89.羽翼のガラクタ-2
バサバサと大袈裟な音を立てて山鳥が羽ばたき、梢を揺らす。
その音に釣られ、ギアはハッと意識を戻した。流石に何時までも呆けてはいられない。
「どうかされましたか?マスター」
「あ、ああいや。どうも『ストア』で売り切れがあったみたいだ。そんな想定してなかったんでな、少しばかり吃驚しちまったよ」
威厳と頼りがいのある父親を目指すギアとしては何とも情けない感想だが、この期に及んで嘘を言っても仕方がない。なんの飾り気も捻りもない、正直な感想が零れた。
「それはすごいですね!」
「うん…凄いよなあ。まさかそんな売れるとは思ってなかったんだが…」
そんなギアの小さな葛藤など気にされることも無く、無邪気な感想が返ってくる。娘の純真さが、己の未熟な父親らしさに、今は有難い。
「ところで、何が売れたのでしょうか」
確かに、とギアは思う。
突然のことに面食らってしまったが、在庫を補充するにせよ販売を取りやめるにせよ、何が売れたかの確認は真っ先に必要だ。それも、三件もあるというのだ、ラインナップの見直しだって必要になるかもしれない。
手早く画面をタップすると、内訳を確認するべくプニとふたりして画面を覗き込んだ。
「『比翼の装飾手甲』に『鷹意匠の覆外套』、『鴛鴦羽のネックレス』…。どれも、鳥や羽をモチーフにしたものばかりですね」
「そうだな…。あっと、『風切り羽の髪留め』も売り切れかかってるな。…なんだ?鳥ブームでもきたのか?」
ギアは流行り事には然程敏くない。元の世界から離れて長いとは言わないがそこそこ久しいし、以前のように朝起きたらテレビなりスマホなりでニュースをチェックするという事もないので、確かに今何が流行っているのかなど、知る筈もない。だから、そんな流行が訪れていたとしても不思議は無い、ないには無いが、少々唐突だ。
画面をスクロールし、他の商品を検めても売れ行きはまばらだし、それが普通だ。何故、鳥や羽をデザインに取り入れたものばかりがこれ程に売れているのか。
また、その内訳も謎だ。
装飾手甲も覆外套も中世、というかファンタジー色が強く、お洒落アイテムとして普段着に取り入れるには、些か癖が強い代物だ。これらが流行り沢山の人が身に着け街を闊歩するというのは、俄かには信じ難い。
そして、更なる懸念があるとするならば、これ程売れているにも拘わらず、それらへの評価や感想といったものが一つも見られない事だ。あの騎士鎧や民族的な置物ですら幾つかの評価を頂いているにも拘わらず、これだけ売れた物になんの言及も無い。
売れた理由が違うのか、購買層が違うのか。
いくら首を捻っても、答えは出ない。考察にすら至らないのではこれ以上の思索は時間の無駄だろう。
下手の考え休むに似たり、そう結論付けるとギアは思考を切り替え、作業へと戻った。
「取り敢えず、全部補充しちまうか」
要は、先送りだ。
どれも余剰はまだあるし、素材も特に変わった代物ではない。魔法的な効果もさしてないので、出回る事への懸念はない。
売り切れた物も、その他の物も、サクサクと手際よく補充していく。
そうして軽快に画面を叩いていると、突如、別のメッセージが中央にポップした。
「『新たなサービスが解放されました』…?なんだこれ」
そういえば、とギアは思いだす。たしか、幾つかのサービスに『制限中』のアイコンが掛かっていたことを。
「そういやなんか制限されてたんだったか」
「新たな使い途ができた、ということでしょうか」
「まあ普通に考えたら、そうだろうなあ」
先ほどからギアの横から覗き込んでいたプニが推測を漏らす。
『ARIZEN』はただの通販サイトではない。動画や音楽の配信もすれば、電子書籍だって販売する。天気予報から最新ニュースの提供もしていた。
動画や音楽の配信がされれば、娘と一緒に楽しみ、共に過ごす時間が増えるのも良い。
ニュースが見られるようになれば、今回の様な謎現象の原因の一端でも掴めるかもしれない。どちらも悪くない。
そうした期待と共に、中央のメッセージをタップすれば、予想とは全く違う文言が躍り出た。
「『UポイントとKポイントを開放』…『どちらもお支払いに利用できます』…?今あるポイントとは別なのか?」
利用者ランクが上がる、提携しているカード会社を登録する、特定のキャッシュレス払いを利用するなど、追加でポイントを得られる手段というのは確かにあった。
しかし、全く別のポイント制度を用意するというのは今までに無かった…筈だ。それとも、『解放』という事は、今まであったが知らなかっただけ、という事なのだろうか。
普通なら付与するための条件なりの、何をすればポイントが計上されるのかという、有って然るべき記載が一切無いのだけが気がかりだったが、画面の端に表記が追加されたUポイントもKポイントも、どちらもそれなりに貯まっているようだ。望んでいた物とは違うし、特段の目新しさは無いが、これが支払いに使えるというのなら素直に有難い。
少しばかり期待し過ぎたのだろう、肩透かしに戸惑いの溜息を零しながら、ギアはそう独りでに納得する。要は、形を変えた値下げのようなものだ。
そう結論付けた時、ギアに一つの名案が浮かんだ。
折角なのだから、これらのポイントを消費してしまうのはどうだろう。「ストア」の売上は予想以上に好調で、通常ポイントには十分な余力がある。
降ってわいたような泡銭、もとい泡ポイントだ。この際、景気よく使って愛する娘のご機嫌…もとい明日への活力とするのが一番の使い途なのではないだろうか。
「…うん、それだな」
まさに天啓とも言うべき、降って湧いた名案についつい言葉が漏れる。
しかし、何を購入すべきか。衣類は、好みも流行りもこの世界と元の世界では大いに違う。装飾品は、魔法を込められないことを鑑みれば、此方で用意した方が良い。雑誌や玩具の類も、プニは殊更に好みはしない。
自身であれば貰ってうれしいのは珍しい酒が筆頭にあがるが、とまで考えた時、ふと閃く。
嗜好品は、悪くないかもしれない。
女性が貰ってうれしい嗜好品と言えば、甘味。つまりデザートだ。昨今はスイーツと呼称するのが主流のようだが、ギアにはどうにも口馴染みが無い。
女性には甘い物。この考え方は偏見だ、と声高に叫ぶ街頭演説を聞いて恐縮したこともあるが、甘い物を差し入れて職場や取引先の女性陣から喜ばれたことはあっても叱られたことは未だに無いので、まだまだ通用すると信じたい。
此方の世界では甘味が発展していないのか嗜好が違うのか、元の世界のような複雑で趣向を凝らした菓子は未だ見つけられていない。話題の王都や別の国にでも行けばまた違うのかもしれないが、甘味と言えば素朴な焼菓子か果物が精々だった。
どうせなら、美味い物を食べさせてやりたい。
「なあプニ。…偶には特別な甘い物とか、どうかな?」
恐る恐る、探り探り。少しばかり言い澱んでしまったが、必要な事は言い果せた。
「甘いモノですか…。それは…はい、頂きたいです」
僅かに俯いて、頬を赤く染めながら答える娘の姿にギアは安堵の溜息をそうとはばれぬ様に零す。普段は大人びていて頼りがいのある娘が、年相応に甘い物が好きという事に、またその事実を頬を染める位に恥ずかしがる様の愛らしさに心を暖めながら。
「そっかそっか。プニは、どんなのが好みだ?」
「…そうですね。甘くて、優しくて…力強いのが」
これは中々の難問だ。
デザートなのだから甘いのは当然として、優しくと力強いとを両立させるのは難しいのではないだろうか。
しかし、愛する娘から提案されたお題に答えられないというのは父親の沽券に関わる。
「ああ、任せとけ」
持てる自身の全力でもって、ギアは笑顔で返す。
しかし、何を買うべきか。『ARIZEN』では、甘味一つをとっても様々なメーカーやブランドが購入できる。選択肢は多い、だからこそ迷ってしまうし頭を悩ませる。
そんな懊悩を欠片にも出さずに商品を探っていると、小さく呟くような声が耳に届いた。
顎に手をやり悩むようにか細く繰り返す、自身に言い聞かせるような、プニの声が。
「…甘いハグ、だ…あいす…」
アイス。
そう確かに聞こえた。
確かに随分と涼しくなったとはいえ、まだまだ暑い時間もある。涼を得るにも舌鼓を打つにも、最適だ。
そう言えば、『URMA KARMA』においても、短い期間ではあるが某有名製菓企業や外国製アイスメーカーとのコラボイベントがあったのを思い出す。どれも詳しい内容は忘れてしまったが、であればプニがそれを知っていてもおかしくはない。
ギアとて子供の頃、外国映画の中で見るバケツの様なアイスを一人で抱えて貪る姿に憧れを覚えなかったわけでは無い。プニの好みの一端を知れたことに、自身の過去と共通点を見いだせたことに。些細ながらも大きな喜びが胸の内で膨らんでゆく。
「喜んでくれるといいな」
そう呟きながら、高級で美味いと有名な外国メーカーの、様々なフレーバーが並ぶページを開いて眺めた。どうせなら、自分の一番好きな味を共有したいと、目的の物を探す。
その画面を手繰る指先は、最早羽の様に軽やかだった。




