6.初めての再会-6
タブレットが『倉庫』とはどういう意味だろう。何かの暗喩だろうか。
「それは、どういう意味だ?」
「アレからは倉庫を感じます」
倉庫を感じる、とは。
言わんとすることろは分からないわけではないが、直ぐに飲み込むのは難しい言葉だ。
改めてタブレットを眺めてみるが特に感じられるものはない。何の変哲もない、とは最早言えないが見た目は普通のタブレットだ。
悟には何も感じられないが、プニには何か分かるものがあるというのだろうか。
おもむろにタブレットを手に取り、倉庫を意識して触れてみるがしかし何も起きない。ひっくり返してみても逆さにして振ってみても何かしらの反応すらなかった。
色々と弄くり回しているうちにふと画面に目をやると、『URMA KARMA』のアイコンが現れていることに気が付いた。先程までは無かったように思えるが、いつの間に表示されたのだろうか。
それとも単に気付かなかっただけなのか。
「ひょっとして、コレか?」
そう言いながらアイコンを軽くタップしてみる。
瞬間、画面が波打つように揺らめいた。
本来ならメーカーロゴが現れタイトル画面へと続くはずだが、何も起こらない。
違っていたのだろうか。そう思った瞬間。
突如、周囲が真っ白な光に包まれた。
いきなり辺りが白く染まり、眩しさに目を開けていられない。
光が収まり、恐る恐る悟が目を開けると、そこは白い空間。
どこまでも続く何もない白い空間、としか表現のしようがない場所に、ポツンと見覚えのある大きめの扉が佇んでいた。
それは、黒檀で作られた黒光りのする高さ三メートル近くは有ろうかという大きな扉。
ゲーム内では拠点にあった、倉庫の名前に相応しい大きな扉だけが、真っ白な空間に取り残されたように立っていたのだ。
そう、扉だけ。
ぐるりと裏に回ってみてもやはり扉一枚だ。
辺りを見回してもほかに何もなく、誰もいない。先ほどまですぐそばに居たはずの娘の姿さえ見えない。しかし、焦りはない。
なんとなくだが分かる。自分はタブレットの中に入り込んでしまったのだ。悟はそう察していた。
そして、戻ろうと思えばまた戻れるだろうことも、直感で理解していた。
「調べてみるか…」
そうと決まれば、先ずはこの扉を調べることが必要だ。細かな装飾の施された金色の取っ手を握り、恐る恐る扉を押し開ける。
どうやら鍵のかかっている様子のない扉は、重厚な見た目に相応しいゆっくりとした速度で開く。
扉の向こうに広がっていたのは、まさしく倉庫、というより宝物殿か博物館のような場所だった。
壁一面に武器や鎧兜、防具等が理路整然と陳列されている様はまさに圧巻だ。
数えるのが莫迦らしくなるほどの大杖や杖、それに短杖は様々な宝飾や込められた魔力により淡い光を放ち存在を主張している。
作中では『交易品』と呼ばれた様々な品物は一角にある大きな棚の中に所狭しと詰め込まれている。
その向こうに樽が並び様々なガラス瓶が並べられているのは酒の置き場なのだろう。
その一つ一つ、どれもこれもが見覚えのあるものばかりだった。
悟が『URMA KARMA』内にて自ら作成したり、収集したものだったのだ。その全てが懐かしさを覚えるものばかりだが、入り浸っているわけにもいかない。
何はともあれ、旅路に役立ちそうなものの確保が先決だ。
悟は倉庫の奥へと進み、使えそうなものを見つけては手に取り眺め、己のアイテムボックスへと収納していく。食材や食料は保存の利くものを。野宿するなら角灯や天幕は必須だ。
十分にアイテムを確保し、倉庫を後にする。
倉庫の扉を今度は中から押し開ければ、先ほどの白い空間──ではなく、最早見慣れてしまった草原だった。
結構な時間を倉庫で過ごしたはずだが、太陽の位置が変わったようには見えず、未だ陽は高いままだ。
目の前で悟が居なくなった筈なのに娘に慌てた様子もなく、ひょっとしたら倉庫では時間の経過が無い、というのは単なるゲーム内での設定に留まらず、この世界では己自身にも適用されるのかもしれない。
それは非常に便利な反面、いざという時に避難する場所としては使えない、という意味でもある。
例えば何かしらの災害、大雨や洪水に巻き込まれたとする。目の前まで濁流が迫り、咄嗟に『倉庫』に逃げ込んだ、十分に時間が経過したと判断し倉庫から出て見れば実は時間は経っておらず濁流は目の前のまま、では何の意味もない。
とは言え、便利なものであることは間違いない。
要は使いよう、だ。
使い方さえ間違えなければよいのだ。それは『倉庫』だけではない。
『倉庫』から引っ張り出してきた様々なアイテムも、このタブレットも。恐ろしく不味い、と一文が添えられたあの――もし、元の世界に戻りこの設定を考えた開発の人間に出会えたなら、絶対に口の中にねじ込んでやろうと思えるほどの――中級解毒薬だって、使い方次第だ。
その為には、知らなくてはならない。
この世界の事を。様々な常識を。
己に何が出来て何が出来ないのか。魔法や習得技術は使用できるのか、効果は『URMA KARMA』内と変わってはいないか。
己の力は。娘の能力は。
知らなくてはいけないことが山ほどある。きっと知れば知るほど、更に学ばなければいけないことが出てくるに違いない。そんな中で、真っ先に知っておくべきことはなんだろうか。
一先ずは手持ちの道具の効果の確認だろうか。それと――
「継戦能力…いや生存能力、だな」
獣や魔獣に襲われたとき、はたまた物盗りや破落戸、盗賊なんかも居るかもしれない。たった二人でそういう『敵』と呼ぶべき輩に襲われたときにこれらを打ち倒す、それが無理でも最低限逃げて生き延びることができるか。
これが『URMA KARMA』であれば「余裕」の一言だったろう。最盛期のイベントボスでさえ、この二人で――様々なアイテムを大量に消費しながらではあるが――打ち倒してきたのだ。勿論登録してあるフレンドや野良で出会ったパーティと共に挑むことの方が多かったが。
悟は自身を強い、とは考えていない。現実で言えば学生の頃に柔道や空手を嗜んではいたが、仲間内の気楽な部活でしかなかったし、大会に出れば予選敗退が常だ。腕が立つ、とは言い難かった。
この肉体は、確かにあの若かったころに比べても、遥かに力と活気満ち溢れている。
しかし、ゲーム内で言えば、悟は戦闘以外の職に就き過ぎている。
『URMA KARMA』には、様々な職が存在し、職によってレベルアップ時のパラメータや得られる習得技術が変化するのだ。組み合わせ次第で得られる隠し職というものもある。
そんな中、悟は変わったアイテムや装備を生産し売り歩くという行為に嵌り、生産職を多く習得した。少しでも有利に販売するためにと行商人という商売職にさえ手を伸ばし、自ら素材を集めるために必要ならばと前衛戦闘職にも就いた。魔法職にも。
その結果出来上がった悟の化身は、万能とはとても言い難く、器用貧乏という表現の方がしっくりきた。
生産職にしては戦える、というのが自身の噓偽りのない評価だ。
対して、従者であった娘は魔法職一辺倒を修めてきた。回復魔法や補助能力の方が高い育成だが、単純な戦闘能力なら悟よりも上だ。
この世界の存在が、どの程度の強さなのか。襲われたり、敵対関係に陥った時に生き延びることが出来るのか。あまりに悲観的な想像かもしれないが、いざという時に備えないのは莫迦のすることだ。少なくとも悟は莫迦にも楽観的になるわけにもいかない。
敵対して回るつもりはないし、むしろ友好的な関係を築いていけば、戦闘する必要なんてそもそもないのだ。それでも、理不尽というのはいつか襲ってくるものだし、いざという時に頼れるのは己だけ、という瞬間は存在する。
今は守るべき存在が居るのだ。用心しすぎるという事はない。
そんなことを考えていると、ついジッと見つめてしまっていたようだ。
まじまじと見られていたプニは、悟に声を掛ける。
「どうかされましたか?」
そういえばゲーム内でもこの反応はあったな、と思い出し苦笑を浮かべた。
「ああいや。プニの言う通り、コイツは倉庫だったよ。正直なところ、半ば諦めていたんだ。本当に助かった」
「お役に立てたようで、私も嬉しいです」
「お礼がしたいんだが、何か欲しいものとかないか?それか、して欲しい事とか」
「私は『従者』ですから。マスターのお傍に仕えることこそが望みです」
暗に「何も要らない」と言われても、引き下がるつもりは無い。この年頃の娘が自分の望みを上手く表現できないことくらい悟でも知っている。
「まあ、道すがらにでも気負わずに考えておいてくれ。単に父親が娘のご機嫌を取りたいだけなんだ」
そう言って、悟は娘の頭を軽く撫でた。