79.聳える平野-13
「ああ…なんてこったい」
そう頭を抱えて嘆くアシビの様子も宜なるかな。
ギアの掲げた光源に照らされ、墨で塗りつぶしたような漆黒から彩を取り戻した食堂の中は、有体に言ってぐちゃぐちゃと表現するのが妥当な有様だった。
椅子は倒れ、テーブルはひっくり返り、食器は辺りに散乱している。
それらの殆どが木製の為、割れたり壊れたりという事は見られなかったが、それでもこれらを元通りに片付けるというだけでも一苦労だろう。
「どうにか酒樽は割れてねえみたいだな、いや本当良かった良かった」
「しょうもないことばっかり気にしてんじゃあないよ!コレを誰が片付けると思ってんだい!」
空気を読まない発言とは、敢えてヘイトを買う事で場の空気を循環させることにこそ本質がある。あれ程までに落ち込んでいたアシビがこれ程までに声を荒げる事が出来るという事は、その本懐を成し遂げていると言っても良い。
「まあまあ、そう怒んなよ。少しくらいは片付けるの手伝うからさ」
「ハン!少しどころか、みっちり手伝ってもらうからね!覚悟しときな!」
そう言い放つアシビは、どうやらすっかりと回復したようだ。憎まれ口が板についている。
「…そうだ!いやそんなことより、大切なことがあったんだ…!」
そう誰に聞かせるともなくアシビが呟くと、食堂のカウンターから繋がる厨房へと歩みを進める。
「どうしたんだよアシビ、なんかあったのか?」
忙しなく駆ける後を追いかけると、意外に広い厨房の先から、嘆くような絞り出すような、か細い声が聞こえてくる。
「あ、ああ…」
厨房の奥で蹲っているアシビの足元を見ると、そこには陶器の皿と思しき物の破片が散乱していた。その色合いから、緑がかったものと薄桃色がかったものの二枚だと推測できる。それぞれの大きさは然程でもない、というか小さな小皿だろう。しかしその態度から、大切にしていたのだろうと察しがついた。
「あー、アシビ。その、そいつは大事な物だったのか?」
使うでもなく仕舞うでもなく、態々皿立てを用いて飾っていたのだ。余程思い入れがあるのだろう。上がる息をどうにか抑えようと整え、平然を装う様が、むしろ痛々しい。
「…ふう。…そうだねえ。アタシの旦那がね、結婚する時に、少しばかり無理して買ったものだよ。物に執着する人じゃあなかったし、形見らしい物も無かったから、これ位しか…しか…」
割れた皿の破片を手に救い、嗚咽を漏らす。片手で口元を抑え、抑えきれなかった両の眼からぽろぽろと涙を零す。
人によって、大切な物は様々だ。それが故人との思い出ならば、大切な伴侶とのそれならば、その思い入れも一入なのだろう。己に欠けているのは多分、ソレだ。
その感覚が、羨ましい。
離婚を経ても、恋人との別れを経験しても。それ程までに執着出来た経験が自身にはあったのだろうか。斯様に誰かを深く、強く愛したことがあったのだろうか。問いかけても、答えは出ない。無かった、とは信じたくなかった。こんな暗鬱とした気持ちは、もう沢山だ。
そして、気丈で勇ましいアシビの泣き顔など、なるべく見たくはない。
「修復」
ギアの口から、咄嗟に魔法が紡がれる。
スルスルと、時を巻き戻したように床に散らばった破片とアシビの手の中の破片がその掌の中で形を取り戻した。しかしその姿は、まるで元通り、とはいかなかった。
薄緑と薄桃の斑模様を描いた皿が二枚。アシビの片手にちょこんと、なにやら申し訳なさそうに鎮座していたのだ。
その様子に、ギアはふと思い至る。
そういや、この魔法余り熟練度上げてなかったわ、と。
破片の一つ一つを丁寧により分け、一枚一枚を個別に修復すれば、まだマシだった可能性が高いが、こうなってしまっては、二度と元に戻しようもない。
なにせ生産職の能力を上げることに夢中だったこともあって、壊れた物を魔法で修復する位なら新たに一から創り上げた方が余程早かったのだ。魔力に乏しい自身の育成からすれば、それが最適解でもあった。
覆水は盆に返らないし、零れた乳を嘆いても意味はない。一つになってしまった皿を、元の二つに分ける手段など、ギアは持ち合わせていない。
親切心からの魔法ではあったが、良かれと思って為したことが裏目に出るというのは、ままある事だ。この場合、アシビの思い出を汚したことになりはしないだろうか。言い訳を模索するのは兎も角、謝罪は取り急ぎ必要だろう。
「…その、すまん、アシビ。修復出来ればと思ってやったんだが…」
「ふ、ふふ…」
ギアの弁解を遮るように、アシビの口から含み笑いが零れた。
「あっははははっははっは、はは!」
終ぞ堰を切ったように、窃笑が破顔へと一変した。何か思うところがあったのだろうか。やらかしたと自覚しているギアからしてみれば、気が気でない。己の経験からすれば、感情を爆発させる際に大声で笑うというのは、あまり良くない兆候だ。
学生時代の、世間知らずだった頃の一人の恋人を思い出す。
――――
『サトくん、なんか一年次から人気だよ?カッコイイ先輩がいるって』
『へえ、そりゃあまた嬉し…』
『ふふ、可笑しいよね。サトくんには私という彼女がいるのにさ』
『あ、ああ。そ、そうだねえ。うん、俺にはもう、彼女がい』
『でもさ、サトくんも悪いと思わない?』
『…え?そ、そう、なのかな?』
『私と言うものがありながら、誰彼構わず優しくするサトくんの方にも問題があるんだよ』
『あー、そ、そう、なるのかね?』
『そうだよ、そうに決まってるの。やっぱり、サトくんを他の女に会わせるべきじゃあなかったんだね。サトくんを外に出しちゃあいけなかったんだ、サトくんは私だけのものだから、私の傍に居ればそれで良かったんだ…束縛、ううん、拘束じゃないや、保護が必要なんだ…』
――――
ヤンデレ、という言葉を知ったのは、どうにか逃げおおせた大分後だった。
そんな苦い思い出を知ってか知らずか、晴れ晴れとした表情でアシビが言葉を続ける。
「思い出したんだよ。あの人が、贈り物の皿一つ二つに、どれだけ頭を悩ませ、どんだけ時間を掛け、どれ程頭を抱えたのかってね」
その顔には一片の曇りも、闇も、当然病みも無かった。
「焼き皿の一枚二枚でなんだって思うかもしれないけど、ようやっとあの人と夫婦になれた。…いや、アタシらはちゃんと夫婦だったんだって思えるよ」
「そっか。そいつは、良かった。…本当に良かったよ」
二枚の斑模様の皿を愛おしそうに胸に掻き抱くアシビの眼からは、今度は悲しみでなく、喜びの涙が零れ落ちる。自身の行いに意味があったのなら、それは幸いなことだ。次からはもっと慎重に行動しようという自戒の念も忘れない。
「うむ、万事解決したようでめでたしめでたし、だな」
そう後ろから声を掛けたのは、コーザだった。
「アシビよ、性急で済まないとは思うが、片付け以上の被害が無いと分かれば、我々は村の中を見回り、他に被害がないか確認しなくてはならない」
「ああ、それは仕方ないねえ。ったく、この村はヨーゼフやらエイミールやら、図体ばっかで肝っ玉の小さい奴が多いからね」
ついさっきまではアシビも震えていたじゃあないか、と揶揄うのは流石に野暮というものだろう、とギアは自重する。敢えて読まないというのは、読むときは読む、という事でもある。
そうして外に出れば、村のあちこちから悲鳴や泣き声が上がっているのを知覚できた。非常に遠くからの声すら聞き分けることが出来るという事に、元の世界の身体と比べても、随分と感覚が鋭くなっている事がわかる。
地震が収まってから大分たってはいるが、それでも不安と恐慌に押しつぶされそうになっている村人を励ましてやらねばならぬ。自身にこれ程の正義感が残っていることにギアは驚きながらも、悪いとは思っていなかった。果たして己は本当に人間なのか、杉田悟本人なのか。未だ答えを出せていない疑問に、殊更人間らしい感情というのは、大切にすべきだと思ったのだ。
「さて、ギアよ。ここからは二手に別れよう。今回の地揺れがそれ程脅威でないのであれば、一つに纏まるのは愚策だ。手は多い程良い。より短い時間で、より多くを救える筈だ」
「それもそうですねえ。じゃあ、私らは村の端、外周部をぐるりと回りながら怪我をしている人がいないか見て回ります」
「…いや、ギアは中央広場の周辺を頼む。私よりも顔が知られているのならば、ギアの言葉も受け入れやすかろう。知っている顔であれば、村の人々も安心する筈だ」
「…成程、分かりました。じゃあプニ、早速行こうか」
「了解しました、マスター。それでは、失礼します」
そう短く告げ、中央広場へと急ぐ行商人の親子を尻目に、コーザはゆっくりと村の端を目指す。ここからそれほど遠くはない。
さして時間も掛からずに村の端、申し訳程度の木柵にたどり着くと、自身の従者を呼び出した。
「ルアンダマン、マール。居るな?」
「そりゃあ、まあねぇ」
何時もの様子で軽口を叩く男の従者と、相も変わらず無口に首肯のみを返す女の従者。騎士とは言えやはり独りは心細いもの、こうして顔を合わせれば、憎らしくも頼もしい。
「マール、確か『鑑定』を習得したと言っていたな?」
「…え?まじ?」
ルアンダマンが、驚愕と共にマールを見つめる。その驚きも致し方ないだろう。魔法と言うものはその一つ一つが叡智にして神秘。おいそれと習得できるものではない。それもほんの数か月と言う短時間でとなれば猶更だ。
相も変わらず無口に首肯のみを返すマールに、コーザは一つのネックレスを押し付ける。
件の商人から提示された値段は金貨2枚。
貴族としての価値観からすれば大分安い。しかも何かしらの魔法が込められているというのであれば掘出し物、若しくは値段相応のガラクタだ。
「取り敢えずは、コイツの鑑定を頼む。それ程気負う必要はないからな」
「…了解した。『鑑定』」
そう言って魔法を発動すると、マールの手元がほのかに輝く。良く知る魔法の発動を表す光だ。
しかし、その魔法を操っているマールの顔色は、良くない。否、あからさま悪い。
「…これ、何処で?」
息を切らし額に汗を流し、眉を盛大に潜めて尋ねる。普段の無表情からはかけ離れており、珍しい物を見たことにコーザとルアンダマンは内心で驚嘆した。
「ギアから譲ってもらったものだが、なにか拙いのか?」
「…譲って。値段は幾ら?」
その値段に何か思う所でもあるのだろうか。ひょっとしたら、鑑定の魔法だと、未だ対価を支払っていない事すら分かるのかもしれない。しかし、金貨2枚位なら直ぐにでも払う用意があるし、払う心算があるのなら払ったのと同義だ。何も問題はない筈だ。
「金貨2枚だが、それがどうかしたのか?」
「…金貨2枚。ありえない、ありえない…」
うわ言のようにありえないと繰り返し呟くマールの様子に、流石に心配になる。
「どういう意味だ?もしや、足元を見られたのか?」
「…逆。全くの逆」
「なあ、マール。そいつの効果を教えてくれよ」
とうとう痺れを切らしたルアンダマンが、単刀直入に尋ねた。当然、コーザも気になっていた。同意を示す様に、鷹揚に頷く。
「…そう。このネックレスには、常時回復の効果が秘められている。それも、体力も魔力も」
「そいつは、すげえな…」
そんな説明に、思い当たるのは王家の宝物殿の最奥に秘匿されている、一つのネックレス。あれは瀕死の重傷を負おうとも、それを首から下げ一日も安静にしていれば峠を越え、三日も臥せっていればすっかり元気になるという、正に王家に相応しい代物だ。
まるで王家の秘宝じゃあないか、と続けようとしたルアンダマンの言葉は、マールによって遮られた。
「それも、桁違い。私であれば、二時間もじっとしていれば完全に回復するほど」
マールの冷や汗の意味をとうとう知って、二人は絶句する。
そして、漸く平らに均した心中を、訳の分からない感情がコーザの胸で大きく唸りを上げた。




