41.容易い難題-1
難産に次ぐ難産。
残業に次ぐ残業。
有給入れても良いですか。
夜の緞帳も落ち、街灯が辺りを照らす。その明かりを受け止め、深々と降る雪がいっそ場違いなほどに己の存在を主張していた。
待ち合わせ場所には見覚えのある顔が此方を見出し手を振っていた。如何やら迷わずに来れたらしい。
「あ、旦那!ここだぜここ!」
「おいおいハロルド、ここいらじゃ夏に雪が降るのはよくあるのか?」
挨拶もそこそこに、ギアは質問を投げかける。
夏に訪れる、雪を伴う寒波など自身の経験の埒外だ。
「いやいや、そんな訳ねえだろ旦那!俺だって初めて見るよこんなもん」
「…まじかよ」
思わず、そんな言葉が漏れる。
待ち合わせた柱時計はこのナーファンの街の象徴であるらしく、大勢の人でごった返している。観光名所としても示し合わせる場所としても有能なのだろう。
辺りを見回せば此方と同じように待ち合わせている者共が伺え、それぞれに言葉を交わしていた。
「…私も、調べた」
そう呟いたのはマルティナだ。聞けばこの僅かな時間に街にある図書館へと赴き、過去の天候を漁ったという。
「…過去100年の記録には、無い。…少なくとも、私は見つけられなかった」
野伏らしいフットワークの軽さで、時間いっぱい調べたのだろう。情報と言うものが値千金だと理解している者の行動だ。手掛かりを得られなかったのが悔しいのか、無表情こそが個性と言わんばかりの少女が珍しく歯噛みするような顔をしている。
「…入館料、高かったのに」
語尾が消え入る程の囁くような一言と共に、マルティナの眉間に走る皺が深くなる。
経済観念が「青い牙」でも一番という触れ込みは伊達では無いようだ。
目的地である「青い牙」馴染みの酒場へと向かう道でも、何人かが辺りの雪景色を指差しては大いに言葉を交わす様子が見て取れた。しかし、何処か浮ついたような、むしろ燥いでいる様にも見える。
「…夏の暑さが例年より穏やかで過ごしやすいという記録はあっても、寒くなったなんて記述は、一切ない」
夏に訪れる寒波と言うものは、有るには有る。
もとの世界、地球で言えば極循環と呼ばれる現象に由来し、北緯及び南緯60度以上の高緯度地域で稀に見られる。それでも雪を伴うというのは山岳などの標高の高い地域が殆どだ。
この辺りが台形状山脈のような、一帯が高地なのだとすればそれほどおかしくはない。
しかしこの、目の前を滔々と流れていた、今は凍り付いた運河が海沿いの港町とやらまで続いているというのなら、この世界にも閘門――所謂エレベーター水門――それもかなりの高さを賄えるものがあるという事になる。
此方の世界独特の技術が無いとは思わないが、流石に現実的では無いし、もしそうであれば過去に全く寒波の記録が無いというのは些か奇妙だ。
つまりは未曾有の大災害、その前触れとも取れる異常気象。
「ああ、旦那。ここだぜ」
ハロルドが待ち合わせの柱時計からそれ程離れていない一軒の酒場の戸を潜り抜けた。ここいらの酒場では営業時は扉を開放するのが常らしく、重厚な見た目の一枚扉は大きく開け放たれている。
満席とまではいかないがそこそこに賑わった店内。
その内の良さげなテーブルを占拠すると、なんとか人心地がついた。
荒事に慣れている「青い牙」とて、天変地異には敵わない。多少なりとも不安を覚えていたのだ。
店に入り、外界と隔絶されるだけでもそれなりの安堵を享受できる。
その割には今居るこの酒場、「鈍色の石窯」の客層に悲観的な様子が無い。
「つまりは『前例のないわけわからん事態』ってことか…その割には皆楽観的だな」
「んー…まあ、良くも悪くも最近発展し始めた新しい街だからな。悲観的、っつうか保守的な奴ならそもそもナーファンに住み着いたりしないんだよ」
おおらか、というより大雑把だしな。と続けるのは勿論大雑把を体現し、その代表たるハロルドだ。
「それでも頭の固い爺婆…もといご年配の方々はいるわね」
それを補足するのはカーミュラ。やはりハロルドとは息の合ったコンビなのだろう。
「そういうゴミ…えっと連中…じゃなくて先達は天変地異が訪れる先触れだーとか伝説にある氷雪龍なんて存在が目覚めたーとか喚いて…宣ってたけどね」
言葉の選択一つ一つに悪意を感じることに少々不安を覚える。老人との間に、過去何かしらの確執でもあったのだろうか。
「そいつは随分穏やかじゃねえな…。そもそも氷雪龍なんて実在するのか?」
「勿論、そんなわけないわ」
未だこの世界の実情に疎いギアはカーミュラに疑問を投げかける。
これで氷雪龍の存在が常識だとしたら危険な質問ではあるが、カーミュラの口ぶりからするとどうにも伝説やお伽噺の類に聞こえたのだ。
「魔法学園でそれなりに生物学も学んだけれど、寿命が千年二千年ある生物なんて現実的じゃないわ」
元の世界で言えば、例えば海綿動物は1500年以上生きるものが確認され、この世界に於いて植物を生物に分類しているかは未だ分からないが、神社の境内に植わっているご神木などは樹齢1000年など聞く話だ。
ベニクラゲというクラゲの一種に至っては寿命が無いとされるし、身近な例で言えばロブスターにも嘘か真か理論上寿命は無いらしい。
「世界随一の長命種と言われる森賢人でさえ寿命は300年少々よ。それでも凄いことだけど」
「へえ。森賢人ってのはやっぱり長命なんだな。羨ましいもんだ」
「問題はそこではありませんよ」
脱線しそうになる話をイーサクが揺り戻す。
「一番の問題は、こんな夏の盛りに寒さへの備えなど誰もしていないという事です」
さもありなん、とギアは頷く。
森へと赴き薪を拾うにも、この季節ならばほぼほぼ生木だろう。薪にするには枯れて乾いてという時間が必要になる。
泥炭という手段もあるかもしれないが、燃焼効率で言えば良いものではない。今から切り出すというのも文字通りの泥縄だろう。
「要は薪が足りないって事か?」
ハロルドもそこに至ったのだろう、イーサクへと疑問を投げかける。
「ええ、こんな時期では森へと赴いてもそれ程拾えるはずがありません。それ以外の防寒となると毛布や冬用の衣類、毛皮でしょうか」
「まあでも、それくらいならそれぞれで備えているもんだろ。冬は毎年来るんだし」
「そんなわけありませんよ」
ハロルドの歯牙にもかけないような言葉は、イーサクに真っ向から否定された。
「この辺りで雪を伴う冬なんて数年に一度ですから。庶民は毛布や毛皮なんて貸物屋を利用するか、奮発して買っても用を足せばそのうち質草か売って金に換えてますよ」
そんな切り捨てるようなイーサクの台詞。それは即ち、この辺りが温暖な気候である事を意味する。
成程、とギアは己の顎に手を当てた。
少々不謹慎かも知れないが、これは絶好の機会だ。
ここで冬備えに良いものを売りさばくことが出来れば。
路銀は稼げる。評判は上がる。
集客を稼いで噂話でも聞ければ情報収集も捗り、一石で二鳥も三鳥も狙える好機となる。
「しかしそれは流石に…。そんなに考えなしというか、刹那的な生き方がここ等辺りの普通なのか?」
イーサクの物言いにギアも口を挟む、という体の牽制を放つ。
単に楽観的な思考が蔓延しているのか、蓄財出来ないような貧困が蔓延っているのかでは取れる手段が違う。
「ノイズさんは商人ですから、むしろ想像できないかもしれませんが…。一般的な庶民というのはそういうものです」
「いや、そういうものって言われて分かるか」
そんなイーサクの台詞を混ぜっ返すのはギア認定「異世界一空気を読めない男」ことハロルドだ。
そんなハロルドの言葉にも特に気分を害した様子無く、イーサクは続ける。
「そのままの意味ですよ。この街では運河の竣工やら倉庫街の建造やらで日雇い仕事が多いというのも有りますが、『今日生活出来たのなら明日もどうにかなる。どうにかなるのなら明後日は働かない』というのが所謂『普通』です」
「なんだそりゃ。冒険者稼業の方がよっぽど堅実じゃねえか」
より良い装備に、必要不可欠な魔法薬にと大好きな酒を減らし、食費を切り詰め、時には野宿で宿代を浮かしと文字通り爪に火を灯す生活をしてきたハロルドが憤る。
「貯蓄、なんて概念は高価な買い物を必要とする人間だけのものですよ。その日暮らしの連続で生きて死んでいく者には無用です」
つまり、この世界の、と言うと少々定義が広すぎるのでこのナーファンの街では「宵越しの銭は持たない」を地で行くのが庶民の在り方という事か。
そうすると、とギアは思考を巡らせる。
余り高価な物を売り歩くのは厳しいだろう。
それ程高くない品物をそこそこの値段で。稼ぐつもりならばある程度の数を捌く必要がある。
「それ程高くない」の範囲が未だ掴めてはいないが方向性は見出せた。
毛皮だ。
タブレット内の「倉庫」に行けば、『URMA KARMA』内で入手した各種の毛皮がうず高く積まれている。
その中でも安い、特別な効果など一切付帯しないただの毛皮であれば気兼ねなく売り払えるし、なんの杞憂も伴わない。
「毛皮なら、まあ…。そこそこ有るには有るな」
少々勿体ぶって零してみる。
この言葉への「青い牙」の反応で売れるか売れないかの判断を付ける心算だ。
反応は、シンプルなほど有難い。
情報収集という課題も、元の世界への帰還という目標も。
それがどんな難題であれ達成しなくてはならないのだ。




