64.燃え立つ氷像-16
吹きすさぶ激情が脳内を支配し、見開く双眸でもって怒髪天を衝けど、心中は至って冷静だ。少しばかりこめかみの辺りが引き攣るのに大した意味は無く、「『討伐』と『撃退』ではどちらがより利点が大きいか」という疑問が「殺す」に変わっただけに過ぎない。
つまり、やることは然程変わらない。
「ふん、しかし人間の『雌』と思しき者よ」
巨大な蜥蜴の様な魔物が何かしらを偉そうに言い放つが、大して聞きたいとは思わないし、無為に時間を浪費する趣味も持ち合わせてはいない。しかし得てして「イベントボス」と言うものは重要な情報を持っており、それを告げるのがお定まりでもあった。そんな情報を収穫し、取捨選択し、主人へと提示するのは『従者』としても重要な役割の一つだ。情報収集となれば無駄な時間とは言えないし、自身の好き嫌いで聞き逃して良いモノでもないだろう。
「真龍種が一柱、氷雪龍たる我を前に、少々頭が高いな」
…無駄な時間だった。
ふう、と一つ溜息を零すと、先程まで溢れるようだった胸中の怒りも、少しばかり治まってしまった。魔法に怒りを込めて吹き飛ばす、という気持ちまで薄れてしまう。
だが、考えてみれば怒りや情動に身を任せるというのも如何にも子供っぽい。少し頭を冷やし、泰然従容としている方がやはり『従者』としては相応しい。そう思いなおすと、少女は待機させておいた一つの技能を巨大な蜥蜴型の魔物に放つ。
解析と呼ばれるその技能は職業での経験やイベントをこなすことで得られる一般的な習得技術とは異なり、『URUMA KARMA』内では『従者』しか持ちえないとされるものだ。その名の通り敵の能力を解析する、とは言ってもそれ程性能の良いものではない。種族と設定された脅威度、大雑把な彼我のレベル差を把握できる程度の代物で、その情報を元に勝ち目が薄いと判断すれば主に撤退を促し、勝率が高いと思えば鼓舞する。己が主を導くのも『従者』の重要な役割の一つなのだ。
何度も同じ敵と闘えば、得られる情報はより詳しくなり、特技や弱点なども分かるようにはなるが、今回の様に初見の相手に対しては効果は薄い。
それでも、種族と脅威度が解れば、ある程度の予測が立つ。
魔法の発動の様に特殊効果が掛かるわけでもなく、習得技術の様に特段強調されるわけでもない。解析という地味な技能は、一見すると棒立ちにしか見えない。
しかし確かに解析は効果を発揮し、蜥蜴型の魔物が有する情報を詳らかにする。
そうして得られたモノは。
余りの予想外な結果に、少女は面喰ってしまう。
そんなことがあって良いのか、と瞠目さえした。
先程までの、ややもすれば浮ついたような気分が、休息に萎んでゆくのを感じる。
心の奥に焦燥さえ浮かぶ。どうしよう、どうしたら最善だろう?
「これは…何という…」
そんな少女の塞ぎ込んでいく様子に、呵々大笑と巨大な魔物が吠えた。
「くはっはは!恐れるがよい!慄くがよい!この我こそが氷雪龍たる…」
「こんな雑魚だとは…」
そんな囁くような呟きは、彼方に届かなかったのかもしれないし、届いたのかもしれない。
しかし、もうどうでも良かった。
少女は再度反芻する。どうしよう、コイツ、と。
解析の結果は、惨憺たるものだった。
眼前の自称氷雪龍とやらの見た目は、細部に眼をやれば少しは似通っている部分もあるが、己の記憶の中にあるソレとは随分と違う。最も近いのはその巨躯だ。ならば亜種か変異種か。どちらでも変わった素材や特別なアイテムが手に入るに違いないと踏んでいたのに。
氷雪龍なんてとんでもない。下位竜ですらなく、単なる莫迦でかい白雪蜥蜴に過ぎない。
確かに図体はうすらでかく、或いは特殊個体かと訝しみ、期待した。そしてそのサイズ相応に体力もあり、個体値も伸びてはいる。だが、所詮その程度でしかない。
白雪蜥蜴の素材なんぞ、売っても売り切れない程の在庫を抱えている。と言っても高値がつくようなものではないし、使い途も大してない。今更例え道端に転がっていたとしても、剥ぎ取るのを躊躇われるほどだ。
はあ、とまた一つ、溜息が少女の口を衝く。
こんな羽蜥蜴に警戒をしていたとは。
こんな塵に感けているくらいなら、おとなしく宿で主を待ち、その腕に包まれて眠りについていた方が幾分か有意義だったに違いない。
「どうだ、少しは抵抗して見せよ。その杖からして、魔法を使うのだろう?」
いやいや、この羽虫が敬愛する主人の心を僅かでも乱していたのは事実であり、であればその対価は払わせねばならぬ。
そう思いなおすと頭を振って集中を取り戻す。一つ息を吸っては気持ちを切り替え、両手に持つ杖を掲げ、魔法の詠唱を始める。
「そうだ、足掻け!足掻いてこそ絶望というものが…」
ギャアギャアと喚く蜥蜴が殊更に鬱陶しい。
図体に伴って声までデカくなったのか、矢鱈と耳に響き、不愉快さを加速させる。
もう、とっとと黙らせよう。そんな気持ちと共に、少女の魔法は発動された。
「氷束縛結界」
蜥蜴の足元に、その体躯を覆う程の巨大な魔法陣が青白い光を上げて広がると、白銀色に輝く細かな、魔法によって成形された氷の粒が一斉に巻き上がり、まるで竜巻のような巨大なうねりを伴って、自称氷雪龍を包み込んだ。
「氷雪龍たるこの我に氷結魔法だと!ふん、所詮は人間か。愚かに、も程があ…る、ぞ…?」
ピキリピキリ、ミシリミシリと盛大に音を立て、プニの目の前で悠然と構える羽蜥蜴、自称真龍種が凍てつき、動きを止める。
「な、何故だ!わ、我は氷雪龍だ、ぞ!冷気への耐性は絶対の…」
そんな台詞が耳に届き、プニは堪え切れずクスリと漏らしてしまう。
何を言っているのだろう。
初級魔法の氷結と違い、氷束縛結界は上級魔法。冷気の継続ダメージと共にその場に束縛し、行動を制限する魔法だ。求められるのは何よりも束縛耐性なのだ。
束縛を示す拘束音はもはやギシリギシリという表現が相応しい程の金切り声をあげ、蜥蜴は目に見て分かる程に凍てつき、最早氷の彫刻か何かの様だ。
完全に拘束してしまえば、あとは氷雪がその身を少しずつ削り取っていく。属性ダメージは期待できないが、この魔法は僅かではあるが物理ダメージも伴う。
「き、貴様!な、何を…し、た…!」
もはや活舌も怪しい白雪蜥蜴には微塵の興味も残らない。さっさと始末して、愛する主人の元へと戻らなくてはならないのだから。
そう考えると、小声で呪文を唱え、その魔力を身に纏う。
朗々と詠唱を紡ぎ終えると、両の手で握った杖の先に浮かんだのは、一つの炎の塊だった。
大きさで言えば子供が両の手を広げた程度。人間から見れば大きくとも、巨体を誇る白雪蜥蜴からすれば、それは随分と小さく見えたのだろう。
「ふ、ふはっははっ!そ、れが貴様の、お…くの手だな!」
高笑いと共に快哉を叫ぶ蜥蜴の声がギイギイと耳に五月蠅い。鬱陶しいし、不愉快だ。やはりさっさと消し去らなくては。
「た、しか…に!氷雪龍の弱点と言えば火魔法、だ、が!」
身動き一つとれず、削られるのを待つ身のくせに、妙に勝ち誇る。その奇妙な自信の拠り処に興味を覚え、少女は言葉の続きを待った。
「貴、様如き矮小な存…在には思い、もよらぬ!魔法道具に…より、そんな弱点なぞ克服しているのだ!」
ああなんだ、ただの阿呆か。
逡巡した時間を返して欲しい。そう思いながら、少女は掲げた魔法を解き放つ。
「業噴火」
「数多、の火球にも耐え…き、るこの指輪の性能は!」
白雪蜥蜴の足元に着弾した瞬間、輝く拘束魔法をさえ悠々と飲み込む巨大な赤黒い火柱が、ゴオオオッという、遠くで響く落雷にも似た轟音を伴って立ち昇る。その内部にあらゆる物を巻き込むこの魔法には、そもそも半端な火耐性なぞ無意味に等しい。
地獄の底から噴き出したマグマの様な暗い火柱がゆっくりと翳り、次第に細くなり、暫しの間をおいて漸く鎮火の様子を見せる。雪の様に白い体表を晒していた大蜥蜴は、黒い消し炭の塊と成り果て、やがてサラサラと崩れていく。
蜥蜴の氷像は、最期に何かを言いかけていたようだったが、燃え尽きた残骸の後には最早何も残されてはおらず、また少女にも何の興味も感慨も残ってはいなかった。




