1.初めての再会-1
初投稿です。読んでいただければ嬉しいです。
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優しく吹き抜ける風が火照った頬に心地よい。
若草のような爽やかな――まるでハーブにも似た――香りは鼻腔をくすぐり、心を落ち着かせより一層眠気を誘った。
「…いかん、眠い」
この部屋の主、杉田 悟は誰に言うこともなく独り言ちた。そもそも一人暮らしの身、部屋には自分以外誰もいないのだ。長い暮らしに独り言が習い性になってしまった。
缶ビール3本はやはり平日には多すぎただろうか。閉じた瞼がやたらと重い。
今日の仕事帰りにリサイクルショップで買ったばかりのタブレットを投げ出し二人掛けのソファーに身を預け、最近購入した少し大きめのローテーブルに両足を投げ出すというだらしない恰好でいつまでもだらけていたいところだが、流石にそうもいかないだろう。
明日も仕事がある。いい加減シャワーでも浴びて汗を流しベッドに潜り込まねば明日に差し支える。
そういえばタブレットの初期設定は終わらせただろうか。終わっていなければ続きをしなくてはならない。
空き缶も捨て、皿も洗わなければ。
そう思いながらもなかなか動けない悟はふと、点けっぱなしだったテレビの音が聞こえないことに気づいた。
それはつまり、テレビの消灯タイマー機能が作動したということであり、それ程の長い時間まどろんでいたということでもある。
そんなに時間が経ったのだろうかという疑問が浮かぶが、酔いの回った頭では時間の感覚も狂うだろう。
しかし。
エアコンを点けた記憶もないのにこの心地良い風はどこから吹くのか。秋も深まったこの時期にこの暖かさは何故なのか。何故深緑の――まるで草原にでもいるような――香りに包まれているのか。
悟は回らない頭で考える。しかし、杳として答えは出ない。
目を開ければいいのだろうが、酔いのせいか暖かさのせいかそれだけの事がひどく億劫に感じられた。
(…まあ、いつまでもこうしている訳にもいかんしな。)
しばしの逡巡を経て、ようやく重い瞼を開いた悟の目に飛び込んできたのは白い壁紙の張られた見慣れた天井―――ではなかった。
青空。
どこまでも見渡せるような、環境問題著しい現代ではなかなかお目にかかれない澄み切った青空。
高く遠い彼方には雲が流れており、その間からは陽の光が優しく零れ暖かさを届けていた。
「…え、な、な…?」
何故と言いたかったのか、何がと言いたかったのか。悟はひたすらに絶句することしか出来ないでいた。
一番最初に頭に浮かんだのは屋根が飛ばされたのかということ。しかし悟の部屋はアパートの一階部分にあり、上の階が丸々吹き飛ばされておいて気づかずにまどろんでいられるほど悟という男は鈍感でも肝が太いわけでもない。
そもそも、今は肌寒い秋口の夜更けだったはずだ。間違っても、初夏を思わせる朝方などではない。
第一、悟の住んでいたアパートは多少田舎ではあるものの「市」に区分されている土地だ。徒歩10分圏内にコンビニも駅もあり、大都市や中心街からは程遠くとも快適に過ごせ、人口もそれなりにある地方都市である。
住宅街のど真ん中であり、見渡す限りの大草原などという牧歌的――というより非現実的――な光景は悟の理解の範疇を軽く超え、混乱に拍車をかけた。
テレビの音が聞こえないのも当然だ。
正面に目を向けても本来そこにあるはずの、少し前に奮発して買った大型テレビは無く、そこには脛当たりまでの高さまで伸びた、見覚えのない草が生い茂るばかりなのだから。
今悟の周りに在るものといえば自らの身体を預けているソファーに行儀悪く足を載せていたローテーブル、その上に散乱する空き缶、近所のスーパーで購入した総菜の残骸、中古のタブレット、そして…
「お目覚めですか?」
ドキリと、悟は己の心臓が大きく跳ねたのを感じた。
自身のすぐ横、一メートルほどの距離から不意に声をかけられたのだから。
若い、というよりは幼い女性の声だ。聞き覚えがあるような無いような声。
悟は半ばはじかれるように勢いよくそちらを振り向いた。
「お目覚めですか?マスター」
悟が腰かけているものと対になったもう一つのソファーの上に、一人の女性、いや少女が行儀よく座っていた。両手を膝上でそろえ背筋を伸ばす様は躾が行き届いているようにも年若い少女が背伸びをしているようにも見える。
先ず目に付くのは服装だ。
異様、と表現すると失礼かもしれないが異質ではある。有体に言って変だと言い切ってしまっていい。
ハロウィンでしか見かけないような、魔女を連想させる黒いとんがり帽子。身体を覆うボディスーツにも似た被服は革のような質感、金属のような光沢、つまりは見たこともない素材のもので、赤いようにも黒いようにも見える。
腕は肘あたりまで先ほどと恐らく同じ素材の長手袋、いや長籠手で覆われている。
足はタイツの上から膝上まであるロングブーツを履き、全体的に身体のラインは出ているものの露出自体はほとんどない。
魔法少女、というよりは魔女のコスプレにしか見えず年頃の女性が着れば妖艶なのかも知れないが、少女が着ても可愛らしい、もしくはチグハグな印象しか受けない。
「だ、」
誰だ、悟はそう誰何しようとしたが言葉が続かない。
見知らぬ人が直ぐそばにいた、ということに驚きすぎて、ではない。
それはどう見ても初対面のはずの少女に、見覚えがあったからだ。