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87.聳える平野-21

 地平線からすっかりと顔を出した朝日が、その寛容さと慈悲でもって大地に(ぬく)もりを与え、(ぬる)まった空気は道の端々に残った雪を解かさんと勤しんでいた。


「…いっちまったなあ」

「少しだけ、寂しいわね」

「…ですねえ」


 自称商人であるところのノイズ親子の背を、消えるまで見守っていた「青い牙」のリーダーであるハロルドが誰ともなしにそう呟けば、それぞれが相槌を打ち、マルティナがコクリと首肯のみを返す。


「さて、我々もそろそろ参りましょうか」

「ああ、そうだな…。ただ、その前に一個提案があるんだ」


 冒険者の朝は早い。「早起き大角兎(ラパンダーム)は甘い薬草(エルヴ)を食む」という諺にもあるように、他者を先んじることが利に繋がる。であればこそ、出立を促したイーサクの腰を折るようで、ハロルドは少々躊躇うが、今度ばかりはそうも言っていられない。

 なにせ、「青い牙」というパーティー全体の方向性を決めるのだ。


「俺とカーミュラは、この仕事が終わったら、この街を離れる」

「ソレは…どちらへ?」

「我が…俺の故郷の、ノール領だ。実はちっとばかし伝手があってな、今までは冒険者組合が無かったんだが、なんでも領主の肝煎りで今度新しく冒険者組合を誘致することになったんだと」


 なにせ実の長兄からの手紙、即ち次期領主からの物だ。信憑性は間違いない。


「だから、二人さえ良かったら俺の故郷に河岸を替えないか?王都程じゃあないにせよ、上手く行きゃあ今よりはずっと稼げる筈だ」


 新しく設けられる冒険者組合の創設パーティーの一つとなるという事は、暫くは雑事に振り回されるだろうが、少しばかり経てば古参として一目置かれるという意味でもある。裏方に新人の育成にとやることは多いが、それらをこなせば多少なりともでかい顔が出来るようになるだろうし、美味しい、所謂稼ぎの良い仕事も回ってきやすい。

 懸念があるとするならば。


「…拒否」

「…そっか。…その、理由を聞いても良いか?」

 

 ハロルドの予想は、悪い方に当たってしまう。マルティナが、僅かな逡巡を見せて続けた。


「…遠すぎる」

「私も同じくですかね。正直に言えば、王都なら兎も角、ノール領では…少なくとも今の所は魅力を感じません」


 そう。懸念があるとするならば、此処ナーファンよりも王都から大分遠く、また結構な田舎である事だ。

 騎士爵の中でも下位の勲功爵、それも山間の小さな領である意味有名なノール領なら、それも宜なるかな。故郷が、自身の家の世間での扱いがこれ程低いことに一抹の寂しさを覚えるが、それも致し方の無いことだ。確かに、あの土地は田舎なのだ。風光明媚と言えば聞こえは良いが、生活魔道具もあまり普及していなければ手紙屋もそれ程走ってはいない。領内の巡回馬車は日に一度通れば良い方だし、街の灯りなぞは未だに獣脂を足している。都会の生活に慣れていれば、一昔か二昔は古臭く感じる筈だ。


 これが「青い牙」での、最後の探索になるのか。もう少しばかりこの面子で冒険を続けたかったという気持ちは押し殺せないが、声を荒らげるわけにもいかない。彼らとて、生活が懸かっているのだから。冒険者と言うものは、いわば博打だ。命を対価(チップ)にした賭博。富豪だろうが素寒貧であろうが、明日をも知れない、一つ間違えれば死が待つという真っ当で公正な。


 街を一歩外に出ればそこは野獣が跳梁し魔物が跋扈する。ここ最近はだいぶ数を減らしたとはいえ、その危険性が全て消え去ったと言う訳ではない。実際、あわや全滅の憂き目にあったのはつい先日のことだ。

 だからこそ想像を巡らせた者が勝つし、慎重な者程逃げおおせ、用心深い者だけが生き延びる。未知の場所へ飛び込むというのは確かに冒険者の醍醐味だろうが、そうした冒険者の大半は命を落とす。ハロルドの勝手知ったる地元と云えども、二の足を踏むのは当然のことだ。


 ハロルドは、自身の事を未だにメンバーの誰にも伝えてはいなかった。愛する、伴侶と心を決めたカーミュラにでさえ。しかし己の立場を考えれば、おいそれと簡単に伝える訳にもいかない。経験を積んで、冒険者を引退した後は冒険者の組合長を経て行く行くは領主補佐にと手紙にもあったし、自身もそう望んではいるが、今の所は空手形だ。恐らくそうなるだろうと思ってはいても、鵜呑みにして当てにする程楽観的ではない程度には、この稼業に染まっている。


「では、今この場で解散といたしましょう」


 何でもない様に、いっそ良いことを思いついたとでも言うようにイーサクが片手をあげてそう提案を述べた。


「いや、解散っつてもなあ…」

「私も、それに多分マルティナも、新しいパーティーを探すのは早い程良いですし」

「ぐっ…」


 気持ちは分かる。

 ハロルドはイーサクの言を首肯する。

 単独(ソロ)二人(デュオ)と少数で活動する冒険者が全くいないわけでは無いが、そういう連中は大概直ぐに見なくなる。河岸を変えたか諦めたのか、屍を野に晒したのかは分からないが、まあ最後だろう。独りや二人で出来る事なぞ限られているし、メンバーが少ないと稼ぐ為に無理をしなければならず、見張りの居ない野営なぞ迂遠な自殺でしかない。


 しかし、解散というのは意外と手続きが面倒だ。

 理由、顛末、これからの方向性。辞めるのか続けるのか。辞めるのであれば次の職は何か。続けるのならばパーティーの資産と分配を詳らかにし、市民権を買うのであればそれを役所に提出し…と、非常に煩雑で面倒な手続きが必要だ。

 メンバー個人個人がこれらを文書にして提出し、尚且つその審査を待って――冒険者が一般市民になるのは難しいが、新たにパーティーを結成するのは簡単だ――供託金まで納めねばならない。しかも慣例として、供託金の殆どはリーダーの、詰まりはハロルドの持ち出しとなる。少しでも金も惜しければ時間も節約したい今、この提案は痛い。

 なにせ、理はイーサクの側にある。しかしそんなハロルドの胸中を察してか、イーサクは言葉を続けた。


「そんな顔をしなくても、話は簡単です。『青い牙』は()()したんです」

「…いや、壊滅って」


 パーティーのメンバーの半数以上、「青い牙」であれば二人が重篤な怪我等による『継続不可』または『死亡』と組合に届け、ソレが受理されれば晴れて「青い牙」は壊滅となり、無条件に解散が成立する。大規模なパーティーであればそのまま継続することもあるが、殆どのパーティーは半数も人員を失えば立ち行かないのが普通だ。


 冒険者が死を偽るのは、実のところそこまで難しくはない。

 倫理観を無視さえすれば、遺髪や遺骸布、詰まりは髪の毛一房なり衣服の切れ端なりを組合に提出するだけだ。主と天に唾吐くことを厭わなければ、誰でもできる。背に腹は代えられないし、無い杖は振れないが、長年培われた常識と言うものはいつだって鎌首を擡げるものだ。


 それに、問題が無いわけでもない。

 組合にだって、チェック機構位ある。死んだはずの人間がまた復活申請もせずに堂々と活動をする――言ってしまえば脱税の手口だ。そもそも復帰出来る程に裕福なパーティーは極端に限られているが、「青い牙」の顔だってそこそこに売れている筈だし、その名前とて少しは広まっている。徴税請負人だって無能ではない。

 そんなことは重々承知である筈のイーサクは、謳うように言葉を続けた。


「故郷では、二人とも()()で活動すればよいかと」


 ドキリ、とハロルドの心臓が跳ねた。

 何故、と。

 ある程度身分のある者が、冒険者に身をやつす。其れは、実際はどうあれ周囲からは落伍者(デクラセ)と見られる。そうした者はまず本名で活動したりはしない。周囲の眼、自身の矜持(プライド)、家族への引け目からまず間違いなく偽名を名乗る。ハロルドもカーミュラも戦士、魔術師として極々一般的な『偽名』だ。冒険者をよく知っていれば、先ずこの名前を自身の子供に付けたりはしないという程には。


「知って…分かってたのか」

「ええまあ。…本名は知りませんが、偽名だろうな、程度には。過去を詮索するのはマナー違反ですしね」


 脛に疵持つ輩が冒険者に身をやつすのはよくある事だ。村を追い出された食うや食わずが命を繋ぐことも、やむにやまれぬ事情を持ち出奔した貴種でも、背中を探られたくないという意味では同じだ。

 そんなことをつらつらと考えていると、徐にイーサクが跪いて祈り始める。

 片膝をついて胸に手をやり、額を抑える簡易的なものだ。


「ああ主よ…。どうか我らをお救いください。我らが同朋、パーティーメンバーである()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この二人の魂を導き、恒久の安寧と永遠の安らぎをお与えくださいますよう」


 死亡の判定に必要な物は、遺品が有るのかと、尼僧なり助祭や僧侶なりの神職に付く者が聖句を読んだかだ。そして聖句を確認する人物。


「…聖句、確認。よし」


 右手で指差し確認するマルティナは、単なる悪乗りだろう。


「と言う訳で、後はハロルドとカーミュラお二人の頭髪の一房…遺髪なり衣服の切れ端なりがあれば」

「…手続き完了」


 ノール領は、此処から遠い。王都からも遠く、官吏の眼も行き届かない。

 この街の徴税請負人とて、向かおうとすら思わないだろう。

 ハロルドがカーミュラを見つめると、カーミュラも、その意味を察したのだろう。無言で頷き、懐から小ぶりのナイフを取り出すと、自身の長く嫋やかな黒髪の一部を、すうっと切り落とした。その所作までも美しい、と感じるのは惚れた弱みという奴だろう。そう思う自身が少しばかり可笑しく、つい鼻から笑いが零れる。

 同じように己の伸び始めた髪の毛を落とそうとするが、癖が強いのか不器用なのか、落とした髪も残した側も、どうにも不格好で仕方ない。拙い髪束はともかく、散切り頭は傍目にはそれなりに間抜けだろう。まあ兜を被ればわかる物でもあるまいと自分を慰めた。


「提出は私に任せておいてください。こう見えて、演技には自信があります」


 堂々と胸を張って宣言するイーサクを胡乱げな目で見つめるが、まあ確かに見た目以上になんでも器用にこなす男だという事をハロルドは知っている。「貧乏侍祭」と嘯いてはいるが、それにしては技術も知識も矢鱈と卓越している。錠前破りの腕も良ければ政治にも流行り事にも詳しいのは、一介の侍祭としては少々不自然に思えるが、勿論詮索したことは無い。

 任せておいて、問題はないだろう。


「…宜しく頼む」

「ええ。任せておいて下さい」


 そう言って差し出された手を握る。

 これが最後の握手となるのだろう。ハロルドの胸に、少しだけ寂しく、暖かいものがこみ上げた。


「良い旅路を」

「お前らも、良き冒険を」


 二人の背中に手を振って見送り、ようやくイーサクは安堵の溜息を洩らす。どうにか時間を稼げたことに。

 そう、イーサクには時間が必要だったのだ。()()()()()()()()()()()()()()


 主の言に拠れば、強者であればある程、その魂には価値があるのだという。であればこそ、腕の立つ冒険者には、一人でも多く街の中で、出来ればそれぞれの封印の上で死んでもらう必要がある。が、ハロルドとカーミュラは、言っては悪いが平凡だ。

 そこそこに腕は立つし、知識も技術もある。だがそれは頭に「新人にしては」が付く。冒険者としては極々凡庸の範疇だった。王都に行けば埋没し燻るだろうということはイーサクの想像に難くない。詰まり、この二人はイーサクにとってどうでも良かった。態々もう戻れない形で田舎に引っ込んでくれるのであれば口止めをする手間も省ける。


「さて、我々もそろそろ参りましょうか」


 先ほどと同じ台詞を繰り返す。なにせ二人にはこれから行かねばならぬ場所がある。

 コクリと一つ頷いて付いてくるマルティナを尻目に、気が急いてか少しだけ足早にイーサクは道を進んだ。無言でその後を追うマルティナは何一つとして意思を表明しないが、まさかこれから二人で狩りに出る筈もない。新しい仲間を迎えるか、何処かのパーティーに間借りするかの算段でもつける相談だと考えているのだろう、そうあたりをつけたイーサクの足は益々速度を増した。僅かな焦りと、大きな期待から。


 確かに、ナーファンに住む殆どの冒険者は凡庸だ。

 しかし、マルティナは違う。

 巧妙に隠しているし弱く擬態してはいるが、様々な人間を観察し、時には屠ってきたイーサクの眼は誤魔化されない。あの小さな身体の何処にそんな力が隠されているのかは分からないが、間違いなく「青い牙」の中で、否、ナーファンの街で一番の強者はマルティナだった。恐らく、殺した数も。そんなマルティナに眼を付けたが故、「青い牙」に潜入したのだ。


 施された封印は街の主要な場所にあるが、人寂れた街外れにもある。そしてそういった場所は、冒険者を誘導して殺すには最適の場所でもあった。

 二人とも無言で歩いているうちにあたりの人影は途絶え、うら寂しい場所に辿り着く。


 あと少し、その先の角を曲がれば、曲がって突き当りまで行けば。

 後は隙を見て背後から首を捻るだけ。何度もやって来たし今まで一度たりとも失敗したことは無い。どんな者でも油断してしまえば、赤子とさして変わりはしないのだ。

 コレが終わればノルマも一区切りがつく。そうすれば、領主から頂ける報酬も莫大だ。金があれば何でもできる、今度は何をしよう、何を買おう。

 金貨はこの世の全てとは言わないが、殆どであり、その殆どにこそ価値がある。拝金に敬虔な信者、金の魔力に抗えないのは、悲しいかな、イーサクをして身に染みていた。


 金貨の小山を幻視しながらイーサクが角を曲がると、トスリ、と小さな音が胸を貫いた。


「…え?」


 信じられないし、理解が出来ないが、何故か身体に力が入らない。

 音を立てた胸元に眼をやれば、刺突短剣(スティレット)の先端が、小さく顔を出していた。

 遅れたように、喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。


「…本名、イハサカ=コーダッラ。複数の殺人容疑により…」


 か細い、弱弱しいというよりは億劫そうな声が、イーサクの背後から聞こえてきた。聞き覚えのあるマルティナの物だ。何故、ばれていたのか。

 漸くやって来た痛みと苦しみに声もでなければ思考も纏まらない。


「…いいや、有罪。死罪」


 面倒臭くなったのだろう。大いに端折ってそう告げる。いやそこは省略したら駄目だろうと内心で悪態を吐きながらも、逃げる手段を探す。

 先ずは回復魔法。これ程酷い怪我でも、回復魔法を掛ければ一先ず逃げられる程度には持ちこたえられる。一度に全快とは流石に行かないが、距離を取る程度ならば。

 そう決心すると、前にのめり込むようにして無理矢理に離れる。マルティナに握られたままの刺突短剣(スティレット)が抜けた穴から一層血が零れ、踏鞴を踏み腰が砕けそうになるが、今は構っていられない。

 声が震えて掠れ、とても言葉にはならないが、無詠唱でも回復魔法は回復魔法だ。多少効果は下がるが、今は発動自体を優先する。


 しかし、自身の胸の穴の前に翳した掌からは、イーサクが望むいつもの淡い光は見られなかった。

 そんな莫迦な。何故、どうして。

 回復魔法が発動しない理由がわからない。痛みや苦しみ程度で魔法を乱す程未熟ではない筈なのに。

 混乱しながらも、何度も自身に魔法を掛ける。しかし、何度やっても手は光らない。額から汗が酷く、背中が寒い、もう腕にも力が入らない。

 そんな渦を巻くような思考を、トスリという軽い音がイーサクの脳内に響いて、止めた。

 こめかみに刺さった刺突短剣(スティレット)をマルティナがするりと引き抜くと、イーサクの身体はもうピクリとも動くことは無かった。


「…お、()()()。ついてる」


 用も済んだし、奪えるものも奪った。

 今から解散を申請し、この街を離れ、たった今手に入れたこの能力で何が出来るのか試さなければならない。やることは一つ片付けるとまた次が現れる。億劫だが確認は必要だ、と小さく溜息を零した。兎も角、急がなければ。

 そう思考を巡らせるマルティナの横で今や血も流れ切ったイーサクの身体は、マルティナからすればただの搾り滓(マール)で最早なんの興味もない。


 いつもの眠そうな目のまま、踵を返すと来た道を戻る。通りの看板にも道行く人にも目をくれないが、何事にも興味が全く無いと言う訳でもない。幾つか気になる物も気に入っている物もあるが、ただ語る手段を持たないだけだ。それに秘密も多い。


 殺した相手の能力を無作為に奪う能力。それが誰にも語る事のない、彼女の秘密。自身の主にさえ伝えてはいない。

 いつもなら一人に付き一つが精々なのだが、今日は運が良かったのか二つも手に入れてしまった。どちらも使い勝手が良く、重宝するだろう。お気に入りになるかもしれない。


搾り滓(マール)信者(ティナ)という偽名も、意外と気に入っているものの一つだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 結果として二人は知らないうちに厄介事から逃れることが出来た。 これまでの実績は無かったことになるけど、そんなのは些細なことで。
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