32.鈍らの切先-8
西の空が赤く染まり始めようかと言う頃、ギアは開けた草原で天幕を張り終えた。
この天幕も「URMA KARMA」での設定上は敵を寄せ付けず、全天候で使用できるとされているもので、豪雪地帯だろうが砂漠だろうがこれ一つあればなんとかなるという代物だ。店売りのものも他の生産職プレイヤーが製作したものも出回っていたが、手を付けられる部分は見た目位らしく、それらの機能に大きな差はなかった。凝り性のプレイヤーからすれば、その見た目こそが最も重要だったのかもしれないが。
張り終えたと言っても、アイテムボックスから取り出しただけだ。
ポールを立てることもロープを張る必要もなく、取り出して投げ置けば瞬く間に自ら形を整え、天幕として完成する。
まるでポップアップテントの如く、独りでに組みあがるその様子に、ギアは一体どういう構造になっているのだろうかと疑問を持つ。「URMA KARMA」では確かに天幕に設営が必要だったことなど無く、アイテムボックスから取り出した時点ですぐ使えたものだが、現実としてはあり得ないような気がする。しかし、目の前では実際に天幕は勝手に完成している。
フレーバーテキストでしかなかった設定が反映され、魔法なる摩訶不思議な力が存在し、魔物や魔獣といった不可思議生物が跋扈する世界に於いて、そんな些細なことを気にするだけ無駄なのかもしれないが、元の世界で技術者であったギアとしてはどうにも気になって仕方がない。
「旦那、そりゃあ魔法の天幕かい?」
少し離れた辺りで焚火の準備をしていたハロルドが気になったのかギアに大声で呼び掛ける。なかなかに目敏い、いや、天幕が独りでに動いていたら眼を惹くのも当然だろう。
「ああ。造りは良くわからんが、組み立てる必要が無くてな。なかなか重宝している」
「だよなあ。俺らも一つ位は欲しいとは思っているんだが、魔法が掛かったものは総じて値段が高くて未だに手が出ないよ」
ハロルドのその言い方に、ギアは細やかな疑問を持つ。
まるで、魔法が掛かった道具が広く出回っているような言い草だ。オーロックの村では全く見なかったが、都会に行けばそれなりに売られている、という事だろうか。
もしこの天幕と全く同じものが売られているのなら、それは「URMA KARMA」への、ひいては「中央都市」への手掛かりとなるのではないか。
「へえ。ナーファンの街じゃあ、魔法が掛かったものを売ってるのか?」
「ああ、あそこは割となんでも売ってるぜ。最近は港町からの荷も多いしな。ただまあ、それ相応に、というか随分高いんだが」
港町。初めて聞く単語だ。港があるという事は海に面しているのか、運河があるのか。どちらにせよ、行ってみなければなるまい。
知れば知るほど、知らなければならない事が増えていく。しかし着実に、目的に近付いているのだという実感がギアにはあった。
「しかし、旦那の天幕はすげえなあ。勝手に組みあがる魔法なんて、聞いたこともねえよ」
「…そうか。…そんなに珍しいかい?」
「ああ、ナーファンで見たことあるのはせいぜい魔物除けの魔法が掛かったやつ位だぜ」
やはり、そうそう美味い話はないな、とギアは心の中でため息を漏らす。しかし、手掛かりが全くない、と言うわけでもないだろう。更にその先には港町なる場所まであるのだ、何処かに僅かでも情報が転がっていると信じたい。オーロックでの柵もあるので今すぐ行くわけにはいかないが、いずれ向かう必要がある。
落ち込みそうになる気持ちを無理やりにでも切り替える。
「それより、そっちの準備はもう終わったのか?」
「ああ、焚火はバッチリだ。イーサクとカーミュラの警戒杭ももうすぐ終わる」
警戒杭とは警戒の魔法が掛かった四本組の杭で、云わば野営時に使用する鳴子のようなものだ。野営地の四隅に打ち込んでおくと、杭同士が目に見えない魔法のセンサーのようなもので繋がり、そこを遮ると警報音が鳴るという仕組みで、冒険者の野営の定番らしい。打ち込む順番が決まっていたり、杭の向きに微調整が必要だったりと取扱いに難しい面も多いが、非常に有用なのは間違いなく、冒険者の間で単に「杭」と言えばこれを指す位の代物だそうだ。
これはギアが先ほど、警戒杭を設置しだしたカーミュラに興味本位でそれは何かと尋ねた際、事細かに教えられたことだ。もっと詳しく話してはいたが、早口で食い付くような話し方は何時かの中古ショップ店員を思い出し、その時同様に「へえ」とか「なるほど」と相槌を返すのが精一杯で、あまり説明を飲み込めていなかった。
ただ、嬉々として説明するカーミュラの、最初の頃とは違う警戒心の薄い態度に「だいぶ壁が取り払われたのかな」と思う程度だ。
恐らく娘のプニを任せてみたのが良かったに違いない。ここまでの道中も何かとプニの気を使ってくれたし、かわいい子どもというものは庇護欲を刺激し警戒心を引き下げるものなのだ。
そのプニの方を見やれば、マルティナと共に焚火の傍に設置された竈で鍋を煮込んでいた。スープか何かだろうか。
プニは年相応に小柄だが、マルティナも小柄だ。赤毛と濃い茶ではあるが、どちらも髪を結わえていることも相まって、まるで姉妹がお手伝いをしているようにも見える。言葉少なく、それでいて手際よく協力して調理を進める様は、意外と打ち解けているのかもしれないと思わせた。
「まあ、ならあとは料理が出来るのを待つだけってとこかな」
ギアは背を反らして伸びながらそう言うと、焚火の傍の手近な倒木を椅子代わりにどっかりと腰を下ろす。
それまでは何をするべきか。
イーサクが警戒杭の設置を終わらせて戻ってくるのなら、是非鑑定をしてもらいたい。
鑑定という魔法。これは「URMA KARMA」には存在しなかったものだ。そもそも「URMA KARMA」内で出回る物は調合や錬金術の素材を除いて説明文がついており、正体不明の装備や道具というものはイベントボスからのドロップ位しか存在しなかったのだから、「必要なかった」というのが正しいかもしれない。
この世界で独自に発展した魔法技術、ということか。あるいは「ゲーム内部では存在していたものの、ゲーム性を損なうと判断して実装されなかった」という可能性もあるだろうか。
今となっては分からないが、ともかくギアが知りたいのは、鑑定というものが「どこまで情報を得ることが出来る魔法なのか」だ。
魔法道具や魔法薬の効果をどこまで正確に読み取れるのか。通販サイト「ARIZEN」で購入できる、この世界からすれば未知の異世界の代物であっても効果は発揮されるのか。はたまた鑑定という魔法は他人や場所なんかにも掛けることが出来るのか。
情報を集める、というギアの目的からすればこれほど「欲しい」と思わせる魔法も無い。
ギア自身が使えるようになる、とはいかないだろうが同じ効果を持つ魔法道具なぞがあるならば是が非でも入手する必要がある。
その為にも、先ずするべきはイーサクに鑑定をしてもらう品物の選定だろう。
明らかに魔法道具然とした――騒ぎになると拙いので性能は多少低めの――物。
「ARIZEN」で購入出来る、この世界では未知の素材の物。
ギアが初期の頃に制作した、ぱっと見には良く分からないガラクタ。
鑑定は今日中は三回程度が魔力の限度と言っていたし、一先ずはこんなものだろうと結論付け、それぞれの条件に相応しい道具は何があったかとアイテムボックスの中や倉庫に思いを馳せる。
そんな目を瞑り沈思黙考するギアの脳裏に、未だに引っかかるものがある。
魔力。
「URMA KARMA」で魔力とは文字通り「魔法」の「力」を指し、レベルアップに伴う成長や職による僅かな増減はあっても、消費し、また回復するものではない。
MPというものは存在せず、魔法だろうが習得技術だろうが消耗するのは「スタミナ」だ。つまりは精神的な消耗ではなく、肉体的な消耗。ギア自身実験を行い、魔法の行使にスタミナ消費が伴うという事は実証済みである。
カーミュラとイーサクの口からはしきりに魔力の消費と温存の大切さが紡がれていたが、この世界では実際に消費する魔力というもので魔法を行使しているのだろうか、それともスタミナを消費していることに気付かず、その消費する存在を魔力と呼んでいるのか。
なんとなく後者のような気がするが、これもそのうち調べなければならないだろう。とは言え優先順位としては低い。
そして魔法。
彼らと交わした会話の中で、最も引っかかったのがこれだ。そう例えば―――
そんなことをつらつらと考えていると、不意にハロルドから声を掛けられた。
「なあ、旦那。今、少し時間貰ってもいいかい」
なんとなく真剣そうなハロルドの声色に、ギアは少し身構える。面倒ごとを孕んでいそうな雰囲気だが、嫌ですとは言い辛い。
「うん?どうした改まって」
「その…一度だけ、俺に稽古をつけちゃあくれないだろうか」
やはり面倒ごとだ。
ギアは内心で頭を抱える。そもそもギアは生産職、良くて魔法職だ。近接戦闘は職としては修めていても、その動きや立ち回りといったものは本職や――廃人と呼ばれる――ガチ勢には遠く及ばない。
ハロルドと剣を交えたとして、ステータス差によるゴリ押しは通じるだろうが、技術やコツといったものを教えられるはずもない。
「俺は、誰かに教えるのは苦手なんだがな…」
「迷惑をかけるとは思う、だがそこをなんとかお願いしたいんだ!」
直立からまるで立位体前屈のような勢いで頭を下げる。
少し直情的な、悪く言えば莫迦な男だとは思っていたが、これほどとは。
「まあ、取り敢えず座れよ。…なんか、理由があるのか?」
ギアの言葉に、ハロルドはぎこちなく頭を戻し、同じ倒木に腰かけると俯きながらもポツポツと零し始める。相変わらずやけに近いが、それはもう気にしないことにする。
「何から話せばいいかな…まあ、俺はガキの頃から腕っ節だけはあってな、それで冒険者になったようなもんなんだ」
「ああ、それは道中聞いたぜ」
「で、最近もさ。腕を伸ばしてるだとか成長してきたなんて周囲に言われて、少しばかり鼻が上を向いてたんだろうな」
所謂「調子に乗る」とか「天狗になる」位の意味だろうか。その言葉に頷き、続きを促す。
「そこで一歩外に出てみれば、あのゴブリン共さ。正直、もうここで死ぬんだろうなって思ってたよ」
「でも、こうして生きてるじゃあないか」
「ああ、運が良かったよ。旦那が偶々通りかかってくれて、助けてもらわなきゃあ全滅だったろうな」
ハロルドはそこまで言うと、一つ息をのみ、ギアの眼を正面から捉える。
「その時に思ったんだ。ああ、俺は弱い、って」
そう言って押し黙ると、辺りを沈黙が支配する。
パチパチと、焚火の中で火の粉の舞う音がやけに耳に残った。
「…そうか」
「ああ。だから強くなりたいんだ、少しでも」
ハロルドのその眼は真剣そのもので、嘘や偽りを言っているようには見えない。しかし、ギアを映してもいない。
その視線はギアを通り過ぎて、更に向こうを見ているような気がする。
そう感じてふとギアが後ろを振り向けば、警戒杭の設置を終え、此方に向かってくるカーミュラの姿があった。その視線の持つ意味に、その熱と想いに、ストンと得心がいく。
「なるほど、そういうことか」
少々意地の悪い笑みと共にハロルドに言葉を返す。
「ああ、そういうことだよ旦那」
ハロルドも釣られてか照れを隠すように、疲れたように微笑む。
「惚れた女一人守れないなんて格好悪いからな」
パキリ、と焚火の中で薪が爆ぜて割れた音が一つ響いた。




