各々の霊術
あの異質な二人とこれから親交を深めていくのかと思うと大きなため息が出る紅夜だったが、あまり考えないようにしながら灯火に言われた奥の部屋に繋がるという戸を開けると、上り階段があり、それを登り切った先にある襖を開けた。
「あっ、高桐さん」
「貴様、何勝手に入ってきてる! 斬り殺すぞ」
六畳程度の狭い部屋の中心に敷かれていた布団の中に入っている陽奈は上体だけ起こし元気そうな様子で紅夜に声をかけてきたのに対し、陽奈の隣に座っていた成実は側に置いていた剣を手に取り殺気を発している。
「鳳ヶ崎に言われて来たのにお前の許可がいるのか?」
「え? わたしですか?」
「いや、お前じゃなくて姉のほうの――」
「貴様、陽奈様だけではなく筆頭のことまで呼び捨てにしたのか! 許さん、その首ここで斬り落とす」
「俺はお前と違って家来になったつもりはない、だから誰にも敬意を払う必要はないはずだ。現に鳳ヶ崎は言葉遣いについては何も言わなかったぞ」
「えっと? はい、たしかにわたしは何も言っていませんが」
「いや、だからお前じゃなくて――」
「言い訳するな、さぁ、剣を抜け、私と尋常に勝負しろ!」
成実は立ち上がり剣を抜いて言葉と共に剣先を紅夜に向ける。
一向に進まない会話と成実の態度に流石の紅夜も堪忍袋の緒が切れる。
「――いいぜ、こっちだって今までのお前の態度には苛ついてたからな」
紅夜も立ち上がり腰の剣に手をかけようとした瞬間、陽奈が二人の間に入り仲裁する。
「だ、だめですよ、こんなところで喧嘩なんかしちゃ」
「しかし――、そうです! 道場ならばどうでしょうか? 稽古と言う名目でその男と一騎打ちを行うと言うのは?」
成実は剣先を紅夜に向けたまま陽奈にそう提案する。
「道場ですか……」
陽奈は小さく呟いてしばらく考えた結果、『真剣を使わないのであれば』という条件を提示し、紅夜たち三人は道場に来ていた。
五十畳ほどの広さの部屋を複数の蝋燭が照らし、木張りの板が敷き詰められた床は紅夜たちの姿が反射されるほどに掃除が行き届いている。無駄な物が一切無く鍛錬のみのために作られたこの空間には道場独特の神聖な空気が漂っている。
「準備はいいですか?」
道場に置かれていた木刀を互いに持って向き合い、構えたのを確認した陽奈は二人にそう問いかける。
「それでは――始め」
陽奈の合図と共に成実は声を上げながら紅夜に向かって一直線に突進していく。
「(赤眼を使わなくてもいいぐらいにわかりやすい奴だな)」
そう思いながらも紅夜は万が一に備え、赤眼を使い成実の一手先を視る。
「(胸の中央を狙っての刺突か、本当に馬鹿正直な奴だ。これなら軽くかわせば、簡単に隙が出来る、そこを突けば――)なっ!?」
赤眼によって相手の出方は完全に視えていた。それ故に油断があった。楽に構えていた紅夜の胸を狙う木刀の刃先は目と鼻の先まで迫っていた。
「(っく、こいつ、前に斬りかかって来た時よりも無駄がない分速い!)」
「っち、かわしたか、少しは出来るみたいだな」
間一髪かわすことが出来たが、成実の速さに驚き冷や汗を流している紅夜に対し、寸前とは言え刺突をかわした紅夜に言葉をかける余裕がある成実は対照的だった。
勢いよく剣を振り続ける成実と、赤眼を使いそれを受け流す紅夜の姿はまさしく猪突猛進と空々漠々、そう表現するに相応しかった。
「(赤眼を使ってこの様か、あの夜に手を合わせたときは怒りに我を忘れて剣を振っていたから楽だったが、感じてた通りかなりの使い手だ。――それにしても随分楽しそうだな)」
紅夜は成実の剣の腕を再認識ながらも楽しそうに、嬉しそうに剣を振ってくる成実が純粋な顔をしていたので、いつもの成実とはまた違った印象を持ち始める。
「(何故当たらない!? 大して速いわけでもないのに……まぁ、ある程度強くないと勝ったときに嬉しくないか)」
同じように成実も自分の剣を上手くかわされる紅夜の身のこなしに僅かながら感心しつつも次の一撃で勝負を決めようと今までより一段と木刀に力を込め踏み出す。
「(正面から突進してきた勢いのまま袈裟切り、かなり速いが、これなら)」
紅夜は赤眼を使い一手先を視ると寸前まで成実を引きつけ左にかわす。
「(かわされた!?)」
今度はかわされまいと全力で突進し全力で剣を振るった成実だったが、寸前でかわされてしまい驚いていると、大振りした分無防備になった成実の側頭部に向かって紅夜は剣を振り下ろす。
「(っち、仕方ないか)」
振り下ろしてしまった剣で防ぐことは出来ず、回避することも厳しい状況下で成実は僅かに不満そうな顔をしながらも向かってくる木刀に右手を差し出し広げる。
「【天深結界】」
成実がそう口にすると右手の手の平から半透明で成実の上半身が隠れるほどの大きさの正方形型の結界が出現し、木刀と成実の間を隔てる。
「(まさか、ここで霊術!?)」
瞬時にそれが成実の霊術だとわかったのだが、その時にはすでに剣の動きを止めることはできず、結界に触れた木刀は弾かれるようにして空中を舞う。
「っぐ!」
思いっきり鉄の壁を殴ったような感触に手が痺れてしまう。
木刀を弾かれ落とした時点で紅夜は負けなのだが、成実は降参を受け入れる様子はなく、丸腰の紅夜に向けとどめと言わんばかりに木刀を振り下ろして来る。
「もらったぁぁぁ!」
しかし、勢いよく振り下ろされた木刀が紅夜に届くことはなかった。
木刀は成実の手からすでに離れてしまっていて、床に落ちた木刀には弓矢が刺さっていた。紅夜と成実は矢が放たれた道場入り口に視線を向けると、にこやかな笑顔のまま弓を構えている陽奈がいた。
「成実、決着はつきました、それ以上は余計なことだとわたしは思います」
「……申し訳ありません」
成実は一騎打ちで勝った優越感から紅夜に向けて一瞬得意げな顔を見せると、陽奈に向かって謝罪し床に落ちている木刀を片づける。
「さっきのが、お前の霊術なのか?」
「貴様に教えるつもりはない」
陽奈の側へ戻った成実は紅夜の問いかけに対して、冷たくそう返す。
「そうですよ、さっきのが成実の霊術、天深結界です」
「ひ、陽奈様、何故教えるのですか!?」
先ほどまでの紅夜を馬鹿にするような態度から一変、すり寄るような情けない口調になる成実を宥めるように陽奈は頭を撫でる。
「これから味方として一緒に戦っていくんですからお互いのことをよく知っておいた方がいいかと思いまして、駄目でしたか?」
「い、いえ、陽奈様がそう言うのでしたら私は……」
頭を撫でてもらっているのがよほど嬉しいのか、成実はいつも紅夜にとっている態度とは大きく違い、顔を赤くして俯き、しおらしい返事をするだけだった。
「でしたら、わたしが説明しておきますね。天深結界と言うのは掌から体内の霊力を放出させ、その霊力に形を与え、敵の攻撃を遮断する結界を作り出す術です。強度はほとんど一定ですが、形に関しては使う霊力と結界形成に用いる時間で変えることが出来る。――えっと、たしかこんな感じでしたよね?」
「はい、流石は陽奈様です」
「これくらい褒められるようなことじゃありませんよ、そう言えば高桐さんの霊術を聞いていませんでしたね、聞いてもいいですか?」
「俺の霊術は【赤眼】つまりはこの眼自体が霊術みたいなもんなんだが、この眼の力は、眼に映る対象の一手先の行動が視えるってだけで大した術じゃない」
「一手先を……それで私の攻撃をあれだけかわせたということか」
「次の相手の行動がわかると言うことですね、それは十分凄いと思うんですが?」
紅夜の異常なまでの反応速さに成実は納得し、陽奈は首を傾げる。
「常に一手先が視えるわけじゃないからな。霊力を赤眼に込めたときしか一手先は視えない、だからさっき木刀を弾かれたときは赤眼を切っていたからこの様だ」
「ずっと赤眼に霊力を込めたままにしておくことはできないんですか?」
「生憎、俺の霊力はそんなに無尽蔵なわけじゃないからな、使うときだけ霊力を込めるようにしないとすぐに霊力が切れる。それにこの霊術の一番の欠点は例え敵の一手先の行動が視えたとしてもその動きに体が反応できなければ意味がないってことだ。つまり自分よりも格上の武将相手じゃ、赤眼で一手先を視てもその動きに体が対応できなければそれまでってことだ」
利髭との一騎打ちや泉千に斬りかかられた時がその例で、一手先が視えたとしてもその未来に対して行動できなければそれは視えていないのと同じ、何もできずにただやられる。
「なるほど、どんな霊術にも長所や短所があるんですね」
「そう言う鳳ヶ崎の霊術はどんな霊術なんだ?」
「えっ、わたしですか? 教えるのは構わないんですが、そうですね、わたしのことをこれから陽奈と呼んでくれるんであれば教えることにします」
「は? なんで――」
「ななな、何故、このような男に名前を呼ばせようとするのですか!?」
突然の陽奈の提案に動揺を隠せない成実は紅夜の声に被せる。
「大きな意味はありませんよ、単純にこの鳳凰旗団には『鳳ヶ崎』が二人いますので混乱を避けるためにも区別したほうが良いと思いまして」
「た、たしかにそれはそうかもしれませんが、し、しかし――」
「それもそうだな(さっきの部屋での会話みたいのをこれから繰り返すとなると鬱陶しいし)、それじゃあ、これからは陽奈って呼ぶことにするがいいな?」
「はい……えっと、自分で言っておいてあれなんですけど男の人に名前を呼ばれるのは慣れてませんから、ちょっと照れくさいですね」
「…………」
紅夜の確認に照れたような笑顔で答える陽奈の横顔を見た成実は奥歯を軋ませながらも面白くなさそうに紅夜を睨む。
「それで、陽奈の霊術はどんな霊術なんだ?」
「あっ、そうですね、勿体ぶってしまって大変申し訳ないんですが、わたしの霊術はただの治癒術です」
「治癒術? あの凡庸霊術のか?」
「はい、すみません」
霊術には大きく分けて二つあり、一つは固有霊術と言って霊力が覚醒した際に霊術印が体のどこかに刻まれた者にしか使えない特殊な霊術(紅夜は眼球に霊術印が刻まれており、成実は右手に霊術印が刻まれている)もう一つは霊力を持っている者なら後天的に霊術印を体に刻み鍛錬を積むことで習得することが出来る(陽奈は胸の心臓辺りに刻まれている)凡庸霊術に分けられている。両方とも霊力を消費して発動させるのは一緒だが固有霊術のほうが圧倒的に強力なので凡庸霊術しか使えない者は軽く見られてしまう。
「凡庸霊術とは言え、陽奈様の治癒術は他と一線を画すものがあります! ですのでそんなに落ち込む必要などありません」
成実は肩を落とし少し凹んでいる陽奈に声をかけると、紅夜に向け『お前も何か言え』と言わんばかりの睨みを利かせてくる。
「……そうだな、あれだけ大きな傷を負った俺をあんなに早く回復させたんだから少なくとも自分で卑下するような物じゃないのは確かだろうな(むしろ、あれだけの治癒術がただの凡庸霊術ってのが信じられないぐらいだ)」
「あ、ありがとうございます。二人にそう言ってもらえるすごく自信になります。そう言えばお姉ちゃんから起きたら高桐さんをお部屋に案内するように言われていたんでした。お話はこの辺にしてそろそろ行きましょう」
陽奈たちに案内されて着いた先はなんてことはない普通の客室前だった。
「今日からこの部屋を自由に使ってください」
陽奈は引き戸を開けて、紅夜に部屋の中を見せる。
「……こんな良い部屋を貸してもらっていいのか?」
八畳一間で布団をしまう押入れと厠だけという質素な作りではあったが、天井に蜘蛛の巣はなく、無論壁に穴も空いていない。雨風をしっかり凌げる部屋と言うのは久しぶりだったので紅夜は少し驚きながら陽奈に確認をとる。
「はい、勿論です。それじゃあわたしたちはこれで――、あっ、そうでした、わたしと成実の部屋は向かいになりますので何か聞きたいことがあれば気軽に声をかけてください」
八畳の居間の中心にいる紅夜に向かって入り口近くにいた陽奈は軽くお辞儀をして部屋から出て行った。
「……お前は出ていかないのかよ?」
いつもならどこへ行くにも陽奈の後を追う成実だが、居間への入り口辺りで壁に背中を預けながら立ち、歩き出そうとしない。
「心配するな、言うべきことを言えば貴様の部屋からなどすぐにでも出て行ってやる」
陽奈と喋るときは違い尊敬の欠片も感じさせないような人を小馬鹿にしたような口調ではあったがそれでいてどこか真剣な顔つきをしていた。
「貴様はさっさと鳳凰旗団から消えろ。貴様のような脆弱な奴は私らの役に立たない」
「……たった一度、手合わせで勝っただけで随分と大きく出たもんだな、まぁ、たしかに俺自身が弱いことは同意するが俺はお前の主である陽奈に頼まれてここへ来てるんだ。その言葉を陽奈が俺に言うならともかく、お前に言われる筋合いはない」
「陽奈様は何故かお前を買っておられるようだが、私にも勝てないお前が鳳凰旗団の役に立つはずがない、それどころか近いうちに足を引っ張るに決まっている」
「そんな俺に協力を求めないといけないような状況になっているのは、お前が役に立ってないからじゃないのか?」
「なにぃ!? もう一度言ってみろ!」」
互いに睨み合い火花を散らせると、廊下の方から声が聞こえてくる。
「成実? どうしたんですか?」
「いえ、少し話をしているだけです」
「そうですか、それではわたしは先にお風呂へ行っていますね」
「いえ、話は終わったので私もすぐに行きます」
そう言うと成実は廊下へ繋がる戸のほうへ歩き出すとすぐに立ち止まる。
「明日の夕刻、道場に来い、次は真剣で斬り捨ててやる」
振り向くこともせずに成実は外で待っている陽奈と合流し、浴場に向け歩いて行った。
それから数刻後、布団を敷き終え眠りに就こうとしている紅夜は自身の身の振りについて考えていた。
「(俺が鳳凰旗団に身を置く理由は二つ、一つは陽奈に命を助けられた恩を返すため、二つはここに身を置かなければ七條家の連中に捕えられ必ず殺されるから。その二つを同時に解決する方法は七條家を滅ぼすこと、とはいえ)はぁ、戦から離れて暮らす未来は遠いな」
今自分に出来る最善は鳳凰旗団に協力し七條家を滅ぼすことだとわかってはいるが、それがどれほど難しいことなのかは紅夜が一番分かっていた。