3.初めての再会-3
頑張ろう
どうやら思考に没頭し過ぎていたらしい。
掛けられた声の方を見やれば、プニがこちらをじっと見据えて―眼を閉じてはいたが―いた。
「ああ、いやなんでもない…。どうやら少し酔っちまったみたいだ。ただの飲み過ぎだな」
悟は軽く頭を振り答えながら、改めて目の前の少女を観察する。
可愛い。
シンプルに、そう思った。
確かに時間をかけ、悩み抜いて作り上げたという自信はあるが、あくまで彼女はPCやスマホ等を隔てた画面の向こう側の存在でしかなかった。
しかし、今目の前に(夢の中でこういう言い方もおかしいが)生身で存在する娘は、トップアイドルもかくやという文字通り非現実的な美しさだ。薄く微笑むような表情は年相応の幼さと、彼女のもつ優しさを表しているかのようだ。
これは、繁華街でも歩かせれば軽薄な男どもが挙って声を掛けてくるに違いない。いや、アイドル事務所やらのスカウトが先かもしれない。有象無象が大事な娘に触れることなど指一本許しはしない。
ああ、これが娘をもつ父親の苦悩というやつか。
現実には娘がいた事実など全くないにもかかわらず、彼女を娘と認識してから悟の父性は爆発的に膨れ上がっていった。酔いとは恐ろしいものなのだ。
微笑みが僅かに、しかし目に見えて歪められた。
「お酒、ですか?」
一呼吸置いて、目の前の少女がさらに言葉を紡ぐ。
「マスターがお酒を好まれるのは解りますが、飲み過ぎはよくありません。ご自愛ください」
窘められた。
やんわりと、だが明確な意思を感じさせる口調だ。
『URMA KARMA』というゲーム内において、NPCが喋るというのは別段おかしなことではない。というより、中でも『従者』というのはよく喋る存在だった。
受注したクエストのヒントをくれたり、ゲーム進行に必要な情報を教えてくれたりする。一度戦った事のある敵や魔物なら相手の攻撃手段や弱点を覚え戦闘中にアドバイスをする。
初めて訪れるマップやダンジョンでも歴史的な話から噂話など、幅広い情報を提供してくれる。
『従者』とはいわば戦うチュートリアルなのだ。
システムの一部であり、プレイヤーが快適に過ごすためのツールである。大多数のプレイヤーが、この頼れる相棒を大切に思い、攻略サイトや匿名掲示板では「ウチの従者が一番カワイイ」という旨の投稿で埋め尽くされることすらあった。
ただ、ログインの度に「期間限定キャンペーンで、今なら10連ガチャを回すと2回サービスです!」「今だけ、SレアSSレアの確率が3倍です!」等というのはやめてほしいと多くのプレイヤーが思った事だろう。
「心配する私の気持ちも、察して頂ければと思います」
呆れるような、嘆息するような。
まるで本当の娘が父親の不出来を嘆くような様に、悟はつい言葉を返してしまう。無駄なことだと分かってはいても。
「すまんすまん、ついな。次からは気を付けるよ」
「…次、ですか。お酒の事以外でしたらマスターの言葉は信じられるのですが」
娘は怪訝な声色を隠そうともしない。
「まあ、いいです。…次同じ事があったら手持ちのお酒は全て売り払いますからね」
おかしい。
悟はここに至って違和感を覚える。
確かに従者は喋る。よく喋る。
しかしそれは『会話が成立する』という意味ではない。
従者が喋るのはプレイヤーに情報を与えるためであり、このゲームの『魔物と戦いながら世界を旅し、やりたいことを見つけ出す』という世界観を盛り上げる演出の一部だ。
運営側も差別化を図るためか力を入れており、非常に語彙が豊富で感情豊かに喋る。悟は利用したことはないが、課金さえすれば有名声優の声と差し替えることすらできる。
だがそれは『セリフ集』や『台本』と言われるものの中から適切なものをゲームシステムが判断し選んでいるだけだ。
一般に言う人工知能や、人口無脳ですらない。
それなのに。
目の前のNPCは悟の言葉の意味を理解し、明確な意思を込めて自身の意見を投げかける。
夢だから何でもアリなのか。本当にこれは夢なのか。酩酊し上手く回らない頭で考える。
「一先ず、これを飲んで意識を明確にして頂けますか?」
そう言いながら、両手で悟の手を取り何かを押し付ける。力強い言い切りは有無を言わさない、という気持ちが言外に込められていた。
手に収まるか収まらないか程度の大きさの透明なガラス瓶。中に入っている澄んだ緑色をした液体が静かに揺れている。ぱっと見は香水のようだ。どこかで見たことがあるはずだが、どうにも思い出せない。
沈黙を拒否と受け取ったのか、判断力の低下と受け取ったのか。少女は言葉を続けた。
「その中級解毒薬なら酩酊状態も解消されますから。まあ味はご存じかとは思いますが。…飲みますよね?」
そう言われて見直せば、確かにゲーム内で幾度となくお世話になった中級解毒薬である。確かにゲーム内では『酩酊』という状態異常が存在し、毒状態の一部として分類されていた。渡された中級解毒薬をまじまじと見やる。
わざわざ『効果は高いがとてもまずい』というフレーバーテキストが添えられたものだが、悟が知っているのはあくまで画像に過ぎず、色を変えただけのグラの使いまわしも多かった。気づけないのも無理はないはずだ。
押し付けられた両の手は未だ悟の左手を包み込んでおり、それは『飲むまでは離さない』という明確な意思表示だ。娘を思う父親としては飲まざるをえない。
栓を抜き、一気に呷る。
風味は爽やかだが酷く苦い。突き刺すような辛みと粘着くような重い甘みが複雑に交じり合い丁度よい、いや丁度悪いバランスを保っており、繊細という表現はしたくない類のものでこれ自体が毒なのだと言われても十分に信じられる味だ。一瞬吐き出しそうになるが、なんとかとどまり飲み込む。
良薬は口に苦し、という表現は生温いが効果ははっきりと現れた。
緑色の液体が喉を通り胃に落ちた瞬間、頭が冴えわたったのだ。まるで洗濯機で脳みそを丸洗いしたような清々しい気分だ。口の中に未だ残る、絡みつくような苦みさえなければ。
思考が明瞭になれば、違和感の正体に気づく。
頬をうつ吹き抜ける風、草の匂い、暖かい柔らかな日差し。何より腹の底から湧き出る、気力とも活力とも、生命力の大元といえるような『何か』。
全てがあまりにリアル過ぎる。
ふと、自分の手を見下ろし、動かしてみる。違和感なく動かせる。いや、動かせすぎると言ってもいい。今までにない力が漲っているのがはっきりと感じ取れる。
考えれば考えるほど明瞭になっていく思考が、今は煩わしかった。
これは夢だ、いや夢じゃない。現実的に有り得ない、いや有るがままを受け入れろ。
相反する思考が悟の頭の中を渦巻く。
今目の前にいる少女が従者ならば、ここにいる自分は一体誰なのか。本当に杉田 悟なのか。
「…鏡。鏡があれば」
確認できる。安心できる。
ここが杉田 悟の自室であれば姿見があったし、ベッドサイドには手鏡もあった。しかし、見渡す限りの草原のど真ん中には、どうやら鏡のかの字も見当たらない。
「鏡、ですか?真実の鏡でかまいませんか?」
そう言って目の前の少女は、豪華な装飾が施された一枚の鏡を差し出してきた。
真実の鏡とは、初期のストーリークエストをこなす為のイベントアイテムである。そしてそれ以上でも以下でもない。
幻術や幻を見破り偽りを看破する、という名目のアイテムだが低レベルの幻術しか見破れないしそもそも高レベルの敵は幻術など使用せず高火力による力押しか、もっと凶悪な状態異常を施してくる。
真実の鏡を受け取った悟は、祈るような気持ちで鏡をのぞき込む。何に祈るというのか、神など信じない性質なのに。
そこに写っていたのは、まさかというべきか、やはりというべきか。
仕事に疲れ、酒に酔いそろそろ老け始めたなあとため息をついたこともある見知った己の顔ではない。 ぱっと見は二十代後半から三十前半といったところ。肌は日に焼けているのかやや浅黒く、彫りは深い。やや垂れ気味な眦と薄い微笑みは、軽薄な男のソレだ。
男前、というより昼行燈という表現がピッタリの顔は、まさしく『URMA KARMA』内にて使用していたアバターそのものだった。




