10.帰路への旅路-3
空が少しずつ白み始め、朝焼けが大地を照らし始めるころ、悟とプニは小屋の中で朝食を摂っていた。外は未だ薄暗く、この小屋には明り取り用の窓などは無いが、壁際に備え付けられているランプは十分な明るさを保っている。
今日の朝食は娘が手ずから作ってくれたスープとサンドイッチだ。
愛娘の手料理、という事を差し引いても随分と美味い。シンプルな塩味の中に春雨のような具とまぶされた胡麻、ふわりと香るのは魚介だしだ。一口を飲み干した後味に残る柑橘系の香りは柚子の皮だろうか。
サンドイッチの具はシンプルにツナマヨとポテトサラダ。何気に悟の大好物である。やはり父娘ともなると好みも似てくるのかも知れない。そんな単純なことが今の悟には頗る嬉しい。
朝は少々で抑える派の悟も、これには抗えずついつい食べ過ぎてしまう。とは言え、今日は場合によっては歩き詰めの予定だ。しっかりと朝食を摂ること自体は悪いことではない。
「うん、美味い。特にこのスープは絶品だな。そこらの店じゃ太刀打ち出来んよ」
「流石にそれは褒めすぎですよ、マスター」
「そんなことはないぞ、プニ。間違いなく俺の人生の中で一番のスープだ」
そう言いながら悟は木皿に直に口を着け、ズルズルと音を立てながらスープを飲み干す。品は無いが木匙で救って飲むよりもこの方が美味いと感じるのは日本人故の感性なのだろうか。
朝から美味い食事にありつけるのは良いことだ。悟はこれからの旅路に思いを馳せる。
「それとな、プニ。今回の旅、俺たちは『行商人』の父娘ということにするつもりだ」
行商人。
それは悟が修めている職のうちのひとつだ。文字通り旅から旅へと渡り歩いては物を販売し、仕入れまたそれを売りさばく。戦闘も生産能力もほぼほぼ皆無と言っていいがコミュニケーションスキルが非常に高い、所謂『商人系』と呼ばれる職だ。
『URMA KARMA』内では攻略ではなく楽しむための職、という位置付けである。
得られる習得技術も、店で値切りやすくなる『交渉』、物を高値で売りやすくなる『談判』、噂話やダンジョン等の情報を集めやすくなる『聞き上手』、NPCからの「好感度」や他プレイヤーとの「友好度」を上げやすくなることで有利な依頼を受けられるようになったりパーティーを組んだ際にレアドロップ率が上がる『話し上手』など、直接戦闘には関わりはないが何かと「ゲームを楽しむ」という意味では使い勝手の良いものが多い。
倉庫の中にはゲームの名残である『交易品』に分類される物品も数多く残っている。これを道から道へと販売し、生計を立てるつもりなのだ。中でもレア度の低く、なにか魔法的な効果が有るわけでもない「魔獣の毛皮」や「木綿のハンカチ」に「名産石鹸」、それらよりは少しだけ上位で、低レベルではあるが魔法の付与されている「雪白狼の毛皮」、「艶めく反物」「高級タオル」などは腐るほどある。『交易品』ではないが中盤やたらと手に入る「黄金鹿の干し肉」や「輝く林檎」、「仔飛竜の皮マント」でもいいかもしれない。ドロップ率も入手率も非常に高いこれらには低レベルの頃は非常にお世話になったものだが、ゲームというのは大概がそういうものだが後半になるにつれインフレが加速していく。こうした初期に入手するアイテムはレベルが上がるにつれただ漫然と入手し増えていくだけの存在となり、いちいち売るのも面倒くさいものとなり、しまいには倉庫の肥やしとなる。
これがゲーム内であれば「魔獣の毛皮×1000」の一文だけで済んでしまうが、実際に倉庫の中でうず高く積まれている様はなかなかに圧巻だった。これらを売りさばき、少しでも路銀を稼ごうという目論見だ。
そう、路銀。
悟は現在、無職の一文無しである。
自らのアイテムボックスにも倉庫にも十分な食料や保存食、嗜好品の類がある。いきなり食うや食わず、となることは無い。勿論ないがそれでも、娘の手前、無職の父というのはいかにも拙い。
『URMA KARMA』での通貨は「JIN」という単位の金貨、という設定である。金貨が最小単位。金本位制も甚だしいが、ゲームとはそういうものだ。
金本位制は金そのものが貨幣の単位となり、複数の国での流通を前提としたものだがゲーム内では国は僅か二つだったし、現実世界で金のみを貨幣にするなどはあり得ない。一般的には銀貨や銅貨、紙幣等の所謂補助貨幣なり兌換紙幣を用いる。
そしていざ現実のものとなったJIN金貨をみてみれば。大人の拳ほどの大きさ、親指ほどの厚さ、無駄に細部にこだわった装飾、そして一枚がやたらと重いと、とても本気で流通させる気があるとは思えない造りをしている。記念硬貨でもここまではしないだろう。こんなものを1000万枚も2000万枚も持ち歩いていたら、それだけで重労働でもいいところだ。
金、というものは量が限られているからこそ価値がある。それを矢鱈に狂わせることが拙いという事は、経済に明るくない悟にも想像はつく。このJIN金貨を「両替」するのは最後の手段だ。とは言え、娘の為なら幾らでも売りさばく覚悟だが。
二人ともそこそこに戦える、という事もあって「傭兵父娘」やらファンタジーものらしく「冒険者父娘」という設定もなくはなかったのだが、何もわざわざ自ら危険に首を突っ込む必要もない。安全に生きていけるのならそれが最適解であり、戦うのは最後の手段だ。なにより娘を危険に晒すなど、父親の所業ではない。
娘もそこは理解してくれたのだろう。
「なるほど、わかりました。私たちはこれから『行商人』の連れ添いですね」
二つ返事で了承を返す。
父娘とは、これほどまでに気持ちが通じ合うものなのだ。
「ああ、その通りだ。だから、これからの旅に相応しいものに着替えておいてくれ。分かっているとは思うが、戦闘よりも生存だったり、目立たないものを前提とした装備にだ」
「了解しました。生存能力の高い、目立たないものですね」
そう、繰り返すようだが戦うのは最後の手段。日常は娘と平和平穏、安寧を享受しいざとなればわが身を盾にしても娘を守る覚悟だが、常にその身を戦場に晒すなど平和に惚けた日本人の悟には到底耐えられるものではないだろう。安全第一はこの歳になってようやく身についた悟のモットーでもある。
昨日までの二人の装備は手持ちの中でも非常に戦闘に寄せたものと言える。
プニの被っていたとんがり帽子は魔力を大きく向上させる最上位の装備だし、肩から垂らしていたマントは召喚系の魔法を大幅に強化し熟練度を限界を超えて高めるものだ。戦闘であれば非常に有効だが、見た目は非常に派手で旅をする服装には到底見えない。
この世界の一般的な服装は分からないが、これではないという事だけは自信を持って言える。もう少し落ち着いた、目立たないものがいいだろう。そうなると簡素な貫頭衣や被外套あたりだろうか。なにせ娘の備える美貌たるや幼いながらも傾城と言っても過言ではないのだ。これは決して親の欲目からではない、純然たる事実である。
その美貌を晒し歩けば、間違いなく世の男どもを惹きつけ余計なトラブルを招くであろう。隠せるのなら隠した方が良いに違いない。
「うん、そうだな。貫頭衣と被外套で落ち着いた色合いのものを合わせれば目立たないだろうし、旅をする者としてもそれほどおかしくないだろう。二人ともその線で装備を見繕おう」
悟がプニにそう告げると、プニの眼がほんの一瞬、見逃すか見逃さないかの刹那ではあるが大きく開かれ、また閉じる。何かについ反応してしまったが理性をもって閉じた、という印象だ。何か琴線に触れることでもあったのだろうか。
「それでしたらマスター」
プニは一言放ち、じっとこちらを見据える。今は眼を閉じてはいるが。
「うん、どうしたプニ。なんかアイデアでもあるのか?」
努めて優しく声を掛ける。せっかくの娘の思い付きだ、尊重してやりたい。
「私とマスター、二人でペ…お揃いの装備にするというのは如何でしょうか。行商、という事であれば多少なりとも人目に付かなければなりませんし、二人が家族というのも傍目に分かりやすいはずです」
なるほど、流石は我が娘だ。悟は安全を最優先するあまり目立たないことを大前提としていたが、旅から旅への行商人であればたどり着いた先で多少なりとも目立つ必要があるだろう。珍しいものを持っているかも、と思わせなければならないのだ。
それでも派手に過ぎて眼を着けられるのは流石に避けなければいけない。そんな中、二人が同じような格好をしているというのは、そこそこに人目をつくのではないか。なによりも愛娘とのお揃いだ。純粋な娘は恐らく気付いていないだろうが、嬉し恥ずかし父娘イベントである。
「なるほど、流石はプニだな。全く思いつきもしなかった。その線でいこう!」
悟は己の欲望に忠実な男なのだ。




