62.燃え立つ氷像-14
朝日が地平線からすっかりと顔を出し、辺りの空気を暖める。温い気配は周囲に蔓延し、陽光が陽気さでもって街と人々を照らした。青く抜ける空は雲一つなく、朝焼けの合間には二つの月が白銀と鈍色に輝いていた。
「いやあ。しかし今日は晴れたなあ、旦那」
僅かばかり酒精の残ったような寝ぼけ眼でそう声を掛けてきたのは、誰あろうハロルドだ。昨日強かに飲んだ、或いは飲ませたのだから当然でもある。
「ああ、本当にな。この分なら今日は大分暖かくなりそうだ」
「そうだと良いんだけどなあ。こんな訳の分からない寒さはもう充分だよ」
首を左右に振り、両手を横に広げて大袈裟に肩を竦めて見せるハロルドに、カーミュラが追従する。
「そうねえ。これだけ寒いと遠征先の狩場で野宿、ってわけにもいかないし」
「それは、勘弁願いたいものですね。稼ぐ必要はありますが、命あっての物種です」
すっかりと晴れやかな顔でイーサクが口を挟み、相も変わらず無口なマルティナが首肯のみを返した。
ギアの嘗ての経験からしても、真冬のキャンプと言うものは中々に厳しいものがあり、雪積もる最中での野宿など、素人には命取りにすらなる。出張先の豪雪地で思いがけず車中泊を敢行した時など、半ば死を覚悟したという苦い思い出もあった。寒さは、積雪は。時としてあっけない程に容易く、命を奪う。
「もう、大丈夫ですよ」
やいのやいのと騒がしい面子にふと訪れる僅かな静寂。その隙間を縫うように、ポツリと零したプニの語りかけるような言葉が、小さく、そしてやけに力強く響いた。
「あら、プニちゃんはそう思うの?」
「ええ。…なんとなく、ですが」
カーミュラの問いかけに、頷きを返す。
首を傾げ、顎に指を添え少し遠くを見つめる様は、気恥ずかしさを韜晦するような仕草は如何にも年相応で、愛らしい。
「…そう」
表情も言葉も乏しいマルティナが何かを納得したように頷き、同意を示す様にハロルドが一つ柏手を打った。
「だな!どうにもならない事を気にするよりもより良い未来を期待するのが俺らの流儀だ」
「それ、ちょっと楽観的過ぎない?」
「悲観的な奴はこんな職なんざ選んでないだろ」
「楽観主義の程度で言えば、お二人とも似たようなものじゃあないですか」
まるで夫婦漫才のような二人の掛け合いにイーサクが茶々を入れ、マルティナが暖かく見守る。
この空気にも随分と慣れた。微温湯のような居心地の良さがある。
少しばかり、別れが辛い。
一抹の寂しさがギアの胸を過るが、それこそが旅の醍醐味でもあり、旅そのものだ。
一期一会。それがギアの、否、杉田悟の座右の銘だった。
きっと、彼ら「青い牙」と話すのはこれが最後になるのだろう。然らばと、後顧の憂いを断つべく集団から少しばかり離れ、ハロルドに此方へ来いと手招いて促す。
訝しみながらものこのことやってきたハロルドの肩に腕を回し、声を潜めた。
「おい、ハロルド」
「どうしたんだよ旦那」
ギアの声量に合わせ、ハロルドも囁くように返す。
「今日は、晴れたよな?」
「…そうだなあ」
今一つ意味が通じていないのか、曖昧な返答を寄越したハロルドに、更に追い打ちを掛けた。
「そうだなあ、じゃあねえよ。お前、ちゃんとキメるんだろうな?」
それは、昨日の晩。あの時の酔っぱらいの戯言。告白の行方だ。あれだけ発破を掛けさせておいてここで腰が引けるようならば、少しばかり強めに背中を押す必要があるだろう。
「あー。旦那、実は…」
「実は?」
濁すような、はぐらかすようなハロルドの物言いに、問い詰めるように返す。否、正しく問い詰めているのだ。
しかし、その答えは予想を裏切る、上回る物だった。
「もう、キメたんだ。昨日、あの後そのまま、さ」
照れくさそうに頭をガシガシと掻く様は、気恥ずかしそうにしながらも、ほの紅い頬に喜びを隠せていない。
「まじか…。それで、どうだった?」
「いや旦那。普通はそれで駄目だったら、先ずパーティー解散してるから」
未だ赤く染まる頬を不満げに膨らませて、ハロルドが反駁を試みる。道中でもハロルドが垣間見せた、薄らでかい図体と太々しい態度に時折挟む、子供か少女のような仕草。
こういう、普段とは違う所謂「ギャップ」というやつに、さしもの才女カーミュラも、コロッといったに違いない。
「そうか。てことは…」
「…ああ。まあ、その、あれさ」
所在の無さげに頬を指で掻きつつ、それでいて確りとギアの眼を見据え、確かに告げる。決意を新たにするかのように、何かと決別するがの如く。
「上手くいった…よ。旦那にケツを蹴飛ばされたおかげさ」
皮肉気に口元をゆがめる様はやたらと堂に入っており、あれ程親身に相談にのさせておいた割には随分な言いようだが、そこは要点でも主題でもない。
「おお…、おお!やったじゃあねえか!」
堪え切れず、ハロルドの背中を軽く叩く。たっぷりと祝福を込めてはいるが、あくまでも軽く。
お調子者ぶった思索家と、慎重派素振りの激情家。ギアから見た二人の印象はお似合いというべきか、凹凸と言うべきかは分からないが、お互いを上手く支えあい補完できるのは間違いなさそうだった。
だが、男が想いを伝え、女がそれを受け入れ、二人の関係性は明白に変わったという筈なのに、二人の様子は昨日までとさして変わらない。何時もの様に飄々と、日常の様に淡々と。
見たところ二人は今までとさして変わらずに過ごしているが、それなりに長い時を共にしてきた筈だ。その間に思い至ることも前兆めいたものもあったのだろうと想像がつく。案外こんなものなのかもしれないと一人納得すると、ふと思い至る。
何か、お祝いでも贈った方が良いだろうか、と。
こうして出会ったのも多生の縁、贈り物をするのは吝かではないが、その基準や習慣と言うものが未だ判っていないのは宜しくない。かと言ってハロルドに「何が欲しい?」と尋ねるのも違うだろう。高価過ぎれば委縮させるだろうし、安すぎれば軽んじられていると捉えられるかもしれない。
世界が違っても文化が違っても、贈り物というのはいつだって難しいと頭を悩ませる。そんな心中など噫にも出さずに、しかし内心では懸命に頭を捻っていると、不意に呟くような声が聞こえた。
「…花」
釣られてそちらに眼をやると、少しばかり遠くから聞こえたその声の主は、マルティナだった。ギアを、というよりはその向こう、何処か遠くを見つめているような、相も変わらず読み切れない表情のままで。
マルティナは口数が少ない割に、時折こうして謎の言葉を呟くことがある。相も変わらず意図は読めないが、「花」というのは贈り物にいいヒントかも知れない。
そう言えば、と『URUMA KARMA』では様々な花がアイテムとして存在し、その内の一つに「祝福の花」と呼ばれるものがあったことを思い出す。
「祝福の花」はたしか何周年イベントだかの新規ユーザー獲得のためのスタートダッシュ用アイテムで、期間限定ログインボーナスの一つだった。当然低レベル向けで効果も微妙とあって、使用することも無く倉庫に仕舞い込んだままだ。植物系のアイテムはアイテムボックス内だと時間経過と共に枯れて効果を失ってしまうという仕様もあり、出したことすらなかった。
だが、覚えている限り「祝福の花」の見た目は綺麗で、祝い事に似合うし名前も縁起が良い。晴れの贈り物には悪くないだろう。
「すまん、ちょっと外す」
「なんだい旦那。小便か?」
「そんなとこだ」
ハロルドの尾籠な茶々に笑って返し、近くの角を曲がる。
更に少し進めば路地裏に差し掛かり、辺りには人気が大分なくなってきた。
「倉庫」から何かを引っ張り出すには一度タブレットを取り出さなければならず、その様子を余り誰かに見られたくはない。時間経過が無いというのは検証済みだが、その間周囲からどう見えているのかが掴めないし、タブレットそのものを誰かに見られるというのも憚られる。用心が過ぎるのかもしれないが、しておいて損はない。
「悪い、待たせたか?」
「いや、全然だよ旦那」
「…ああ、そうか」
急いで「倉庫」へと潜ったが目的の「祝福の花」の場所が分からず、ついでにあれこれと物色したため、流石に待たせ過ぎたかと慌てて戻ったが、そういえば時間経過が無かったのだと思い至り苦笑する。
「それでな、ハロルド。それとカーミュラも」
「なんだい?」
「あら、私も?」
声を掛けて二人を手招くと、歩調を合わせて二人が近づいた。そんな何気ない仕草ですら揃っているのは、見せつけられている様でなんとも面映ゆい。
「コレを受け取ってくれ」
「…花?」
「あら、綺麗ね」
二人に一輪ずつ差し出したのはカサブランカによく似た真っ白い大輪の花。大ぶりな葉も瑞々しく、見た目にも凛としている。
「コイツは祝福の花って呼ばれててな。俺の故郷じゃあ、門出の祝いや目出度い時なんかに、コイツを贈るんだ」
「素敵な習慣だわ」
やはり女性にはこの手の話は受けが良いのか、カーミュラは眼を細めて花を眺めている。ハロルドはそんなカーミュラの横顔を見つめているが、まあ照れているのだろう。
「まあそんなわけで是非、二人に貰って欲しい」
ギアの言葉に二人はすこしばかり見つめ合い、同時に「祝福の花」を受け取ると、横目で頷いた。さながら熟年の夫婦の様に息の合った二人の様子に、自然と顔が綻んでしまう。
「旦那、ありがとう。その…照れくさいけど、嬉しいよ」
「私からも、お礼を言わせて。本当にありがとう、ノイズさん達に出会えて良かったわ」
そう言えば、カーミュラの表情は何時も少し硬かったように思う。こうして柔らかな、自然な笑みを浮かばせるのだから、愛というのは偉大な物なのだろう。ギアはそう納得すると、大きく頷いた。
「此方こそ、青い牙に出会えて良かったよ。色々と助かった」
それは紛う事無き本心だ。
道行きながら全員と言葉を交わし、旅の無事を願い合い、互いの良き未来を祈り合う。
門を出て滔々と進み、やがて二手に別れると。
「青い牙」の面々も、ノイズ親子二人も。だれも決して振り返ることは無かった。
「…良かったのか」
「あら、何が?」
ハロルドが少し後ろを歩くカーミュラに尋ねる。
イーサクとマルティナは少しだけ離れており、内容までは聞こえはしないだろう。今更こんなことを言うのは、女々しいと自身でも思う。しかし、確かめずにはいられなかった。
長い間、見続けてきた相手なのだ。どう感情が動くかなど、幾度となく想像している。その視線の先を追った事なんて、数え切れないほどだ。だからこそ、ハロルドは気付いていた。
「旦那のことだよ」
ハロルドの気弱な物言いに、カーミュラがつい、クスリと零す。
「何を言っているのよ、ハロルド」
そう言うと、ハロルドの手をそっと取る。優しく握る…と思わせて、手の甲を抓った。
「いてっ!」
そんな様子に、また笑みを零すと今度は優しくさする。本当に、何を言っているのだろう。ギア=ノイズという男は。この地に留まらず、故郷へと帰る旅の途中の異邦人だ。そもそも住むべき場所が、進むべき道がここではないのだ。追いかける未来も、目指す場所も交わらない。
「ちょっと、振り向いてみただけじゃない」
暖かな日差しの中、何処か遠くから、鳶の鳴き声が響く。
進む道に何処にも雪は無く、泥濘み一つ残ってはいなかった。




