35.凍える夏夜-2
「…どうしてか、理由を聞いてもいいのかしら」
カーミュラがギアに対し、質問を投げかける。いや、質問と言うよりは婉曲な「抗議」だろう。
「女性陣は夜間の見張りから外す」と言うギアの言葉には、暗に女性だからと堕とすような雰囲気は感じられなかった。
カーミュラとて、楽が出来るのは吝かではない。夜番なんてものは好きでするものではないし、避けられるものならば可能な限り避ける。年頃の女性の肌にも悪いし、無駄に疲労が溜まる。
これが「青い牙」だけの旅であれば、そして――まず無いだろうが――ハロルドからの言葉であれば「珍しいこともあるもんだ」などと笑いつつも有り難く享受しただろう。
しかし、今この場においてギアからの、雇用主からの言葉となると話は変わってくる。
それはカーミュラという「青い牙」の構成員が、ひいては「青い牙」そのものが、甘く見られているということだ。
近年、他国から輸入されてきたのかこの国で広まりつつある女性優先という概念。街中や仕事ではない時にされるのであれば何も問題はない、むしろ諸手を挙げて賛同できる。女性を大切に扱う、そこに幾分かの下心が含まれているとはわかりつつも悪い気はしない。
だが、こと仕事において優しく、否、甘くされるというのは「望まれている能力に達していない」と判断された可能性が付きまとう。
確かに、戦闘という一面においては、雇用主であるギア=ノイズの親子二人にはかなわないだろう。まだ幼いと言って差し支えない娘のプニですら、あれ程の魔法を行使し、単純な戦闘能力ではカーミュラを上回るに違いない。
しかし、戦闘以外ならばどうか。警戒や索敵、探索等においてならば先ず「青い牙」の方が上だろう。なにせ二人は警戒杭の存在すら知らなかったのだ。「青い牙」は有用な存在だ、ということをアピールする絶好にして唯一の好機とも言える。ここでおいそれと引くわけにはいかない。
「ああいや、言い方が悪かったかな。二人にはプニのお守り、いや護衛を頼みたいんだ」
返ってきたのは余りにも拍子抜けするような、そんな気楽な言葉。
「うちの娘は、まあ見た目通りに幼い。夜もそれほど得意じゃあないから夜番なんて任せられるはずもないし何より俺が任せたくない。普通に寝かせるつもりだ」
それはまあ、そうだろうとカーミュラは首肯する。育ち盛りの幼い少女に夜番をしろなどとはカーミュラとて言うつもりは無い。
実際には、と言って良いかはさておき『URMA KARMA』というゲーム内では夜通し旅を続けようが休みなくただひたすら戦闘に明け暮れようが、従者であったプニは不平も不満も洩らしはしなかったし、夜を徹しての行動は睡眠という状態異常に陥りやすくはなっても能力が落ちたり制限が掛かったりするという事もなかった。
つまりは偏に、現実の存在となった娘の成長には良くないだろうから睡眠はしっかりとらせたいというギアの親心でしかない。
「ただ、やはり天幕で独り寝かせるってのも寂しいだろうしどうしても不安が残るだろ。だから女性陣には、プニの傍についていて欲しいんだよ」
その言葉に漸く、カーミュラは得心がいった。
つまりギアは、この娘を溺愛する自称商人――本質はまず間違いなく戦士だが――は、娘の安全安寧こそが最優先なのだと。
ここまで想っていることを鑑みれば、今はこの場に居ない奥方と離縁したとは考えにくい。
旅の理由をギアは未だ多く語りはしないが、今のところ娘の方が母親について一切言及する様子も無い。この年頃の少女が永いこと離れていた母親に会えるための旅だったのなら、喜びと興奮が僅かなりとも伺えるだろう。プニという少女はその言葉や配慮こそ随分と大人びてはいるが、時折見せる子供らしい仕草はやはり年相応だ。
ということから考えれば奥方に会いに行く為の旅、というわけでもなさそうだ。つまりは忘れ形見なのだろうか、願わくばその想いを―――。
そこまで妄想を膨らませた、もとい思考を巡らせたカーミュラは頭を振って余計な考えを追い払う。
それほどまでに溺愛する娘の世話を任せるという事は、それほどまでに信頼されている、という証左でもある。それはつまり「青い牙」が信頼を勝ち得ているという事であり、「娘の傍にいてくれ」と直接言われたカーミュラがギアから信頼されているという意味でもある。
「うん、成程…そういうことなのね。理解したわ」
そう、理解したのだ。
ギアの視線が今どこを向いているかを見ればそれは明らかだろう、今この場においてギアから一番信頼されているのは「青い牙」のリーダーであるハロルドではなく、娘を任せるに足るカーミュラにおいて他ならないという事を。
いずれ訪れる時を考えれば、プニという少女と友誼を結んでおくのはカーミュラにとって決して損益にはならない。
プニは確かに大人びてはいるが、それでもまだ子供と言って、言い切ってしまっていい年頃だ。
野営に興奮して上手く寝付けないかもしれない。慣れない野営に体調を崩し、気を塞ぎこませるかもしれない。そんなとき、傍に居て寄り添い、話し相手になり元気付けるのは誰あろう、カーミュラ自身である。
そうして会話を重ねていき、これからの数日で信頼と親愛をを勝ち得れば、プニはカーミュラから離れたくないと言い出す可能性が高い。
そうなればあの娘を溺愛するギアのことだ。どうするかなど、真龍種の足跡を測るよりも明らかだろう。
「でも、それならダー…ギアさんも休まなくちゃ駄目なんじゃないの。少しくらいプニちゃんの傍にいてあげなくちゃ」
流石に真面目に仕事の話を進めるべきこの場では心の中での呼び方は自重する。
例え仮に、そう仮に将来そう呼ぶことが決まっていたとしても、今そう呼べば混乱を招くだけなのだから。
何よりもギアは今この場において「青い牙」の雇用主なのだ、わざわざ夜番をする理由がない。
時と場合によっては、雇用主が夜番をすることも確かにあるが、嫌々というか渋々、仕方なく行うものだ。今まで幾度となく護衛や警備の仕事をこなしてきたが、雇用主自ら夜番を申し出るなど、カーミュラにして初めての体験である。
だから、ギアに対しても休息を促すのはなにもおかしなことではない。あわよくばより親密になったり、プニが寝入ってしまったあとに二人きりの時間が得られないだろうかなどという下心はおくびにも出さないし当然一切無く、純然たる配慮である。
「まあ、そう言われると言葉に詰まっちまうんだけどな」
ふっと、自嘲するような、かみ殺すような笑いをギアが一つ零す。
そんな横顔もやっぱり魅力的だ、という想いがカーミュラの胸を穿つ。
強さという才能に溢れた、それでも少し薹が立った男の、恐らくは人生の絶頂を経験しそれを過ぎた時にふと弱みを見せる力ない笑顔。
カーミュラの愛読する恋愛物語にも時折描かれる様は、定番であり鉄板でもある。
「それでもまあ、娘の前では格好つけたい物なんだよ。親父は凄いんだぞって。頼りになるんだぞって声を張りたいのさ」
「…そういう風に言われちゃうと、断りづらいわね」
「ズルい男」と続けるのをなんとか堪え、カーミュラが引き下がる。
ここ最近の恋愛物語の流行ではこの台詞と共に相手の手の甲を軽くつねるのが定番の男受けの良い仕草らしいのだが、流石にこの場ですることではないだろう。
常日頃から冷静さを信条とするカーミュラにとって、この程度を察知し我慢するのは容易い。事実、カーミュラの手は少しギアの方に伸びた程度で済んでいる。伸ばしかけた手は虚しく虚空を掴んだが、それは些細なことだ。
何より、大の男が格好つけたいとまで言っているのだ。その気持ちを酌み、そして手伝うのも傍に侍るべき女の役目だろう。
「そこまで言われちゃ仕方無いわね。せめて早めに休んでなるべく早起きさせて貰いますか。…ハロルド、何かあれば遠慮なく叩き起こしてね」
デキる女、という面を暗に訴える台詞も忘れてはならない。ギアに対しカーミュラ自身の魅力を訴求する方法は、幾つあっても困らないのだから。
「あ、私はそのまま寝かせてくれて構わないから」
そんなカーミュラの言葉に、躊躇なくマルティナが茶々を入れる。
勿論本気で言っているわけではなく、場を和ませるための冗談だ。ただ、表情に乏しく常に真顔でいるように見えるマルティナの言葉は本気か冗談か区別しづらいのが玉に瑕だが。
「おう、任せとけ。二人とも尻をひっぱたいて起こしてやるからな」
そしてこのハロルドの言葉も当然冗談だろう。お互いが冗談を言い合える仲、という事をこの場で雇用主であるギアにアピールするという狙いもある。それほどに親しく、心を許し合えるという事はいざという時の連携も十分にとれるという証拠だ。
だが、もし本当にしたら股間を全力で蹴り上げるからな、という意思を瞳に込めてカーミュラとマルティナがハロルドを睨みつける。
その凍てつくような視線を向けられたハロルドが寒気を感じ、汗ばむ真夏日の夜に身体を震わせたのは、致し方無いことである。




