主従の絆
朱槍に紅夜の血が伝わり雫となりて、稽古場のよく磨かれた木張りの床に落ちる。
「その覚悟、見事」
首元に剣を突きつけられながら利髭はそう呟いた。
紅夜の剣は最後まで利髭には届いていなかった。
「なんで、――最後に手を抜いた」
紅夜の左腕は痛々しく貫かれてはいるがまだ繋がっている。
あの勢いで貫かれれば間違いなく左腕は失っていたであろうが、貫く直前に利髭は霊術を解除し、勢いを殺していた。
周りが利髭の敗北を悟りざわつく中で、二人は互いにしか聞こえぬように声をかわす。
「おぬしの言葉が響いた。これだけの力の差がありながら、仲間のため主のために剣を取り向かってくる姿勢、腕を失おうが刺し違えようが儂の首を狙うその覚悟、見事と言わざるをえまい、儂は長く戦乱の世で槍を振り続けておった。故に手を合わせればわかる、おぬしの言葉に一切の曇りは無く嘘偽りもなかろう。故に託してみたくなった、儂がしたくとも出来ずにいた、諦めたことをおぬしらにな、この領地を如何に立て直すのかはわからんが、信じるに値すると、命を捨てるだけの価値があると思っただけのこと」
利髭はしみじみと感傷に浸るようにそう言って朱槍を引き抜くと、負けを認めた証として片膝を着く。それを見た紅夜は痛む左腕を抑えながらも周りを囲っている武将、式兵に眼を向ける。
「見ての通り、一騎打ちは俺の勝ちだ。約束通り七條家には先の条件を呑んでもらう」
紅夜の勝利宣言に動揺が隠せない七條家の面々だったが、『王位の剥奪など認められぬ』『そうだ! 無効だ! 無効!』そう言った声が徐々に増え始める。無理もない、現状心身共に疲弊している紅夜相手にこの人数なら万に一つも負けはしないのだから約束を無効にしようとするのはおかしなことではなく、その声が大きくなるにつれて紅夜へ向けての殺気が強くなるのを感じ、この窮地をどう脱するべきか、考えを巡らしていると、そんな紅夜を庇うかのように利髭が立ち塞がる。
「馬鹿者共が!!」
武器を構えにじり寄る面々に一喝すると空気が震え、破裂寸前だった紙風船が萎むかの如く士気が落ちていったのが見て取れた。
「貴様らは投獄されていた儂を頼り軍の指揮権を渡したのであろう。であれば何故に儂が決めたことに従わぬ、こんな老いぼれを窮地だからと言って牢から出しただけでも情けないと言うに、この上、その儂が取り決めたことを自分らが優勢と見るや否やひっくり返そうとするとは、あまりにも情けなかろう! 我々は負けたのだ、敗者は大人しく約定を呑む。それが敗者に残された美徳というものであろうが!」
利髭の一喝に多くの者は震え言い返せずにいたが、それでも武器を手放さずにいるのを見て利髭は『よかろう』そう言って朱槍を七條家家臣、式兵らに向ける。
「それでも約定を守らず、赤眼を殺し有耶無耶にしようというのであれば、この八重田 長左衛門 利髭が武士の情けとして、斬り捨てようぞ!」
その利髭の怒号と殺気に気圧され、完全に戦意を喪失した面々は互いに顔を見合わせながら武器を収めて片膝を着く。
「(武器を収めるか、……それもそうだのぉ、ここで斬りかかって来るような気概のある奴らなら儂を牢から出すなどせんだろうからのぉ)赤眼よ、儂らは見ての通り負けを認め、そちらの条件を呑む。だが、王位継承の儀が必要となれば引き渡しも容易にはいくまい。故に金興様が無事に戻られるまでおぬしを人質とするが構わぬか」
「そうだな、王位継承の儀は始万霊が祀られている祠の前で行うわけだからな、鳳凰旗団を城内に入れる必要があるし、王位継承が無事済んだ後、我々が七条 金興殿を返さぬと言う可能性があるからな、それは仕方ないことだろう」
そう言うと紅夜は熊木城と王位を譲りうける代わりに金興の身柄を七條家に渡す条件を取りつけたので承諾してほしいと書状に書き、七條家の伝令兵に渡し城外に待つ鳳凰旗団に届けられた。
その内容を聞き、灯火の周りに集まっていた武将の多くは安堵したがこれを良しとしない者がいた。
「冗談じゃない! 折角捕えたんだ。なんで返してやらなきゃならないだい!?」
それは誰でもなく灯火だった。
それもそのはず、自分の夫を殺した張本人でもあり、鳳凰旗団結成の原点でもあり、復讐相手でもある。そんな金興を殺さず捕えている現状でさえ我慢していると言うのにそれを解放するなど、灯火には承服しがたいことだった。
「あたしはこの日を待ちに待ってたんだ! それなのに、金興を解放しろだって!? そんなことをするぐらいならここで金興を――」
「待ってください!」
縄で縛られている金興に殺気を向ける灯火を見て、咄嗟に陽奈が止めに入る。
「何のつもりだい? 陽奈、そこを退きな」
「退けません、ここを退いたら、高桐さんが殺されてしまいます」
「…………」
それは灯火にもわかっていた、だから何も言えなかった。それでも自分の思いを、信念を曲げるわけにはいかないと、ここまで来てそれは出来ないと言わなければならないと感じていた。
「わたしなんかに高桐さんは過ぎる家来です。いつも高桐さんに頼りっぱなしで今だってそうです。それでもそんな情けないわたしでも高桐さんの主なんです! だから高桐さんの命を守らないと――」
「それはつまり、あたしを敵に回してもかい?」
意地悪な質問だとわかっていて灯火はそう聞いた。
「いいえ、敵には回しません。だって、わたしお姉ちゃんのこと大好きですから」
「……それじゃあ、敵に回さずどうやってあたしを止める気だい?」
真顔でそう言う陽奈を見て少し呆れながらも陽奈ならそう言うだろうと思い一応聞いてみる。
「えっと、それは、わかりません」
「わからないってね、坊やの命も守りたい、あたしを敵に回したくもない、その方法も考えてないって、そんな子供の我儘、戦場で通用するとでも思ってんのかい!?」
呆れ切ったように一喝する灯火にいつもの陽奈なら半べそをかきながらも頭を下げて許しを請うところだが、陽奈は動じずに灯火の前に立ち続けた。
「お姉ちゃんの言う通りです。わたしは一人ではなにも出来ない子供です。それは高桐さんに会ってから気づかされました。だから皆さんの力を借ります。お願いします! わたしは高桐さんを助けたいんです! どうかわたしと共にお姉ちゃんを説得してくれませんか!?」
陽奈の呼びかけに真っ先に応えたのは成実だった。
「頭目、ここはどうか」
そう言うだけだったが陽奈を支持すると言わんばかりに片膝を着き灯火を諌める。
それに羽葉、羽湯も続くと灯火の視線は未だに片膝を着かない修立に向く。
「(このまま赤眼が死ぬのも一興かと思ったが、そうなれば熊木城は手に入らず、王位も奪えず金興が死ぬ、そうなれば嫡子のいない金興の跡、空いた王位には八重田が就くのが順当か、それは一番避けねばならぬか)ここで条件を呑めば頭目は三つのものを得ることが出来ます。一つは熊木城、二つは王位、そして最後は赤眼軍師殿です。一時、金興を解放するだけでこれだけのものが三つも手に入る好条件、逃す手は無いかと」
「一時? どういうことだい?」
「金興のような無能を解放したところで、主家となり始万霊の加護を受けた我々ならば、すぐにでも残党の七條家を駆り取り再び捕えることも容易かと、それを赤眼軍師殿もわかっておられるからこそ、このような条件を提示したのだと思われます」
修立はそう言うと片膝を着いた。
そして最後に残っていた泉千も片膝を着く。
「灯火の、気持ちは、知ってる。でも、ごめん、私、約束、したから、――大丈夫、絶対に、金興を、また、捕えるから、絶対に、だから、今回は、……お願い」
灯火の思いを誰よりも知っているからこそ、最後は消え入りそうな、断腸の思いと言わんばかりの声で泉千は懇願した。
「……ったく、これじゃあ、あたしが悪者みたいだね、いや、そうなのかね、坊やの命よりも私怨を優先しようとしたんだからね。わかったよ。あたしの負けだ。坊やの言う通りに七條 金興を解放するよ」
殺気はとうに消え、降参と言った様子で両手を上げて自嘲気味に灯火はそう言った。
「お姉ちゃん! 大好き! ありがとう!!」
「……何言ってんだい? あたしの方こそ、――ありがとね」
嬉しさのあまり抱き付いてきた陽奈を抱きしめながら耳元で他の人には聞こえないように小さな声でそう言った。
「(それにしても、親姉妹で似るならわからないでもないけどね、主従ってのはここまで似るもんかね)」
つい最近どこかの誰かさんに同じように暴走を止められたことを思い出し、陽奈と誰かさんを重ねて灯火はそう思ってしまう。
そうして七條家と鳳凰旗団の間で取り決めがなされ、鳳凰旗団を城内に招き地下の祠前で王位継承の儀を行った。
七條方の面々と人質の紅夜は城内裏口にて金興が連れて来られるのを待っていると、成実が金興を連れてやってきた。
紅夜の首元に朱槍の穂先を向けている利髭を少し睨みながら、金興の縄を解くとそれを見た利髭は朱槍を収める。
金興は不機嫌そうに苛つきながら捕虜であったことを感じさせないほど、大きく地面を鳴らして七條方の面々のほうへと歩き『申し訳ありません』と頭を下げる利髭の横を通りぬける。
「っち、この無能が」
吐き捨てるように利髭に対して金興はそう言うと利髭に目もくれず、自分の下へ駆け寄ってくれる部下らに声を掛けながら、裏口から出て行った。
残された利髭を待つ者など誰もおらず一人残された利髭は悔しそうに拳を握ると七條方の後を、追おうと歩き出したところを紅夜は呼び止める。
「行くな、貴殿のような武将が行く場所ではない。……もういいだろう。十分、七條方への忠儀は果たしたはずだ。我々には人手が足りない優秀な武将は一人でも欲しい、我々がこの地をよりよく治めるために協力してほしい」
「……そのようなことを言われたのは久しぶりよな。ありがたい申し出だがのぉ、どうやっても儂は古い人間でのぉ、如何に主家が落ちぶれようとも、主が滅びるまで部下としての意地を通さねばならん、ましてやそれを滅ぼそうとしておる者らに手を貸すわけにはいくまい。達者でのぉ」
そう言って止まった足を再び進もうとした時、紅夜は裏口門番に合図を送り、門を閉めさせる。咄嗟のことで利髭は呆気に取られていると、紅夜は後ろから声をかける
「悪いが、貴殿を七條方に帰すつもりはない」
「どういうつもりだ」
飄々としている紅夜を睨む利髭は返答次第では斬り殺すと言わんばかりの殺気を見せていた。
「貴殿が味方にならないというなら、これから我々の捕虜として、ここに居てもらう」
「ほぉ、儂を脅すか、そのような脅しに屈するとでも?」
「屈するかどうかはわからないが、貴殿はここで捕虜となるしかないと思うが? それとも七條方に今さら帰ってどうするつもりか? 貴殿は我々がこの地を統治することを良しとして最後に手を抜いたそれ即ち、七條方への造反とも言える行為、今頃七條方の面々から事の次第を七條 金興殿は聞いているだろう、そんなところへ帰れば貴殿がどうなるかぐらい想像がつきそうなものだが?」
「……捕虜にしたとて、儂は使えんぞ」
「捕虜としてなにかに使うつもりもない、貴殿は七條方とは戦えない、かと言って七條方にも戻れないと言うのなら少しばかりこの地でゆっくりしていくがいい、もし、我々が七條方に敗れ七條家が再起すればその頃には貴殿への怒りも覚めているはず、そうなれば復帰も出来よう」
「何故、儂にそこまで温情をかける」
「あの一騎打ちは俺の負けだった。それでも貴殿が俺の言葉を信じて託してくれた。自らが死ぬかもしれないのに。そんな貴殿をみすみす見殺しにするのは勿体ない、そう思っただけだ。それに灯火さんたちとは知り合いなんだろ? だったら死ぬにせよ、灯火さんたちに会ってからでも遅くはないはずだ」
「……よかろう、事ここまで来たのならいつ死んでも同じこと、少しは捕虜としてこの地で過ごすのも悪くはないかのぉ」
利髭はそう言うと朱槍を収め、踵を返し、紅夜の横を抜ける。
「どこへ行く気だ?」
「儂の帰るべきところよ、捕虜らしくのぉ、牢屋で少し休むとするわい」
牢屋に入れるつもりなどなかったのだが、利髭の律義さに口を挟むのも野暮かと思い、紅夜は何も言わずに頷いた。
「もう、いいのか?」
それまで少し離れたところで立っていた成実は紅夜に近づいて来てそう声を掛ける。
「ああ、これで万事上手くいった」
「――貴様、その傷」
成実は紅夜の左袖から血が滲んでいることに気がつき、少し驚きの声を上げる。
「あの八重田を相手にしたんだ。無傷ってわけにはいかないさ、むしろ勝たせてくれなければこの腕どころか、命さえ落としていただろうからな」
「貴様はいつも人に無茶をするなと言いながら、常に自分は無茶をする奴だな。私は貴様のそう言うところが嫌いだ」
そう言うと成実は踵を返し歩き出したのでその背中に紅夜は声を掛ける。
「おい、どこに行く気だ」
「じっとしていろ、陽奈様を呼んでくる」
「あ、ああ、悪いな」
「――馬鹿が」
僅かに涙ぐむような小さな声で独り言を呟き去って行く成実の後姿を見て、紅夜は気が抜けたのかその場で倒れ込む。
張りつめていた緊張の糸がほどけ、七條家に止血してもらってはいたがそれでも簡易的なものだったので、血は止まってはおらず左腕の痛みは増していく一方だった。
疲労と痛みと賭けに勝った高揚感、そして安堵感と達成感、このまま死んでもいいとさえ思えるほどの充実感、そういったもの抱えながら陽奈が来るまでの間、少しでも休みたいと思い、冷たい地面に横たわりながら紅夜はゆっくりと瞼を閉じた。
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