36.凍える夏夜-3
「…これは、恐らくですが玩具ですね。申し訳ありませんが、値段は私では判別がつきません」
イーサクが言葉をやや濁しながらも、嘘は交えずにソレをギアへと返す。
受け取ったものは大振りのナイフ。
ギアの触れ込みでは遠くの街で仕入れた物らしい。見たことも無い素材と拵えの柄に、異様に艶々とした怪しい光沢の刃先。
これも業物かと思いきや、よくよく見れば魔法が込められたもの特有の輝きとは随分と趣が違っている。手に持ってみればやけに軽い、というか軽すぎる。重厚な見た目からは大きくかけ離れたその軽さは、言い方は悪いが少々安っぽい。
刃を軽くつまんでみれば造りが悪いのか仕上げが悪いのか、僅かにぐらつきが感じられた。
鑑定の魔法を使ってイーサクの脳裏に浮かんだイメージは色々とあったが、一番印象の強いものは、漠然とではあるが「玩具」だ。
つまり、この傍目には重厚で高価そうなナイフは、子供が騎士ごっこなどで使う遊具なのだろう。その軽さにも、よくよく見れば丸みを帯びた刃先にも殺傷能力など微塵も有りはしない。ぱっと見でしっかり作っているように見えるのは、貴族や小金持ちの子供向け、と言ったところだろうか。
しかし、事実とは言え鑑定を依頼しておいて返ってきた言葉が単なる「玩具」では依頼人の気を損ねるかもしれない。雇い主の機嫌を悪くするのは色々な意味で得策では無いと、イーサクはなんとか言葉を続ける。
「見た目には随分と高そうに見えますし、素材も判別つかない程に珍しいものです。恐らくは貴族や富裕層の子弟向けの…その、玩具かと」
「…そうか。何か特別な効果とかはあるかい?」
「いえ、残念ながらそれはありません。あくまでも普通のナイフ、を模したなんの変哲もないただの玩具です」
この類の質問には一番答え辛いが、実はこれこれの価値がありますよと嘘を吐くわけにはいかない。イーサクは神官、否、元神官として神の教えにより己を戒めているし、何よりこの手の嘘が後々一番こじれるものだ。
価値のあるナイフを仕入れたと思ったら実はただの玩具でした、となれば普通は穏やかでは居られないだろうと恐る恐るギアの顔色を伺ってみれば相も変わらず飄々としている。
というよりも先程よりも持ち上がった口角はどこか嬉しそうですらある。口元から僅かにのぞいた歯は、なぜか猛獣の牙を思い出させた。
「どうした?イーサク、変な顔して」
「い、いえ。…驚かれないのですね」
イーサクのそんな言葉に、ギアは一層訝しむように眉を顰める。
なにか、言葉選びを間違えたのだろうか。イーサクの背中を、汗が一筋流れ落ちた。
そして続く沈黙と静寂。僅かの静かな時間が非常に心臓に悪い。
「ああ、心配かけちまったか。大丈夫だよ、最初っからこれが玩具だってのは分かってるから」
さもあらん、あらかじめ通販サイト「ARIZEN」で購入しておいたジョークグッズだ。などと説明しても通じるはずもない事を殊更に語ったりはしないが。
その台詞と共に破顔するギアに、イーサクと、そして傍に控えていたハロルドがほっと安堵の溜息をもらす。
隣でただ見ているだけだったハロルドは、こと魔法に関しては何ができるわけでもない。最低限の知識と、仲間が使っている魔法を幾つか知っているだけだ。
だからイーサクが鑑定を掛けるときも、何をするでもなく押し黙っているのが常だった。あれこれと声を掛けてイーサクの集中を乱すのも悪いし、余計なことを喋って「青い牙」の不利益になるのも拙い。
そんなハロルドとて、今の話の流れからイーサクが何を考え何を懸念したかぐらいは理解できる。
その一瞬の不安と焦燥も、そして後に訪れた安心も。
「俺に分かるのはそこそこ出来の良い玩具だってだけだったからな。ただ値付けに困ってたんで参考にしたかったんだよ」
成程、とイーサクは納得しながらも、そこで漸く思考がつながったのを感じた。
本当に、この目の前の「自称商人」は人が悪い。
回復薬の鑑定は目の前で見て、その能力は理解したのだろう。しかし、イーサクからしてみれば未知の、見たことも無い「玩具」の鑑定を、それもそれほど価値の高くはないであろう物を鑑定させ、その反応を見る。つまりは小手調べだ。
先ずはイーサクの能力。
未知の物でも鑑定できるかどうかを調べたのだろう。イーサク程の熟練者であれば、見たことのない物品であろうと鑑定はその効果を発揮する。勿論良く見知っているものほどその精度は上がるし、理解度の低いものほど鑑定の結果は簡素なものにはなるが。
これが未熟なものであれば、初めて見た物への鑑定が不発ということもザラだ。
次に術者としての人柄。
下心から価値を低く見積もることも、ご機嫌伺い宜しく価値を高く評価することも無い、鑑定の結果を有りのままに伝え、自身の憶測を交えながらも良くないものは良くないと告げるイーサクをこそ、ギアという男は「鑑定」していたのだろう。
出会ってからまだほんの数時間しか過ぎていないが、このわずかな時間に気付けば幾度も此方を測り、そしてそれを隠そうともしない。
つまりは品定めだ。
しかし、それは悪いことばかりでもない。値踏みする程度には「青い牙」に興味を持ち価値を見出した、ということでもある。期待外れならば態々これ程手間を掛けたりもしないはずだ。
そこまで理解してしまえば、返す言葉はこれしかないだろう。
「…私は『合格』ですか?」
多少の、もといそこそこの含みを込めてイーサクがギアに言葉を投げる。きちんと理解して付き合ってやったんだぞというハッタリと共に。
「ああ勿論。勿論だよ、イーサク。これから期待してるぜ」
先ほどまでの笑顔が此方を安心させるための物だとしたら、今ギアが見せた笑顔は嬉しいというか、いっそ楽しんでいるような笑顔だ。クツクツという含み笑いをこらえようともしない。
本当に人が悪いとは思うが、彼程の実力者であれば、その周りを有象無象が集ったのはそれほど想像に難くない。まして今は雇い主となれば、青い牙の能力や性質を測ろうとするのは当然といえば当然だ。その一言一句に肝を冷やしているのはあくまでもイーサクの都合でしかない。
「ふうん、これが玩具ねえ。随分と立派に見えるんだがなあ」
ハロルドが空気を読めず、否空気を読まずにわざとらしい声で呟く。
元来細かいことを気にしない武人気質でありながら青い牙のリーダーとして場の雰囲気を読むことを身に着けたハロルドの大雑把ながらも繊細な気質の為せる業だ。
「ああ、見た目は確かにそこそこ良いが玩具なのは間違いないぜ。まあ、何かしらの効果が無いかって期待していたのは嘘じゃあないけどな」
「しかし、値付けですか。お力になれず申し訳ありません」
「いやいや、気にしないでくれ。それどころか十分参考になったさ」
イーサクの鑑定では金銭的な価値評価など微塵も進展していないはずだ。
つまりは彼なりの「青い牙に評価を付けたぞ」という意味だろう。迂遠な言い回しは言質を取らせない為のものか、成程そこだけは随分と商人らしい。
「それでな、本命はこっちなんだが。イーサク、コイツも鑑定を頼めるかい」
来た。
本命がある、という事はやはり先ほどの玩具は前座、むしろ試金石だ。
己の予想が半ば当たったことに、イーサクはゴクリと唾を呑んだ。
先程の言葉にもあった、「遺跡」で手に入れたというお宝なのだろう。嘘か誠か、普通に考えれば与太話の類だが、このギアという商人がそんな嘘をわざわざこの場で「青い牙」に吐く理由が無い。ハッタリというものは弱者が強者に対して行うもの。強者は角笛を吹かない、というやつだ。
ギアが空中を掴むように手をやると、すうっと手首から先が何処か別の空間に――まるで空中に水面が出来たかのように波打って見え――入り込んだ。
ぱっと見には手首が失われたようにも見える様は、何度見ても見慣れない。が、これは間違いなく収納魔法の発現だ。
そうして取り出したのは二つの指輪。
一つは小粒の赤い石を据えた、暗い黄金色のもの。
小さな、羽の生えた蛇がその牙で深紅に輝く石を銜えたような意匠の指輪は一見金細工にも見えるが、淡く鈍色に揺らめく輝きは恐らく何かの魔法金属と推測される。
もう一つは銀色の、細かな彫刻が施された指輪。
此方には石は嵌め込まれておらず金属だけの、先の指輪と比べれば簡素な拵えだが、幅の広い環体に彫られた部分は墨でも流し込んだように黒く、その刻まれた図柄のような呪文のような模様を、より立体的に見せ際立たせている。
「遺跡」からお宝を手に入れた、という話は駄法螺やお伽噺も含めれば数多あるが、その中でも多いのはやはりこのような装飾品、それも宝飾的な価値よりは魔法の込められた魔法道具としての価値が高い物だろう。
実際にイーサクが目にしたことがある物は聖都の「本殿」で、枢機卿がその手に嵌めていたやはり指輪。その神聖な魔力の輝きを放つ指輪はかつての聖人が「遺跡」から持ち帰ったものとされ、聖都の権威の象徴であり、神事の祭器でもある。
また、冒険者でも上位の中の上位、一握りの「生きる伝説」とでも言うべき者たちは、幾つかの「遺跡」から――多大な犠牲を払いながら――生還し、何某かを持ち帰っていることが確認されている。
しかし、そうして持ち帰られたものは、大抵秘匿されるのが常だ。
幾つかは競売に出されることもあるが、それらは持ち帰られた物の中でも「コレならば売りさばいてしまっても惜しくはない」と判断された物でしかない。勿論それでも非常に有用な装飾品や武具等の魔法道具ばかりでいざ競売が始まれば恐ろしい値へと吊り上がるが。
つまりこれは。
この二つの指輪は。
ギアの言葉を信じるならば、そしてイーサクに鑑定を頼む、という事は未だその価値や効果を測れていないとするならば。
僅かなりとも、今まで秘匿されてきた「上位の冒険者から見ても価値の高い、手放すには惜しいと判断される」魔法道具の可能性がある、ということだ。
「遺跡」への侵入には多大な犠牲が付き物。それ程までに危険な場所、という意味ではあるが、その犠牲の大半は凶悪な罠や強大な魔獣では無いという。
帰還した者の殆どが多くを語らずに言葉を濁し、死者への供養の言葉は紡いでもその最期を説かない。「最期まで勇敢に戦った」の一言が精々だった。
まことしやかに囁かれているのは人同士の手によるもの、とどのつまり「奪い合い」だ。
身に付ければ自身の能力を大幅に強化したり、売れば一財産にもなろうお宝を大人数で持ち帰るとなれば、当然話は分け前の多寡へと行きつく。仲間として手を取り合い命を預け合って進んだ者たちが、金貨一枚が多いの少ないので醜く罵り合い、殺し合う。
人の欲深さ、愚かさは悲しいかなイーサクをして身に染みている。
イーサクの背中を冷たい何かが走り、背筋を震わせた。
それは未知の魔法道具に相対する歓喜だったのか、それとも訪れるかもしれない「最悪の事態」への恐怖からなのか。
正体は杳として知れない。
「ま、まあ、余り気負わず気楽に構えてくれ」
そんなギアの取り為すような言葉が、焚火を囲む男たちの間に寒々と響いた。




