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51.燃え立つ氷像-3

 地平の向こうから漸く太陽が顔を出し始め、辺りが少しずつ黒鳶色から薄鈍色を過ぎ、淡藤色へと染まり始める。目に入る限りのそこかしこに積もり街を白磁と変えた雪は、朝日と街灯の明かりを受けてたっぷりと煌めき、少しづつ溶けてはその様相を変えていく。


 そんな、未だ薄暗くぬかるみ始めた街の大通りを、一台の荘厳な馬車がガラガラと重厚な音を立てながら進んでいた。車体の小柄な造りは精々二、三人乗りだろう。ギアはその中に一人座り、御者台に鎮座し手綱を握るのはイーサクだ。三頭立ての割には意外と静かで、何かしら仕掛けがあるのか車内と御者台で声が通る仕組みになっている。


「なあ、イーサク。どうやら少しは明るくなってきたな」

「ええ、ようやく陽も登り始めたようですね。馬も見やすくなったのか、少しばかり足が軽くなったようです」


 そうじゃない。

 喉を衝きかけたそんな言葉を、ギアはどうにか呑み込む。

 要は「まだ暗い時刻だろ」とか「ちょっと早過ぎない?」と遠回しに訴えた心算なのだが、どうにも伝わっていない。


 駄目だ。

 使命感故なのか達成感からなのか、イーサクのテンションが無駄に高い。

 ギアの持つ、元の世界的な常識から言えば、いくら予約(アポ)を取っていたとしても取引先や上司を伺うにはアウトな時間帯だ。まずお叱りを受けたうえで追い返されるのがオチだろう。それとも此方では領主邸に伺う際は陽の上る前に訪れ、離れか何か、待機場所のようなところで待つ、というのが正しいマナーなのだろうか。

 まあ、無理矢理連れてこられただけで自分は悪くない、何か不利益を被るようなことがあればそう主張すると心に決め、ギアは諦め交じりにそっと溜息を零す。確りと休んだ筈なのに今まさに感じている疲労と、少しばかりの寂しさでもって。


 流石にこんな暗い時間にプニを、成長期真っ只中であろう娘を起こすのも躊躇われた為、宿でそのまま待っているようにと書置きを残して一人出てきたが、傍に居るはずの人物がいないという事がどうにも落ち着かないし覚束ない。父娘(おやこ)となって僅かに数日ではあるが、まさにギアの半身と言える存在になったのだろう。


 とは言えいつまでも不安に身を委ねているのも、一人の大人として、一社会人としては危うい。己の弱い心に活を入れ、これからの事に気持ちを切り替える。

 これから行う事、つまり領主との面会、もといお目通りを乞うてからの交渉だ。


 時間が時間だけに着いて即、対面とはいかないだろうが、少しばかり時間を置いて会う、という流れにはなるだろう。であればその時の為に準備をしておく必要はある。


 (今のうちに商品の準備でもしておくか…。先ずはアチラさんの欲しいと宣っていた『指輪』だな)


 そう考えながらアイテムボックスから指輪を取り出し、懐に収める。化粧箱か何かに入れておいた方が見た目に映えるかとも考えたが、「遺跡から持ち出した」という体の代物であればそれは少し不自然だろうと、小さめの革袋に入れるに止めてある。わざわざ懐に仕舞ったのは、その方が領主の目の前でアイテムボックスから取り出すよりは丁寧に扱ってますよという感じが出るのではないかと思っただけだ。


(他にも何か売り込めそうなものがあれば見繕って…やっぱお貴族様ってんなら装身具とか、調度品辺りか?)


 ここぞとばかりに小銭を稼ぐのも忘れない。

 庶民がそれ程ため込んでいないというのなら、持っている所から頂こう。

 不要在庫、もとい倉庫の中に眠っているであろう魔法的な効果の薄く()()()()()品々に想いを馳せて準備を進めていく。 雪白狼の毛皮はあくまで献上品の予定なので別枠だ。


 あれやこれやと漁っていると、幾分時間も過ぎ、だいぶ領主邸へと近づいている。やがて到着というところだろう。準備もある程度整ってしまえば、後は身だしなみだろうか。


「なあ、イーサク。ちょっと聞いてもいいかい?」

「ええ、なんでしょうか」

「この格好って、変?」


 その何気ない良い様に、イーサクは暫し絶句してしまう。

 今のギアの装いと言えば、『冬のお洒落コーデ』が流石にそぐわないことは理解できたので、被外套(フードマント)法衣(ダルマティカ)に戻してある。この世界においては旅の僧やら冒険者ならばそこそこに有り触れている装いであるし、イーサクの目からすればそれ程奇矯な格好とは思わない。

 しかし、商人らしくはない。

 この服装で行商人(ペドラー)ですと言われれば、それは多少変に映るだろう。それをそのまま言葉にして良い物か。しかし、それで臍を曲げられては話が進まなくなる恐れもある。


 僅かな葛藤の末にイーサクが導き出したのは、今必要なのは無難な回答だという安直な物。誤魔化しとも言う。


「私としては、冒険者として見慣れていますが…」

「ああいや、何て言うか領主様を前にして非礼な服装じゃあないのか、って話なんだが」

「成程、そういう意味ですか…。領主様は、実利主義と言いますか、余りそういった事に頓着されない方ですね」


 ですから、どうかお気になさらずというイーサクの言葉を、ふうんという生返事で飲み込む。

 まあ気にする必要が無いのならいいかと何気なくふとイーサクに目をやると、その気配があまり宜しくない。少しずつ背中を丸めたかと思い出したように背筋を伸ばし、天を仰ぐ。


 どうもこの男、夜を徹しての強行軍であったろう事は、ギアは何とはなしに察していた。かつての自分や同僚が会社に泊まりデスクの下で仮眠をとる寸前と同じ顔をしていたのだ。

 そしてその疲れが、今になって出てきているのだろう。

 馬車に揺られて船を漕いでいないだけ、若いころの己よりはましかもしれないが、ふと気の緩んだ時に意識を飛ばしてしまって事故を起こされても困る。

 状態異常回復薬(キュア・ポーション)を飲ませるべきかとも考えたが、調べたところこの手の魔法薬(ポーション)は下手をすると回復薬よりも値が張ることもあるらしく、あまり高価なものをポンポンと渡してしまっては良くないし、イーサクも委縮してしまうだろう。


「…大丈夫か、イーサク。眠くないか?」

「いえいえ、とんでもありません!この通り溌剌です!」


 眠らないよう適度に声でも掛けるのが無難だろう。

 道中に折を見てはイーサクへと言葉を紡ぐ。だが、その会話は、ギアをして実りある物とは言い難かった。


「思っていたよりも馬の扱いが上手いんだな」

「ええ、こう見えてそれなりに御者の経験もあります。この辺りの冒険者に比べればそれなりに上手いと自負もしています。ので、安心して私にお任せください」


 適当に褒めれば幾許か調子に乗り。


「領主様はどんな人だい?やっぱり貴族らしく厳しい方かね?」

「いやはや、それはなんとも。私からすれば他所の貴族様と比べれば随分と気さくだと感じますが、お会いしてからの判断になるかと」


 雑談に紛らせた探りははぐらかされ。


「疲れが取れないなら、格安で疲労回復効果のある魔法薬(ポーション)を都合するぜ?」

「いえいえ。それは有り難いお言葉ではありますが生憎と貧乏暇なしの身では懐に余裕がありませんので。元とは言え下級司祭はこれ位慣れた物ですので、お気遣いは無用です」


 馬よりも先に己の身体に鞭打つのが得意なんです、というイーサクの台詞に、気遣いという体の探りは躱された。

 どうも徹夜明けの高揚状態にあるのか、矢鱈と饒舌だ。それでもあからさまに情報を洩らさないような会話に徹したという事はこれ以上の情報を受け渡す気が無いか、これ以上の権限を持ち合わせていないか、そもそも持っている情報がこれで一杯かのどれかであり、どれであっても最早引き出すのは難しい。

 其れでいて此方の意見にも意向にも耳を傾けない癖に無暗に言葉だけは交わしたがる。面倒、とまでは行かないまでも少々鬱陶しい。


 次第に億劫になり、ギアが「へえ」やら「ほお」と適当に相槌をだけの打つ機械に成りかけたころ、ナーファンの街を走る二つの運河が交差する中心に聳える白亜の建物――領主邸が見えてきた。


「ああ!ご覧ください、ノイズさん。もうすぐですよ」

「ああ、見えてるって。…やっぱり、こいつは立派なお屋敷だな」

「ええ!美麗でいて荘厳、それでいて華美過ぎず下品では無い」


 イーサクの少しばかり極まったような言葉を聞き流しながら、ギアは食い入るように建物を見つめる。


「観光がてらに遠目からじゃあ分からなかったが…これは随分とまあ…」

「やはりノイズさんにはわかりますか?この壁の白さはこの辺りでは簡単には出せない…」


 絶句するギアの態度を感動に打ちひしがれたと捉えたのだろう、もう少しばかり興奮を重ねたイーサクが口角を釣り上げながら解説を続けるが、当のギア本人の耳には殆ど届かなかった。


「…ああ、()()()()()()()()()()()()()()。さあ、イーサク。早速お伺いをたてるとしようや」


 そう言いながら睨みつけた先の白壁に張り付いた雪は、漸く昇った朝日を受けて、赤白く煌めいていた。

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