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53.燃え立つ氷像-5

 新年初投稿です。

 ステイホームの一助となれば幸いです。

 広い玄関ホールを抜け、年老いた執事ネイサブの先導に付き従いながら、長い廊下を進んでゆく。

 最後尾に付いてくる、この屋敷への案内人たるイーサクはともかく、一応はギアは「客」という体の筈だがそういう文化がないのかこれが正しい礼儀なのかはたまた持て成す気が無いのか、道中ネイサブは一言も声を発しない。


 身分や社会的立場の差は、勿論あるのだろう。

 領主、というのがどの位の立場かは正直なところ今一つ掴めてはいないが、元の世界で言うところの県知事や都知事のようなものと無理矢理当てはめる。ギアが悟だった頃からすれば、テレビでしか見たことの無い相手であり、確かに身分が違うとは思う。そして執事という事は、それらの秘書とかそこら辺を想像すればそれ程外れてはいない筈だ。

 少し前まで追いかけていたドラマの内容を思い返しても、政治に経済にと暗躍する彼ら――フィクションという事は重々承知しているが――は平民もいいとこのギアからすれば確かに雲上人の一角だ。高々一行商人(ペドラー)如きに気を遣う必要性を感じないのは、悲しいかな、頷ける。


 しかし今回は、向こうからの要請での商取引だ。

 これ程大きい屋敷の、その長い廊下を大の男が三人、無言で雁首揃えて進むのも白々しいし寒々しい。矢鱈と姿勢の良いネイサブの後ろ姿が、堅苦しく映り余計にとっつきにくく見える。

 貴族のマナーとして正しいかどうかは知らないが、少しくらい此方の緊張を解す柔らかい態度を見せるなり、当たり障りのない会話位はしてくれても良いのではないか。

 そう思いはすれど言葉には出さず。

 難儀そうな先行きに、ギアは悟られないよう小さく溜息を零した。


 やがて曲がり角の突き当りにある扉の前へとたどり着くと、ネイサブは扉を引き、一度室内を見渡した。

 中を確認して一つ頷くと、今度は視線をギアへと移す。


「どうぞお入りください」


 鷹揚に入室を促され、ゆっくりと足を踏み入れたギアは、応接室かそれに類するやつなのだろうとあたりを付ける。

 部屋の奥には、天井近くから腰の高さ辺りまでの大きな窓があるが、今はカーテンが閉じられ外を伺い知ることは出来ない。

 窓から少し離れた位置に一人掛けにしてはゆったりとした大きめのソファー、その前には黒檀と思しき重厚なテーブルが設えられており、向かうようにして四人掛け程の長いソファーが入り口を背にするように置かれている。

 白い壁には全くと言って良いほど飾り気は無いが、等間隔に備えられたランプは暗い筈の部屋をそれなりに明るく染め、見にくいという事もない。灯りが揺らめく様子も無い事から、蝋燭では無く魔法道具(マジックアイテム)なのだろう。


「では、そちらにお掛けください」

「ええ、失礼いたします」


 勧められ、というよりは指示され、四人掛けのソファーの隅へと腰を下ろす。

 黒い革張りのソファーは確りとした堅さと、それでいて包むような弾力でギアの体重を受け止め、少しだけ弾んだ。


 その柔らかさを堪能しながら、同じソファーの逆隅にイーサクが掛けるのを待つが、いつまでも座ろうとはしない。ソファーの後ろで直立不動を決め込むのみだ。


「どうしたんだ、イーサク。座らないのか?」

「ええ。私は客ではありませんので、流石にそこに座るわけにはいきません」

「ああなる程、そんなもんか」

「そんなものです」


 確かにイーサクは此処までの案内人であり、紹介人だ。つまりは領主側の人間であり、ギア側に座るのはおかしいだろう。

 うんうんと独り頷いていると、ふと違和感を覚える。

 イーサクはともかく、ネイサブも全く動かない。こうして客を連れてきたのならとっとと主人たる領主様を呼びに行くのではないかと思うが、何時までも部屋を出ようとしない。

 ギアが訝しんでいると、ネイサブは徐に動き出し、有ろうことか対面の一人席、主人が座るべきであろうソファーにどっかりと腰を下ろした。


「では、早速本題に入りましょう」


 まるでこの部屋の主は己だとでも言うように、文字通りの我が物顔でそう言い放つ。


「あの…執事筆頭様?」


 これには流石に、それなりに交渉慣れしている――と自分では思っている――ギアも面食らう。

 想定では、交渉相手は領主様ご本人の筈だ。幾ら何処の馬の骨とも分からぬ木端商人が相手とは言え、取引の題目は領主の身の安全を担保する魔法道具(マジックアイテム)たる指輪であり、その対価は一定以上の商売の許可だ。


「なんでしょう?」


 つまりはそれぞれに於いての虎の子とハッタリの張合いであり、決して安売りしては、少なくとも()()()()()()良いものではない。

 最低でもナーファンの街での販売免状を貰うという目的がギアにはあり、指輪を渡して免状は空手形、挙句の果てに「秘書の勝手にやったことです」などというニュースでもドラマでも使い古された手に騙されるわけにはいかない。


「えー、なんというか。失礼ではありますが…領主様は?」

「領主様は、お越しになりません」


 言い切りやがった。

 ギアは口を衝きそうになった言葉を飲み込む。


「領主様は、非常にお忙しい方です。特に、ここ数日は」

「…ええ」


 それはそうだろう。

 寧ろ今までの記録にも無いような異常気象を前にのんびり暇を持て余していたら、領主としての資質を問われるし、ギアの望む交渉相手足りえない。


「ですから、()()()()()()()に領主様のお手を煩わせるわけには参りません」


 ()()。取るに足りぬとまで言われては疑いようもない。

 向こうは。彼我の立場の差を明確に示し、ハッキリとこう言ってきたのだ。「分をわきまえろ」と。


「…成程、左様ですか」

「ええ、左様ですな」


 しかしこれは。

 少しばかり目論見が甘かったと、ギアは内心で臍を噛む。

 信用されていない。イーサクの尻馬に乗る形で此処まで来たが、どうにもここでのやり取りを見るに、イーサクは多少顔が利くとはいえ良く言って下っ端、若しくは小間使いだ。そんな、執事筆頭という地位のネイサブからすれば下男の一人からの紹介という程度では、堅い、ギアからすれば性格の悪い人物の信用を完全に得られてはいなかったのだろう。


 これは拙い。

 信頼されていないのは、まあ理解できる。初対面の行商人(ペドラー)なぞを信用する謂れが無いし、その扱っている品物が本物かどうかはさておき、敵が多いという領主様ならば暗殺等を警戒するという理由もあるだろう。代理人を立てる、というのは別段不思議ではない。


「何はともあれ、件の指輪を見せて頂けますか?」


 全く悪びれる様子も見せず、事実悪いなどと思っていないのだろうネイサブがそう声を掛ける。

 しかしギアが今回売る目論見の指輪は、未だにこの世界での価値が測りかねているし、その価値が望む以上に高いのならば、己という出所を喧伝したい代物でもない。つまりは、なるべく人目に付けたくはない。

 彼方が此方を訝しむように、ギアもネイサブという人物を迎合してはいないのだ。

 果たして、見せるべきだろうか。


「どうかされましたかな?私の時間も無限ではありませんし、その価値は貴方と同じではありません」


 逡巡するギアに、固い、云い捨てるような言葉が投げかけられた。

 やはり拙い。何が拙いと言って、焦燥や不満よりも苛つきのほうが抑えきれない事だ。

 しかし、一人の社会人として何より今や一児の父として。商取引の場で声を荒げるなぞはしたくない。例え誰にどう思われたとしても毛ほども揺るぎはしないが、愛する娘に対しては胸を張れる父親でいたいのだ。


「…ええ、此方でございます」


 我慢。今は我慢だ。

 自分に言い聞かせながら懐に忍ばせておいた革袋を取り出し、それをさっと捲り量の手で中の指輪を露わにする。眼を瞑る程の笑顔を沿えるのは勿論忘れない。というか事実瞑っている。

 嘘くさい作り笑顔だというのは重々承知だが、今ネイサブの顔を視界に入れると頭にきて仕様がない。


「結構」


 ふん、と一つ鼻息を鳴らすその仕草も一々小憎たらしく、恐らくはギアに対する挑発の一環なのは間違いない。

 大仰に芝居が掛かった仕草でネイサブはその指輪を受け取ると、手元にあったハンドベルを鳴らした。使用人を呼ぶ為のものだろう。

 即座に部屋に入ってきたのは一人の、少しばかり歳のいった女中(メイド)だった。

 ぱっと見の印象は乳母(ナニー)躾役教師(ガヴァネス)だ。もっともギアは古いミュージカル映画でしか見たことは無いのでその真偽は定かではないが。


 皺ひとつない女中(メイド)服に身を包み、ピンと背筋を張っている。袖も襟もスカートの丈も長く、肌の殆どを隠しているがその顔や手の甲には年相応の皺が刻まれている。

 若いころは美人だったのだろうと想像させる細めの面持ちと、瑠璃も玻璃もと思わせるような女傑であったことを思わせる双眸は、しかしやや鋭いため少しばかり刺々しい印象を受ける。

 長く、昔は茶色かったのだろうと想像させる髪は、結わえ纏められているがほぼほぼ白に染められており最早薄灰色に近く、丁寧に櫛を通してはいるのだろうが艶も張りもあるとは言い難い。


「御呼びでしょうか」


 客である筈のギアに一瞥することも無く、当然の様にネイサブに問いかける。この場の主は誰かわかっているとでも言うかの様に。


「ジフを此処に」

「畏まりました」


 その様子に視線を返すこともなく、ネイサブが指示を出し、流れるような所作で老女中(メイド)が頭を下げ、そそくさと退出する。まるで出来の悪い小芝居を見ているようだ、とギアは心の中で毒づく。


「ネイサブ様、参りました」


 言葉少なに、僅かな間を開けて入室したのは声からすると若い男だ。ただ、白地の貫頭衣(ローブ)を身に纏い、頭巾で顔を隠しているためその顔も表情も見えはしない。その怪しげな男に、ネイサブがぼそぼそと何やら耳打ちをする。


「はっ!」


 貫頭衣(フード)の男は力強い返事と共にネイサブから指輪を受け取ると、何やら矯めつ眇めつこねくり回した。


(慌ただしいこって)


 その様子を冷ややかな目で見ながら、ギアは皮肉を込めてそう小さく呟く。誰にも聞こえない程に。

 恐らくは、今しがた呼ばれた男は鑑定(アプレイズ)の魔法が使え、今まさにその魔法を行使している所なのだろう。それは良い。相手の言い分を鵜呑みにせず調べることは取引の基本であり、そこに何も問題はない。


 少しばかり問題があるとすれば。

 先程から、目の前の執事ことネイサブの視線は指輪と使用人の間を何度か行ったり来たりするのみで、最早此方を一度も見てはいない。

 つまりは、もう()()()()()()()()

 此方に興味を持たない相手に、果してまともな交渉を望めるのだろうか、という事だ。


 ジフの耳打ちに、ネイサブが大きく頷いた。

 その態度には満足が見て取れる。


「ギア=ノイズ様。この指輪、此方の期待通りの代物でございます。これならば我らが主に相応しいと言えるでしょう」

「それは良かった」

「この指輪、果して幾らでお譲り頂けますかな?」


 ぼったくってやろうか。

 そんな暗い思いがギアの胸に去来するが、交渉はここからだ。冷静にならなくては、主導権を握られる。

 嘗ての世界だと外資系企業もなかなかにマウントを取ってくることが多かったが、此処まであからさまなのは初めてだ。

 一つ大きく息を吸い込み、意識を切り替えると再度笑顔で縒ろう。

 まあ、アチラがこれ程までに勝負をお望みなのだ。交渉が長引くのも本望だろう。


「勿論」


 大雑把に、少々吹っ掛け気味の額を告げようとしたギアに、ネイサブが被せる。被せ方すら腹立たしい。


「無体は仰いませぬな」


 成程。

 一昔前で言うところの「絶対押すなよ」というやつだな。そこまで言われては押す他にない。


「ふ、ふふ…」


 ギアの口から零れたのは、決して怒りではない。ギアは、己を律することのできる、娘に誇れる父親なのだ。大商いを前に、武者震いが溢れただけである。ジャパニーズサラリーマンの神髄というものを見せつけてくれよう。

 己に言い聞かしながらぴくぴくと震える口角をより一層釣り上げ、閉じそうになる眼を少しだけ開く。胡散臭い笑みでもって予定していた額の二倍程度の金額を告げようと――


「おやおや。随分と楽しそうだね、ネイサブ」



正月も 三日過ぎれば なんとやら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 新年明けましておめでとうございます。 [一言] ボス登場か。
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