31.鈍らの切先-7
やっと書けたよ…残業減らしてくれよ…
中天を遠に過ぎ去った太陽が西の空へと傾きだす。
ギアの提案に対し「少し考えさせて欲しい」と言ったハロルドだったが、流石にこれ以上待たせるのは拙いと結論を迫られる。
青い牙の面々とも相談はしたが、そもそも迫られるも何も結論は端から決まっていたようなものだ。行く先は同じ、効能の良い回復薬は欲しい、恩義は返さなければならない。乞われてならば猶更だ。
「よし。腹は決まったぜ、ギアの旦那。俺達で良ければ、ぜひ共にさせてくれ」
「おお!そうこなくっちゃあな!よろしく頼むぜ」
返事を返せば、正に重畳とでも言うような声色でギアの言葉が返ってくる。
夜番と鑑定という思惑ありきとは言え、ギア程の実力者から望まれての仕事ならば悪い気はしない、ハロルドという男は、否、冒険者と言うものはそういう物だ。
「ああ、勿論。こちらこそ宜しく頼むぜ、旦那。せいぜいこき使ってくれ」
「ははは、そのつもりさ。頼りにしてるぜ」
前衛戦闘職に良く見られる男同士の気さくな遣り取り、なのだろう。
傍から見れば微笑ましいかもしれない、一部の女性層からは垂涎物だろうか。と、それを眺めていたカーミュラは心の中で独り言ちる。しかし、その心中は決して穏やかではない。
学園にも通い、国内では随一とまで言われた師に教えを受けた彼女は、自身は使えないにしても鑑定という魔法をある程度理解している。その長所も、そして短所、というより欠点も。
鑑定という魔法は、性能や効能に関して言えば――発動させた術者の技量に左右されるが――かなり正確に判断が付けられる。勿論技量や魔力が上がる程詳しく正確になって行く、なっては行くがそこに過ちや主観はほぼ投影されることは無い。
しかし、そのものがもつ金銭的価値、これはかなり術者の主観が入ってしまうのだ。
上級魔法の治癒相当の回復力を持つ治癒の回復薬。この、非常に優れた治癒の回復薬の価値が金貨にして18枚から20枚。
それは決して間違ってはいない。間違ってはいないが、やはり正しくもない。
その値段で買えるのは教会の、「本殿」と呼ばれる場所がある遥か遠方の聖都か、「大正殿」のある王都だけだ。
そこから少しでも離れればその値段は目玉が飛び出るほどに跳ね上がる。
この辺りでそんな物を買おうとすれば、金貨34、5枚は固いだろう。足元を見られれば40枚だって有り得る。
場所によって物の価値が変わり、値段が変わる。そんな当たり前のことを旅の商人が知らない筈はない。いや、自身で駆け出しと言っていたし、当たり前のことも知らなかったのだろうか。それはそれでそちらの方が拙い。それとも、試されているのだろうか。
もし後から鑑定で騙されたと差額を請求されても無い杖は振れないのだ。
どうか、ただ駆け出しに毛が生えた冒険者に眼を掛けてくれただけでありますように、カーミュラは天空におわします雄月と雌月、太陽の日双月の三柱に祈る。
青い牙の四人の中でも王立の魔法学園の卒業生という高学歴であり、頭脳担当を自負しているカーミュラとして、最善の行動、選択とは何か。
戦う、のは勿論避けるにしても、渡り合う事は必要だ。しかし渡り合うには当然それに釣り合う「力」が要る。
一口に「力」と言っても、その形は様々だ。
しかし、今の青い牙はその様々な「力」を有しているだろうか。
財力。金銭や物量による力。
そんなものがあればこんな問題に悩んだりしていない。
武力。剣技や武技、魔術による力。
どれもあの「自称」商人の親子には比べるべくもない。ここで争うのは手の込んだ自殺の様なものだ。
人脈、という力。
駆け出しにようやく毛の生えた程度の青い牙にある繋がりなど、地元の冒険者組合の組合長が限界だ。ギアとプニという「常識外」の存在を前に、青い牙の味方をしてくれるかがそもそも怪しい。
知力。知恵比べ、もしくは知識の差による戦い。
他は心許ない、と言うのも烏滸がましいほどで闘技場にすら立てていないが、ここいら界隈を主戦場とする青い牙であれば、少なくとも知識では戦いようがあるはずだ。
突破口を見出すとすれば、ここだ。
提案された価値と、回復薬のもつ、この界隈での市場価値。
その差を埋める金子は当然――と言うには悲しいものがあるが――払えない。
ならば、その差を埋める、否、その差がそれなりには埋まったと相手に、ギア=ノイズという商人に思わせる情報を提供する。
それこそが、カーミュラ=ゲークの、青い牙の頭脳担当の為すべきことなのだ。
その為には、情報が必要だ。
遍歴の、行商人だという彼の御仁がここいら界隈の情報をどれほど知っているのか。
どんな情報を欲しどんな疑問を抱えているのか、そこをカーミュラは知らなければならない。
その為には、探りを入れる、もとい親しみある会話を重ねる必要があるだろう。
雇用主との齟齬を失くすためにもコミュニケーションをとるというのはある意味で冒険者にとっては必須と言って良い「技術」だ。
会話を重ねるには、ある程度時間を重ねる必要がある。
ほんの僅かな、それこそ瞬きの二つ三つ程度の時間でそこまで思考を巡らせたカーミュラはギアに対して質問を投げる。最悪の場合、己の命と引き換えに許しを乞う、と悲愴の覚悟を以って。
「イーサクが鑑定を掛けるのは、まあ構わないんだけどねぇ…今日はそれほど魔力が残ってないし、今日中なら後、2、3回が限度に見えるけど」
即ち、時間稼ぎ。
確かに魔術師に内在する魔力と言うものは、魔法を使うごとに消費する。
しかし時間が経過するとともに少しずつ回復し、丸一日経てばほぼ全快するというのは、魔導に携わる者ならば常識と言って良い。それは向こうも、ノイズなる商人親子も承知の上だろう。
2、3回で枯渇するとは言っていない。それ以上使うつもりは無いと言ったのだ。
確かに鑑定という魔法はそれ程魔力を消耗するものではない。例え枯渇したとしても一時間程待てば再度使える程度のものだと聞き及んでいる。
しかし、イーサクの魔力というのは、その神官としての、否、元神官としての本来の役割通り、回復魔法の為に温存しておくのが正しいのだ。
更に言えば、魔力枯渇と言うのは酷く苦しいというのを、自身が経験していることもある。
まるで長距離を全力疾走して体力を丸々失った後に、拷問か何かで更に強制的に走らされているような肉体的な苦しさを伴うのだ。ぜえぜえと息を切らすのならまだましな方で、酷いときには気を失ってしまう事さえある。
自分では慎重派だと思い込んでいる、青い牙のリーダーであるハロルドの陰で密かに苦労をしているカーミュラからしてみれば、いざという時に回復魔法を使用出来ない、という状況を作ってしまうのは決して看過できない。だからこその発言。
要求は飲む。情報なら差し出す。されど、安売りはしない。
金子の多寡に怯え、自らの切り札まで差し出し、尻尾を振ったりはしない。
それがカーミュラの、青い牙の頭脳としての矜持である。
この発言は危険だ、という事は承知している。「お前を心の底から信用しているわけではない」と、丁寧に言っただけだ。だからこその覚悟。
「おう、それでいいぜ。まあ、本格的に頼むのは明日からってことでな。のんびり行こうや」
返ってきたのはギアの、カーミュラの覚悟を鼻で笑うような、なんの気負いもない返事。
見ればギアは屈託のない、と言うには少々含みがあるが悪気の無い顔でこちらに微笑んでいた。
「え、ええ。…そう言ってもらえると助かるわ。なにせ…」
「なんにせよ、神官の魔力は温存しないといけないしな」
カーミュラは人生で初めて、瞠目する、という言葉の意味を知った。
言うつもりだった言葉はソレではない。
しかし、思っている事は正しくその通りだ。
「イーサクは『青い牙』の回復術師なんだろ?回復術師の魔力を枯渇させるなんざ下策も下策だ」
「…ええ、貴方の言う通りね」
「冒険で必要なのは腕力でも継戦能力でもない、生存能力だってのは分かり切っているからな。回復手段こそ、真っ先に備えて可能なら温存すべきだからな」
お前さん方が回復薬を求める理由もソレだろ、と人の良さそうな、否、人の悪そうな笑顔で続ける。
分かっていたのだろうか、始めから。此方の、カーミュラの不安や葛藤も、その覚悟さえも。
「でも…!」
受けた恩に、貰った対価に支払えるものが皆目見当もつかない、そんな事はおくびにも出せない。
「良いんだって。こうして出会えたのも多生の縁、ってやつさ。それよりも道中、娘の相手をしてくれないか?どうしても男手だけだと届かない部分があるみたいでな」
そう言いながら恥ずかしそうに頭を掻くギアを見て、嗚呼、とカーミュラの口から嘆息が漏れた。
この、ギアという男は、正しく歴戦の猛者なのだろう。
駆け出しの戦士や、無能の前衛ほど後衛を莫迦にする。
曰く、盾役が無ければ何も出来ず、後ろからコソコソと魔法を放ち魔力が尽きれば何もできない無能の輩。
曰く、回復しかせず、自らが傷を負う事の無い臆病者。
その、無能、臆病者に守られているお前たちは一体何者なのだ。
カーミュラが学園生活における騎士たちとの合同演習でそう憤りを覚えたのは一度や二度ではない。
親友の娘が騎士に治癒魔法を施しても、「お前たちを守る為に負った傷なのだからお前たちが治癒して当然だ」と言わんばかりの態度を崩そうともしない、あの輩。
そんな屑どもとは違う、本当の意味での戦士。
戦場を知り、生き延びるということの難しさをその身を以って知っている武人。
仲間よりも自尊心や出世欲、家族よりも家柄や名誉といったものばかりを気にしているあのゴミどもと違い、何が本当に大切かを理解し、娘を第一に考える。
カーミュラの考える、本当の戦士であり、本当の「男」である想像上の存在。共に冒険をしたいと思う、背中を預けたいと思う存在そのもの。
「そう、ね。…うん、そうよね。それでダ、ギアさん。これからは雇い主という事でいいのかしら」
「ああ、そちらが受け入れてくれるって言うんなら願ったり叶ったりさ」
言い淀むカーミュラを見て、ギアは内心首を傾げる。
自身の聞き間違いでないならば、今カーミュラはギアの事を「旦那」と呼びそうになったはずだ。そして、直ぐに訂正した。
恐らくではあるが、冒険者らしい蓮っ葉な口調を試してみて、恥ずかしくなったに違いない。
青い牙のリーダーであるハロルドの真似だろうか。
なんとも微笑ましい事態に、ギアの頬も一層緩む。
「それで、ギアさんはこれからどうする予定なのかしら。一先ずお互いの親睦を深める、というのも悪くはないけれど…」
「まあ、俺もそれは吝かじゃあないんだが、そろそろ陽も傾いてきたし、野営の準備をしたいとこだな。近くで何処か良いとこはないかい?」
「お!おう、それなら!」
今の今まで、案山子か立木のように静かだった青い牙のリーダーであるハロルドが、不意に二人の会話に割り込んでくる。
「ここから少し戻った先…ギアの旦那からしたら進んだ先になるのか、まあどっちでもいいが、ナーファンに向けてちょいと歩けば、開けた場所があるんだ。野営するには悪くない」
「おお、なるほどな。流石はリーダー、抜け目無えな」
「いやいや、旦那程じゃあねえよ」
くっくっく、と突如始まった二人の小芝居に呆れながらもカーミュラは大きく一つ柏手を打つ。
先程の、一瞬だけ見せた笑顔は今までとは違う、裏表のない心からの笑顔だ、とカーミュラは看破する。
今のカーミュラの、この想いをもってすれば、その程度の理解は容易いのだ。
「じゃあ、話も決まったことだし、早速移動しましょ。…えっと、プニちゃん。道中よろしくね」
「ええ。こちらこそ宜しくお願い致します、カーミュラさん。色々とお聞かせください」
ギアの連れ子であるプニにカーミュラがそう声を掛ければ、朗らかな――あんな凶悪な氷結魔法を放ったとは信じられない――笑顔を返してくる。
フードに隠されていたが、近くで見たプニという少女の美貌は、学園でもそこそこ人気を博したカーミュラをして、息を呑む程だ。
常に瞼を閉じている、視覚に問題のある者特有のある種違和感はあるが、それを軽々に凌駕する美貌。
双眸を閉じていても、否、閉じているからこそ分かる長い睫毛。
年端も行かない少女特有の、滑らかで抜けるようにくすみ一つない肌。
艶やかで、上等の織物や揺らめく焚火を思わせるようなその髪。
薄く微笑み弧を描く口唇は紅を差したように赤く、その見た目の年齢からは考えられないほどに蠱惑的だ。
そんなギアの娘、プニを見て、カーミュラは思う。
プニちゃんって、お母さん欲しいかしら、と。




