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55.燃え立つ氷像-7

 雪を孕んだ厚い雲が空の半分ほどを占めているが、朝の訪れに席を譲るように、次第にその嵩を減らしていた。

 高い位置まで昇った朝日は暈を被り、その温もりが積もった雪を少しずつ溶かす。道のそこかしこに泥濘(ぬかるみ)を作り始め、道行く人の足も馬車の轍も重たくなるが、ギアの心は軽やかだ。


「いやはや、儲けた儲けた」


 帰りの馬車の中、ギアはそう独り言ちる。

 結局、件の指輪は金貨300枚という値段で折り合いがついた。ギアが向こうの鑑定(アプレイズ)の結果を尊重し、言い値を呑む、という領主の顔を立てた形ではあるが、そもそも明確な指標も無かったのだから否やは無い。

 そもそもからして手探りだ。交渉の中で上手く手繰れれば良い、程度に考えていた物が、領主などという顔を売っておいて損の無い人物に少しでも恩を売れたのだから僥倖だろう。


「ついでに、こいつもだな」


 そう呟いて、手の上でくるくると弄んでいた革製の巻物を、手慰みにぽんと軽く上に放る。半回転して落ちてきた巻物を軽く受け止めると、また何度か繰り返した。

 この革の巻物こそが、本来の目的であるところの「許可証」である。

 瀟洒な組紐で施された封印を解いて中を見てみれば、つらつらと小難しく分かり辛く書いてはいるが、要は「領内での商業活動を認める」と記されている。ただし免税、ではなく「税は納めている」となっていた。


 更には指輪のみならず領主自身も物資を求めていたらしく、追加で毛皮を500枚少々、それに毛布、これまたなんの変哲も特別な効果も無い――無い、筈だ――代物だが1000枚程を合わせてお買い上げ頂いた。献上品である雪白狼(スノーウルフ)の毛皮は甚く気に入って貰えたようで、財布の紐を緩ませるのに一役買ったに違いない。

 多少の色を付けてくれたのか、総額で金貨にして700枚となる大商いだ。仲介役のイーサクへの感謝の念も一入(ひとしお)だ。


「有難うなイーサク。おかげで久方振りに大きく儲けさせてもらったよ」


 嘘である。

 見栄とも言う。一度の取引でこれ程までに稼ぐことなど元の世界においても無く、生涯の営業歴を通しても初の儲け額と――此方の世界での金銭感覚は今一つ掴めてはいないが――なる筈だ。そもそも、堅実、安定、確実をモットーとしてきたギアにとって、今日ほどの()()()()なぞ、終ぞ渡ることなどなかったのだから。


「…それは良かった…と、できれば私も言いたかったのですが!」


 そんな上機嫌なギアの言葉に、イーサクは語気を荒げ苦言を呈す。

 恐らくはギアと領主との間の遣り取りに少しばかり肝を冷やされたことへの明言ではあるとギアは当たりがつくが、意には介さない。しらばっくれる、とも言う。

 執事筆頭の傲岸不遜な態度をチクリとつつき、吹っ掛ける素振りを見せたのがどうにもイーサクのお気に召さなかったらしいが、すぐに笑顔で引っ込めたのだから、実質無かったのと一緒である。


「おいおいどうしたんだイーサク。何ぞ不満でもあるような言い方は…あれだぞ?寂しいぞ?」

「どうして寂しいのか!意味は判り兼ねますが!」


 冷静沈着な印象のイーサクには珍しく、突飛で素っ頓狂で、奇矯な声を上げる。

 ガラガラと馬車の車輪が繰る音が自棄に五月蠅く、耳に付いた。


「そりゃあ、あれだ…俺なりに感謝しているというか、な?」

「それは!大変!宜しゅうございました!」


 御者台と室内。距離は有るし、隔たりも当然ある。

 しかし、この距離感はいただけない。

 大都市の領主に対する謁見及び商談、難敵たる交渉を共に乗り切った仲間なのだから。


「イーサク無しではこんなにも上手く行く筈が無かったからな。それこそ感謝こそすれ…」

「私を巻き込むのは止めて頂けますか!偶、々!居合わせただけ!です!」


 焦っているのか怯えているのか。どうにも馬の脚が速く、それに合わせて騒音も大きい。

 一秒でも早く離れたいという意思が透けて見え――いやいや、気のせいだろうと思い直して――騒音が大きいという事はイーサクの台詞がギアの耳にほぼほぼ入らなくとも、それは致し方の無い事だ。


 そんな言い訳を胸に止め、ギアは言葉を紡ぐ。

 否、言い訳ではない。一般人ならば先ず届くことのない声量であり、自称駆け出し商人のギアならば届いてないとして何の不思議があろう。

 巻き込んでやろうなどとは微塵も思っていない、あくまで善意故である。

 ただし、善意が必ずしも良好な結果に結びつくとはいかないのが世の難しさでは有るが、それは一介の行商人(ペドラー)でしかないギアには与り知らぬことでしかない。


「まあ、俺にも思うところがあったって事だけはわかってくれよ」


 実際には半ば行き当たりばったりであり、思うところどころか大した意図さえ無い。高値で売れれば儲けものの精神だ。すこしばかり苛ついたのはあくまでギアの資質が故である。

 すると、次第に馬の足が遅くなっていった。イーサクが手綱を緩めたのだろう。


「…確かに、私自身も納得というか、判断の付かない所ではあります」


 なにが?と一々聞き返したりはしない。

 今一つ分からずとも、語りたい者には好きに語らせるのが世を上手く渡るコツであり、ギアが長い社会人生活から身に着けた処世術でもある。

 先ほどまでガラガラとがなり立てていた車輪はカラカラという牧歌的な音に変わり、道行く喧騒の一つに紛れていた。


「…そうだよな」


 意味深な肯定と共に、鷹揚に頷く。


「はい。執事筆頭、ネイサブ様のあの態度。普段はどちらかと言えば冷静で温厚な方です」

「…そうなの?」


 思わず素で聞き返してしまう。

 中学生時代の教頭を思わせる四角四面の堅苦しい風貌に、への字に曲げた口元は生まれついての臍の曲がり具合を思わせた程だ。爬虫類にも似通った冷徹な双眸は、温厚と言うよりも冷血動物を彷彿とさせた。


「ええ。むしろ居丈高な貴族の振舞いには眉をひそめるような方だったと記憶しています。それに此方のみならず領主様への態度も…」

「領主様への対応は、執事然としていたように思ったんだがな」

「ノイズさんの位置からは判り辛かったかもしれませんが」


 そこまで言うと、イーサクはキョロキョロと辺りを伺いだした。それなりに大きな身体を殊更に縮こまらせる仕草は小動物を思わせる。

 何処にあると知れぬ他人様の耳目をこそ、警戒しているのだろうとギアは当たりを付けた。


「あの部屋から退出する際に、とても小さくではありますが。…ネイサブ様が、溜息を零したのです」


 ああ、成程。ようやくギアは得心がいく。

 そしてこうも思う。イーサクは見た目の割には()()なのだな、と。

 イーサクの言う通り、ネイサブとやらは小さく小さく、溜息を零した。確かにそれはギアの耳も拾い上げている。しかし、その本質は、懸念を抱くようなものではない。


 あれは、()()()()()()()()()()()()()()()という()()()()()()()()

 営業時代には値段や納品の交渉に時折見られた手口の一つ。

 先ず、断られるのが前提の、多少の無理を吹っ掛ける。今回で言えば大袈裟な値引きがそれにあたるだろう。

 交渉が膠着し、これは難航しそうだとなった段階で上司が現れ、まあまあと取り為したり、部下を叱責し諫めた後に再度交渉を行う。そうして此方にある程度譲る、譲ったと思わせることで交渉を有利に進めようという「ドア・イン・ザ・フェイス」と呼ばれる手法の亜流だ。

 いや、それともこれも…。


「まあ、俺らが気にしても仕方ないな」


 そう言って思考を打ち切る。益体も無いことに時間を割くことも無い。


「ともあれ、こうして街中での販売が出来るようになったんだ。本業に勤しむとしますか」

「そう言えばノイズさん。なにか売る物はおありなのですか?」


 領主であるセナガートは救難物資として質の良し悪しを問わず方々から買い集めているらしく、毛皮も毛布も「あるだけ売ってくれ」との要望だったので、一切合切を吐き出した、ことになっている。

 だが、自身のアイテムボックスや「倉庫」を類推されるのを恐れ、また生来の小心ぶりと貧乏性が重しとなり、その在庫の殆どが残ったままだ。


「暖を取るための物で言うなら薪木や懐炉、後は厚手の衣服くらいかねえ」

「それでも助かります、きっと多くの人が救われることでしょう。…それで、価格の方なのですが」


 言い澱むイーサクの気持ちを、ギアは推し量る。

 商人ならば需要が大きい時期に価格を釣り上げ、利益を求めるのは当然だ。しかし、それをされては貧しいものは凍えるしかない。さりとて極端に安くすれば他の商人から恨みを買う恐れもある。


「そりゃあ、相場通りだろ」

「…そうですね」


 何気ないギアの物言いにイーサクの言葉が詰まる。

 相場。つまりは周りに、他の商人に合わせるという意味だ。それは致し方の無い事ではある。ではあるが、イーサクは一抹の寂しさを拭いきれない。どうにもこの「自称商人」に破天荒な振舞いを求めてしまう。


「まあでも今は夏だからなあ。夏じゃあ薪も懐炉も大した値なんて付かないんだよなあ。ああ困った困った」


 芝居が掛かった、というには余りにお粗末な口調でギアが続けた。


「そこでだ、イーサク。ここら辺りでの薪とか懐炉の相場を教えてくれないか?勿論、夏でのな」

「…ええ、お教えしましょう。夏での、ですね」

「ああ。きっと、夏に薪だの懐炉だの売り歩く間抜けなんざ俺一人だろうからな。きっと安いんだろうなあ。いやだいやだ、儲けたいもんだね」


 そんな、お道化た口調のギアの台詞回しに、イーサクは終ぞ堪えきれずに吹き出してしまう。

 夏だろうが冬だろうが、何時だって炊事に湯沸かしにと薪は使われるし、年がら年中薪売りは背負子を担いで街中を闊歩しているものだ。そんなことも知らない位には商売慣れしていないこともそうだが。


 演技にしては、言っては悪いが下手糞だ。嘆く大袈裟な身振りも、通りを抜ける風の様に寒々しい。

 しかし、陽光を浴びたイーサクは、少しだけ、暖かさを覚えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] …陽光を浴びたイーサクは… ここがハイライトでしょうね。 全て丸くおさまった、と。
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