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105.自由の隷属-2

 隠れていた太陽が今一度、雲の合間から姿を現し、辺りに眩いまでの熱気を零せば、その気配に中てられてか、ギアの意識も放棄された思考も戻る。


「う、うーん…?」


 だが、ギアの内に沸いた疑問が解消されることは無い。

 会計にも使用できるポイントが付与される、という事は一般的な企業ならば、消費者側がその組織にとって利となる行動を起こした、という意味だ。それが買い物であれ一時的な借入であれ、その組織にとって利益となる行為を、客が「自身の利益となった」と勘違いさせる為の、いわばお為ごかしである。

 サービスとしてはよくある手法だし、特に真新しさはない。ギアが自身の眼を疑ったのは、その額、と言うか桁だ。


 確かに「ARIZEN(アリズン)」内にて「ショップ」を開き、そこである程度、自身としては中々に、寧ろたんまりと評価して良い程度には売上を計上した。当然、其処には幾許かの手数料も発生しているのだろう。

UポイントもKポイントも、『解放』されて以来、それなりに溜まり、それぞれ幾許か消費してきたので、その効能については今更言及することも無い。

 しかし、これ程の、「500万ポイント付与」というのは流石に常軌を逸している。


 よくよく見れば、ポップアップしたウインドウの端に、非常に、極々小さく「初回ボーナスポイントを含みます」「期間限定ポイントを含みます」と書かれているのを見つけるが、そんなのは些細なことだ。『なに』が初回なのかを謳っていたないし、『期間』とやらが何時までかの明示も無い。

 であれば、早々に使い切ってしまえば良いのだ。


 500万ポイント、つまり日本円にして500万円相当。これを。期間限定ポイントとは言え、使って良いのだという。なんという太っ腹なことか、騙されているのではなかろうか。もしや円安が突き進んで、ジンバブエドル当たりまで成り下がったのではないだろうか。ギアはそう口の中で小さく転がしながら、沸き上がる笑みを堪えられず、皮算用に脂下がる顔を隠せない。


 何を買おう、どう使おう。

 折角だから愛する長女(プニ)を着飾る物、此方では手に入りにくい金銀細工の装飾品なり宝石もいいかもしれない。愛しい次女たる鷲獅子のアントレピが喜ぶような玩具やおやつも、必要だろう。



「いやいやいや、まじかあ…嘘だろ。…嘘、じゃあねえよ、な?」


 我ながら、文字通りに現金なものだとは思うが、先程迄の陰鬱とした気持ちはすっかりと消え失せ、このポイントで何をしよう、何を買おうという心地良い妄想ばかりが胸を去来する。どんな場所でもそうだが、経済圏に属していると、その金子の価値は高くなる。人は自由を渇望していながら、金銭の魅力に隷属してしまう。そして、それが心地良いのだ。金が無ければ何もできない、というのは、金があれば自由だという意味でもある。これ程の金――というかポイント――があれば、かなり自由に振る舞える。



 しかし、そんな幸せばかりが訪れる筈もない。ギアの中の冷静で沈着な自分が、そう語りかけた。


 いやまて、と。

 只でさえ美しいプニと、愛らしいアントレピのことだ。少しでも着飾ろうものならば、その美と神々しさは、天井知らずという事は想像に難くない。そんな二人を連れまわせば、噂が噂を呼び、有力者なり王侯貴族なりが聞きつける可能性は、高いとは言わないが見逃せない程には小さくない。


 そんな時に自身が出来ることと言えば、恐らくはただひたすらに、逃げる事だけだろう。勿論、ソレは拙い。ギアの求めるものは平穏、波風立てず槍玉に上がらずの平常だ。今現在が実質、逃避行の様なものだし、()()を案外気に入ってはいるが、明確な敵という存在は、なるべくならば少ない方が良い。


 降って湧いたようなポイントの使い方は、要厳選。勿論、重要な案件ではあるが、おいそれと気軽に手を出すわけにはいかない。愛する娘たちの素晴らしさを説くに否やは無いし、語れと言われれば一昼夜を通り過ぎて語れる自信がある。だが、それも当然、時と場所と場合を選ぶ。ましてや、着飾ったり、ネット映えの写真を撮る方法なぞ、ギアの乏しい知識でも泉の湧き水が尽きぬかのように無限に思い浮かぶ。

 思い浮かぶが、それを披露するのは少なくとも、今この場では無い。


 愛すべき娘たちの愛すべきその姿は、自身の眼と脳裏にさえあれば良いのだ。

 元の世界に戻る事が出来たのなら、世界中の人々に僅かな「お裾分け」位はあっても良いだろうが。いや、やはり我が子たちには平穏な日常を送ってほしい。この子達の美貌を以てすれば、世界なぞ総なめにしてしまう。そうなってしまえば、プニもアントレピも、穏やかな生活とは無縁だろう。それは、ギアの父親としての本意ではない。


 そう己に言い聞かせながらも「アレなら良いかな」「コレなら、まあ問題は少ないかな」という思いが止まないギアの眼に、更なるウインドウがポップアップして飛び込んできた。




 簡素という言葉に相応しい程には素っ気ない、「NEWSが『解放』されました」という文字が。



「お、おう…?」


 流石にこれには、ギアも鼻白む。

 元の世界に於いては、「NEWS」というのは、ごく一般的、当たり前のサービス、というかその一部だ。大手キャリアは勿論、ブラウザ各社でさえ鎬を削ってユーザーに訴えるほどには、必要で根源的なサービスだ。若年層はともかく、ギアの様な中間層であればここを疎かにすれば少しずつ、だが確かに離れると言っても過言では無い程に、ユーザーは注視していた。当然、ギアもその内の一人だ。


「NEWS、かあ。うーん、NEWSねえ…」


 必要か、と問われれば、「今はそれ程」というのが嘘偽らざる感想だ。勿論、日本に、元の世界に帰る心算ではいるし、最早ギアの中では決定事項だ。だが、それは今すぐ叶うとなぞ思っていないし、今のギアが求めている情報は、他に幾らでもある。優先順位を付けるのならば、元の世界のNEWSというのは、然程高くはならないだろう。



 しかし。

 そう、だがしかし。


 よくよく考えてみればスマホも手元に無ければ、端末と言えばこの、メーカー不明の謎タブレット一つしかないギアからすれば、いずれ帰る世界の、日本の情報の一つ一つが値千金のお宝だ。


 国際情勢は、米国や中国といった大国の動きは。

 日本の経済は、自身も所属している大手企業傘下の動向は。

 疫病は、流行り病は。国内の安寧は。


 それらの内のどれ一つの情報が掛けていても、元の世界に戻るのは難しく、また躊躇いを誘う。旅を始めて、それなりに時間が経過し、未だに方法一つ分かりはしないが、かと言って諦める心算も無い。少なくとも中央都市(キャメロット)にたどり着くまでは、蓋を開けてみるまでは何一つ答えなぞ分からないのだ。


 何気ない気持ちと指先の軽やかさで、「NEWS」の文字をタップする。情報を仕入れておいて損をする、ということは先ずあり得ない。


 そんな気軽な操作でもって浮かび上がったのは、「鳥インフルエンザ、世界的な流行の兆し。国内で死者過去最大」「新たな東西戦、第三次世界大戦の発端となるか。EURO圏の動向は」「我が国の経済競争力、大幅に転落。円安ドル高は何処まで」の三つだった。


「…ええー」


 見出しの一つ一つが、不安をあおる。何処をどう切り取っても希望と言うものが感じられない代物だった。

 帰りたい、帰らなければ、きっと帰れる筈。

 そんなギアの心の奥底に縛られたような思いを、この世界から解き放たれる渇望を。


「いや、ええー。…っじかよ…っざけんなよぉ…」


 間も腑も抜けたギアの感想は、灰燼へと帰すには、充分だった。


「…どうかされましたか?マスター」


 そんなギアの様子を見てか、流石に心配そうに、プニがギアを覗き込む。

 いつの間にか項垂れていたようで、下げた顔を見上げるその双眸は久方ぶりに開かれていた。そんな素振りに、それ程までに心配をかけていたのかと自省する。プニを支えるのは父親たるギアの役目。その役どころが反対になってはいけない。


「クルルゥ」


 そんなことを考えていると、アントレピが一鳴きしてギアの頬を舐めた。更には舐めた所に頬擦りをしてくる。甘えるとき特有の仕草だ。そんな様子に、強張っていたギアの口元が終ぞ緩んでしまう。やはりペット、否、甘えたい盛りの次女は愛らしさも一入だ。


「アントレピ、貴女また!」

「クルールルゥ?」


 何が琴線に触れたのか、長女であるプニが次女たるアントレピを窘める。しかし幼い末娘はどこ吹く風だ。何やら反論をしている、らしい。体躯で言えばプニよりも遥かに大柄なアントレピだが、こうしてギアとプニの前では末娘らしく幼く振る舞うのも、何と言うかコミカルでとても可愛らしく思えた。


「え?わ、私が?そんな、出来るわけ…」

「クルゥ!クルルゥ!」

「それは、そうかもしれませんが…」

「クルゥルルル!クルゥル!」

「それは…本当ですか?」

「クルゥル!」


 どうやら会話は成立しているらしく、未だにアントレピが何を言っているかは今一つ分からないギアには理解しづらい。それに加え、二人の保護者たるギアを差し置いて、お互いで絆を深めているのであろう二者が少しばかり羨ましい。


「…わかりました。嘘だったら、承知しませんからね」

「ル、ルルゥ」


 その会話から察するにどうにも二人に、必要以上の心配をかけてしまったらしい。

 愛する娘たちの安寧を維持することこそ父親の矜持であるのに、心配をかけ不安にさせるなぞ父としてあるまじき行為だ。今すぐにその不安を払拭する必要がある。


「あ、ああ。何て言うか…ちょっと、びっくりしちまっただけだよ」

「本当ですか?」

「ルルゥ?」


 流石に察しが良い。しかし、ギアは大人として保護者として、商人として。嘘を吐く必要と義務がある。愛すべき者を守る男としての矜持と共に。


「ああ、当たり前だろ。それより二人には、何かプレゼントしたいって思ってたんだよ。なんか欲しい物とか無いか?」

「欲しい物、ですか…。私は十分に満たされてますので…」

「ルルゥ!ルルゥ!」

「え?そんな方法が…!しかしそれは流石に…」

「ルルールゥ」


 やはりギアにはよく理解できない会話が二人の間で繰り広げられるが、先程迄の焦燥感はもはや微塵もない。元の世界がどうあれ、此方の世界でどうあれ。


 愛する娘たちを守り抜く。

 元の世界に戻る云々は、その手段の内の一つでしかないのだ。戻らないなら戻らない、戻れないなら戻れないで、他にやり様は幾らでもある。そう気付けたのは僥倖だったのだろう。


「まあ、どうにかなるってな」


 ギアの口から、益体も無い軽口が零れる。


 そしてそれは、囚われた者の愚痴の、それによく似ていた。

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