高桐を案ず
「――それはそっちでお願いします。こっちはわたしが手配しておきますから」
熊木城、城下町の中心に当たる広場で、慌ただしい女中たちに囲まれ、手に持っていた書類の束に目をやりながら指示を飛ばしていたのは陽奈だった。
陽奈は今夜の宴を取り仕切る総責任者に任命され、二日前から休む暇もなく準備に追われている。
「(……ふぅ、とりあえずこれで一段落ですね。それにしても目が回る忙しさとはこういうことなんですかね? ――おかげで高桐さんともほとんど話せてませんし、戦が終って少しは元気になってましたけど、心配です)」
女中たちへの指示を終えて、ようやく解放されたと言わんばかりにため息を吐く陽奈は、紅夜のことを気に掛けながら少し肩を落としていると、「陽奈様ぁ!」と成実の声が聞こえ顔を上げる。
「成実、どうしたんですか? そちらの準備は?」
「こちらは大丈夫です。与えられた仕事は終わりましたので、何か陽奈様を手伝えないかと思い駆けつけて参りました。そしたらその、女中たちに囲まれお忙しそうでしたので少し、そこで待っていた次第です」
「そうなんですか、気にせず声を掛けてくれればよかったのに、でも、ありがとうございます」
嬉しそうに駆け寄ってきた成実の頭を軽く撫でると、相も変わらず幸せそうな顔をする成実を見て、陽奈も嬉しそうに笑う。
「それで、私に出来る仕事は何かありませんか?」
「そうですねぇ、今のところは大丈夫ですよ(本音を言えば、猫の手も借りたいぐらいすごく忙しいですし、なるべく時間を作って高桐さんの様子も見に行きたいんですけど、だからと言って、成実に任せるのも悪いですからね)」
「……陽奈様、私に気を遣わないでください。私は陽奈様の家来、陽奈様の仕事を手伝うことが私の仕事であり、喜びです。なので、気を遣っていただくのは嬉しい反面少し寂しいのです」
「えっと、その、違いますよ。気を遣ったわけじゃ――」
「陽奈様、私は悔しいですが頭の良さでは高桐には勝てません、しかし陽奈様とは長い付き合い、その程度の嘘では私は騙せませんよ」
「……ごめんなさい、成実」
「謝らないでください、陽奈様」
頭を下げようとする陽奈よりも自分の頭が高くならないように片膝をついて、陽奈の頭が下がらないように両肩を下から支え上体を起こさせる。
「本当に成実には敵いませんね。わたしのことをよくわかってくれているのは凄く嬉しいですよ」
「いえ、私など、……ただ、もう一つだけ私が見抜いていることがあります」
「えっ、もしかして――」
「はい、それは――」
「ご、ごめんなさい、昨日の夕食の時のことですよね?」
「そうです、夕食の――はい?」
予想外のことを言われた成実は自分の耳を疑う様に目を細めながらそう聞き返す。
「えっ、夕食の時、成実が席から立ったのを見て、その隙に成実のお皿からお魚を少しつまみ食いしたことじゃないんですか?」
「…………いえ、違いますよ。今の流れでそんな些細なことは言いませんよ」
「それじゃあ、許してくれるんですか?」
「許すも何も今度からはちゃんと言ってくだされば普通に――って、そんな話ではなく、高桐のことです」
真剣な空気を壊され出鼻を挫かれた成実は少し気恥ずかしそうにしながら本題に戻すと陽奈は少し俯いただけで何も言わなかった。
「戦の最中はまだよかったのですが、帰って来てからと言うもの仕事自体はそつなくこなしているようですが、どこか覇気がなく、何か迷いのようなものが見えます。私程度の者にわかるのです。陽奈様ならきっと百も承知でしょう、気になされていたのでは?」
「(本当にお見通しなんですね)はい、その通りです。ですけど、ふふっ」
「陽奈様?」
「いえ、ごめんなさい。少し嬉しくて、成実ったら高桐さんと顔を合わすたびに喧嘩をしてたのに今では高桐さんのことを気遣かえるようになったんだなぁ、って思うと頬が緩んでしまって」
「ち、違いますよ。気遣ってなどいません。私はただ、同じ家臣として、その、あれです、……そう! あんな風に露骨に気落ちした様子でいられると主である陽奈様の品位を下げると思いまして、決して、あいつに元気になってほしいとか張り合いがないとか思っているわけでは決してなく、全ては陽奈様のためなのです!」
照れくさそうに頬を赤く染めながら必死に否定する成実を見た陽奈はより頬が緩んでしまい、笑みが零れる。
「ふふっ、そうだったんですか、つまり成実は高桐さんのことなど全く気遣ってなく、そんな成実でもわかるぐらい高桐さんは気落ちしてたと言うわけですね」
「そうです! 流石は陽奈様、その通りなのです。いつもなら私が寝坊して朝の稽古に遅れれば嫌味の一つや二つが飛んでくるのですが、それもなく。更にはあの忌々しい『赤眼』を使って姑息にかわしながらこちらの隙を作り、そこを突いてくると言った腹立しい戦法を使ってくるのですが、それもなく、あっさりと勝ててしまうのです。それどころか、私が挑発しても乗って来ず、いなされるのです。これほどまでに露骨に態度に出されれば誰でもわかりますよ」
「(ん~、たしかに聞く限りそれだけ態度が変われば気づきそうですけど、成実の立場から見ればむしろ気落ちしてたほうが成実にとっては都合がいいように聞こえますけど、これは言わないほうがよさそうですね)」
「それにあいつときたら剣の構える位置も拳一つ分低くなっていますし、道場を出る際もいつもなら右足から出るところ、左足から出て行っていましたし、皆で食べる朝食の際も一割ほど少なく食べていましたし、更に言えば食べ終わる時間も遅くなっていました。誰が見ても悩んでいると言うか、くだらない事でも考えているのだろうとわかりますよ」
「(いやぁ、さすがにそれでわかる人はいないと思いますけど。わたしも気に掛けてましたけど、そこまではわからなかったですし)」
予想以上に紅夜のことを気に掛けていた成実に若干の苦笑いを浮かべながら陽奈はそう思っていると成実は片膝を突いた。
「そう言うわけですので、ここの仕事は私にお任せしてください。陽奈様はあいつの方へ」
「そうですね、はい、わかりました。では、成実、あとの仕事は任せます」
「――はい、お任せください」
残りの仕事が書かれている書類を受け取った成実の横を通った際『ありがとうございます、お願いしますね』そう小声で言われ、誇らしい気持ちを抱きながら少し寂し気に陽奈の後姿を見送った。
「(高桐には一応借りがあるからな、少しぐらい塩を送るのも悪くない。それにあいつがしおらしいと気味が悪いからな)」
善行をしたことによる少しばかりの満足感に浸りながら書類の束に目を落とすと、それまでの柔らかな表情がみるみる青く変わっていく。
「(宴まで二刻あまり、それで残りの仕事がこんなに……)」
私には無理だと心の中で絶望して落ち込むが自分から言った手前もう引き返せず、女中たちに囲まれた成実は慣れないことをするものではないと後悔の涙を浮かべながらも半ば自暴自棄気味に指示を飛ばすのであった。
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