をおかっぱ、というより坊ちゃん刈りにした背の低い少年が声高に叫ぶ。


「なあおっちゃんってば!」

「お兄さんだ」


 まあ、見た目十歳そこそこの年頃からすれば、自身など正しくオッサン、中年なのだろう。十四、五で成人扱いされるらしい此方の世界で三十も半ばを過ぎているのだ、その評価は何一つ間違っていない。くりくりと癖の付いた赤毛を揺らしながら、そばかすを浮かべた少年が尋ねる。


「このでっかい鷲獅子、おっちゃんの!?」

「お兄さんだ」


 しかし今は、少なくとも娘の前では抗えるだけ抗う所存だ。愛しい娘の、大切な子供の前では何時までも格好良くありたいという父親の見栄でしかないが。伸ばした焦げ茶の髪を後ろで結んだ、如何にも活発そうな眼つきの少年が前へ一歩踏み出す。


「触ってもいい?へんなおっちゃん!」

「素敵なお兄さんだ!」

「いいでしょ!?…ステキ?なおっちゃん!」


 雑か。

 余りに適当なお世辞につい茶々を入れそうになるが、ぐっと堪えて言葉を飲み込む。観察してみれば、どの子供も清潔にしており、身なりは悪くない。服に継ぎは有るものの薄汚れているという事も無く擦り切れてもいない。それぞれが羽織っている上着だけならば新品に近く見える。この世界では大人の服でも少しくらいの継ぎや直しは当たり前で、それが子供の服ともなれば田舎なら継ぎ接ぎだらけの襤褸という事も珍しくないのだ。これ程度の装いを出来るなら、大金持ちでは無いにせよ小金持ち位の家の出、なのだろう。

 何があると言う訳でもないが、邪険にすることも無い。


 ただ触っていいかと問われれば、それはギアの与り知らぬところだ。鷲獅子の気持ち一つである。

 そう言えば言葉が分かるんだったか、と思いだしギアは鷲獅子――確かアントレピという名もついでに――に尋ねる。


「えっとアントレピ。悪いが、この子達が触ってもいいか?」


 尋ねられた鷲獅子は視線を中空へと彷徨わせ、首を一つ傾げると、高めに「クルゥ」と鳴いて首肯を返した。了承、してくれたのだろう。恐らくは、ではあるが。


「ほら、良いってさ。優しく触るんだぞ、丁寧にな」

「いいの!やったー!」

「俺いちばーん!」

「僕が先ー!」


 ギアの台詞を皮切りに、三人が我先にと鷲獅子へと群がる。随分と元気で現金なものだ、と苦笑するが注意と忠告も忘れない。


「走んな走んな!あとちゃんとアントレピにお礼言うんだぞ。ありがとう、ってな」

「ありがとー!」

「アントレピっていうの?ありがと!」

「ありがとうな、アントレピ」


 各々が好き勝手に礼を言い、子供たちが撫でやすいようにだろう、蹲る鷲獅子の背や腹を撫で繕う。好き勝手に撫でているせいで繕うというよりも搔き乱すような有様だが、まあこの位の歳ならそんなものだろう。

 しかしそんな子供達を嫌うでもなく不貞腐れるでもなく、アントレピは悠然とされるがままに佇んでいた。時折首を傾げ欠伸を零す様は、心地よさそうにも見える。

 『URMA(ウルマ) KARMA(カルマ)』内に於いての鷲獅子がどんな存在かと言えば、中々に難度の高い魔獣で、レベルにして30程の序盤に出会えば絶望、終盤のレベル70~80に出会えば堅く面倒だが報酬も素材の換金率も高い所謂「美味い敵」で、エンドコンテンツまでいけばただの「的」だ。

 空の王者、という設定があるらしく、それにふさわしい程度には気位が高い。熟練の調教師(テイマー)でなければ使役も捕縛もできず、出来たとしても懐くのは稀――という体の低確率――だ。


 しかしこちらに於いての、かは分からないが少なくともこのアントレピは、雑な手つきの子供たちをどうという事も無く受け入れるほどには我慢強い。芝生の上にしゃがみ、とうとう寝そべり、されるがままにその身を委ねている。


 これは、今の内だろう。

 辺りに人影一つなく、少年たちの注意は鷲獅子に向きっぱなしだ。誰一人として此方を伺ってはいない。そう見越したギアは徐にタブレットを取り出し、脱兎の如き速さで画面を叩き、何人にも気取られず「倉庫」へとたどり着く。

 そうして「倉庫」の奥底から引っ張り出したのは大型の、八輪からなる見た目は大荷曳車(キャリッジ)だ。しかし、その内装は異なる。椅子あり机あり収納に格納式の寝台(ベッド)まで備える、キャンピングカーならぬキャンピング馬車とも言うべき代物だ。


 ただしこの大荷曳車(キャリッジ)、のみならず曳車全てに言える事だが、『URMA(ウルマ) KARMA(カルマ)』内ではそれ程意味を持たない。馬を付けようがベヒモスに曳かせようが、速度はそれ程変わりはしないし、単にフィールドを移動するなら空飛ぶ箒や飛行魔法の方が余程早く効率が良かったのだ。曳車は「移動もできる拠点の一つ」以上の意味を持たなかった。まあ、だからこそ内装は兎角に凝れたのだろう。一応「乗り心地」というパラメータも存在したが、何かに影響を及ぼしたと認識したことは、特にない。それでも上げられるだけ上げたのは、ただの自己満足だ。


「なにそれすげー!」


 八輪の大荷曳車(キャリッジ)ともなれば当然、それなりにでかい。先ほどまでは無かった存在感に、目敏く気配に敏感な少年の一人が反応し、声を上げた。


「なにそれ!どっから出したの?」

「おっちゃんひょっとして、収納魔法使えるの!?」


 その言葉に振り向いた二人が、声を荒げて追従する。


「おっ、収納魔法知ってるのか?博識だな」

「ハクシキってなんだよ!いいから答えてよ!」

細賢(こましゃく)れてんなあ…、そうだよ。収納魔法使えんの」

「すげえなあ、こんなデカい馬車入るの?おっちゃん!」


 確かに収納魔法――ということにしているアイテムボックスだが――とは言え、これ程大きな物が入るというのは幼心に驚きなのだろう。もしかすると、彼らの常識の埒外なのかもしれない。故に、適当に韜晦を決め込む。


「おう、すげえだろ。お兄さんだからな」

「おっちゃんすげー!」

「おっちゃん収納魔法教えてくれよ!」


 わいわいがやがや、侃侃諤諤。口々に好き勝手喋る少年たちを、どうにか抑え込もうとギアが足掻いた。こんな時間も、悪くはない。


「お兄さんだっつってんだろ!いや、教えてどうにかなるもんじゃあない、と思うぞ。少なくとも俺は教えられん」


 そもそも、なんで使えているのかさえ分かっていないのだ。教えられてたまるものか、という気持ちでしかない。


「えー、けちー」

吝嗇(けち)じゃねえ!」


 これ程までに譲歩しているのだ、むしろ太っ腹と言われてもおかしくない。


「おっちゃん、他の魔法も使えんの?」


 後ろ髪の少年の素朴な疑問に、ぞんざいに、それでいて優しく返す。


「おう、使えるぞ。ちょっとだけな」

「すげえな!教えてよ!」

「駄目だ駄目だ。餓鬼に魔法なんて十年早えよ、家帰って手伝いでもしてろ!」


 なにせギアの使える魔法の殆どは危なっかしい代物だ。生活に有用なものも多少は有るが、だからといって教えられるかと言えば、別の話だ。


「ちぇっ、ずりーなー」


 当然だ。大人とは、ズルを覚えた子供の成れの果てなのだから。ギアはそう思いながらも、今この場では流石に口に出さない。そんな現実を知るのは、もっと後になってからで良い。


「でも、こんなでっかい馬車、鷲獅子でも曳けるの?」

「おう、勿論だ。余裕だ余裕」


 そんな質問にもおざなりに返す。むしろそう説明されたから購入したのだ、実際にどうかは知らないが。

 そうして騒いでいれば次第に時間も過ぎ、太陽も中天をすっかり通り過ぎる。用があるのか昼餉に向かうのか、三々五々と少年たちは帰路へと着いていった。


「ありがとね!ギアのおっちゃん!」

「また鷲獅子触らせてね!」

「今度はなんか魔法教えろよな!」


 口々にそう言いながら手を振る少年たちに、ギアは手を振り返す。


「おう、またな!魔法は教えねえけどな!」


 けちー、ずりーなどと揶揄しながら消えて行く少年たちを見送るギアの背に、プニが頬に手を当てながら、躊躇いがちに疑問を投げかけた。


「…その。…マスターは、子供が好き、なのでしょうか」


 そんな質問を、正しく自身の子供から尋ねられる時が来ようとは。

 本当なら声を上げて言いたい、君のおかげだと。嘗ての世界では、それ程子供が好きだと自覚したことは無い。確かに可愛いとは思っても、その感情は有る種距離のある、動物園で飼育されている兎に向けるような「可愛い」だ。これ程までに、その幸せを心底願う様な「愛しい」という感情を与えてくれたのは他ならぬ娘たるプニ、その人だと。

 しかし、その言葉は少しばかり気恥ずかしい。だが、この質問に対する答えは。

 間違える訳にはいかない。


「ああ、好きだぞ。…ただ、一番大切なのは、勿論プニだ。当たり前だけどな」

「…はい!予定は、早めましょう!」

「…?そ、そうだな。まあ買うものも買ったし、この街は早めに出るか」


 羽毛の様な軽やかさで浮ついた娘の言葉を適当にはぐらかしながら、手綱と大荷曳車(キャリッジ)を繋いでからギアは空を一つ仰ぐ。

 青い空は深みを増し、鈍色を刺した蒼穹が天を覆う。


 旅路は、まだ長い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 狡さを覚えて大人になります。
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