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39.凍える夏夜-6

「ああほら、やっと見えたぜ旦那。あれがナーファンの街だ」


 小高い丘を登り切った後にそう言ってハロルドが差した先には大きな石造りの門。その端は物見櫓なのだろう、上部に見張り台が据えられていた。そこから伸びる高く長い壁は遠くまで続き、嫌でも街の大きさが伺える。

 一際眼を惹くのはその上だ。


 篝火が煌々と焚かれており薄暗くなり始めた辺りを染め上げるように照らしていた。 

 燃料が薪であれ油であれ、無料ではない。灯りを、それも街中ではなく住民からすれば無駄にもなり兼ねない外へと向けるにはそれなりの意味と出費があるのだろう。

 その目的までは推測できないが、今のところ分かるのは――


「ナーファンの街は金があるんだな」


 ギアが誰に言うでもなく呟く。特に語り掛ける訳でもなく、単純な感想が口から零れたに過ぎない。


「え、ええ。ナーファンはここらでは今一番勢いのある街なの。人口増加率で言えばこの国の五指に入るそうよ」


 零れた独り言を耳聡く拾ったのはカーミュラだった。 

 いくらギアの腕が立つと青い牙の面々が――それこそ己らより上位であると――認識していようとも、ギアは歴とした雇い主だ。旅の矢面に立たすのは「青い牙」の矜持も冒険者の規範も許さない。必然、ギアとプニの二人は縦に伸びた隊列の中央辺りに位置し、その傍に侍るのは直接的な戦闘力を持たないカーミュラである。

 近くに居れば自然と会話も増える。会話が増えれば理解も深まる。

 カーミュラはギアとの橋頭堡を着々と築き上げることに余念がない。


 そんなカーミュラとの会話に、ギアは成程と心の中で柏手を打つ。

 人口が増え、財政が潤沢という事はそこそこに税を取るという事だろう。人頭税に、門税や、足税。言い方は様々だが要は「この門を潜るなら金を払え」だ。

 旅から旅の身としては厄介この上ないがその街に籍を置く住民からすれば至極当然の税制だ。その税が篝火となり、櫓の見張りとなり、衛兵となる。

 しかしそれはそれとして、長居するつもりのない身からすれば煩わしさは隠せないものだ。


「『足税が 衛兵どもの 酒に化け』…なんてな」


 ギアからすれば皮肉の一つも垂れずにはいられない。

 そんな言葉にハロルドは吹き出し、苦笑交じりにイーサクが返す。


「ご安心ください。確かに少し前まではその様なこともあったみたいですし、彼らは()()()()()に熱心だったようです」


 ごほんと一つ咳ばらいを挟み、言葉を続ける。


「ですが領主が代替わりし、そういった不逞の輩は厳罰に処されるようになりました。税は正しく修められ、正しく使われていますよ」


 苦笑いが漏れるという事はかつての景色に多少なりとも思うところがあったのだろう。そんな()()()()()()衛兵が居ないというイーサクの揶揄交じりの言葉に感謝しつつ、ギアは大きく頷く。


「金が全てじゃあないって蒙が啓かれているのは重畳だ。まあ()()()()だってのは否定しないけどな」

「その()()()()こそが何よりも重要だと思っている方が多いのは…嘆かわしいとまでは言いませんが寂しいものですね」


 遥かな昔、人が綺麗な貝殻に価値を見出し石や金属の輪に債権を付加した頃から、金と言うものは人の心を惑わせ続け、それが連綿と今に至る。ギアとイーサクが世相を嘆き、そこにハロルドも嘴を突っ込む。


「そうだぜ旦那。いくら金があっても女が何を考えているなんざ一生理解(わか)りゃしないんだ」


 何気ない言い様にも、青い牙の女性陣は顔色を変えない。カーミュラは嫋やかな笑みを崩さず、マルティナは無表情のままだ。

 しかし、そこに浮かぶ感情は明白に色を変え、例えるなら赤。

 情熱ではなく、憤怒に染め上げる赤だ。


「うちの面子を見りゃあわかると思うが、女心なんてものを理解しようとする位なら魔獣を手懐ける方がよっぽど現実的だ。まあ、金でどうこうなるような可愛げのある女ばかりじゃないって知れただけでも…」


 嗚呼、とギアは心の中で溜息を零す。

 些細な一言で女性陣の空気が変わったのは、恐らく日頃からハロルドは一言多いタイプなのだろう。

 そして性質(たち)の悪いことにハロルドからすれば恐らくは褒め言葉だ。蓮っ葉な物言いは生来の気質か恥ずかしさからか。

 不器用な男だとは思っていたが此処まで酷いとは。

 きっとここで「君の眼差しと心には黄金よりも遥かに価値がある」なぞと浮ついた台詞の一つでも堂々と述べられていたら、ハロルドの想いは今少し実になり易かったのではないか。


 伝えたいことは同じでも、伝わり方は大いに違う。

 当然の帰結として、いつの間にやら傍に寄ったカーミュラはハロルドの太ももに涼しい顔で膝を叩き込み、マルティナからは石礫が投げ込まれたのはこの数日「青い牙」の遣り取りを間近で見ていたギアをして予想に難くない。


「あら、ごめんなさいハロルド。足が滑っちゃったわ」

「ぐぐ…っ…なんで、足がいきなり、滑るんだよ…」

「きっと泥濘(ぬか)るんでいたのね、いやだわ」

「雨なんざここ数日降ってねえだろ…」

「きっと誰かが打ち水でもしたのね、大分暑くなってきたし」


 こんな街から離れた街道の真ん中に水を打つような奇矯な輩が居るとは考えにくいが、可能性で言うならゼロではないだろう。限りなくゼロに近いというだけだ。


「というかマルティナ、流石に石はないぞ石は」


 敵わないと悟った…のかどうかは知らないが、ハロルドが鉾先(ほこさき)をマルティナへと転じる。


「申し訳ない…石が滑った」

「石が滑るか!」

「なんなら次は矢が滑る」


 性質(たち)の悪い冗談の類だとは思うが真顔で告げられると空恐ろしいものがある。

 流石に言葉が過ぎたと感じたのだろう、カーミュラがやんわりと窘めた。


「だめよマルティナ、せめて(やじり)は外さないと」


 外せば良いと言うものではないという至極真っ当な意見が誰の口からも飛び出さなかったのは恐らく幸いなことだ。

 (やじり)も安くないんだから、と続いた言葉は聞かなかったことにして、ギアは先を促す。


「ほらほら、仲が良いのは分かったから。さっさと向かって門を潜っちまおう。なんとか今日はベッドで眠れそうだ」


 足掛け三日ほどの付き合いではあるが、「青い牙」の面々はこういった掛け合いが多く、非常に気安い。

 それでいて道中は周囲の警戒を怠らず、軽口は叩けど決して不安にはさせない。恐らく、雇い主であるギア達二人が退屈しない様にと気を使ってくれているのだろう。


「それもそうね。ギアさんが貸してくれた天幕(テント)は過ごしやすかったけど、やっぱり宿のベッドが恋しいわ」

「それと湯浴み。いつもより少し高くついても良いから今日は湯を出せる宿が良い」


 お手入れも出来ないから髪もきしきしだしね、と零すようにカーミュラが追随し、その言葉にマルティナがコクリと控えめに頷く。

 やはり戦闘に身を置く冒険者といえど女性、美しくありたいと思うのは当然のことなのだろう。確かに二人とも髪は長く、その手入れは大変そうだ。


 そう思い至ってようやく、ギアは気付く。

 娘も、プニもそう感じていたのではないだろうか、と。

 道中、不平一つ零さずカーミュラやマルティナと朗らかに言葉を交わしていた様子しか見られなかったが、ひょっとしたら内心ため込んでいたのかもしれない。

 髪を洗いたい、風呂に入りたいと思っていたに違いない。


 男親というものは娘の気持ちを酌むことが下手だとは言うが、ここに極まれり、だ。

 ギアの眼からすればプニはいつであろうと可愛らしく、可憐で美しい。これ以上なにかする必要など感じなかったが故に思い至らなかったが、当人からしたら不満の一つもあったのではないか。


 考えてみればオーロックの村では、女将であるアシビがよくプニの髪を櫛で梳いていた。面倒見の良さに感謝はしていたが、女性ならではの身だしなみというものに疎い己が今は腹立たしい。


 先ほどのマルティナの言からすれば、風呂に入るにはそれなりに程度の良い宿を取る必要があるようだ。

 まさか一見お断り、などという程ではないだろうが、少々の出費はこの際必要経費だ。

 それにギア自身も旅路でそれなりに汗を掻いている。娘から「お父さん臭い」と思われたらいたたまれない。同じようにプニだって汗を流していたはずだ。どうしてそこに気を回せなかったのか。


 なるべく良い宿の、良い部屋を取ろうと密かに決意する。

 娘から嫌われる、まではいかなくとも疎まれるような事態は避けたいのがギアの本音だ、ご機嫌をとれるのならば多少の金子の多寡など厭いはしない。


「てか、四人は宿を塒にしてるのか?」

「ああ、そうだぜ旦那。普段は雑魚寝の安宿で寝起きしている。まあ、そんなトコだと盥の湯でさえ出てこないけどな」

「ここら辺の冒険者ってのは、宿暮らしが多いのか?」

「うーん、どうかな。少ないってことは無いと思うが。ここに根を下ろしたなら家を持つ奴もいるし、金を出し合って集合住宅(アパルトマン)を借りてるのもいるぜ」

「成程成程、まあ人それぞれってことだな」


 察するに、出入りの激しい者や長逗留しない根無し草は宿を、安定を求めるものはそれ以外を、という事なのだろう。

 人口が多く、行き来は増え、金もある。

 それなりの高級宿があることは察するに難くなく、観光名所もあるかもしれない。


 本来の目的は仕入れという建前の情報収集、それとこちらでも商いで顔を売っておく心算だが、空いた時間にプニと二人、偶の息抜きと銘打って名所巡りというのも悪くはないと思いを馳せる。

 休日の有意義な過ごし方。その最たるものの一つ「親子でのお出掛け」だ。

 思い出らしい思い出を与えてこなかった身としては、贖罪ではないが今からでも作っていきたいという、父親としてごく自然な願いがあった。


 オーロックの村で過ごしたような「お仕事のお手伝い」という思い出も大事だが、「家族で出掛けて遊んだ」という思い出も大切だ。


 一先ずは未だ遠い門を疾く潜り、良さげな宿を探す。

 探すよりも、「青い牙」の誰かに尋ねた方が早いだろうか。自分達では使わなくとも、街の事に詳しいという彼らなら噂や評判位は聞いたことがあるはずだ。


 髪の手入れや風呂道具は、街で探すより宿で用意していればそれを借りた方が手っ取り早いが、幼くとも女性であるプニからすれば拘りの一つもあるだろう。

 男のギアは髪の手入れになど無頓着で、元の世界においても爽快を謳うシャンプーの中でその日安いものを買うくらいには拘泥せず、まだ結婚していたころなどは元妻が選んだ安い廉価品を気にもせず使っていた程度には(なず)まない。リンスなど、必要性を感じない程だ。(いわん)や此方の世界をや、である。


 ここは通販サイト「ARIZEN(アリズン)」で探してもいいかもしれない。今まで気を使ってやれなかった分、少しは高級なものを。少々の出費は厭わずと決めたのだ、偶の贅沢は命の洗濯と嘯いて己を誤魔化す。


「しかし、こう汗を掻くと風呂にでも浸からないとやってられないな」

「お、旦那。なかなか贅沢を知ってるね。風呂好きかい?」


 話の取っ掛かりにハロルドを食い付かせながら、賑やかに門を目指すと涼し気な風が一つ吹いた。

 陽が落ちて気温が下がってきたのだろう。道中は流石に我慢していたが、宿であれば酒を飲める。暑い中飲むビール――今のところエールにしか出会えていないが――は格別だが、涼しい日に飲むのも負けてはいない。

 過ごしやすく寝苦しくならないのは悪くないと、ギアの気持ちは浮付く。

 街が近付き、道程に終わりが見えれば、気も緩む。


 言葉を交わしながら進む「青い牙」と一組の父娘(おやこ)。その上を、ひらひらと一つの雪が舞い落ちてきたことには、誰も気付かなかった。

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