上章
「ここが私たち鳳凰旗団の本拠がある町、八千代の町ですよ、って、あれ? 高桐さん、そんな疲れた様子でどうしたんですか?」
陽奈は自分たちの拠点が存在する八千代の町の中へ入ると嬉しそうに手を広げながら紅夜に紹介し始めたのだが、疲れ切っている紅夜の顔を見て不思議そうに首を傾げる。
「日高村からこの八千代の町まで三里(12キロメートル)ほどですからそこまで疲れるような距離ではないと思うんですが? はっ! もしかしてどこか具合が悪いんですか? い、急いでお医者様に――」
「単に疲れただけだ」
呆れたように短く言葉を返すと、陽奈はどうして紅夜がこれほど疲れているのかわからずに再度首を捻る。
「本当に自覚がないんだな、だったら聞くが、昼前に三里離れた日高村を出たにもかかわらず、どうして今は完全に陽が沈んでるんだろうな?」
嫌味を込めて紅夜がそう言ったのにも理由があった。
三里の距離ならば一刻(約二時間)程度で歩ききれるのだが、陽奈たち御一行はその道のりに四刻(約八時間)近くかけていた。それと言うのも道端で困っている人がいれば誰かれ構わず陽奈が助けようとするからだ。行商人が乗っている馬車の車輪が道脇の浅い沼地に嵌まっているのを見つけたのを皮切りに、落とし物の捜索、付近の盗賊退治などの善行を重ねている間に時は流れ、現在に至る。
「そう言われてみればたしかにもう真っ暗ですね、どおりでお腹が空くわけです。拠点に行く前に少し出店を回っていきましょう」
町の中は提灯や灯篭から発せられる明りと、活気に溢れている町人たちの声によって夜と言う感じはしないのだが、空は完全に暗くなっていた。陽奈はそんな暗い空を一瞬見上げたのち照れたように笑いながらお腹を手で押さえて紅夜と成実を促す。
「陽奈様、まずは帰ってきたことを筆頭に報告するべきでは?」
「少しくらい報告が遅れても大丈夫ですよ、さっ、出店を食べ歩きましょう」
心配そうな顔をする成実に対し陽奈は意気揚々と踵を返し出店が多く集まる繁華街のほうへ歩き出す。
「お前って、もしかして結構苦労してるのか?」
残された紅夜は同じく残された成実に同情の視線を向ける。
「貴様から同情されても不快なだけだ」
お人好しで天真爛漫な陽奈に毎日付き合っているのだと思えばこその言葉だったのだが、成実からはそんな冷たい返事しか帰って来ず。二人の間には不穏な空気が流れつつも陽奈の後についていった。
「すごく美味しいです! 幸せです!」
陽奈は出店の前で右手に焼きおにぎり、左手に鳥の串焼きを持って交互に食べている姿は言葉通りとても美味しそうで幸せそうな笑顔を見せていた。
「陽奈様、もう少し落ち着いて食べませんと口の周りに……」
成実は自分の口の端辺りを指差し、串焼きのたれと焼きおにぎりの粒が付いていることを知らせる。
「え! 付いていますか? ……えーと、取ってもらっていいですか?」
両手に握られている食べ物を交互に見ながら、困り果てた顔でそう言った陽奈に対して成実は「し、失礼します」と言い自分が持っていた布切れを使い取ってあげる。
「えへへっ、取ってくれてありがとうございます、成実」
「かっ――(可愛い)」
口の周りを拭ってくれた成実にお礼の言葉と照れ笑いを見せる陽奈を見て、成実は頬を少し赤らめながら口から零れそうになる言葉を封じ心の中で呟いた。
「あっ! そうでした。あれを買わないと」
陽奈はそう独り言を言うと、惜しそうな顔を一瞬見せながらもすぐに手に持っていた食べ物を食べきり、駆け出してしまう。
「……陽奈様!?」
陽奈の可愛さに呆けてしまっていた成実は目の前から陽奈が消えていることに、驚きの声を上げながら辺りを見渡し、屋台の前にいる陽奈の後姿を見つけ駆けだす。
「陽奈様、急にいなくなられると困ります。いったい今度は何を買って――」
成実がそこまで言うと陽奈は楽し気に成実のほうへと振り返り、手に持っていた串に刺さった団子を成実に向ける。
「えっと、ですね。日高村の周辺で美味しいものを食べるって約束したじゃないですか? でもあれから色々あって結局めぼしい物を食べられなかったので、その約束の埋め合わせと言うか、なんと言うか、食べ慣れた味かもしれないですけど、これ成実が好きじゃないですか、だから一本奢らせてください」
「ひ、陽奈様(あのような些細な約束を覚えて下さって)」
成実は小さな感動を覚えながら差し出された団子を手に取るのだが、いつもは三色あるはずの見慣れた団子がなぜか二色になっているのに気づく。
「あー、えっとですね。ごめんなさい。あまりに美味しそうだったんで一つ食べちゃいました。駄目ですよね。新しいの買ってきますね」
「な、なにを言っているのですか!? その必要はありません! むしろ、これが――」
そこまで言ったところで陽奈が首を傾げたので、成実は口が滑ったと言わんばかりに自らの口を手で塞ぎ、咳払いをする。
「わ、私はちょうど、三色団子の二色分を食べたいなと思っていたところなので、新しいのは大丈夫です」
「そうなんですか! それはちょうどよかったです。ささっ、食べてみてください」
苦しい言い分だったが陽奈は疑う様子もなく、嬉しそうにそう言ったので成実は団子を一つ口に含む。
「――美味しいです。今まで食べた団子の中で一番美味しいです」
「一番なんて、成実は大げさですね」
そう言って陽奈は嬉しそうに笑い、成実も幸せそうに笑う。
「(なんだ、これ)」
二人から離れることも出来ず、そんな二人のやり取りを二人から二歩ほど離れた場所で見せつけられている紅夜は少し前に陽奈から勧められた竹串に刺さった焼き魚を食べながら冷めた視線を二人に送っていた。
「さぁて、次は何を食べましょう」
陽奈は次に食べるものを見定めようと辺りを見渡し始めると成実は我に返る。
「いえ、そろそろ拠点のほうへ行った方が――」
「まだ大丈夫ですって、もう少し――」
「もう少し、なんだって?」
陽奈の後頭部を背後から片手でしっかりと掴んでそう言った女は、背丈が五尺七寸(約170センチ)ほどあり女性らしい豊満な肉つきではあるが一目で鍛えていることがわかるほど引き締まった体つきで、虎のように鋭い目つき、肌の色はやや褐色、長く暗めの赤髪を後頭部の高い位置で一つ縛りに結び、大人らしさを含んだ快活そうな顔は笑っているのだがどこか恐怖を感じる怖い笑顔になっていた。
その女が現れ、声が聞こえた瞬間、成実は姿勢を正し、陽奈は後頭部を掴まれながら冷や汗を流している。
「あ、あれぇ、ど、どうしてこんなところにいるんですか?」
「お前と成実が帰って来たって噂が耳に届いてから半刻、待っても一向に顔を見せに来ないからこうしてわざわざあたしの方から迎えに来てやったってだけさ、あたしへの報告を後回しにしておいて出店周りなんて、あたしも随分舐められたもんだねぇ?」
笑顔ではあるが明らかに怒りを含んだその口調に陽奈は涙目になりながら震える。
「ひ、筆頭、今回のことは私が陽奈様を止め切れなかったことが原因ですので、処罰は私にお願いいたします」
「(筆頭? ってことはこの人が鳳凰旗団の頭か)」
成実の言葉や怯えながら頭を下げる様子から紅夜は目の前にいる美女が鳳凰旗団の筆頭であることを悟ると同時にこの二人の態度を見て只者ではないと思い、少し身構える。
「ち、違うんです、成実はちゃんとわたしに『先に報告をしたほうがいい』って言ってくれていました。悪いのは私なんです、だから成実を攻めないでくださいお姉ちゃん」
「えっ、(お姉ちゃん?)」
『お姉ちゃん』と陽奈が言った瞬間、紅夜の体から若干力が抜けたのと同時に陽奈が『お姉ちゃん』と呼ぶ美女の腕に力が入る。
「陽奈が悪いことぐらい改めて言わなくてもいつものことだからわかってるっての、あと軍議のときと怒られているときは『お姉ちゃん』って呼ぶなって言ってんだろうが!」
「ふ、ふぁ~い」
万力のような強い握力で頭部を締め付けられ、陽奈は目を回しながら辛うじて返事をすると、ようやく解放されたのだが同時にその場で倒れ込んでしまう。
「ひ、陽奈様!」
「な、成実、い、今まで、ありがとうございました。また、来世で――」
「ひ、陽奈様ぁ!?」
駆け寄ってきた成実とそんなやり取りをすると陽奈は完全に力尽き気絶してしまい、成実はその傍らでまるで陽奈が死んでしまったかのような取り乱し方をしている。
「(なんだ、これ)」
「んっ? あんた――まさか、噂の『赤眼軍師』か?」
そんな二人のやり取りを見慣れているのか、美女は二人を完全に無視して、茶番を見せられているかのような冷めた目をしている紅夜に気づき話しかけてくる。
「――高桐 紅夜だ、そこの鳳ヶ崎に命を救われ、その恩を返すために打倒七條家を成すまでの間、鳳凰旗団に協力することになってる」
「赤眼軍師と会ってることは陽奈からの手紙で報告を受けてたが、ふ~ん、なるほどね、中々いい面構えだ。あんたのような男に目を付けて口説き落とすとは、我が愚妹ながらやってくれる。すぐにでも折りいった話をしたいんだが、ここで色々話すわけにもいかないからねぇ。続きは拠点内の評定の間でいいだろ、成実、陽奈の面倒と紅夜を評定の間まで案内するように、任せたよ」
美女は踵を返し紅夜に背を向けるとそう言い残し、去って行ってしまった。