7.初めての再会-7
瞬間、プニが大きく目を開いた。
「…娘、とは私のことでしょうか」
ためらいがちな、少し震える声。
零れ落ちんばかりに大きく見開いた眼からは、戸惑いの色がみてとれる。
満月を思わせるような大きくて丸い瞳。クッキリと弧を描く二重瞼。長く、よく反ったまつげ。眼を見開いた娘の顔は、表情を驚愕の色に染め上げられてなお、美しいと思わされた。
噛み締めるような、言葉を選ぶような言い方だ。いや、事実選んでいるのだろう。
娘呼びしたのはそんなに驚くことだったのだろうか。そう考えてみれば確かにいきなり過ぎたかもしれない。ひょっとして不快に思わせてしまっただろうか。
「あ、す、すまない。いきなりだったな。嫌だった…」
「そんなことはありません!」
思いのほか大きな声で被せてきた。
こんな大声で主張するような性格ではないはずだが。
見開いた眼には今は興奮の色が見て取れる。美しいのは変わらないが、その眼で見つめ続けられると少し怖い。
少々抜けたところはあれど幼いながらも冷静沈着、と設定したつもりだが、何か齟齬でもあったのだろうか。
そこで悟は気付く。
何よりも先にすべきことは、この大切なパートナーとの相互理解なのだ。
『URMA KARMA』に於いてはどんな時も指示に従い、率先して戦い、時には命がけで悟を守ってくれた従者だが、それに愛着をもち、己の娘として見ているなど彼女からしてみればわかるはずもない。
そして、今現在、悟の事をどう思っているのか。ずっと味方でいてくれるのか。「マスター」と呼んでくれてはいるが、それ以外の呼び方を知らないから、という可能性も考えられる。
今まで築き上げてきたものではなく、新たな信頼関係を築いていかなければならない。
その為には。
自分の考えを伝えるのだ。今までの感謝を。本当の娘のように大切に思っているのだと。これから一緒に旅をし、守っていきたいのだと。
悟はそう決意した。まるでこれから想い人に告白をするような気恥ずかしさが湧き出るが、息を整え冷静を装う。
酸いも甘いもそれなりに嚙み分けてきたおっさんと呼ばれる歳だ。これくらいの気恥ずかしさ位なら飲み込める程度の人生経験はしてきているし、そもそも大切な人に大切だと伝えるという意味では同じようなものだ。
「なあ、プニ。聞いてくれないか」
「はい、なんでしょうか!」
「…大切な話だ、落ち着いて聞いてほしい」
そう言ってプニの肩に手をやり落ち着かせる。冷静にさせる、という意味もあるが、自分が未だ足りていない覚悟を決める時間を稼ぐ為でもあった。
「…かしこまりました」
プニはそう言ってまた眼を閉じた。ふう、と長めに息を吐くと、コクリと一つ頷く。話を聞く準備は出来た、ということだろう。
やはり冷静沈着という性格は失われてなどいない。少し上を見上げるような様は、どんな話でも聞いてくれるだろうという頼もしささえあった。
「実はな…」
そんな娘に、悟は思いの丈をぶつける。一度口を開いてしまえば、あとは川の水が流れるが如く。時に話は纏まりなく、時には同じ話を何度も繰り返しながら思っていることを滔々と語る。想像以上に感情的になってしまったかもしれない。
悟が話を終えるころ、頂点にあったはずの陽は傾きはじめそろそろ夕暮れになろうかという気配を見せていた。思いの外長く語ってしまったことに今更恥ずかしさを覚える。
しかしこれは必要なことだったのだ。ならこの恥ずかしさも、必要な恥ずかしさだ。
悟がようやく語りつくしたと気づいたのか、今まで黙って聞き役に徹していたプニが、徐に口を開いた。
「つまり、マスターは」
改めて眼を見開き、一呼吸置き、一気に捲し立てる。
「娘として大切に育ててくださった私とこれからは新たな、パートナーとしての関係を築き上げ、ずっとそばに居るしそばにいて欲しいお前を守りたい愛してるハニー」
そこで一度区切ると眼を閉じ微笑んだ。まさに花も綻ぶような、今まで見せたことのない一番の笑顔だ。
「ということですね」
ニッコリという表現が相応しい、溢れんばかりの笑顔で、返事を待つ。
大筋は合っているし、単語の一つ一つは悟が話したもので間違いない。父親が娘を愛する気持ちに偽りもない。しかし、この言い方はどうにも別の意味にも聞こえてくる。あとハニーは言ってない。
しかし、愛する娘の心からの嬉しそうな笑顔の前にソレを指摘する気にはなれなかった。
「あ、ああ。概ねその通りだ。それで、プニの気持ちや考えも知っておきたくてな」
これから先、二人で旅をしていくなら誰かに二人の関係を聞かれることもあるだろう。二人の年齢差を考えれば父娘というのは最も無難なはずだ。だが、それが嘘だと露見してしまえば、あらぬ疑いすら掛けられかねない。次点で無難なのは遍歴の職人と弟子、あたりだろうか。
「だからもし、俺が父親だというのに抵抗がある…」
「とんでもない!嬉しいです!マスター!」
嬉しいのは嘘ではないのだろう。どうもお互いの関係性を否定されるのは聞きたくないのか、言葉をかぶせてくるが、悪気があるわけではない。
「なら、俺たちはもう父娘だ。改めてこれからもよろしくな、俺の娘」
そう言って再度頭をなでる。先ほどの、壊れ物を触るような繊細な手つきではなく、被っていた魔女帽子の上からワシャワシャと。父娘のコミュニケーションとはこういうものだ。
「はい!私からもよろしくお願いしますマスター!」
いつの間にかまた眼を大きく開いたプニが嬉しそうに返す。
「…なあ、プニ。少しだけ落ち着いて聞いてくれるか」
「はい、なんでしょうかマスター」
プニは眼を閉じ頷く。やはり設定した通り、眼を開くのは興奮しているときのサインなのだろう。
「その、なんだ。…父親をマスターって呼ぶのは、少し変じゃないか?それに、敬語とかも少しよそよそしい、と言うかなんというか」
「そうなのでしょうか。…申し訳ありません、私にはわかりません」
プニの声色が、悲しそうなものに変わる。
違う、悲しませたいわけじゃない。そこでようやく悟は思い至る。娘は今まで親というものに接してきた経験などなかったのだ。親というものの知識はあれど、どんな態度をとるべきなのかわかるはずもない。
ましてや、今まで「マスター」として接してきた相手だ。今日から父親だから態度も言葉使いも変えろと言われたところでそう易々とはいかないだろう。
「ああいや、責めているわけじゃないんだ。無理を言っているのは俺の方だ。プニは気にしなくていい」
「…マスター」
寂しそうに呟き、こちらを見上げる娘の手を取り、また頭を撫でる。
今度は先ほどよりも優しく。
「そうだな…『お父さん』とか、『お父様』って、呼んでみてくれないか?」
敬語での言葉使いも、彼女の大切な個性の一部だ。それを直すのが難しいなら、『お父様』のほうがいいかもしれない。
「かしこまりました。…お父様」
悟の手を軽く握り返しながら、プニは微笑んだ。はにかむような、照れるような笑顔。
「どうでしょうか。私はちゃんと娘できていましたでしょうか?マスター」
その物言いに、つい悟は吹き出してしまった。娘が可愛らしすぎる。
「ふ、ふふふ。マスター呼びはなかな直らんなハハハ。…まあ、追々慣れていけばいいさ。先は長いんだ、焦ることもない」
ひょっとしたらこの言葉使いも「マスター」と呼ぶことも、直せないかもしれない。いや、きっと直せない気がする。が、まあその時はその時だ。二人の関係は良好で確かな信頼関係を築けているのだ。娘が父親をマスターと呼び敬語で接する父娘が一組くらいあってもいいはずだ。
辺りを見回せばすっかり夕暮れの陽に染まり、暗くなり始めている。
今から動き始めるのは難しいだろう。今日はここに天幕でも張り、野営をするほかない。
しかし、この辺りは見晴らしもよく、獣や人がいる気配もない。川が近くにないという事は水難に遭うこともない、という意味でもあるし案外野営の予行演習とでも思えばこの場所は悪くないだろう。
「すっかり暗くなってきたし、今日はここで野営とするか」
「ええ、それがいいと思います」
打てば響くようにプニも頷いてくれる。
それだけのことが、無性に心地良い。
「腹も減ってきたことだし、先ずは食事だな。プニ、手伝ってくれ」
「勿論です、マスター」
やはり直りそうもない。そのことがなんだか可笑しくてたまらなく愛おしい。
気付けば、空の端から大きな月と小さな月が上り始めていた。