16.寒村の賑わい-3
声を掛けられた方を見やれば、そこにいたのは腰ほどもある長い赤髪の女性だ。恐らく、ここで幾度も露店を構えたことのある商人なのだろう。
朝日も大分昇り、辺りを照らし温度を上げる。そんな朝日を受け長い赤髪は燃えるように輝いていた。歳の頃は二十歳からもう少し、といったころだろうか。生成りのシャツに臙脂色のエプロンドレスを羽織り、黒いズボンと革のブーツで足元を固めている。背は170㎝位だろうか、村人らと比べても高い方で目鼻立ちのハッキリとした、特にその力強い目元が印象的な美女だ。強い意志を感じさせる。
女だてらに商売をしていると、強くなければならないのだろうか。そんな益体もないことに想いを馳せる。
「ああ。今日から露店を出すことにした、行商人だ。よろしくな」
「行商人さんね。それにしても見ない顔ってことは遠くの出身かしら?」
「そうだよ。よくわかるな。中央都市てとこ出身でな。そこに帰る道すがら、ポツポツと商売をやらせてもらっているよ」
「ふうん、キャメロット、ねえ…。聞いたことが無い名前だね。すると、相当に遠いの?」
「ああ、遠いも遠い。どうやって帰ろうか頭を抱えてるくらいさ。おっと、挨拶が遅れたな。俺はギア、こっちは娘のプニだ。改めてよろしくな」
「あら、これはご丁寧に。あたしはアチョール、ここら辺りを行ったり来たりしている商人よ。保存食や布地なんかを扱っているわ。そっちは金物?随分と立派な鍋ばかりね」
「ああ、良さげな鍋がそこそこ手に入ってな。ここいらで売りさばいちまいたいと思ってたのさ」
自分で作った、とわざわざ言う必要は無い。これから先もギア自ら作った物を売っていくつもりなのだ。それらを全て自分で作ったと宣言していたら面倒だし何よりも、「皿も鍋も武具も鎧も自分で作る行商人」というのは流石に胡散臭い。それならば鍛冶屋をやれと誰かしらに言われるはずだ。しかし、「良いものを買い付けてきて堅実な商売をする商人」は信用度が高いだろう。何処の誰から仕入れた、なんて話は「それは言えない」の一言で断れるはずだ。商売上の秘密だと言えばそれで事足りる。
「布地はともかく、ここで保存食なんて売れるのか?」
「案外売れるのよ。干し肉や干した果実、塩豆なんかの乾きものは、ここらじゃ言ってしまえば嗜好品替わりだからね。娯楽のない田舎だとこういうものも楽しみの一つ。後は他所からきた商人なり旅人なんかが出発前に買っていくわね」
なるほど、とギアは独り言ちる。
田舎の農村ではあるが、嗜好品を多少買う程度の余裕はある、という事だ。それでも街で服を買うのを渋る、という事は服はやはり相応に高いのだろう。元の世界のようなファストファッションは無いのだから無理もないだろうが、「服は高い」という価値観がどうにもつかめなかった。服だけでなく磁器の皿もあれほどの反応をするほどに高い、という事は職人が作るものは全般的に高い、と考えた方が良さそうだ。
逆に、食料品の類は安い。
昨日の酒場での食事も、量の割には安かった。二人で結構食べたと思ったが、銀貨一枚から銅貨の釣りが出たほどだ。近くの屋台で積まれていた野菜や果物なんかも銅貨2~3枚と安い。勿論、高い食材や高級料理なんてものも存在するだろうが、庶民的な食事は安いのだろう。
光明が見えてきた。そういった職人仕事を相場より多少安く販売していけば利益にもつながるし、村からの信頼も得られそうだ。
そう考えこれからの算段を着けていると、隣のアチョールから質問が投げかけられた。
「それにしてもちょっと珍しい格好ね。生地も良さそうだし仕立ても随分と良い、結構いいお値段したでしょう。それは故郷の服かしら?」
「ああ、一張羅でな。とても丈夫なんで重宝しているよ。そんなに変わっているかい」
「別に変ってわけじゃないから気にしないでよ。良いものはついつい見ちゃうのが癖なの。特に、生地や服装なんかはね」
「アチョールは布や服に詳しいのか?」
「まあ、取り扱っているってのもあるし。それと私の故郷じゃ綿花を栽培していてね、糸や布づくりが盛んだったのよ。仕立て屋で下働きをしていたこともあるしね」
つまりはこの世界での布地や衣服のプロ、ということだろうか。服飾の職人、というわけではないだろうが、生地を見る目はあるのだろう。ギアのもつ『倉庫』の中にも布地やら反物の類があり、自身のアイテムボックスの中にいくつか移動してある。それらはどの程度の価値が付くのか。ギアではわからないが、目の前のアチョールなら値を付けられるかもしれない。
しかし、お隣さんと売り物が被って客を取り合う、というのはいただけない。恐らく年下とはいえ、あちらはこの村の商売という意味では先輩、こちらは今日が初めての新参者だ。印象が悪くなることは避けたい。
そんな中、ふとギアは思いつく。
手持ちの布地を、幾つかアチョールに卸す、というのはどうだろうか。これならば、アチョールがギアから買った値段から大体の売値を推し量れるし、少なくともこの場で売り物が被る恐れも無くなる。流石にギアから買ったその場で自分の売り場に並べたりはしないだろうが、普段から扱っているのなら他所にも伝手があるだろう。そこで売れば、きっとこの村で売るよりも高値が付くのではないか。
自分は布地の大まかな値段、という情報を手に入れ、アチョールは利益を得る。お互いに損の無い取引だ。
さっそくアイテムボックスから一枚の白い布地を取り出し、アチョールに見せる。
「なあ、アチョール。お前さん、こいつをどう見る?ベッドに掛ける布地なんだが」
「どれどれ、拝見するわね…。生地の目もしっかりと詰まっているし、丈夫そう。毛羽立ちも無く手触りもいい。色や柄が染められてる訳じゃないけど、堅実ないい仕事をしているわ。この艶はなにか変わった仕上げをしているのかしら。悪くない…いえ、とても良いものよ」
「そうかそうか、専門家にそう言ってもらえると一安心だ。手に入れたはいいが俺には生地の事は良く分からなくてな、値付けに悩んでいたとこなんだ」
「まあ、そこは商人の腕の見せ所でしょう、損の無いようにできれば問題ないわよ。ただ、この村で売るよりは他所に持って行ったほうが高く売れそうだけれどね」
よし、思った通りの展開だ。ギアは心の中でぐっと拳を握る。
やはりアチョールは他所でも売る手段を持っている。そして、さりげなくだがここでは売ってほしくないという意図も透けて見えた。商品が被るのは向こうとしてもいい気分ではないのだろう。
「そこで、だ。アチョール、お前さん、コイツを買わないか?」
「…これを?」
アチョールがその眼を瞬かせ、言葉を詰まらせた。ギアはもう一押し、と畳み掛ける。
「さっきも言った通り、俺には生地の良し悪しが判断つかん。お前さんなら、他所の街なり村なりにでも持っていけば、俺よりも高値で売れるんじゃないか?ここらでの商売は俺よりもアチョールの方が詳しいんだしな」
ギアの言葉に、アチョールは顎に手をやりながら考え込む。悪くない取引だ、少なくともアチョール自身には損が無い。ギアにはそれほど詳しく言わなかったが、アチョールの鑑定ではこの布地は自分が取り扱っているものと比較しても一つか二つランクが上だ。故に、こんな村で売るくらいならもっと大きな街に持って行った方が良い。恐らく倍は値段が変わってくるはずだ。
「そう、ねえ。悪くは無いけれど…値段と量によるわ。全部でいくつあるの?」
一枚しか無い、というのならば買い叩いてやればいいし、沢山ある、というのならそんなには買えない、と言って交渉をすれば良い。一番拙いのは飛びつくことだ。儲け話にがっつく商人は逆に足元を見られる。そんなことを考えていると、どことなく可笑しさがこみ上げてくる。いつの間にこんな商人らしい思考になってしまったのか、と。これではまるで商人が本職ではないか。
「全部で3枚だ、どうだい」
中途半端、いや丁度いい数かもしれない。布は意外とかさばるし、今の売り物が捌ければ荷物の余裕はそれくらい充分に空くだろう。この村で仕入れるという事が今ままで全く無かった、というわけでもない。他所から来た商人とこのように交渉することは何度かあったが、商人が空荷では拙いから、という意味合いの方が強い。今回のようにハッキリと利益が目論めるものはアチョールにしても久々だった。そう、こんな利益が。
「そうねえ…一枚あたり銀貨2枚なら買うわ」
「おいおい、それは勘弁してくれ、4枚はどうだ」
「それは吹っ掛けすぎじゃない?銀貨2枚と銅貨5枚」
「いやいや、これでも良心的だぜ。銀貨3枚と銅貨7枚」
「あらあら、随分と強気ねえ。銀貨3枚」
「やれやれ、美人は手強いねえ。3枚全部で大銀貨1枚ならどうだ?」
そう言われて、ようやくアチョールは首を縦に振った。
「あら、お世辞にしても嬉しいこと言ってくれるじゃない。仕方無いわね、3枚で大銀貨1枚。それで交渉成立よ」
アチョールの眼からすれば卸値で銀貨4枚は適正価格だ。自分ならこの布地を街まで持っていき、一枚あたり大銀貨1枚以上の値で売る自信がある。まあこれも商人としての勉強、と目の前の新人商人には飲み込んでもらおう。思惑につい笑みが零れてしまうが、商人が笑顔なのは悪いことではない。大銀貨1枚をギアに渡し、代わりに受け取った3枚の布地を荷物の中にしまう。この先の利益を考えれば、一日の始まりとしては悪くない。アチョールが人知れずほくそ笑んでいると、今まで押し黙っていた娘の方が声を上げた。
「マスター。同じく商人とはいえ、この村での初めてのお客です。何かおまけをつけませんと」
「うん、そうか?…うん、そうかもな」
フードを目深に被り、顔を隠している小柄な子どもだ。今まで話そうともしなかったので人見知りかと思ったが、そういうわけでもないらしい。商人同士の交渉を見て勉強中だった、といったところだろうか。
アチョールがそう考えていると、プニが近づき、アチョールの手をその小さな両手で包み込むように取り、なにがしかを差し出した。
「私の作ったブローチです。拙い出来ですが、よろしければ」
「あらあら、小さいのにしっかりした娘さんね。お父さんよりいい商売人になりそうよ」
受け取ったブローチを見やれば、小振りながらも赤い石がはめ込まれており、台座も思っていた以上に綺麗に出来ている。自身の髪の色にも似た石の輝きは、朝日に照らされていることもあって何かの力を帯びているかのように明るい。
「ねえ、お嬢ちゃん。…コレ、本当にあなたが作ったの?」
「作った、と言っても、店売りの台座に石をはめ込んだだけですから。その臙脂色のドレスにはピッタリかと思いまして」
そう言うと、プニは口元だけを出したフードの下で微笑む。形のいい唇と、その下の綺麗にそろった白い歯が露わになり、どこか蠱惑的でさえある。
「そう、それでも素敵だわ。こんな綺麗なものを作れるなんて、まだまだ若いのに才能豊かなのね」
「まあ、俺の娘だからな」
娘が褒められると父親がつけあが…喜ぶのはどこでも同じだ。
それぞれがそれぞれの思惑通りにことが運んでいることに微笑みをもらす。上々の一日の始まりだった。




