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81.聳える平野-15

 地平の向こうから漸く朝日が昇り、辺りを薄く照らし始めるころ。阿鼻叫喚にまみれていたオーロックの村は漸く落ち着きを取り戻し、平穏な日常が戻り始めた。


 地に伏せ嘆き悲しむ農夫はもう辺りにはおらず、皆がどうにかこうにか平静を装い、平常へと帰結しようとしている。状態異常の一種でもある「恐怖」を取り除く為の魔法である「冷静(カルゥミ)」の魔法を何度か使用して落ち着かせもしたが、想定の範囲内だ。


「やれやれ、どうにかなったかねえ」


 額の汗を左手の袖で拭いながら、ギアは誰ともなしに呟く。

 愛する娘は早々に宿へと帰し、しっかり休むように言い含めている。子供扱いされたことに不満だったのか、不服さを隠しもしなかったが、普段から物わかりの良い子だ。

 幼い時期の睡眠不足は成長を阻害しかねないとも聞く。また、肌も荒れやすくなるし健康にも美容にも宜しくはないらしい。そう言ったことを言い含めれば、納得したのか、大きく首肯で返してくれた。ギアの心配を理解しているに違いなく、今頃は夢の中だろう。



 そうしてすっかり陽も昇り、朝が訪れたころ、外周を回っていたであろうコーザが遠くから姿を現した。彼女も夜通し歩いては村の住民を励まして回ったのだろう、髪は僅かに荒れ、眼の下にも薄っすらと隈が見える。

 しかし、それでも晴れやかで笑みを湛えた様は、人々を救えたことに喜びと誇りを感じているのだろう。騎士らしい、尊い精神だとギアは少しばかりコーザの評価を上向きに修正する。

 強かに酒を飲み、慣れない地震に自身も四苦八苦したばかりなのだ。普通であれば喚いたり八つ当たりをしたり、いっそ眠りについて忘れてしまいたい筈だ。其れなのに、むしろ鼻歌を零しそうな――否、漏れ聞こえている――程に機嫌が良いというのは、余程強靭な精神と自身の騎士と言う立場の使命感に溢れているからに他ならない。


「ああコーザ様、ご無事でしたか。そちらの首尾はいかがでしたか?」


 評価を上げはしたが、一層の親近感を覚えたというわけでは無いし、距離感を間違えたりはしない。あくまでつかず離れず、否、出来ればもう少しだけ距離を置きたい。

 故に当たり障りのない、他愛もない会話に終始する。「どうでしたか?」という質問は可もなく不可もない、便利な質問だ。話題に困ったときは天気の話かこの質問かのどちらかが無難にして鉄板であると、営業時代の経験からよく知っている。


「うふ、ふふっふ…」


 しかしその効果は、予想を大きく上回って覿面だった。


「ああ、勿論無事に決まっているとも。君から譲ってもらった()()があるからな」


 そう言って機嫌も上々に、首元から手繰り寄せて見せつけてきたのは、昨夜にギアが金貨数枚で譲ると手渡したネックレスだった。気に入って貰えたのか、早速身に着けてくれたようで、これなら代金の取りっぱぐれもないだろうとほっと胸をなでおろす。

 コーザの中ではすっかり「結納品」となっており、「夫の財産は妻の財産、即ち共有財産の内の一つ」との結論に至っている事など、知りもしないが。たかが金貨2枚を吝嗇(ケチ)っているのではない。夫婦の間に、金銭のやり取りなどという無粋なものを挟む気に慣れなかっただけだ。


 確かにそのネックレスには、僅かながらも体力とスタミナを回復させる効果が付与されている。だがしかし、所詮はそれだけだ。精神を高揚させる効果も無いし、睡眠不足という「状態異常」の一種を解除させるほどの物でもない。

 つまり、今のこの睡眠をとらずともそれを感じさせない程にテンションの高い状態というのは、彼女自身の持つ能力や素質の為せる業なのだろう。


 成程、場馴れしているという事か。

 嘗ての世界でも、自衛隊の「特殊作戦群(エス)」と呼ばれる特殊部隊や消防隊員の中でも上位に位置づけられる「特救隊(オレンジ)」と称される部隊がいたと聞き及んでいる。

 彼女がそうなのかは知らないが、特別な訓練を受けた者は、一般常識からは想像もつかないような強靭な精神を得られるという事を、ギアは知識として知っていた。コーザがそういった類の所属かは分からない。だが、騎士とは言え女性が独りで旅をするというのが、今まで得た知識の範疇ではあるが、この世界のことを考えればそもそもが異質だ。


 少なくとも彼女は、それを為し得ると所属する上層部に判断され、それを実行しているという事実が今ここにある。その会話を思い起こしてみれば、サバイバルに、詰まりは生存能力に長けている印象でもあった。


 油断がならない。

 ソレがギアの結論だ。自身に特別疚しいことは、それ程ないと自負してはいるが、流れ者の異邦人なぞ、それこそ元の世界でも扱いは様々だ。国交を結んでいない国の出身であれば、たとえ数ドルを惜しんだが為に行方不明になろうとも、そもそも捜査もされないということだってあり得たのだ。


「しかしギアよ、私からキ…貴君に一つだけ忠告、否、助言しておこう」


 そんなギアの心配を他所に、上機嫌を隠しもしないコーザが言葉を続ける。

 言葉を紡ぎながら一歩、また一歩と近づきとうとうギアの右手を両の手で握りしめる。出会った当初よりパーソナルスペースの狭い、馴れ馴れしい…もとい、親し気に接してくる人物だとは思っていたが、年頃の女性としてこの距離感はどうなのかと立場が許せば苦言を呈したい。それとも、なにか裏があってのことなのだろうか。その可能性も高いと、己を戒める。

 それになんと返せばよいのかが、今のギアには分からない。揚げ足も言質も、何一つ取られるわけにはいかない。


「…え、いやえっと…それは何でしょうか」


 言い澱むような歯切れの悪い台詞に、返ってきたのは予想だにしない忠告だった。


「愛する者に対して『愛している』と伝える事は、非常に大切なことだわ…ぞ。決しておろそかにしてはいけないし、言葉にせねば伝わらないという事は往々にしてある。貴方が後悔したくないのであれば、それは努々わすれてはダ…ならん」



 ガツン。いや、ドカンだろうか。

 頭を打たれたようなという比喩が適切な、火花が目から飛び出るような衝撃がギアの頭を走った。文字通り、ぶん殴られたような衝撃そのものだ。


 コーザはこう言っているのだ。「お前は娘に対し『愛している』と日頃から伝えているのか」と。

 確かに早めに寝る様にと促した。

 勿論睡眠の大切さを説いた。

 しかしそこに、「娘である君を愛しているが故だ」と果たして伝えていただろうか。

 愛する者に対して『愛している』と伝える事は、非常に大切なこと。分かってはいたはずなのに、分かった心算になっていないかと、戒められたのだ。そして悲しいかな、その戒めは、正鵠を射ていた。


 日本と欧米諸国では、家族に対して「愛している」と告げる頻度が大きく違うらしい。平均を取ってみれば、彼方では一日に一度は告げるのが当たり前で、此方では月に一度も無いのだそうだ。

 知ってはいた筈なのに、この中世欧州が如き世界――実際は全く違うのだろうが――でソレを実践できなかった己に愕然とする。


 伝えなくてはならない、それも今すぐに。

 取られた手をぐっと強く握り返し、気付かせてくれたコーザに感謝を示す。


「…そう、そうですよねえ。私が間違っていたみたいです」

「ああ、そうだとも。気付いてくれたようで、何よりだ。因みにと言っては何だが、私は情熱的な方が好みだ。歌劇(オペラ)の様にとはいかないまでも、ぐっと抱き寄せて甘い言葉を紡がれると、クラっといくぞ」


 コーザの好みに格段興味は無いが、年頃の娘さんの意見としてみれば貴重だろう。

 父親(ギア)愛娘(プニ)に口説くような甘い言葉を囁くという景色は想像つかないが、「愛している」も「可愛い」も、考えてみればその範疇だ。異性としてみるか家族としてみるかで少々意味が違ってしまうだけで、大切さを伝えるという意味ではそれ程差は無い。


 此処は一つ、彼女の言に倣ってみよう。

 そう決断すると、大きく踵を返し、アシビの店へと照準を合わせた。そろそろプニも目を覚ます頃だ。起き抜けに愛していると伝えるのは混乱させてしまうかもしれないが、なにせ二人は父娘(おやこ)。きっと通じ合える筈だ。


「早速行ってきます!」


 不自然にならない程度に早足で、駆けるでもない程の速度で。

 しかし逸る心は抑えきれず、次第にその速度を増してしまう。ほんの数秒後には、コーザの眼前から、ギアの姿はすっかりと消え失せていた。


「………あれ?」


 両の手を大きく広げ、準備万端とばかりに待ち構えていた、コーザを残して。


「…あれぇ?」


 想定通りでない展開に、コテンと、少しばかり小首をかしげる。おかしいな、予定と違うぞ?という疑問が胸の中で大きく聳えるのは、致し方の無いことだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] あれぇ(笑)。
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