54.燃え立つ氷像-6
台詞回しって難しいですね。誰かご教授ください。
入ってきたのは、歳の頃は四十そこそこと言った辺りだろう。鼻の下と顎に蓄えられた髭を丁寧に整え、髪は大分白いものが混じりながら後ろに流され固められている。
ゆっくりと扉から歩を進め、長椅子の傍よりは少し離れた辺り、詰まりはギアからそれ程離れていない場所にたどり着くと、ピタリと足を止めた。
「さてさて、ネイサブ。教えてくれるかね?いったい何をしているのか」
居丈高、という風でもない。
極々普通に、何気なさだけをその身に纏って。
「今日は晴れると思うかい?」と嘯く程度の気楽さで尋ねていた。
「…セナ…領主様」
「説明してくれるね?」
ニコリと微笑むような表情を携えた追撃は優しく、気負いすら感じさせない。
ジフと呼ばれた侍従らしき若そうな男は、我関せず、若しくは「私は悪くありません」とでも言うかのようにいつの間にか部屋の隅で膝をつき、じっと床を見ていた。その姿勢には誰にも視線を合わせない、という強い意思を感じさせる。よくできた置物か何かの様に身動ぎ一つない様は、いっそ清々しいほどだ。
如何にも大仰な、芝居が掛かった仕草で何事も無かったようにネイサブが椅子から立ち上がると、居住まいを正しコホンと一つ芝居がかった咳を上げた。
「…はい。お申しつけの通り、此方までのご案内をさせて頂きました」
「うん、確かに頼んだとも」
その弁明に、入ってきた男は満足そうに一つ頷く。
「しかし案内…ねえ。ではなぜ椅子に?」
「申し訳ありません、お時間をいただきまして雑談を少々」
「ほお。…雑談、か。なるほどね」
そこまで告げると、当の闖入者、詰まりは領主――セナガートは少しばかり語気を荒げる。
「ではネイサブ詰まりは…益体も無い冗談の類だね?」
「…おっしゃる通りです」
ピンと背筋を張った綺麗な姿勢からゆっくりと頭を下げるネイサブに満足したのか、己の髭を軽くつまむと、満足したように頷いた。
「ならば結構」
そう切り上げると、くるりと身体ごとギアの方へと向き直る。
「さて。改めまして、ギア=ノイズ殿。この地の領主であり、ナーファンの街を治め、この屋敷の持ち主であるセナガート=ソーン=トゥミー=グフクという者だ」
威風堂々、それでいて嫌味は感じさせないというのは口で言うのは簡単だが、実際に行って見せるというのは難しい。
それをなし得る、このセナガート何某という人物は成程、一廉と形容するに相応しい。
詰まりは要注意人物だ、とギアは心の中で警戒心という積み木を一つ重ねた。清廉に見える人物ほど用心しなければならないものは無い。
長椅子から腰を上げ、平身低頭とまでは行かないまでも膝を曲げ、頭を下げる。此方の世界でどんな行為が正解かは未だに知らないが、古今東西偉いとされる人物に頭を下げて間違いは無く、往古来今誰であれ膝をついておけば悪い事はない。
「ああ、これはこれは領主様。お初にお目にかかります、お噂はかねがね」
この世界での商人らしい挨拶、と云う物は寡聞にして未だ掴めていないが、結局のところは物を売りつける側だ。下手に出ておくのが無難だろうとあたりをつける。相手の気分を良くして財布の紐を緩ませるのは客商売の王道だ。
「御目文字叶いまして光栄と存じます。当方ギア=ノイズというしがない一行商人ではありますが…」
「ああ、それはいけない。神の教えに縒れば謙遜は確かに美徳だが、余りに卑下するのは自身の価値を損なうと知りなさい」
頭を下げたままの姿勢で堂々と題目を述べる心算だったが、遜る、という体の初撃はどうにも上手く躱されたようだ。甘言にもおべんちゃらにも慣れた輩の方がよっぽど扱いやすい、と内心で臍を噛む。
「さあ座りたまえ、ちゃんと聞いているとも。何でも素晴らしい商人だとね」
そこまで言うとセナガートは、先程までネイサブが占領していた席にどっかりと腰を下ろし、人の良さそうな、満面の笑みを浮かべた。
「前置きはさておき。時間という物は常に有限だ、態々来てもらったからには早速商談をさせてもらおう」
「しかし、領主様御自ら…」
「ネイサブ」
未だ笑みを浮かべながらも少しばかり堅いような、セナガートの口から切り捨てるようにして出たのは咎めるような声色だ。事実、咎めているのだろう。
口を出すな、と。
「何か問題でも?」
「…いえ、何も問題ございません」
「ならば結構。ジフの『鑑定』はもう済んだのかい?」
「はっ!済ませております。その効果に間違いはございません」
ネイサブが正しく最敬礼を取り、腰を深く曲げる。その様子を見て、セナガートは何気ない様子で自身の顎を撫でた。
部屋の隅で縮こまっていたジフも、ここぞとばかりに頻りに頷く。
音一つ立てずネイサブが一歩下がり、領主の左後ろへと侍る。悪びれない堂々とした佇まいは、執事らしい立ち位置だと思わせた。
「さてジフ。君のその見立てでは、この指輪に幾らを付ける?」
領主自らの質問だ。覚えも明るくありたいのだろうジフは我が意を得たりとばかりに声を張ると、その問いに応える。
「はっ!件の指輪、非常に素晴らしい物と存じます。その性能、期待以上でありまして、値をつけるとするのならば…私見ではありますが金貨にして300…」
「金貨にして200枚でございます」
被せるように、否、正しく答えを被せたのは誰あろう、ネイサブだった。
「そうですね?ジフ」
立場で言えばジフよりもネイサブの方が上、それも随分と隔てているのだろう。有無を言わせないという圧力が、そこにはあった。
意気揚々としていたジフは、ネイサブの視線に言葉を詰まらせ、あげていた顔はゆっくりと下がっていくと、またじっと床を見つめる置物と化してしまう。
しかし。
「ネイサブ」
またも、鋭く尖るような声が響いた。
この場で最も立場が上の者は誰かと問われれば、それは勿論ギアでもイーサクでも、ましてやネイサブでもない。
商談の客という意味でも社会的な立場という意味でも、最も優先されるべきは。
「ネイサブ、私に恥を掻かせる気かね?」
「…いえ、とんでもございません。そのような意図など微塵も」
セナガートの後方から、腰を直角に曲げて謝罪の姿勢を見せるネイサブの表情は、窺い知ることが出来ない。
しかしその言葉にも態度にも、徹頭徹尾悪びれるといったものは見せなかった。
「ネイサブ、改めてもう一度聞こう。君の仕事は何だったのかね?」
「はい。ギア=ノイズ様の、此方までのご案内でございます」
「そう、正しくその通りだ。私が君に頼んだ仕事はそれだね」
セナガートは顎を右手で一つ撫でると、少しばかり首を傾げる。
「では君の仕事はこれで完了した筈だね?何故、未だ此処に?」
「はい。此度の交渉、非常に重要であると認識いたしました。故、領主様のお力になれればと…」
未だ冷たく堅いセナガートの言葉にも、ネイサブは臆することなく返していく。
「私はそれを頼んだかね?もしくは、不安げな態度でも君に見せてしまったのかね?」
「いえ、そのようなことは…。私の自己判断でございます」
ネイサブの言葉に、セナガートはわざとらしい程の笑顔で答えた。
「そうかそうか。心配をかけてしまったね、ネイサブ。しかし、交渉は私が確りと行おう。もう大丈夫だから、下がりなさい」
「しかし領主様…」
「聞こえなかったのかね?もう一度言う。下がりなさい」
「…畏まりました」
セナガートの命令に従い、下げたままの姿勢を正すと、ネイサブは扉の前まで緩慢な動きで進む。
扉の前で身を翻し、執事らしい恭しい態度で頭をまた一度下げた。
「失礼いたします」
そう言いながら出ていく際の凍るような視線と、熱を孕んだ小さな溜息を。
その場にいる誰もが気付かない中で、ギアだけが見逃すことは無かった。
毎回のタイトルに限界を感じる今日この頃です。




