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鳳凰記  作者: 新野 正
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煌めく光(みらい)

 追って来ている陽奈から逃げるようにある程度進み、羽葉たちが見えなくなったところで紅夜は振り返る。

「それで、俺に何の用だ?」

「あっ、やっと戻りましたね。その方が高桐さんらしいですよ」

「用件を言え、用件を」

「ああ、そうでした。実は高桐さんに見せたい物がありまして、ついて来てもらってもいいですか?」

「ん? 構わないが(なんだ? 仕事が遅れてるとか、問題が発生したとかか? この手の事が得意な陽奈にしては珍しいが、よく考えれば少し仕事を押し付け過ぎたかもな。まぁ、手も空いているしちょうどいいか)」

「よかったです、それじゃあ、付いてきてください」

 嬉しそうに笑う陽奈は紅夜の腕を掴み、引っ張るように駆け出した。

 戦場をかけるような速さでは勿論ない、早歩きよりも少し早いぐらいの速度で陽奈に引っ張られるように熊木城、城内の階段を上っていく。

「おい、どこに行く気だ?」

「それは、着いてからのお楽しみです」

 またろくでもないことを考えているのではないかと不安そうな紅夜をよそに、陽奈は振り返ることもなく、楽しそうに声を上ずらせる。

 階段を上り終えて天守閣に着くと陽奈はそのまま紅夜の袖を引いて廻り縁へと出た、穏やかな風になびく髪を少し整えると、紅夜から手を離し高覧に両手を置いて外を眺める。

「高桐さんも早く見てみてください」

「(見るって、景色をか? そんなもの見てもなぁ)」

 陽奈の考えがわからず、気乗りしない紅夜だったが、折角ここまで来たのだからと思い陽奈の隣に立ち景色を眺める。

 茜色に染まる空にまばらに浮かぶ薄暗い雲、なびく風は心地よく約六丈(約18メートル)を超える天守閣からの眺めは壮観だった。

「これを高桐さんに見せたかったんです」

「たしかにこの景色は壮観だが……(正直、驚くほどの物じゃない)」

 眼下に広がる景色の素晴らしさは紅夜の予想を大きく超える物ではなく、わざわざここまで来て見るものでもないと内心思う。

「景色も素晴らしいですけど、そこじゃないですよ。わたしが見せたかったものは風景ですよ。民が暮らす風景を見てほしいんです。七條家が支配してた頃は荒みきっていました。それでも今は徐々に活気を取り戻しています。この町で民が心から笑う事など出来なかったんですよ、それが今では素直に笑っています。見えますか?」

「……いや、流石にここからじゃ見えないだろ?」

「そう、ですけど、そうですけど! そうじゃなくて……」

「わかってるよ、そう言う意味じゃないんだろ?」

 照れ隠しに言っただけで、紅夜にも城下町の民たちの笑顔が、笑い声が今にも見え、聞こえて来るような、そんな雰囲気は感じ取れていた。照れたのは陽奈の言いたいことがちゃんとわかっていたからだ。

「もう、わかってるなら茶化さないでくださいよ、わたしが言いたいのは今、民が笑えるようになったのは間違いなく高桐さんのお陰だと言うことです。民も勿論感謝しているでしょうし、何よりもわたしが高桐さんに感謝してるんです、だから、これからも――」

「もし、俺がいとまを欲しいと言ったらどうする?」

「……それって、家来を辞めるってことですか?」

 紅夜は沈みゆく夕日を見ながらゆっくりと頷く。

「…………いいですよ」

 少し考えた末出した陽奈の答えは予想外の物で、随分とあっさり言い切った陽奈に流石の紅夜も驚いた様子で陽奈を見る。

「いいのか? 辞めても」

「はい、高桐さんが悩んでることはわかってます。辛い過去がその原因となってることもわかってます。だから、いいですよ」

 吹っ切っているようなそんな答えに、紅夜は一瞬視線を落としながらも再び夕日に眼を向けて『そうか』と一言だけ返した。

 今の精神状態の自分が鳳ヶ崎家の筆頭軍師になると言うのは主家のためにならないのではないかと常々考えていたとは言え、冗談のつもりで『陽奈なら驚いて止めてくれるだろう』そんなつもりで紅夜は言ったのだが、そう言われると、それも一つの方法かと思えてくる。

「それじゃあ、わたしも仮の話をしていいですか?」

「ああ、なんだ?」

「今の高桐さんの意見を尊重して主従の契りを解消するとするじゃないですか、そうすると、今、目の前にいる高桐さんは浪人さんってことですよね?」

「まぁ、そうなるな」

「そうですよね、それじゃあ、高桐さん、もう一度わたしの軍師になってくれませんか?」

「は?」

「ですから、高桐さんは今浪人さんなんですよね?」

「まぁ(仮の話だけど)」

「わたしは武将です、浪人さんを登用しようとするのは普通だと思うんですけど?」

「いやいや、それはおかしいだろ、辞めさせてくれるんじゃないのか?」

「はい、辞めるのは構いません。ただ、わたしが浪人になった高桐さんを登用しに行くだけですから」

「そんなもん断られるだけだろ?」

「それなら、また、翌日に行きますよ。高桐さんがいいと言ってくれるまで何度だって、どこにだって行ってみせます、高桐さんに断られるのは慣れていますから」

「百顧の礼か?」

「百でも千でもどんとこいです」

「そこまで行くと嫌がらせだろ」

「そうとも言えます」

「おい、認めるのかよ」

「ふふっ、冗談ですよ」

「ったく、勘弁してくれよ」

「高桐さんが悪いんですよ、その気も無いのに辞めるなんて意地悪なこと言うから、そのお返しです、でも、正直な話ですけど、本当に高桐さんが辞めたいと思っているならわたしは止められないですし、浪人になっても無理に登用にも行きませんと言うか、行けないと思います。それくらい辛いと思います。だからそんな思い詰めた顔で、そんな寂しい事言わないでください。一瞬本気かと思って泣きそうになったんですから」

「悪かった、ただ、女々しいと思うだろうが、どうしても自信が持てなくてな、こうして自分の地位が上がり、責任や期待を背負うことも増える。そんな中で今までやったこともない軍師という職を全うするだけじゃなく筆頭軍師になるなんて考えただけでも身の毛がよだつ、最近は毎晩思い出す。俺を信じてくれた民たちが斬られて吹きだす血潮もその痛みゆえの断末魔も鮮明に思い出す。筆頭軍師になんてなれば抱え込む人の数は久谷村の比じゃない、もし、同じような過ちを犯してしまえば今度こそ、俺は決して生きてはいけないだろうし、陽奈たちがそうなるかもしれない、そう考えただけで吐き気がする」

「あくまで、仮の話ですけど、高桐さんがわたしの家来を辞めた未来と辞めなかった未来があるとして、どちらの『わたし』はそんな酷い未来を迎えずに済む可能性が高いと思いますか?」

「……」

「高桐さんはわたしたちがそんな酷い未来を迎えるのが嫌だと言ってくれました。でも、わたしが考えるに高桐さんがいなくなったり、落ち込んだままだったりする方がそんな酷い未来をわたしたちが迎える可能性が高くなると思います。それとも高桐さん自身が関与しなければわたしたちが酷い未来を迎えてもいいということですか?」

「……意地の悪い質問だな」

「はい、そうですね」

「でも、事実だよな」

「そうですね」

 陽奈たちを守れるのかが不安だったのだが、陽奈の言う通り、紅夜が不調、もしくは不在の場合の方が余程久谷村一揆の再来になってしまう確率が高くなるのは客観的に見て明白だった。

 そんなことは紅夜もわかっていたはずなのに、こうして目の前で陽奈の口からそう言われて思い知った。もう、後戻りは出来ないところまで来ているのだと、ここで身を引いて陽奈たちの未来何てどうなっても構わない、自分とは関係ないと言えるような浅い間柄ではなくなったのだと、何よりもそう言いたくないのだと。

「(あぁ、本当に情けない奴だ、負け犬根性がここまで染みついているとはな)陽奈、俺の頬を叩いてくれ」

「……はい? えっ! どうしたんですか急に! 嫌ですよ! 高桐さんのこと叩きたくないです!」

「けじめって奴だ、俺が過去を吹っ切るためには必要なんだ」

「どうしても、やらないといけないんですか?」

「ああ、どうしてもだ」

「…………むぅぅぅぅ、わかりました。それじゃあ、失礼しま――す?」

 意を決して、目を瞑りながら振りかぶった掌が紅夜の頬に届くことはなく、何故か直前で手首を取られ、止められている状況に陽奈は理解が追いつかず大きな瞬きをしている。

 陽奈からのどういうことですか? という視線を受けて紅夜は一瞬考え込むように小さく唸る。

「やっぱ、殴られるのは痛いから嫌だな」

「――もう! どっちなんですか! 高桐さんが叩けって言ったから、頑張ってやろうとしたのにぃ!」

 からかわれたように感じた陽奈は片頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。

「悪い、悪い、でもけじめは必要だよな」

 陽奈の手首を握ったまま紅夜は片膝を突く。

「こんな情けない俺ですが、今後も陽奈様の軍師として仕えたいと思っています。側にいてもよろしいですか?」

「駄目です」

「……え?」

 予想外の答えに紅夜の眼が点になる。

「意地悪で情けない高桐さんなんて追放です」

 そっぽを向いたままの陽奈の姿に紅夜は驚き、問いただそうと口を開けようとするがそれよりも少し早く陽奈が話し出す。

「――だから、もう一度、心機一転、わたしの軍師としてわたしに仕えてはくれませんか? 情けない姿も意地悪なところも本気でわたしを心配してくれるところもその智謀も全部含めて高桐さんです。そんな高桐さんだからわたしにとって必要なんです。駄目ですか?」

 してやられたと内心思いながらも心底安堵している自分に紅夜は思わず笑みがこぼれてしまう。

「高桐 紅夜、赤眼軍師としてこれからは前を向き、あなたの側に死ぬまでお仕えすることをここに誓います」

「――これからもよろしくお願いします、高桐さん」

 頭を下げながら誓いを立てた紅夜が顔を上げるとそこにはいつものように、眩しいばかりの笑みを浮かべる陽奈がいた。

 夕陽のせいか、目の前の太陽のせいか、紅夜の頬は赤く染まり、嬉しさからか、安堵からか、目の前が滲んでいくのがわかる。気持ちが零れそうになってしまう。

 これから悩むこともあるだろう、躓くこともあるだろう、今みたいに過去に囚われ前を向けない時だってあるだろう、それでも陽奈となら、陽奈が主なら自分は何度でも立ち上がり前へ進めるのだと、あの薄暗いお堂に戻ることはもうないのだと紅夜は確信した。

「見せつけてくれますなぁ、御二人さん」

 夕陽が落ちていく中、笑顔の主と瞳を滲ませる家来、そんな尊い光景と雰囲気を壊すには十分ないつもの軽い口調でそんなことを言ったのは部屋の中の障子から顔だけ出した灯火だった。

「二人とも、仲良し、いいこと」

 灯火の顔の下からひょっこりと顔を出したのは言うまでも無く泉千だった。

「お姉ちゃんに泉千さん!? いつからそこにいたんですか、もう」

 雰囲気を台無しにされたことで紅夜は眼を細めながら二人に視線を向けるのに対して陽奈はいつも通りの口調で驚きを声にする。

「いやぁ、成実の奴がてんやわんやになってたからね、陽奈に教えてやろうと思って探してたわけさ、そしたら面白そうなことをしてるからねぇ、少し見てたってわけさ」

「良いもの、見れた」

「えっ、成実がですか? ――あっ、きっとわたしの仕事を代わりにやってくれてたのでそれですね」

「だったら助けてやんな、見てられないぐらい慌てふためいてたからね、まぁ、ある意味お前らの青臭さも見ちゃいられないけどね」

 灯火が指差す先には陽奈の手首を握り続けたままの紅夜の手があった。紅夜は慌てて手を離そうとするが、逆に陽奈に手首を掴まれる。

「いいんです! 今日は嬉しい事ばかりですから特別なんです!」

 嬉しそうにそう言った陽奈は再度強く紅夜の手首を握り『さぁ、行きましょう』と成実の下へ駆けつけるために紅夜と共に駆け出す。灯火たちの横を抜ける際『よかったね、坊やの病が治って』小声ながら紅夜にはそう聞こえ、陽奈は立ち止まる。

「わたしは信じてましたよ。高桐さんがまた、戻って来てくれるって、だって――」

 本当に嬉しそうな笑顔で陽奈は振り返る。

「わたしの赤眼軍師は最強なんですから」

 心の病になんて負けません、そう言っているような陽奈の笑顔と声に灯火と泉千も嬉しそうに笑う。

「お前って奴はそう言う恥ずかしいことを普通に言うのは止めろ」

 赤面している紅夜はまた灯火と泉千にからかわれると思い、むしろ陽奈の手を引き階段を駆け下りていく。

「……ほんと、勝ってよかったねぇ」

 鳳凰気団から鳳ヶ崎家になって、これからも順風満帆とはいかないだろう、辛いことや厳しいことが待っているはず、それでもそう言えてしまう程、灯火にはこれからに向けての期待しかなかった。

 暗くなり始めた空を彩り始めた無数の星たちにも負けないほどに眩い光を煌々と照らす城下町からは心の底から宴を楽しむ声が聞こえてくる。

 高覧に両肘を突き、美しい光たちに挟まれながらしみじみとそう呟く灯火に泉千は感慨深そうに頷くと灯火の手を引き、宴の席へと駆け出す。

 

 その夜、星の灯りが見えなくなるまで城下町の光が消えることはなく、それはまるで、これからの鳳ヶ崎家の繁栄を示すようだった。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

鳳凰記・第一部(革命編)はここまでとなります。

皆様に読んで頂いたからこそ、ここまでこれたと思います。

ブクマ、評価して頂いた方々にも支えられました、本当にありがとうございました。

勘の良い方はお気づきかもしれませんが、革命編はプロローグのようなものです。

第二部に当たる(争乱編)こそが戦記物として私が書きたかったものになります。

現在鋭利製作中ですが、こちらに載せるかどうかも決まっておらず申し訳ありません。

これからのことは近いうちに活動報告に書いていきたいと思いますので、

もしよろしければ、活動報告のほうもチェックして頂けるとありがたいです。

また、新野 正の名前をお見掛けした際は生暖かい眼で読んで頂けると幸いです。

それでは、物語を通して皆様と再会出来ることを願いこの辺で……。

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