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72.聳える平野-6

 パチリ、とステンレス製の焚火台の上で、枯れ木が音を鳴らした。

 空に浮かぶ星と大小の月は、雲一つない夜空に微かに揺蕩っている。

 暗闇に染まる森の奥からは、微かに虫の声が響き、ホウ、とフクロウがまた一つ鳴いた。


「『神隠し』という物は、また…随分と…」


 物騒なと言って良いのか、そんなものが本当に有るのかと尋ねても良いものか、ギアにはわからない。故に、曖昧な物言いになってしまう。


「ああ、確かに前時代的な言い方だな」


 そんなギアの逡巡をどうとらえたのか、納得したように女騎士、コーザは鷹揚に首肯した。


「『神隠し』と聞くと如何にも大仰な、摩訶不思議な現象に聞こえるが、要は行方不明だ」


 行方不明。確かにそれは大事だろう。

 元の世界でもテレビのニュースなどで子どもが行方不明と聞けば心を痛めたものだし、もし仮に、有ってはならないが万一、愛する娘が行方不明にでもなろうものなら、この森を更地にして向こうに見える丘を吹き飛ばしてでも探し尽くすという自信がある。


「それは、恐ろしい話ですね」

「ああ、恐ろしい。それも長期に渡って、沢山の人間が消えている可能性があるのだ」


 これから向かうオーロックの村はなんとも長閑な田舎で、気のいい人ばかりだった。ナーファンもそれに比べればだいぶ都会で人口も多かったが、善政を敷いているという噂の通りか、治安がそれ程悪いと思わない。


「そんな物騒な話がこの街道でねえ」

「…いや、この街道かどうかは判っていない。この辺りが可能性が高いというだけで、今はあくまでこの近隣を調査中だ」


 したり顔で頷くギアに、コーザはやんわりと釘を刺した。


「ああ成程、これは失礼を」

「いや、私の方こそきつい物言いで済まない。しかし妙な噂になっても困るので、訂正させてもらった」


 それもそうだろうとギアは一人頷く。

 変な噂が立って街道の行き来が減ってしまっては経済が立ち行かなくなるし、だからといってこの道を迂回するというのも中々に厳しいだろう。確たる証拠も無しに「沢山の人間がいなくなる街道」なぞと噂されれば、街の人間も村の人達もいい気分にはならないと想像もつく。

 しかし。


「しかし、沢山の人間が、とは…。残されたご家族は気が気でないでしょうねえ」


 そこまで考えて、ふと思い至る。だからこそ、この目の前の女騎士は大袈裟にならない様、噂にならない様、独りという少人数で調査にあたっているのだろうと。大人数を引き連れて大々的に調査を行えば、その力の入れ様に安心する人も多いだろうが、その物々しさから不安を覚える者だっている筈だ。


「…それは、どうなんだろうな…」


 パチリ、とまた一つ焚火が爆ぜる。

 その向こうから返ってきたのは、コーザのそんな疑問だった。


「それは、またどういうことでしょう」

「うむ、何と言おうか…。先ず、前提として、この辺りの住民はこの『神隠し』にはあっていないのだ」


 とうとうギアは自身の理解が及ばない話になってきたことに瞠目する。『神隠し』、コーザの台詞を借りるなら行方不明、それも複数のとなれば誰かしらの陳情があったか明確な事件性があった筈で、だからこそ公共機関である騎士が調査に来ているのは間違いない。

 この辺りであろうというアタリが付いているというにも拘わらず、近隣の住民は居なくなってなどいないと言う。


「うーん…ええと、それはつまり…?」


 少しばかり思考を巡らして想像を膨らませるが、全く分からない。分からないのならば聞けば良い。

 嘗ては推理ドラマが大好物だったが、自身の推理が当たった試しのないギアは、そこら辺を割り切っていた。


「ああ、いなくなったと思われるのはほぼほぼ貴殿のような旅人だ。何人かは冒険者も候補に挙がってはいるが」

「候補に挙がっていると言いますと…」

「こんな言い方をするのはアレだが、冒険者というのは、何と言うか殆どが…その内の何割かは食い詰め者だ。いつどこで野垂れ死に土へ還ろうと、何も可笑しくはない」


 世知辛い話ではるが、さもありなんとも思う。

 ギアから見てバランスの取れた「青い牙」の四人でさえ、死ぬか否か、という場面に出くわしたのだ。ただの獣でさえ、時には容易く人の命を奪う。それが日頃から魔物何ぞという不可思議生物と会敵している冒険者ならば、命を落とす確率が高いのは当然と言える。


「そういった半死人とさしてか…輪廻の波に移ろいやすい者程ではなくとも、旅人や貴殿のような行商人も確かに街住み村住みに比べれば命を落としやすいというのは事実だ」

「それはまあ、そうですよねえ」


 言葉の端々に妙な含みはあるものの、言いたいことは分からないでもない。

 何処かに定住して安寧を享受する者と旅を栖とする者、危険と対面することをこそ生業とする者。誰が最も生き延びるかなぞ、火を見るよりも明らかだ。


「しかし、この近辺。まして街道近くとなると話はまた違ってくるのだ。この辺りは街も村も近く、定期的に見回りもある」


 定期的に見回りがある。裏を返せば、その周期さえ分かれば幾らでも悪事を働ける、という意味でもある。


「要は事件性…野盗なり人攫いなりの人為的な介入があるってことですかねえ」

「ああ、私はそう睨んでいるのだが…だとすると冒険者も行方不明になるというのは少々不可解なのだ」

「そうなんですか?」

「うむ。普通、野盗なんぞよりは単身(ソロ)なら兎も角、冒険者パーティーの方が戦力的に上だ。仮に人数で押されたとしても、余程のことが無い限り撤退すること位は可能だろう」


 元の世界で言えば割と最近まで、傭兵兼盗賊という存在は割と存在していた。戦争があるのなら傭兵、無ければ追剥という暴力で生計を立てる以外の術を知らない者たちというのはそれ程珍しいものではない。しかし、この世界では違うというのだろうか。


「まあ確かに、冒険者パーティーってのは屈強ですからねえ」


 適当な相槌を打ちながら、話の先を促す。有用な情報を聞けるかもしれないという期待を込めて。


「であれば野盗なのか人攫いなのかの側に、強力な戦力がいるという事になるが、であれば態々ならず者に身をやつす必要も無い。それこそ傭兵でも冒険者でも、引く手に事欠かないのだからな」


 成程、とギアは漸くここで得心がいく。

 冒険者稼業というのは、つまりは社会の受皿なのだと。弱者救済だの保護だのというのは近代の価値観であり、それ以前の感覚で言えば、生きるのも死ぬのも自己責任だ。そんな自己責任の最下層、とまでは言わないが、腕一つで稼げ、頭角を現せば時に貴族のお抱えになるという事もあると聞き及んでいる傭兵や冒険者というのは、犯罪者に身をやつす前の救済措置のようなものなのだろう。

 戦争という程では無いにしても、紛争紛いの小競り合いは近代でもままあったし、そこに雇われる腕利きというのも一定数いたのだ。この世界でも、そういった需要は少なくない、という意味に違いない。


「まあ普段は傭兵、時には野盗という輩もいないではないが、だとすれば冒険者を相手取る危険性は重々理解している筈だ。まして彼らの組合(ギルド)を敵に回す愚かな行動なぞ、取るべくもないな」


 やはり世界が変わってもならず者はならず者、破落戸(ゴロツキ)破落戸(ゴロツキ)ということだろう。暴力を生業とする者の思考は似通っているらしい。それに組合(ギルド)と敵対するのは危険が伴う、という。これらも重要な情報の内だ。


「じゃあ、騎士様は事件性よりは事故…森の中で道に迷ったとか、何処かの崖なり沼なりで足を滑らせて帰らぬ人となった、とお考えですか?」

「いや、それもあり得ない。この辺りは王国によって随分と前から、平野も森の中も、確りと探索を行われている。大した崖も深い沼も無い、平穏平坦そのものな土地なのだ。そもそも街道という物は平坦な場所を切り開いて敷設するものだしな」


 そんな街道を通るのならば先ず大した問題も起こる筈がない、と続けるコーザの台詞に、確かに、とギアも肯定する。


「普通の旅人ならば、街道が一番安全だと理解している。態々避ける理由が無いのだ。森の中を突っ切れば少々の時間短縮にはなるだろうが、命を落とす危険が大幅に上がるからな。リターンに対するリスクがまるで見合わない。余程の莫迦でない限り、そんな選択肢を選んだりはしないだろう」


 即ちリスク管理。

 しかしギアは、コーザの言を少々疑う。意外とコレを意識的に出来ている者は少ない。「なんとかなるだろう」「根拠は無いが、自分ならできるに違いない」「為せば成る」と信じる人は、恐ろしく多い。

 どれ程周到に準備し用意したところで成らない時は成らないものだし、根拠のない自信は足元を掬われるだけに終わる。


 一定以上の教育を受けた者と、そうでない者には恐ろしいまでの乖離がある。

 それこそ聳え立つ崖の如く、大きな差があるという事を、教養がある故に、この目の前の女騎士は理解できないのではないか。

 そんな疑惑が胸中を飛来するが、態々指摘しようとは思わなかった。

 さっさとこんな雑談は切り上げ、夜番をコーザに押し付けて愛する娘と共に夢の世界へと旅立つ。


 ギアの頭には、すでにそれしかない。

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