22.眩しい闇夜-4
真っ暗闇の中、少女を包む魔法の炎が明々と辺りを照らす。この恐ろしい、少女の形をした化物を殺せたことにアチョールはホッと安堵のため息を漏らす。被害は確かに大きかったが、判断が遅ければ全滅だってあり得た。流石にどれ程の猛者もその魔法で葬ってきたアチョールが殺されることはあり得ないが、他の盗賊たちは皆殺しにされていたことだろう。
余りにも眩しい炎に目を細めていると突然、真っ暗になった。
ようやく目が明るさに慣れたこところに炎が消えたのだ。
そんな莫迦な。炎が消えるには早過ぎる。
再び訪れた暗闇――否、明かりに慣れた分、より深い闇――の中、混乱するアチョールの腹部に、強い衝撃が走り、その身体が吹き飛ばされた。
「ぐはぁっ!」
優に三メートルは飛ばされるとその勢いで近くにあった木へと叩きつけられ、背中にもまた激しい痛みが走る。メキリ、と身体の内側から何かが折れるような音をアチョールは聞いた。体中から沸き起こる激痛と恐ろしいまでの吐き気、眩暈に意識も曖昧で声を上げることすら叶わない。呼吸一つでさえ億劫だ。浅く短い呼吸を繰り返すたびに耐え難い痛みが全身を走り抜けた。いっそ息を止めてしまいたいが生への渇望がそれを許さず、痛みにのたうつ身体にひたすら鞭を入れる。
何が起きた。
アチョールは混乱する頭で思考を必死に巡らせるが、答えが出てこない。だが、あたりからは「ひっ!」や「ぎゃあ!」という悲鳴が飛んでいるのが辛うじて耳に入ってくる。次々と、殺されているのだろう。
部下のうちの誰かがが裏切った?しかし、それなら残りの盗賊たちが結託する、ないしもともと結託していた可能性の方が高い。次々と殺す理由が薄い。別の第三者、例えば少女の父親に襲撃を受けた?確かに混乱していて周囲への警戒など無いにも等しかったが、この人数が全く気付かない、なんてあるだろうか。
わからない。痛みと眩暈に必死に耐え、鈍い思考しか回らないアチョールには全くわからない。
まさか。まさか、あの少女は死んでいないのではないか。
どれ程時間が経ったのだろう。何時間も経過したような気がするし、ほんの一瞬のようでもある。
静寂。虫や鳥の鳴き声一つさえ聞こえてこないほどの静寂が耳に痛い。最早部下の盗賊たちのうめき声は聞こえず、身じろぎする音さえもない。全員死んだか、それとも逃げたのか。唯一聞こえてくるのは自身の荒く短い呼吸のみ。
どうやら陽が登り始めたのか、先程までとは違い、僅かに明るい。見通せるほどではないが、分かることもあるだろう。アチョールはズキズキと痛む身体を必死に捩り、辺りを伺う。足は、未だ立たない。背骨が折れているのかもしれない。
そんなアチョールの目に飛び込んできたものはまさか、というべきか、やはり、というべきか。
こちらへと向かって歩いてくる化物の姿だった。
その歩く様は何の気負いも見られない。村で見かけたときと同じように、のんびりとした気配さえ漂わせている。あれほどの大立ち回りを見せたのに疲労した様子も、あれほどの人間を殺したのに後悔した様子も、戸惑いや興奮した様子さえもない。ごくごく普通の、無垢な少女のそれだ。
盗賊なんぞをしていれば、敵対するものを殺すのはままあることだ。普通、といってもいい。中には殺すことに快感を覚えたり、仕事と割り切って淡々と作業する者だっている。しかし、普段と全く同じ態度の者は見たことが無い。怒りにしろ後悔にしろ、喜悦や戸惑いかも知れないが、大なり小なりの感情の起伏があるのだ。なければおかしい。殺しに慣れ過ぎている。その歳でどれ程の人数を殺せば、こんな風になれるというのだ。
この少女は、なんだ。
アチョールの心が恐怖に染まった。人ではない、こんなものが人であっていいはずがない。暴力に身を置いてきた集団を容易く屠れ、そしてその力をためらうことなく実行する、見た目は非力で無力な幼い少女。お伽噺に出てくる悪魔というものがいるとしたらそれは間違いなくコイツだ。
来るな、近づくな、化物。お願いだから、あっちへ行ってくれ。頼む、お願いします。声を出そうとするが、上手く息が出来ない。その代わりに、ごぼり、とアチョールの口から血が溢れた。内臓の何処かをやられたのか、もう長くはないだろう。瞼が重く、眼を開けていられない。
「軽治癒」
アチョールが必死に保ってきた意識をとうとう手放しそうになったその時、化物の声が耳に届いた。柔らかな、それでいて眩しい光が瞼の上に広がる。その光と共にゆっくりと痛みが引き、意識が戻っていく。呼吸も出来る。未だ痛みは残り万全とは言えないが、窮地は脱したのだろう。しかし、安心していい、という意味ではない。化物に生殺与奪を握られている状況に変わりはない。
「な、なんで…」
色々思考を巡らすも混乱が回復した訳ではなく、不安や恐怖を拭い去れてもいない。必死に考えてようやく絞り出した言葉はそんな稚拙な一言。
それでも、色々な意味を込めた「なんで」だ。なんで気付いたのか、なんでそれほどの力を保有している、なんでここに隠れていたのが分かった、なんで死なない、なんで助けた。
「そのブローチ」
プニがアチョールの胸元を指差す。
「気に入って貰えたみたいで、良かったです」
何をいっているんだ。そんな呑気な話をする状況かと、怒りからというより恐怖から大声で怒鳴りつけたくなる気持ちを必死に抑える。今、化物の機嫌を損ねるのが拙いこと位は流石に理解できる。泣き出しそうになる気持ちを無理やり抑え、どうにか口元に笑みを浮かべる。普段は得意な愛想笑いが、今は出来ているかも怪しい。
「そのブローチには魔法が込められているんです。着用者の居場所を特定したり、会話を聞き取る為の魔法が」
アチョールの背筋に、まるで氷柱をねじ込まれたように冷たいものが走る。それはつまり。
「本当は、昨日の内にでも動くんじゃないかと待っていたんですよ。待ち惚けになって一日無駄にしちゃいました。でも私が見張っていると、マスターとも約束しましたし」
何でもないことのように、まるで服の釦を掛け違えたまま外出して、帰ってから気付きました、程度の失敗談でも話すように朗らかに。日常会話の一環かのようにプニはアチョールに伝える。しかしそんなプニの声が、いっそ優しげでさえある声が、アチョールには恐ろしい。
「い、いつから…」
枯れて上手く声を出せない喉から必死に絞り出す。しかし声が掠れ、喉がつまりその先はどうにも出てこない。いつから疑っていた、いつからここにいた、いつから殺すつもりだった。
アチョールの言葉にプニが首を傾げる。幼い少女らしい仕草は、昼間までならきっと可愛らしいと思えただろうが、今では猛獣が跳びかかる前の動作にしか見えない。聞こえなかったのか、とアチョールが戸惑い始めたころ、ようやく合点がいったのか少女がああ、と声を漏らした。
「最初からですよ」
そう言いながらクスリと微笑む。
「最初から、貴女が態々私たちの横で店を構えた時から疑っていましたよ、アチョールさん」
そんな。何故、どうして。という思いとやっぱり、という気持ちが交錯する。この仕事にはだいぶ慣れたし、今まで失敗したことのないやり方だ。なにが拙かったのか。
「私たちが取った場所は、中央から大分離れた広場の端、とても売りやすい場所とは言えず慣れた商人が傍を取るはずがありません。事実、私たちの周りに他の商人が陣取ることは二日通してありませんでした」
そこで一度区切りにこりと微笑むことで貴女以外、と言外に付け足す。
確かに場所に関して言えばそうだろう、しかし見覚えのない商人と顔を繋いでおくのはそれほど変わった行動ではないはずだ。アチョールとて、見知らぬ土地へと行けば、地元の商人から声を掛けられることがある。反論しようと口を開いたとき、更にプニの言葉が続いた。
「そしてマスターが布地を取り出したとき、貴女は全く驚きませんでした。一枚ならともかく、都合三枚その場で渡したのに疑問にも思わず質問一つ投げかけない。つまり貴女はマスターが収納魔法を使えると知っていた。それは何故でしょう」
そう、スルヴァンのような荷馬車を引く商人ですら食いついたギアの収納魔法に、歩きの商人が気付いていながら食いつかないというのはおかしな話だ。気付いていなかった、というのはあり得ない。なにせプニ自らわざとアチョールの目の前で一番高価な香水瓶をアイテムボックスに仕舞って見せたのだ。忙しい中で、さりげなく。
「貴女ははじめ、スルヴァンさんを襲おうとしていましたよね。その時、私たちがスルヴァンさんの馬車に拾われた時にマスターの収納魔法を見ていた」
そうだ。とアチョールは独り言ちる。襲う予定の荷馬車を遠くから下見していた時に、あの収納魔法持ちに気が付いたのだ。幸運が降ってわいてきたのかと興奮したものだ。しかし収納魔法持ちは他の魔法を使える可能性もあり、下手に襲うと手痛く反撃される恐れがあった。だからあの場では襲わず、こうして情報収集に努めたのだ。しかし、なぜそれに気付ける。遠く離れていたし、アチョールたちは身を潜めていたのだ。わからない。説明されても理解できないことが増える。
「貴女を回復させた理由もいくつかあるのですが、まあそれは置いておきましょう」
そういうと話は終わり、といわんばかりにプニは右手に持っていた杖の先をアチョールへと向ける。さあっという音が聞こえるほどに、アチョールの顔から血の気が消え失せた。
それは、魔法で攻撃を行うという合図、意思表示。
回復魔法が使えるのは身を持って経験した。攻撃魔法が使えるとは思えない、という常識的な思考とこの化物にそんなものが通用するのかという不安が交差し、本能にも似た恐怖が訴えかける。
今すぐ魔法を叩き込んで、全力で逃げるべきだ。そう思い詠唱を始めようとするが、恐怖からなのか焦りからなのか息がし辛い。喉が詰まる。声が枯れる。
「攻撃魔法は苦手ですけど、私も火球位なら使えるんですよ」
どこまでも普通の、何気ない会話のような声色と共にプニの持つ杖の先に浮かびあがったのは一発の火球。しかし、その大きさはあり得ない。アチョールの身の丈と変わらないほどの大きさの火球が、未だ暗い中、煌々と輝きを放っていた。
そんな莫迦な。嘘だ。夢だ。アチョールの頭の中には様々な否定の言葉が渦巻いては消えて行く。
あまりの眩しさに、恐怖に、目を開けていられないほど眩しいのに目が離せない。頬を、額を、背中を伝う汗が止まらないのは火球の熱さからだけではないことが、ハッキリとわかった。
逃げなくては。走らなくては。そう思いはしても身体が言う事を聞かない。
ただただ絶望に佇むアチョールに、プニが声を掛ける。
「そのブローチ、とても良く合ってますよ」
返り血が目立たないよう、臙脂色に染めたドレスとピッタリですよ。と付け加えるその声はどこまでも柔らかだった。




