13.帰路への旅路-6
だんだんと近づいて見れば、村の入り口らしきものが見えてきた。
細い木で門を作り、その端から人の背丈ほどの柵が伸びている。防衛のため、と言うよりも村としての境界を主張するための物のようだ。門、と言っても扉がついているわけでもなく門番が立っている、という事もないのはこの村の周辺がそれほど平和だ、という事なのだろうか。それともこれがこちらの世界の「普通」なのだろうか。
見たところ石造りの家がいくつか並んでいる。視線が通らないほどには建物が密集している、という事はそれなりに人口が居るのだろう。
「このオーロック村ってとこは何を作っているんだい、スルヴァンさん」
「あの村は小麦と燕麦だね。特にオーロック村の小麦は出来が良いことで他所の街なんかでも評判なんだよ」
「へえ、小麦ねえ」
「ああ、もうそろそろ収穫も始まる頃だからね。私は小麦を仕入れるためにここに来たのさ」
「小麦のパンは美味いからなあ」
「そうだねえ。だからこそ、街へ持っていっても良く売れるんだよ」
「なるほどなあ」
そう、なるほどだ。
スルヴァンは「なぜオーロック村に来たのかを理解した」と捉えただろうが、悟が含めた意味は違う。主要な作物が小麦と燕麦。わざわざスルヴァンが買い付けに来たことからも分かるように少し高く売れる穀物という扱いなのだろう。つまりは販売を前提とした、村にとっての貨幣獲得用作物だ。納税作物も兼ねているかもしれない。貨幣を獲得する、ということは使う必要がある、という意味だ。ほかの村なり街なりに行ってこの村では賄えないものを購入する。またはスルヴァンのような旅の商人から買う。となれば見慣れない悟の事も、商人であれば意外と好意的に受け入れてもらえるのではないか。
小麦に対して安いであろう燕麦は村での主食や動物を飼っていれば飼料にもなる。また、悟が小麦の味を知っていることを聞いても、特に驚く様子もない。という事はそこまでべらぼうに高い、というわけでもないと推測できる。…いや、違う。安い小麦も高い小麦もあるのだ。
「とは言っても俺が食える小麦のパンは精々が茶色だけどね」
「ははは、なんだノイズさん。白パンが食べたいのか。まあ、あれは流石にちょっとした高級品だよ。もっとも大店の主やお貴族様なんかは毎日白パンを食べる、なんて人も居るみたいだがね」
「あやかりたいもんだねまったく」
「自慢じゃあないが、実は私もこの先にある街に着いたら初日は必ず白パンを食べるのさ。頑張った自分へのご褒美、てやつだね」
つまりは小麦を挽いた小麦粉にも精白と全粒がある。粟や稗等、他の穀物の混ぜ物をすることだってあるだろう。そんな中で精白した小麦粉のみを使用したパン、というのは確かに贅沢品だ。白パンを食べるのは贅沢。これだって立派な情報だ。
悟の倉庫にはそれこそ山と積まれた膨大な量のパンがあり、種類もロールパンに食パン、バゲットと豊富だ。どこかの企業とコラボ――と言う名のタイアップ広告――があった際は沢山の「総菜パン」が出回った。悟はこれらの「総菜パン」をいたく気に入り全種類コンプリートし、大量に集めたものだが、効果も大したことが無い上に世界観を損ねるとあって、不評の内にイベントは終了した。その後に来た某有名ファーストフードーチェーンとのコラボは意外と好評に受入れられていたのは今でも納得がいっていない。アンパンは駄目だがハンバーガーは良い、と言うのは差別ではないか。
しかし、これらのパンを「こんなのあるんで売りたいです」は流石に拙いだろう。
高級品もいいところだろうし、ひょっとしたら文化的に受け入れられない可能性もある。なにより出所が怪しすぎる。もしどこかで小麦粉が大量に紛失したり料理人が失踪したりすれば、真っ先に最有力容疑者候補だ。もう少しこの世界に詳しくなり、売っても問題ないと判断できるまではこれらは悟自らとプニの二人で消費する、と心のメモに書き留めておく。
あの村で売るべきものはなにか。悟にはわからないが、分からないのであれば知っている人間に聞けばよいのだ。
「スルヴァンさんは仕入れるだけじゃないだろう、村では何を売るんだい」
「あの村には鍛治屋がないから釘や金物が多いね。後は糸や布地とかも欲しがる人がいる。布を買って自分たちで繕うんだ。まあ、どこの村でも街で店売りの服を買う余裕なんてそうないからね」
「鍛冶屋が無いのは不便だなあ」
「それはまあ、仕方無いことだねえ。職人は人の多いところに行かなきゃ食っていけないしね。少し行ったら石切り場もあるから金物の需要は案外あるんだがねえ」
服系統はボツ。と、悟は倉庫の大量在庫に思いを馳せた。いや、あれらは大きな街にでも行ったときに売ればいいのだ。活躍の場がここではなかったというだけだ。しかし、大体の方向性は掴めた。
消耗品だ。日常的にどうしても使わなければならないものなら売れるはずだ。
手持ちで売るのに適したものは何だろうか。悟は悩む。
そうこうしているうちに、馬車は村の入り口である門を潜り抜ける。
「ほうら、ノイズさん。オーロック村に着いたよ。どうだい、思っていたよりはでかいだろう」
「ああ、意外と大きいんだな。これはずいぶんと立派な畑だよ」
正直に言えば第一印象は小さな村だ。実際集落部分はそれほどの大きさではない。だが、馬車に乗ったまま村の奥まで案内されれば、その先で広がっている畑はなかなかに広大だ。実った小麦が風に吹かれてゆらゆらと首を垂らしている。
「スルヴァンさん、これを全部買い付けるのかい?」
「はっはっは。私はそこまで豪胆ではないよ。約束している家がいくつかあってね。そこの家から馬車に載せられるだけ買うのさ。まあでも…」
そこまで言うと、こちらを向いてにやりと笑う。
「私だって何れここの小麦を全部買い付けられる位の立派な馬車を引いてみせるつもりさ」
「ああ、それでこそ商人だよなスルヴァンさん」
「はっはっは、そうだとも。…それで、ノイズさんはこの村で何を売るつもりなんだい?珍しいものでもあれば連れてきた私の株も上がるってもんだ」
「そうだなあ。色々と悩んだけど、皿なんてどうだい」
そう、皿。食事をするのなら必ず必要になるし割れたら買い替える他ないだろう。悪くない線のはずだ。
しかし、スルヴァンの反応は芳しくない。
「皿、ねえ。少し厳しいかもしれんなあ」
「それはまた、どうしてだい。毎日使うもんだし良いと思ったんだが」
「ほら、村を少し行った先に森があったのが見えたろう。この村じゃあ、秋の収穫が終わると森まで行って木を切り倒したり薪を拾ったりするんだよ。その木を使って、冬の畑仕事が出来ないうちに皿や杯を掘るんだ」
それらを街まで持っていって売ったりもするんだよ、とスルヴァンが付け加える。
「ああ、いや木皿じゃあないんだよ。こいつでいこうと思うんだ」
そう言って悟が取り出したのは一枚のスープ皿。食器に分類されるアイテムで『URMA KARMA』では、拠点に置いて飾りつけたり、投擲することで敵の注意を引くためのアイテムだ。因みに投擲した際の攻撃力は殆ど無いくせにやたらと敵意を集める、盾役御用達アイテムでもある。
そんな有能な皿がいざ現実のものとなって見れば、悟の眼に映るのはごくごく平凡な真っ白い磁器製の皿だ。大型量販店にいけば一枚数百円で買えそうな代物である。
木皿が主流と言うのなら焼き物の皿は珍しいもの、という条件にも当てはまる。そう思いスープ皿をスルヴァンに渡して見せる。だが。
「いやいや、ノイズさん!これは余計に駄目だよ!」
より強い口調で否定が返ってくる。何か禁忌にでも触れるのだろうか。
「こんな高そうな皿、この村で買える人なんかいるもんかね」
悟には予想外の反応だ。木を彫れば作れる木皿と違って、窯で焼く必要がある陶磁器が高くなるのは分かる。しかし、窯だって一度に何枚も焼くものだ。絵付けされているわけでもない白い皿がそこまでのものだろうか。
「隠さなくたって分かるよノイズさん。まずこの造り、歪み一つない。相当腕利きの職人が作ったねこれは」
多分大量生産です。とは言えない。
「この艶、滑らかな手触り。高価で質の高い釉薬を惜しげもなく使っていることがハッキリと分かる!それでいて液垂れも見られない…仕上げも相当に手間をかけているよ」
工業製品だから、とかじゃないですかね。という言葉も辛うじて飲み込む。
「それにそもそも、この白さはどういうことだね!輝くような白さとはこのことだよ!」
磁器ってそういうものじゃないんでしょうか。この言葉もギリギリ口を衝くことはなかった。どうもスルヴァンは焼き物に一家言ある様子だが、詳しくない悟には正直よくわからない。白いのや透明感のあるものは磁器、それ以外は陶器と大雑把に分類しているだけだ。しかし、自分から扱いたいとまで言った商品だ。素直に知りませんとは口が裂けても言えない。
「ふ、ふふ。流石にスルヴァンさんはお目が高いね、こいつの価値を一目見ただけでそこまで見抜いちまうなんて」
「あ、ああ。私はこう見えて駆け出しの頃は陶器職人に弟子入りしたことだってあるんだ…いや、私の事は今はいいんだ!こんな上等な皿、それこそ大商人や貴族様が喜びそうなもんだよ。この村で売るなんて…」
「い、いやいやスルヴァンさん。お、俺が何時こいつを売るなんて言ったね?」
悟のその一言に、スルヴァンの言葉が詰まる。確かに目の前の駆け出し商人はこいつでいく、とは言ったがこいつを売るとは言ってない。
「そ、そいつは、つまり、どういう…」
大声を出し過ぎたのか、言葉がうまく出てこない。スルヴァンにとっては理解できないことだらけだ。この輝くような美しい皿も、悟の言葉も。
「こ、こいつを作るにはねスルヴァンさん。しっかりとした窯と大量の薪を使うんだよ」
「ほ、ほう…」
これだけのものを生み出す製法など、それこそ門外不出の秘伝に違いない。職人の端くれでもあるスルヴァンからしてみれば、他人の製法を盗み聞くなどもってのほかだ。耳を切り落とされたとて文句は言えない。しかし、そうしかし。悟の方から語るのであればそれは範疇の外ではないだろうか。自分に再現は出来ないだろうとしても、知的好奇心が抑えられるものではない。
手も口元もわなわなと震える。スルヴァンの人生の中で間違いなく一番の震えだろう。山間の道で盗賊に追われた時だってここまでの震えを覚えたりはしなかった。
その様子をみた悟は言葉を繋げる。半ばやけっぱちだ。ハッタリと勢い、野となれ山となれ。いざという時は全力で逃げる。
「いみじくもスルヴァンさんの口からでたんじゃあないか…薪が取れると。石切り場があると、ね」
「た、確かに…言った、が…」
たったその一言か二言で。こんな展開になろうとは、商人としての歴も長いと自負しているスルヴァンにも予想はつかなかった。いわんや悟をや、である。
「お、俺は、この村の小麦以外、第二の特産品としてコイツがいけると考えたのさ」
もうどうとでもなれ。




