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鳳凰記  作者: 新野 正
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終わりを告げる足音


 赤眼の男が賊相手の用心棒をしていることはすでに七條家本城、熊木城ではもっぱらの噂になっていた。

 そして軍に所属している者はすぐに感づき、皆『赤眼軍師が我らの領内に』と口々に噂していた。その噂は城主であり王である七條家当主、七條しちじょう 金興かねおきの耳にも入っていた。

「お呼びですか、金興様」

 薄い青色の髪で目元が隠れるほどの長髪、その長い前髪のせいで切れ長の目は勿論、整った顔の半分が隠れてしまっている。体格は高い背丈の割に体の線が細く、青紫色の和服に身を包んでいる。評定の間(軍事や政務の方針などを話し合い決める広間)の玉座に座る金興に向け軽く頭を下げているその男の名は治意はるい 修立しゅうたつと言い。若くして金興の信頼を勝ち取り七條家の政務全般を取締まるだけではなく軍備に関しても発言権を持つ七條家の宰相であり軍師でもある、要するに金興の右腕である。

「お前に来てもらったのは他でもない、赤眼の男の噂について相談があってな」

 この王とは思えないほど威厳のない間の抜けた顔立ち、体格は中肉中背で歳は三十過ぎ、光り物を装飾した和服に身を包んでいる男、七條 金興は偉そうに頬杖を付いている。

「ああ、『赤眼軍師』と呼ばれた元皇家・第五部隊隊長の高桐 紅夜のことですね?」

「それはあくまでまだ噂の段階だろう、実際にその赤眼の男があの高桐だとは――」

「恐れながら、それはすでに確認済みです。賊共を使い赤眼の男が現れると噂されていた辺りの村を順に襲わせていたところ昨日、日高村と言う村に赤眼の男が現れ、その男の特徴を逃げてきた賊共から聞いた限り間違いなく高桐 紅夜だと断定できます」

「ほぉ、すでに調べておったか、さすがはわしの右腕よ」

 金興に遠慮するように軽く頭を下げながらも発言する修立の話を聞き感嘆の声を上げる。

「お戯れを、私はただ金興様の命に従っただけでございます。故に今回の手柄は私ではなく金興様自身でございます」

「ん? わしがそのような命を……出したのか?」

「はい、数日前に、ならず者の賊たちに金銭を渡し噂の真実を探る、その計を聞いたときはこの修立驚きました。この私などでは到底思いつきません。流石は金興様にございます」

「そ、そうか、そうだな、そうであった! このわしがお前に命じたのであったのだな」

「はい、その通りでございます」

 上機嫌の金興に対して修立は頭を下げながら一瞬わずかに口角を上げる。

「それで、その高桐がどうかしたのですか?」

「うむ、赤眼の男が高桐だとわかっているなら話が早い、お前に相談と言うのはその高桐をなんとかして捕えられないかと思ってな」

「捕えるのですか? 何故に?」

「皇家が奴の身柄を欲しておるからだ、奴を捕え身柄を皇家に送れば大金がわしの懐に入って来るということよ」

「なるほど、そういうことでしたか、私もあの者を野放しにしておくのは危険だと思っていましたので捕えるのは賛成にございます」

「危険? 将だった頃の勇名は聞いておるが浪人に成り下がった今の高桐に何ができる?」

「一人では何もできないでしょうが、鳳凰旗団の一員となれば我らにとって脅威になりかねません。奴らが『赤眼軍師』の噂を聞きつければ必ず味方につけようとするはず」

「あの馬鹿な連中か、馬鹿故に今まで相手にしておらなんだが、奴等に『赤眼軍師』と呼ばれた男が加わるのは面白くないな」

「そうなるのを防ぐためにこの私に高桐を探らせたのですよ、金興様が」

「おお、そうであった、そうであったな。つまりはすでに手配ができておるのだな?」

「そうなのですが、なにぶん始末するつもりでしたので、捕えるとなると……」

「そう言うでない、勿論、お前にもいい思いをさせてやるぞ」

「(まぁ、男一人捕えるも殺すも大した違いはないか)……わかりました。それでは早速ですが兵を進めることを進言いたします。元々赤眼の男が高桐だとわかった時点で動かせるように軍を編成していましたので、早ければ早いほど良いかと。明日の明朝に出陣出来れば、明後日の昼頃には高桐を捕えられるはずです」

「それはよい、早いに越したことはない。それで軍の編成はどうなっておる」

「はい、三百の式兵を率いて私が捕えて参ります」

「う~む、お前が軍を率いるのは構わぬが式兵を連れて行きすぎではないか? それだけの数を出せば行軍だけで無駄な金がかかる、たった一人を相手にするのだ、少し数を減らしても良かろう」

「相手は仮にもあの久谷一揆を引き起こした『赤眼軍師』、用心に越したことはないかと」

「心配しすぎだ、お前が率いるのであれば万が一にも負けまい、そうだな、百二十でよかろう、それで何とかせよ」

「……承知しました」

 頭を下げながらも僅かに不満そうな顔を浮かべる修立は続けて金興に進言する。

「金興様の命に従い式兵の数を減らすのはやぶさかでもありませんが、ご存知の通り私は武術を嗜みませんので護身のために一人武将を連れて行ってもよろしいでしょうか?」

「武将? ああいいぞ、誰でも連れていけ、お前の命に従うように一筆したためてやる」

「お聞き入れいただきありがとうございます、それでは私は早速軍を率いて日高村へ向かいますのでこれにて」

 少し早足で評定の間を出ると、修立は小さく舌打ちをしながらも、金興の命に従い百二十の式兵と腕の立つ一人武将を連れて日高村へと向かった。


 その知らせが紅夜の耳に届いたのは陽奈たちがお堂を後にしてすぐだった。村人の一人が『七條家の軍がこっちに向かって来ている』と紅夜に伝えに来てくれたので急いで麓の村へ駆けつけると村人たちは大慌てになっていた。

 紅夜はどういう状況か掴めずにいたが見たところ村の中にはまだ兵が入ってきていないようで、七條家が軍を率いてくるのなら地理的に村の正門前に布陣すると思い、正門の方へ向かうと農具を手に持った村の男たちが閉まりきった正門の前に集まっていた。

「お前らそんなもん持って何する気だ?」

 村人たちに紅夜が声をかけると、村人たちは「おっ、高桐さんだ」「高桐さんが来た」などと言いながら期待の眼差しで紅夜を見つめる。

「当然戦うために決まってるさ、高桐さんだってそのつもりなんだろ?」

 まだ若い村の長は意気込みながら紅夜の問に村人を代表して答える。

「……状況がわからないんだ、まだ何とも言えないな」

 紅夜は近くにあった梯子を使い家の屋根の上へと昇って村の外の様子を見てみると、村の正門から二十丈(約60メートル)ほどしか離れていないところで七條軍は横陣(兵を横並びに布陣させる基本的な陣形)を布いていた。

「あの時と同じだな……」

 瞼の裏に張り付いて今も尚忘れることのできないあの惨劇。

 規模こそ違うが絶対に勝てない戦いだと言うことには違いない。

「どうだ? 勝てそうか?」

 屋根から降りてきた紅夜に村の長が気持ちを高ぶらせながら聞いてくる。

「無理だな、絶対に勝てない」

 紅夜の言葉に村人たちは困惑の表情を浮かべながら明らかに動揺し始める。

「そ、そんなわけないだろ、高桐さんはあの『久谷一揆』をやってのけた『赤眼軍師』なんだろ? だったら今回だって――」

「理由は二つ、一つは戦に対しての準備を全くしていない、『久谷一揆』の際は崖から落とすための岩や丸太を集め、力のある奴には弓の使い方まで教えた。だが、今回はそれが全くできていない。二つ目は相手の軍に霊力の高い武将が二人いるってことだ。遠目でもわかるが片方は一騎打ちでも厳しい。つまり絶対に勝てない」

「そ、そんな、か、数は敵の数はどうなんだ?」

「ざっと見てだが、百から百五十ってところだな、数の差で言えば戦えなくもないが、戦の経験もない農民と式兵じゃ話にならない」

「式兵? なんだそれは?」

「式紙って言われる護符みたいな紙を媒介にして召喚される兵のことさ、簡単に言えば戦のために作られた人形だな、それでその人形のことを式兵しきへいって呼ぶんだよ。民が雑兵として戦場に出ることが少なくなったのはこいつらのおかげさ、なにせ式兵は鍛錬を積んだ人間の兵三人分の強さだからな。しかも兵糧の消費は人間の三分の一、勿論、式兵一体を作るのにはそれなりの金と準備がいるが、式兵は禄を必要としないから長期的に見れば式兵で軍を作ったほうが強くて安い。だからどこの主家もこぞって式兵を集める」

「つまりその式兵は普通の人間より強い人形ってことか」

「まぁ、見た目も体の作りも最低限の感情もあるからほとんど人間みたいなもんなんだけどな、とにかく、一般の兵でも三人力って言われる式兵相手に農民が勝とうとするなら最低でも十倍はいる、だからあの数とまともに戦うなら農民が千から二千はいるだろうな」

「そ、そんな、それじゃあ一体どうすれば?」

「勝てないなら戦わないようにするしかないだろ、その上でまず聞いておきたいんだが、どうして七條家はこの村に攻めてきたんだ?」

「……わからない。強いて挙げるなら税を納めるのを待ってもらっていることくらいだ」

「軍を動かせばそれなりに金と兵糧がかかる、その程度の理由で軍を動かすわけ――」

 話している途中、近くの家の壁に村の外から放たれた矢が刺さったので紅夜は言葉を止め、その矢に近づくと矢には紙が結んであったのでその紙を矢から外し広げてみるとそこには七條家の狙いが書かれていた。

『高桐 紅夜を引き渡せば我々はすぐにここから立ち去る、勿論村に危害は加えない』

「なるほど、狙いは俺か」

 わざわざ目と鼻の先に布陣したのにどうして攻めてこないのか、疑問に思っていた紅夜だったがその文を見て合点がいった。

「な、なんて書かれてるんだ?」

 矢が村の中に放たれたことによって怯えている村の長は紅夜に近寄っていく。

 紅夜は躊躇することなく文を手渡し七條家の狙いが自分であることを村人たちに教える。

「まぁ、そう言うことだ。どうやら七條家の連中は俺がこの村に匿ってもらってると勘違いしてるらしい、つまり俺がこの門から出ていけばこの村は大丈夫だ」

「そ、そうか、でも、高桐さんは出て行って大丈夫なのか? あいつら高桐さんを――」

「たかが用心棒のことなんてお前ら農民が気にすることじゃないさ」

 村の長の言葉を止めるように紅夜はそう言って正門の方へ向かい、門を開ける。

「――短い間だったが世話になった。達者でな」

 振り向くこともせずそう言い残すと紅夜は正門を抜け外へ出て行った。

 陣頭に立ち馬の上から村の方を見ていた修立の目に門から出てきた紅夜が映る。

「貴殿が高桐 紅夜だな、私の名は七條家宰相、治意 修立。貴様を捕えるようにと我が主七條 金興様から下知が下っている、神妙にすれば命だけは助けてやる」

「宰相って言う割には嘘が下手な奴だな、それともどうせ死ぬ人間に対して真面目に嘘をつくのが馬鹿らしいのか?」

 紅夜は自嘲気味に言葉を返すと腰に差している剣を抜く。

「ふんっ、その様子だと大人しく捕まる気はないのだな。一時とは言え『赤眼軍師』と呼ばれ大陸を震撼させた武将の行動とは思えんな」

「いやいや、最近癇に障ることが多くてな(山賊と間違われるわ、寝床の障子を蹴破られるわ、毎日しつこい勧誘があるわと散々だったからな)。どうせ死ぬなら少しでも憂さ晴らしをしてから地獄に行きたいだけさ、なんなら一緒に来てくれても構わないんだが?」

「何を言うかと思えば、たとえ私が死んだとしても残念ながら地獄へ行くことは出来ない。なぜなら私は貴様と違って地獄に落ちるような悪行など一切していないからな。民に愛され、民のために政務を行っている私を地獄へと落そうとする神仏など存在しない」

「(よく言うな、浪人の俺の耳にさえ入ってくるほどの悪政を取り仕切ってる癖に)それなら問題ないさ、俺が節穴の神仏に変わってホラを吹いた罪でお前を無理やりにでも地獄へ叩き落としてやるよ」

「ふんっ、それは楽しみだ」

 修立は皮肉たっぷりにそう言い右手を上げて弓矢隊に攻撃準備をさせると、それに対して紅夜は赤眼を使うために一度目を閉じた瞬間、瞼の裏に焼き付いたあの光景が走馬灯のように脳を駆け巡る。

「(悪いな、せっかく助けてもらった命だが、ここまでみたいだ。何も成すことなく死んでいく俺を許せ――なんて言えないよな。今の俺に出来ることはあいつらが助けてくれたこの命が尽きるまで生きる希望を捨てないこと、ぐらいか)狙うはあの男の首だけ」

 指揮官である修立を殺せばまだ生き残れる可能性があると踏んだ紅夜は弓兵隊が弓を引く中、小さく息を吐き、瞼を開き、敵陣中央にいる修立の首を赤い眼で捉えて駆け出す。

「放て」

 修立は右手を下ろしながら冷静に下知を発すると弓兵隊から放たれた二十本の矢は放物線を描き紅夜目掛けて落ちてくる。

 紅夜は向かってくる矢に全く動じずそのまま駆けて行き、僅かに視線を上げて放たれた矢を赤眼によって見切るとかなりの速さで向かってくる矢を全て簡単に避けきってしまう。その動きは人間のそれではなく、まるで矢がどこに落ちてくるのかわかっているように紙一重で完全回避してのける。

「っち、(弓矢では分が悪いか)第一足軽隊、奴を捕えよ」

 その下知に従い、第一足軽隊に編成されている二十体の式兵は紅夜に向かい進軍する。

 正面から向かってきた足軽武装の式兵たち相手では無視することも敵中突破することも難しく紅夜は足を止めて式兵たちを迎撃する。

 剣や槍を手にした式兵たちは紅夜取り囲むと一斉に紅夜に襲い掛かり、乱戦となる。

 襲い掛かる刃をかわし、受け流し、隙の出来た式兵から順に斬り捨て、時には攻撃をかわし式兵同士が同士討ちになるように立ち回って数を減らす。

「変だな(明らかに動きが鈍い)」

 十体目の式兵を斬り捨てると思わず紅夜はそう呟く。

 紅夜が元武将とは言えこれほど簡単に式兵を十体も斬れるはずがないことは紅夜自身が一番分かっており、故にそんな疑問を抱いたのだが修立の『貴様を捕えに――』と言ったのを思いだし納得する。

「そう言うことか(俺を捕えるってことは、こいつらは俺を殺せないのか、だから俺が死なないように手加減してるってわけか)」

 そうとわかればと紅夜は少々強引に式兵たちに向かって行き、結果として第一足軽隊をたった一人で壊滅させる。その姿に七條家の式兵たちは動揺しざわつき始めるが修立は舌打ちをしただけで至って冷静に次の部隊を紅夜に向けようと下知を飛ばそうとする。

「お待ちくだされ、治意殿、ここは儂にお任せを」

 そう言って兵たちをかき分け現れたのは、馬に乗り和鎧を身に纏った白髪の大男だった。

「私に意見するか? 八重田」

「恐れながら、この老骨にお任せいただければあの青二才を簡単に捕えて参りましょう」

 八重田と呼ばれたその武将は、八重田 長左衛門 利髭(やえだ ちょうざえもん としひげ)と言い、齢五十を過ぎた老兵だが、年齢を感じさせないほどの屈強な体とそれに見合う大きな朱槍が武将としての威厳と格を放っていた。

「貴様は万が一のための護衛として連れてきたに過ぎん、大人しく控えていろ」

「このまま無駄に式兵を失えば金興様のお怒りを買うことは必定、されど儂が出れば――ありえぬ話ですが、例え負けたとしてもそれ相応の深手をあの青二才は負うはず。それから式兵を使い捕えれば被害は最小限に」

「(ふむ、どっちに転んだところで私からすれば損はしないか)……いいだろう、貴様に高桐を捕えることを命じてやる。ただし、高桐を捕えることが出来なかった場合は地下牢での長期謹慎も覚悟してもらうぞ」

「はっ、必ずや高桐を捕えて進ぜよう」

 利髭は馬に乗りながら式兵たちをかき分け先頭に出る。

 修立の首を狙い敵陣に向かっていた紅夜だったが、利髭の出現によって足を止めざるを得なかった。そうと言うのも紅夜が『一騎打ちでも厳しい相手』と言うのがこの利髭だったからだ。

「厄介な奴が出てきたな」

 嫌そうな顔で小さく呟いた紅夜に対して利髭は大きく息を吸い込み戦場全体に聞こえるほどの大声を出す。

「我が名は八重田 長左衛門 利髭と申す! 貴殿に一騎打ちを申し込む! その命惜しくなければこの申し出を受け! 儂と尋常に勝負せい!!」

「(ったく、声でかすぎだろ。厳しい相手だが、一騎打ちで勝てれば敵の士気は大幅に下がるし、大将首も狙いやすくなる、それにまぁ、式兵に殺されるよりも――)いいだろう、その申し出受けて立つ」

 互いに一騎打ちを行うことを了承し、利髭は馬を降り紅夜のほうへ近づき、紅夜も利髭の方へ数歩進む、互いの距離が三丈ほど(約10メートル)になると互いに止まり武器を構える。戦場が異様なほど静まり返り、聞こえるのは戦場に流れる風の音と、互いの息の音だけ、そして睨み合う互いの呼吸が合い、息を吸い込んだ瞬間、互いが互いの息の音を止めるために駆け出す。

「(右脇腹辺りに刺突がくる)」

 紅夜の目――赤眼には利髭が放ってくる一手先が視えているので利髭の強力な一撃を左へ回避し、懐へ入る。

「(まずは一撃)」

 利髭の腹部を右薙ぎで真一文字に斬りつけようと剣を振るったのだが、利髭は紅夜の回避から攻撃への一連の流れに瞬時に反応し、突き出した朱槍を素早く引き戻し、石突き(槍の後方部分)を地面に突き立て、紅夜の剣を槍の柄で受けて防ぎ切った。

「(今のに反応するのか!)」

 距離や位置関係から見ても防げる状況ではなかった。少なくとも紅夜はそう思った。一撃で殺せるとは思っていないがそれなりの傷を与えることはできると確信して剣を振るった紅夜は驚きを隠せない。

「ほぉ、青二才だと思っておったが、今の動きは悪くなかったのう、だが――」

 利髭は交わっていた剣をあっさりと朱槍で払いのける。

「(まずい!!)」

 紅夜の赤眼には視えていた、利髭が剣を払いのけ自分の左脇腹へ槍の柄の部分を使い強烈な左払いをしてくる姿が、しかし意表を突かれたせいで反応できず、剣を払われた際に態勢を崩し、避けることはおろか防ぐことすら不可能だった。 

 凄まじい力だった。

 紅夜はまるで風に吹かれた紙のように右の方へ吹っ飛ばされ地面を転がる。

 痛む脇腹を抑えながら何とか立ち上がり剣を構える紅夜を見て利髭は感心するように声を漏らすと紅夜に語り掛ける。

「『赤眼軍師』など主家を裏切っただけの馬鹿な不忠者だと思っておったが、今の一撃を食らって立ち上がるとは中々の根性よ、しかし、もうよかろう、おぬしが儂に勝てないことはもうわかったはず、潔く投降せい」

「ここで捕えられればそれは死を意味する、だからそれだけはできない。例えこの命が尽きようとも自らこの命を終わらせる選択をすることは絶対にない」

「……よかろう、その覚悟しかと受け取った!」

 利髭は紅夜に向かって駆け出し力強く直線的な攻撃を紅夜に向けるが、紅夜は赤眼の力によって何とかそれらの攻撃を寸でのところでかわしきる。

「(特別速いわけではない、にもかかわらず儂の攻撃をここまでかわすとは――、仕方あるまい)久々に本気を出すとするか」

 その絶望的な独り言は紅夜に耳にも届いた。

 今でさえ全神経を注ぎ、やっとかわせているのに更に上があるなんて聞き違いであってほしいと思ってしまうほど追い詰められながらも、利髭から放たれている霊力が強まるのを見て、舌打ちを鳴らしながらも突っ込んでくる利髭に対して剣を構える。

 赤眼に映ったのは初手と全く同じ攻撃を放ってくる利髭の姿だったので同じように左へかわそうと動き出したのだが、一瞬でその判断が間違いだったと悟る。紅夜の右腹部目掛けて伸びてくる朱槍は初手のときとは比べ物にならないほどの初動速度だった。

「(これは、避けきれ――)」

 気づいたときにはすでに遅かった。

「ぐっ、うううぅぅ!」

 右脇腹は鋭い朱槍の一撃によって抉り取られ、激痛と言う表現さえも生ぬるい痛みが体中に伝わり、自然と湧き上がる悲鳴を必死で噛み殺す。

「この一撃を受けても尚、剣を落とすことなく、悲鳴を上げることなく、諦めることなく、この儂を睨むその姿勢、敵ながら見事、だが、何がおぬしにそこまでさせる? 仕える主がおるわけでもなく、成し遂げたい大望もないのだろう?」

「そうだな、俺にはそんな大層なものは何もない、空っぽの身だ。だが、この命は救ってもらった命。だからこそ死ぬまで生きることを諦めないようにしてるだけさ、そう言うお前はどうなんだ?」

「なにぃ?」

「お前だって俺と大して変わらないんじゃないのか? お前からは何も感じない、主への忠誠心も、己の野望も、何一つな。お前だって生きること以外は諦めた俺と大して差はないんだろ?」

「……おぬしの言う通り、そういったものはとうの昔に捨てた。今の儂は命じられたことをただ遂行するだけの駒よ」

「だったら、なんで――」

 そこまで言うと、遂に紅夜は力尽きたかのように崩れながら気を失い倒れてしまう。


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