似て非なる、二人の『わたし』
ところ変わって羽葉部隊陣営内、簡素は作りではあるが厳重に警備された納屋の中からは少女の声が僅かに漏れていた。
「……まだ諦めてないみたいね」
納屋の裏手の壁に背を預けながら立っている羽湯は、納屋から聞こえる声に呆れたような顔をしながら、隣で膝を抱えるように座って耳を塞いでいる羽葉に視線を落とす。
「さっきから言ってるけど、聞きたくないなら離れたところで待っていたら?」
羽湯の提案に羽葉は首を横に振る。
捕虜の必死で痛々しい声を聞きたくはない、だが、だからと言って逃げ出すわけにもいかない。羽葉は武人として捕虜の行く末を見守る義務があると言わんばかりに頑なだった。
「(普段は、優柔不断で頼りないけど、こういうときだけは頑固と言うか不器用と言うか……、まぁ、そこも羽葉の魅力だけど)」
羽葉が辛うじて自分の意地を通せているのは羽湯が隣にいてくれるからこそ、それを羽湯はわかっているからこそ、こうして羽葉を馬鹿にすることなく、ただ隣に立ち続け、もうすぐ二刻になろうとしていた。
時を遡ること約二刻前、陽奈は自身の想いを込めた書状を持参し、羽葉の陣営に現れた。すぐさま羽葉の命により、式兵たちに捕えられ、縄で縛られ、納屋の中にある鉄格子の中へと放り込まれた。それまで一度も陽奈は抵抗しなかった。そのかわりに陽奈は訴え続けた。「わたしたちの力になってほしい、一緒に民のために七條家を打倒しましょう」と、ただ訴え続けた。
そしてそれは今も変わらない、僅かに聞こえてくる声は羽葉たちへ訴えかけていた。
変わったところがあるとすれば、言葉の途中で咽ることが増えたこと、声が小さくなりかすれ始めたこと、それぐらいだった。
二刻もの間、どこにいるかわからない相手に届けるため、陽奈は出来る限り全力で叫び続けていた。
「そろそろ、喉がつぶれるんじゃない?」
陽奈の姿は鉄格子の中へ放り込まれてから見ていない二人だったが、そんなことが容易に想像できるぐらい陽奈は叫び続けていた。その様子に呆れながらも少し心配するように羽湯は羽葉に話しかけたのだが、羽葉は何も言わず悩むように唸り声を僅かに上げる。
その様子にしょうがないと言った様子で羽湯は、陽奈から取り上げた書状を取り出し、羽葉の目の前に広げた。
「どうするか、悩むのはいいけど、どうせならこれを見てから決めてもいいんじゃない? どっちにしても早く答えを決めないといけないわけだからね」
二刻付き合った羽湯だったが、このまま、陽奈を捕虜にしていることを本隊に隠し通せるわけもないので、心変わりをしないのであれば早めに修立に明け渡したほうが疑われずに済むと羽湯は考え、羽葉に決断を迫る。
羽湯に促され、羽葉は耳を塞ぎながらも目の前に広げられた書状に目を通す。
『急なお手紙、申し訳ありません。単刀直入に申します、大揚 羽葉殿、錦蛾 羽湯殿、御二人に御味方いただきたく、この度は筆を執りました。御二人と幾度も戦を重ね、御二人の武人としての強さを存じております。また劣勢な我々にお慈悲を掛けていただいたことも、存じております。その武勇、義侠心に感服致しました。御二人がお味方になっていただけるのであれば、このほど心強いことはありません。民をないがしろにし、私腹を肥やすだけの七條 金興殿ならびに加久間 修立殿に思うことがあるのであれば、どうか、お味方いただき、共に七條家を打倒し、この領内を建て直しましょう、、、鳳ヶ崎 陽奈』
その書状は決して名文と言われるようなものではなく、極々普通の内容であった。だが、そこに嘘偽りは見えず真っ直ぐな想いだけが綴られた書状だった。
「寝返りを促す書状としては凡作としか思えないけど、なんて言うのかしら、策謀の匂いを感じないというか、あまりに直線的で駆け引きをしようと言う気がないようにみえるのよね」
羽葉が見るよりも前に書状に目を通していた羽湯はそんな感想を言うと、それまで閉じたままだった羽葉の口が開く。
「わたしは、いい書状だと思うよ。羽湯ちゃんにしてみれば単純に見えるのかも知れないけど、わたしはこれくらいがちょうどいい、それになんとなくだけど、自分たちの欲望のためだけじゃなく、わたしたちのことも想って書いてくれてるんじゃないかな? そんな優しさが伝わって来た気がする」
羽葉の言葉に『なるほど』、といった様子で羽湯が考える素振りを見せたので、羽葉は続けて羽湯に聞いてみる。
「羽湯ちゃん的には、この話どう思う?」
「私的には、乗ってもいいと思ってるわ。(この書状には書いてないけど、羽葉の勘が正しければ私たちと本隊の仲に亀裂が入り始めていることを察知されている可能性が高い、それを踏まえてこの書状を送ったとしたら、これまでの策謀も間違いなく高桐 紅夜が絡んでいるはず、わざと本隊と私たちの仲が悪くなるように仕向けていたのだとすれば筋が通る。手の平で踊らされていたのは釈然としないけど、それだけ高桐 紅夜の軍師としての才が優れているということ、現にこれだけの戦力差にも関わらず、ここまで戦を続け、数ではこちらが優勢とはいえ戦況を見れば互角、下手すると鳳凰旗団有利まである。この戦況で私らが鳳凰旗団に加勢すれば十分勝機はある)」
「そうなんだ、でも、わたしは――」
「知ってるわ、乗り気じゃないんでしょ?」
「うん、やっぱり、味方を裏切るのはちょっと」
「(まぁ、羽葉の性格ならそう言うだろうと思ったけど、どうしようかしら、鳳ヶ崎 陽奈を本隊に渡せば、この戦はこちらの勝ちに等しく、私らも褒め称えられるでしょうけど、それは一時のこと、鳳凰旗団が壊滅すれば金興様はより一層軍備の削減を図るはず、そうなれば私たちの立場も危うい、それに民を苦しめ私服を肥やす金興様のやり方が間違っているのは誰が見ても明らか、今後羽葉が辛い思いをすることだって増えるかもしれない、そういったことを考えれば多少危うい賭けになっても鳳凰旗団に付く方が得と考えられるわけだけど、羽葉の意見も尊重したいからあんまり無理に説得するのも……、しょうがない、打てる手を打ってみましょう)羽葉、どうせなら鳳ヶ崎 陽奈に直接、話を聞いてみるのがいいんじゃないかしら?」
「えっ、でも」
「話を聞いたぐらいで心が揺らぐなら、それは取るに足らない物、逆に心が変わらなければ、貫く価値があると私は思うけど?」
羽湯の言葉に何も言えずに迷っている羽葉の姿を見て、羽湯は更に重ねる。
「鳳ヶ崎 陽奈はたった一人武器も構えず、私たちの陣中までやって来たのよ、死も恐れずにそれだけの覚悟を見せたわけだから、本隊に渡すにしてもその前に少しぐらい話を聞いてみてもいいんじゃないかしら?」
「……そうだね、わざわざ危険を冒してここまで来て、今も何かを訴えているのは、わたしたちになにかを直接伝えたいからかもしれないよね」
羽葉は了承し、二人で陽奈の待つ、納屋へと向かった。
簡略的ではあるが霊力持ちであろうと容易には突破できないであろう、二畳ほどの鉄格子の中にいた陽奈は手足を拘束されたまま、力尽いたかのようにうつ伏せで倒れながらも羽葉を呼ぶ声を止めずにいた。
「大揚殿、どうか、お話を、聞いてください」
その声は最初の頃に比べ随分とか細くなり、見るからに弱っていた。
二人はそんな声を聞きながら薄暗い納屋の中を進み鉄格子の前に着くと、陽奈は二人の気配を察知し、首を動かし二人を視認する。
「大揚殿……」
ようやく想いが届いたと言わんばかりに安堵した表情に変わる陽奈に釘を刺すかのように羽湯が声をかける。
「書状を拝見いたしました。鳳ヶ崎 陽奈殿のご提案大変魅力的ではありますが、大揚 羽葉は貴殿も知っての通り仁義を重んじる方、そのお話に乗る気はありません。――ただ、敵中であるにも関わらずこの書状を渡すためだけにここまで来られ、更には武器を向けられても、抵抗せず捕虜になり、そのような姿になるまで呼びかけ続けたその気概、その全てに我が主は感銘を受け、本隊へ捕虜である貴殿を輸送する前に、話しだけでも聞こうとここまで来られました」
所詮は革命軍の隊長格である陽奈に対してと考えれば、羽湯の言葉遣いはあまりに丁寧に聞こえるが、攻撃的とも言えるその口調は、あくまでも下手に見られないように、こちらの思惑を透かさずより有利な立ち位置を取ろうという考えあっての物だった。
「あ、ありがとうございます。お話を、聞いていただき、嬉しく思います」
弱々しくではあるが何とか二人の耳に届く声でそう返事をすると、今の体勢だと失礼に値すると思ってか、体を起こそうと、体を震わせる。
その痛々しくも誠実な態度に羽葉は、そのまま楽にするように言いかけたが、それを察した羽湯が止める。
大声を出し続け、疲れ切った体に鞭を打つように陽奈は上体を起こし、冷たく固い石の床に正座する。
「では、お話をしてもよろしいでしょうか?」
疲れがたまっているにも関わらず、息を整えて正座をし、更には作り笑顔とも思えないほどの柔らかな笑みを浮かべる陽奈を見て、二人は意外そうな顔をした。
それと言うのも二人は鳳ヶ崎 陽奈をよく知らない。戦を重ねた仲とは言え、天草村での陽奈は前線にほとんど出たことはなく、此度の戦も後方にいたのでかなり遠目でしか見たことがなかった。そういった陽奈しか知らなかったので武人としての風格もなければ根性もないのだろうと思っていた二人にとっては、今日の行動と今の対応を見て、陽奈への見方を改めなければならないと思ったのだった。
「その前に、あくまでも我が主は話を聞くだけだ。対話は私、錦蛾 羽湯が担当する。ご了承いただけるな?」
「貴殿が、錦蛾 羽湯殿ですか、御高名はかねがね伺っております。貴殿ほどの御方ならばこちらは異存ありません」
陽奈の弱々しくも丁重な言葉を聞き、羽湯は頷くと、どうぞお話しくださいと言わんばかりに陽奈へ掌を見せる。
「まず、お聞きしたいのですが、伊佐村の一件、どう思われているのですか?」
伊佐村はかつて鳳凰旗団に属した村であり、七條家に焼き払われた今は無き村の名である。その名を聞いて二人は陽奈から視線を逸らし、何も言わなかった。
「四肢を切り取られた女性の死体、張り付けにされ的のように矢が十本以上も刺さった死体、団子のように一本の剣に三つの首が串刺しにされている死体……どう見てもただ圧政を行ったようには、見えませんでした。民の命を弄ぶかのように、嬲られた死体ばかりが目につきました。わたしはあの地獄を見たから七條家を倒そうと決意したんです」
陽奈の悲しそうで、それでいて覚悟を決めたような眼差しに羽湯の口がようやく開く。
「……あれは、たしかにひどかったわ。それは認めます。私も我が主もその場にいたが、あの蛮行を止めることは出来なかった。それで……その復讐のために七條家を打倒しようとしたってことかしら?」
「いえ、わたしはあのような仕打ちをこれ以上民が受けないように、守るために七條家を打倒しようと思いましたんです」
「なるほどね、ただ、責任転嫁というわけじゃないけど、伊佐村が滅ぼされたのだって、元々はあなたたちが一揆を起こし、それに加担したせいじゃない、つまりはあなたたちがいなければ伊佐村は滅びなかったのではなくて?」
「たしかにそれはそうかもしれません。ただ、これだけは言えます。わたしたちが一揆を起こさなくても伊佐村や、今わたしたちを支援してくれている、支持してくれる村や町は遠からず滅びたはずです」
「なんでそう言えるの?」
「主家、つまりは始万霊の加護を受けている軍隊を相手に一揆を起こすことは無謀とされています。それは民も承知のこと、それにも関わらず、いくつかの地域はわたしたちを支持してくれています。分の悪い賭けにも関わらず乗ってくれるということはそれだけ七條家の政に不満を抱いているということです」
「それは……民が戦や政の知識がなく感情的な判断であなたたちを支持しているだけでしょう?」
「では、御二人は今の七條家のやり方が正しいと思っているのですか? 聞いたところによれば七條 金興殿の私欲を満たすために臨時徴税を行い、支払えない村や町は罰として生贄(女なら慰め者として、男なら労働者として)と言う名の人さらいをしているとか、御二人はそのようなことに関与していないと思いますが――」
「当たり前じゃない! 失礼なことを言わないで我が主は命に従った振りをして、連れて来た奴隷たちを上の目を盗んでは解放して――」
そこまで言ったところで羽湯はしまった、余計なことを言ってしまったと思い口を閉ざす。
「やはり、噂は本当なんですね。残念です。でも、わかっていました。大揚殿はそういう優しい御方なのだと、配下の高桐さん――赤眼軍師が言ってました。『大揚殿はおそらく鬼島を逃がしてくれていたんだろう』と――」
「(さすがに赤眼軍師ともなればその程度はわかるか、いえ、その程度がわかるか、わからないかが重要なのかもしれないわね)」
赤眼軍師一人が加わっただけで、鳳凰旗団はまさに虎に翼が生えたかのように、ここまで七條家に対して善戦している現実を見れば、鳳凰旗団がただ強いというだけではなく如何に七條家が脆く、脆弱だったのかと羽湯は思い知らされる。
「――そんな御二人だからこそ、わたしは御二人を助けたいと思いました」
「私たちを助けたい? どういうこと?」
「赤眼軍師から聞きました。もし鳳凰旗団が負けたとすれば七條家は領内で歯向かう者を一掃したのち一揆はしばらく起きないと判断し、軍を更に縮小させるだろうと、縮小した軍であれば、治意殿が全ての実権を握ることが出来る。そうなれば、総将という位は残ったとしてもお飾りがいいところ、普通に考えればかつての古参の武将を斬り捨てたように何かと理由を付けて斬首されるだろうと、わたしはこれを聞くまでそんなことを想像さえしてませんでしたが、錦蛾 羽湯殿は智謀に長けた方と姉から聞いております。あなたほどの御方であれば、これがただの妄言でないことはわかるはずです」
羽湯がこの話に乗り気だったのはこのことを予想していたからだったが、それを見せれば陽奈につけこまれると思い、あえて強気の姿勢を取っていたのだが、それすら読みきっていたことに羽湯は驚き、言葉を失う。
「(ここまでとは、これはもう――)」
赤眼軍師の知略に驚いただけではない。軍が縮小し、修立が軍事の実権を全て握ったとなれば羽葉、羽湯の二人の立場が危ういことを知っていながら、交渉材料として切り札を持っていながら、このような縄で縛り二刻も無視し続けたにも関わらず、決して高圧的には出ず、真摯に訴えかけ、そして自分たちを助けたいと真剣な眼差しで言ってくれる陽奈の度量の大きさに驚き、そして自分たちの浅はかさを知ると同時に敗北を悟った。
「最後に一つだけ、聞いていいかな?」
それまで羽湯に任せっきりだった羽葉が、少し申し訳なさそうに小さく手を上げる姿を見て羽湯は自らの額に手を当てる、こういう情けない姿を隠したいがために今まで自分が表に立っていたのにと言わんばかりの困り顔をしたのだったのだが、事ここに至っては今更かっこをつける意味もないだろうと思い。羽湯は首を立てに振る。
「わたしは、政とかは難しくてよくわからない、けど、七條 金興様や治意様が酷いことをしてるのはわかる。でもね、わたしが今まで従ってきたのはね、わたしの守りたい者を守るためなんだよ。わたしだって酷いことは出来ればしたくない、けど、それで守りたい者を守れるなら、わたしは――なんだってやるよ。だからね、わたしが聞きたいのはね。鳳凰旗団に味方したら、わたしの守りたい者は守れるのかな?」
それはまるで無垢な子供の問いかけのようだった。羽葉にとって大切な者は誰なのか、言わなかったが、その視線の先にいる羽湯を見れば答えは一目瞭然だった。
「はい、きっと、守れます。今までよりもずっと清らかな方法で」
「そっか」
穏やかな笑顔を向ける陽奈に対して、羽葉は納得した様子で鉄格子に近づく。
「(……羽葉)」
自分のことをそんな風に言って貰えたことに羽湯は感激し流れそうになる涙を堪えながら自分の横を通り過ぎる羽葉の表情を横目で追う。
「(羽葉?)」
羽湯の涙は引っ込んでしまう。まるで何かを覚悟したかのように羽葉の目が据わってしまっていたからだ。
「わたし、守りたい者を守るためなら、なんだってやるって言ったよね、だからね、もし、あなたの首を持って帰れば守りたい者を守れるのだとしたら、そう、治意様に言われていたとしたら――」
鉄格子を開けて中へ入り、腰に掛けていた剣を握った瞬間、羽湯はまさかと思う。
「羽葉! まっ――」
「わたし、殺れる(やれる)よ」
正面に座る陽奈目掛けて、羽葉は柔らかな笑みを浮かべながら剣を振り下ろす。
それから半刻後だった。
陽奈が討ち取られたという訃報が、戦場を駆け巡ったのは……。
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