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鳳凰記  作者: 新野 正
16/33

悪手からの最善手

 そうして戦の火蓋が切られてから三日が経ったのだが戦況に大きな変化はなかった。

 二手に部隊を分け、戦をしているのは変わらないが東西の戦線は初日に刃を交えてから一度も交戦がなく、完全に膠着状態に入っていた。南北の戦線は苛烈さを極めていたが、互いに押し切れず大きな被害を出さないまま、膠着状態に入ろうとしていた。

 紅夜は善戦している陽奈たちのもとを訪れ、労うと同時に敵の部隊の情報を聞いていた。

「――それで、大揚部隊の様子はどうだ?」

「わたしが見たところですが、どうやら初日の勢いはすでにないですね、式兵だけではなく武将である大揚さんと錦蛾さん、二人の士気も落ちていると思います」

「大揚のほうはまだ戦に集中しているようだが、錦蛾のほうは何か思うところがあるようなそんな感じに見えたな。どちらにせよ覇気がないのは同じだが」

 陽奈と成実は刃を交えた感想を紅夜に伝える。

「そうか、だったらいいんだ(もう一押しってところか)。東西は相変わらず睨み合いが続いてる、俺の読み通りなら南が突破されない限り西は攻めてこない。この南北戦線の維持がこの戦の肝だ。守り通してほしい」

「はい、任せてください」

「そんなこと、貴様に言われるまでもない、だが、守るだけでいいのか? 敵のあの様子だとかなり疲弊している。それに士気も低い、反攻すれば突破することもできそうだが」

「たしかに本陣に待機している式兵を投入すれば突破することも可能だが、それじゃあ、意味がない。あくまでもこの戦の勝利条件は七條 金興の捕縛だからな。戦況が不利だと悟って逃げられでもしたら厄介だ」

「だからと言って守るばかりでは勝機を逃すぞ」

「だからその勝機ってのは金興を捕縛することだけなんだよ。この戦に勝つことじゃない、何回言わせる気だ」

「なんだと、貴様がちゃんと説明しないからだろ!」

「ちゃんと説明してるだろうが、お前が馬鹿だから理解してないだけだ」

「貴様ぁ! 私のどこが馬鹿だ!」

「お前が馬鹿じゃなければこの世に馬鹿はいないな!」

 互いに指差しながら声を荒げて口論……というよりも子供の口喧嘩のような罵り合いが始まり、それを見ていた陽奈は始めの内はどうしようかと不安げな表情だったが、どこか二人の間に険悪な雰囲気はなくあの時とは違うことを感じ、小さく笑う。

「陽奈様?」

「なんで笑うんだよ」

「いえ、楽しそうに見えたので、二人とも随分仲良くなったなぁと思って」

二人に視線を向けられた陽奈は楽しそうに、嬉しそうに、笑顔のまま思ったことを口にする。

「冗談はやめてください、陽奈様」

「そうだぞ、陽奈。俺はこいつのことが――」

『嫌い(だ)(です)』

 同時に互いを指差し、語尾以外は同じことを同じ瞬間に主張したのを見て陽奈はくすくすと笑い『ほらね』と言わんばかりの嬉しそうな顔をする。

 陽奈からの誤解を解きたいがこれ以上は無駄な気がして、互いに剣を収めるように顔を背け合う。

「……戦の話に戻るが、ちゃんと策は容易してある」

「……どんな策だ? わかるように話せ」

 冷静に話すためか、互いに背を向け合い機嫌の悪そうな顔を見せないように戦の話を続ける。

「大揚部隊を調略し、味方につけてから敵本隊を挟撃する」

 紅夜の言葉に二人は驚きの表情を浮かべ、成実に至ってはあまりの驚きからか、つい、振り返ってしまうほどだった。

「正気か!? 大揚は七條家の総将だぞ、武将で最も高い位の武将が我々革命軍に寝返ると思っているのか!?」

「悲しいですけど、成実の言う通りです。わたしたちは主家ですらない革命軍です。総将の位にいる大揚殿がその地位を捨ててわたしたちの味方になってくれるなんて、いえ、なってくれるなら嬉しいですし、頼もしいですけど、そんなこと出来るんですか?」

 紅夜への信頼が厚い陽奈でさえ、不安げにそう聞き返す。それほどまでに現実的とは思えないことを紅夜は言っているのだ。

 七條 金興は軍に金を使うのを良しとはせず、他家に比べて金払いも悪い。それにもかかわらず、総将、大揚 羽葉の俸禄は平民の収入の二百倍ほどあり、武将としては主家の中でも最上位の権威を与えられている。その環境を捨てることだけでも考えにくいのだが、更に主従印しゅじゅういんが主家への裏切りを踏み止まらせる。

 主従印とは主従関係を結ぶ際に証として体に押される印のことで、王は始万霊と相互契約を結び、始万霊から多大な霊力を受給する。それを主従印が押された配下の武将へ配給することが出来る。

 始万霊からの霊力を間接的に受給した配下は本来の霊力以上の力を発揮することが出来る。逆に言えば主従印がなくなれば霊力の出力が下がる(元に戻る)ので安易に主家を裏切ることが出来ない。

「普通に考えれば不可能そうに見える。だが、実際にお前らは見てるだろ? そんな分の悪い賭けを選んでいる馬鹿たちを」

 そう言って紅夜は自分自身を指差す。

 紅夜、灯火、泉千、この三人は状況や理由こそ違うが、主家に刃向かうことを決めたということに関しては同じだった。

「俺たちは霊力持ちだ。霊力持ちは人として見られず、なんなら化け物のように言われることがある。それでもやっぱり俺たちには人の心があるんだよ。だから傍から見てありえないと思うような行動だって取る」

「……っで、具体的にはどうする気だ?」

「前にも言ったが大揚たちの動きからしてこの南北戦線を早く突破するように命が下っているのは間違いない。だからまずこの戦線を維持し、守りに徹していた」

「それがどうして裏切りにつながる?」

「あのなぁ、鬼島、少しは自分で考えてみろよな。見てみろ、陽奈の奴だってちゃんと考えてるぞ」

 紅夜は顎に手を当てながら難しそうな顔になっている陽奈を指差すと、陽奈は何かを閃いたような晴れ晴れとした表情に変わる。

「陽奈様、何か思いつかれたのですか!?」

「いえ、全く!」

 その清々しいほどの答えから、どうやら考えることを止めたことによる解放感が表情に現れたのだと紅夜たちは察する。

「なので、高桐さん、どうかわかりやすく教えてくださ――あうぅ」

 軽く頭を下げようとしたのが紅夜にはわかったので、下げさせまいと人差し指で陽奈の額を押し返し、すぐさまその指を引っ込めると、その一瞬後に成実の抜いた剣が紅夜の指があった場所を空振る。

「(まぁ、陽奈の額を指で突き返せば、その行動に対して無礼だと、鬼島が剣を抜くことはわかっていたからな、かと言って黙って頭を下げさせようものなら首を狙われる)」

 わざとらしい大きな舌打ちと拗ねた顔をしながら剣を収める成実に、やれやれと言った視線を紅夜は向けた。

「ん? どうかしましたか?」

 額を押さえながら目を閉じていた陽奈は今の一瞬のやり取りを見ておらず、そんな紅夜の眼に首を傾げる。

「(本当はこの二人にも少しは謀略、軍略、そういった類のものを考えてほしかったんだが、これじゃあ、話が進まないか)なんでもない。話を戻すぞ、単純な話だ。自分が大揚になったつもりで考えてみろ。自分たちは全兵力の三割~二割程度しか与えられず、そのくせこちらばかりに攻め込ませ自分たちは戦わない。さらに夜襲を受け本軍に迷惑をかけたとなればさらに嫌味の一つも言われるだろう。毎晩夜襲に備えながら満足に休みも取れず、上からの指示は相も変わらず『さっさと攻め落とせ』……どうだ?」

「わたしは特には……、頑張るだけですね」

 どうだと言われても、っといった様子の陽奈を見た紅夜は(まぁ、陽奈は普通じゃないからな)と、ある意味予想通りと言った表情を浮かべながらお前はどうだと言わんばかりに成実に視線を向ける。

「私に聞くのか? 陽奈様からの命であれば如何なることも如何なる仕打ちも問題ない」

 こちらも紅夜の予想通りだったので「じゃあ、俺からの指示だったら?」と、これまたわかりきった答えが返ってくる問を追加で投げる。

「無論、殺す」

 予想通りだったのだが、あまりに感情が籠っていたので紅夜は若干引きつつも話を続ける。

「まぁ、そう言うことだ。陽奈みたいに忠儀や仁義を突き通すと決めている者か逆に治意のように自らの欲望に忠実な者以外はこの仕打ちに普通は耐えられない。必ず心の隙が生まれる」

「ん~、わたしにはよくわかりませんが、大揚殿は七條家に不満を抱いているので裏切る可能性があるということですね」

「まぁ、そういうことだな(正しくはそうなるように仕向けているんだが、それを馬鹿正直に陽奈に言うと面倒そうだから割愛するか)兎に角だ。大揚部隊は確実に七條 金興に不満を持ってるだろうし、このまま戦が長引けば大揚部隊は窮地に立たされることになる」

「大揚殿が? 窮地にですか?」

「ああ、今でさえ大揚と本隊の仲は悪い、これ以上こちらの戦線を突破できないとなると七條 金興の怒りを買うのは必然だろう」

「もし、そうなったらどうなってしまうんですか?」

「八重田のように牢に入れられるか、もしくは首を落とされるかのどちらかだな」

「そ、そんな! それはあまりに可哀想です」

「ああ、そうだな、大揚たちはどうやら灯火さんと仲が深かったみたいだしな、きっと灯火さんも心を痛めるだろうな」

「お姉ちゃん……」

「それに――これは俺の推測だが、大揚は恐らく鬼島を見逃し続けてたんじゃないかとみてる」

「なにぃ! 私が見逃されていただと! どういうことだ!?」

「勿論この戦じゃない、天草村での戦だ。過去に四度も『釣り野伏せり』に掛かっているにもかかわらず鬼島は殺されていない、本来『釣り野伏せり』のような敵を引き込んで叩く策は敵を一網打尽にしやすく壊滅的被害を与えやすい、つまりは敵の武将を殺しやすい戦術だ。それにもかかわらず鬼島は四度も生還している。これは意図的に逃がされていたと考えるのが普通だ」

 自力で包囲を脱し、逃げ延びたのだと成実は主張したいが、自分以外が常に全滅していることや、何度も間一髪のところで逃げ切れているなど、思い当たる節があり、言い返したくとも言い返せずに拳を強く握る。

「助けましょう」

 成実の拳を優しく包むように握りながら陽奈はそう言った。

「大揚殿はお姉ちゃんの旧知の仲で成実を殺さずに逃がしてくれた方なんですよね? だったら助けないといけません、教えてください高桐さん。大揚殿を助ける方法を」

「(これだけ純粋な瞳を見ると若干の後ろめたさもあるが勝つためだ)まず前提条件だが、こちらはこの戦線を突破される訳にはいかない、そうすると負けが決まる。大揚を救いつつもこの戦に勝つにはこちらへ寝返らせるしかない。どうやって寝返らせるかだが、それは陽奈の手腕にかかっている」

「わ、わたしですか!?」

「ああ、そうだ。陽奈には大揚がこちらに付くように説得してほしいんだ。今の陽奈の想いを込めた書状を書いて式兵にでも渡して届けさせる」

「わたしで大丈夫でしょうか? 高桐さんのほうがいいんじゃ?」

「俺は鳳凰旗団に入って間もないし、陽奈は大揚と何度も天草村で戦をしてるはずだろ? 見ず知らずの俺が説得をするよりも、鳳凰旗団筆頭の妹で見知った仲の陽奈なら言葉に重みがある(本音を言えば灯火さんが最適なんだろうが、あの人に文才があるとは……思えないよなぁ)」

「……わかりました。力不足かもしれませんが精一杯頑張ります!」

 自分で大丈夫かという不安気な表情の中にも、紅夜に頼られたことが嬉しいといった様子でやる気に満ちた眼を見て紅夜は頷く。

 そうして、陽奈が書状を書き羽葉の心変わりを狙いつつ、このまま戦線を維持するということで今後の方針は決まる。

 羽葉部隊の様子からして陽奈の裏表のない言葉なら早いうちに動きがあるだろうと踏んでいた紅夜の予想はある意味で当たり、ある意味では大外れになった。

 翌日の昼、羽葉部隊が早々に撤退したという報告を受けた紅夜は今晩中にも動きがあるだろうと思っていた矢先、血相を変えた成実が本陣の評定の間に飛び込んで来た。

「鬼島!? どうしたんだ? 敵は撤退したんだろ?」

 評定の間に居た灯火と共に驚きの表情を浮かべながら紅夜はそう言った。

「ひ、陽奈様が! 陽奈様がいなく、――いなくなって!」

「陽奈が!? どういうことだい!?」

 妹がいなくなったという突然の報告を受けて、灯火も取り乱すように成実を問い詰めると、明らかに動揺し焦っていた成実はより過呼吸のような状態になってしまい話が上手く進まず要領を得ない。

「灯火さん、ここは落ち着きましょう。俺らが取り乱すと鬼島が危ういです」

「――そ、そうだね」

 一度深く息を吸い込んだ灯火は成実の背を撫でながら「話をきかせておくれ」と優しく問いかけると成実もなんとか、陽奈がいなくなったときの状況を話し始める。

 成実の話を纏めると羽葉部隊が撤退したのち陽奈は『湯あみをしたい』と言い一人簡易的に作られた浴場に向かったらしいのだが、一刻経っても出て来なかったので様子を見に行くと陽奈の姿が無かったと言うことだった。

「坊や、どう思う?」

「その話が本当なら陽奈が連れ去られたという線はなさそうですね。さすがに陣内まで忍び込み誰にも気づかれずに陽奈を連れ去る何てことは出来ないでしょうから」

「私も、そう思ったからこうして一部の望みに賭けて本陣へ探しにきた」

 少しは落ち着いたが憔悴しているような様子の成実は弱々しく話す。

「そうなってくると陽奈自らここ以外の場所に姿を消したってことになるかねぇ、となると泉千のところかい?」

「いや、それはないと思います。鬼島や俺たちに何も告げずに泉千さんのところへ行く意味がないですから、…………」

 そう言った後、紅夜は黙り込んだ。その明らかに言葉を飲み込んだような様子を灯火は見逃さなかった。

「坊や、心当たりがあるんだね?」

 鋭い灯火からの視線に光明が見えた言わんばかりの表情へ変わる成実、その両者の視線を受けた紅夜は話すべきか再度考慮しようとするが、陽奈のことを自分の命以上に大事だと思っているこの二人相手にこの状況下で黙り通せるはずもなく、仮に嘘をついてそれが通じなかった場合の危険性を考えれば素直に話して説得したほうが効果的だと一瞬のうちに考えを纏める。

「……俺らに何も言わずにどこかへ行ったとなれば、俺らに言うとその場所へはいけない、つまりは止められる可能性が高い場所、そして陽奈には大揚部隊を寝返らせるための役目を与えていることを考えれば行く場所は一つしかない」

 そこまで言えば灯火は感づいたのか、鋭い視線を外へ向けて立ち上がり、一歩踏み出したのだが、その歩みを止めるように紅夜が前に立ちはだかる。

「退きな、坊や」

 殺気を見せる灯火、それに対して怯まず、前に立つ紅夜、その二人のこの状況を見てもまだ成実は陽奈がどこに行ったのかわからない様子でどうするべきかわからずに交互に二人へ視線を向ける。

「さすがに今回ばかりは坊やの話を聞いてる余裕もなさそうだからね、退かないなら斬り捨ててくよ」

 背負っていた大剣を片手で抜き、より一層殺気を強める。

「行かせるわけにはいきません、俺は陽奈の家臣ですから、陽奈が殺される可能性が増えるようなことを見逃すわけにはいきません」

「陽奈が殺される可能性が増えるだぁ、冗談言ってんじゃないよ! このまま助けにいかなきゃ、羽葉たちに殺されるだろうが!」

 その灯火の言葉を聞き、ようやく成実も陽奈がどこに行ったのかを理解し、腰の剣に手を掛けながら紅夜の横を抜けようと立ち上がり一歩踏み出す。

「ここで陽奈を救出に行こうとすれば、それこそ陽奈が殺されます!」

 紅夜の必死の呼びかけに成実の足も止まる、灯火も紅夜の様子にさすがに頭から血が少しずつ引き始める。

「あたしらが救出に行ったら殺されるってどういうことだい?」

「鬼島の話によれば恐らく陽奈は、単身で自らの書状を届けるために大揚部隊のいる陣へ向かったはずです。それも一刻以上前の話ならとっくに陽奈は殺されていてもおかしくない」

 その言葉に二人が殺気立ったのがわかり、急いで言葉を続ける。

「それなのにまだそう言った情報もなければ報告もない、更に言えば捕虜になっているのなら何かしらあちらからの接触――、簡単に言えば『陽奈を解放する代わりに降伏しろ』といった書状が届いてもおかしくないはずなのにそれもない。陽奈を捕えているはずなのに東西戦線に動きがないところを見ても、その報告を本隊にしていない、つまり、陽奈が捕えられていることはほぼ確実ですが、殺してもなければ、本隊にそれを報告する気もないということです。これらのことから今すぐに陽奈が殺される可能性は低い、だが今、我々の誰かが式兵を率いて大揚部隊を強襲してしまえば相手を刺激することになりますから陽奈が殺される可能性を高めてしまいます」

 紅夜の言葉を無念そうに悔しい顔をしながらも二人は殺気をしまい込み武器を収める。

「愚妹はなんで殺されることもなく、脅しの道具としても使われてないんだい? 相手の狙いはいったい何なんだい?」

「相手からすれば陽奈を手中にしたことによりこの戦はいつでも勝てる状況になったと言えます、何故なら陽奈を人質にされればこちらはさすがに武器を置くしかなくなりますし、仮に戦ったとしても陽奈が殺されればまともな精神状態では戦えないでしょうから、負けが視えています。それなのにそれをしないということは陽奈の話を聞く価値があると考えているからでしょう」

「つまり、貴様はこの状況下でも大揚が裏切ると思っているのか?」

「そうじゃなきゃ説明がつかない、陽奈を捕らえたのならそれを七條 金興か治意に引き渡せば戦を終わらせる決定的な手柄になる。そうすれば今までの汚名は濯がれるどころか恩賞も思いのままだろう。その選択をしない所を見ると大揚部隊と本隊の亀裂は相当のものだったはず、まだ心変わりをする可能性はある――というより、事ここに至ったってしまったからにはそれ以外、勝ちもなければ陽奈も助からない」

 可能性はある。紅夜のその言葉に嘘はない。だが、現状を考えればその可能性は限りなく少なく、それは陽奈の命も危ういことを示しており、暗く重い空気が三人を包む。

「――あたしらに出来ることはないのかい?」

「灯火さんと鬼島にはこの砦の防衛を任せたい、俺は陽奈と鬼島の部隊を引き継ぎ南の防衛にあたる」

「貴様、何を言っている、そこは私が――」

「それは出来ない」

「何故だ!?」

「単純な話だ。目と鼻の先に捕えられた陽奈がいる、お前には動かせる部隊がある。そんな状況でお前は我慢が出来るのか? 敵の本隊に気取られないように、何もないと言わんばかりに、目の前の陽奈の窮地を見て見ぬ振りが出来るか? 同様の理由で灯火さんにもここは任せられない。俺が代わりに出る」

「待て、その理由なら貴様が私の代わりに行けばそれこそ本隊にこちらの戦線で何かあったと感づかれるのではないか?」

「……その可能性はある。だが、お前に任せて突撃されるよりは陽奈が説得に費やせる時間を稼げる」

 こんなときばかり勘のいい奴だ、と言わんばかりにため息交じりに紅夜は力なく返す。

「なら、私が行く、私が行けば一番本隊に気取られにくく時間を稼げるのだろう?」

「それが出来るなら――」

「やって見せる! それが一番、陽奈様の生きる可能性を高めるのならやって見せる」

 その眼に嘘偽りは感じられなかったが、成実のその言葉を鵜呑みに出来るほど、紅夜は成実を信用していない、だが、成実の言葉は最もであり、どちらにするべきか心が揺れる。

「貴様が、私を信用できないことはわかっているつもりだ。自覚はある。だが、これだけは信じてほしい。私は決して陽奈様を危険に晒すことはしない。それ(敵陣への進撃)が陽奈様を危険に晒すとわかっているなら尚のことだ」

 成実の陽奈への忠義が並みでないことは紅夜もわかっている。それでも成実の気性の荒さも同じように知っている。

 もし、成実を信じ戦線に戻した場合、血迷って突撃でもされようものならそれで戦は終わる、自分が戦線に立てば修立に怪しまれ早ければ明日には今の状況がばれるだろうが逆に言えばそれまでは確実に時を稼げる。

「(どうするべきだ、鬼島の言うことにも一理ある、それどころか、本当にそれが出来るのならそれが最善手だ。だが、それは、躾のなっていない犬の前に餌を置き一日我慢しろと言っているようなもの、この馬鹿犬がそれを我慢できるわけが――)」

 どうしても成実のことを信用できないといった様子の紅夜は決めきれず、唸っていると成実は意を決したように自らの小指を紅夜に突き出す。

「何のつもりだ?」

「指斬りだ、知らないのか?」

「指斬りぐらい知ってる、それで信じろって言うのか? 事は指一本でどうにかなるようなことじゃないんだぞ、陽奈の……いや、鳳凰旗団の命運が掛かってるんだ(そうだ、だからこそ、情に流されるわけにはいかない)」

「一本で足りなければ足りるだけ持っていけばいい、例え指がなくなり剣を握れなくなっても構わない」

 指斬りとは自らの指を斬り落とし担保として相手に渡すことで、絶対に裏切らない、嘘をつかないといった意思表示、覚悟を示すときに用いられる古い風習。

 それほどの覚悟を示した成実だったが紅夜はまだ踏み切れないと言った様子で迷っていると成実は自分の覚悟を示すため、腰の剣に手を掛ける。

「待ちな」

 成実のその様子を見て、紅夜よりも先に止めに入ったのは灯火だった。

「坊や、成実の指よりあたしの指も持っていきな」

「なっ、何を言われるのですか筆頭!? 私の代わりにそんなことさせられるわけが――」

「何言ってんだい、指なんて十本もあるじゃないか、足をいれたら二十本だ。一本ぐらいどうってことないさ、あたしはお前さんを――成実を信じただけさ、それにあたしの指を斬らせたとなれば成実も動けないだろう、どうだい? 悪くない案だと思うんだがねぇ」

 紅夜にそう尋ねておきながら返事を待たず灯火は大剣を抜くと軽く宙へ放る、刃が落ちてくるであろう所へ灯火は躊躇なく小指を向ける。

 紅夜はまさかと思い赤眼を使うと、まるで処刑台の如く落ちてきた刃に簡単に斬り落とされる灯火の小指が視えた。

「はぁ、はぁ、正気ですか?」

 必死の思いで、剣抜いて落ちてくる大剣を弾いた紅夜は、突然の灯火の行動に焦り息を切らしながら問いかける。

「正気も正気さ、あたしは信じたんだからね」

「だからって、自分の立場を考えてください! そんな簡単に自分の指を落とすなんてこと――」

「何言ってんだい、あたしは端から指を落とす気なんてなかったさ」

 腰を抜かし何も言えずにいる成実と必死になって灯火の小指を守った紅夜に対して、そんなことを笑顔で話す灯火の真意が見抜けずに紅夜は何も言えずにいると、灯火は続ける。

「あたしが信じたのは成実だけじゃないってことさ、ああすれば必ず坊やがこうしてくれるって信じたってわけさ、坊やらしく言えば一手先が視えたってところかね」

 したり顔で笑顔を浮かべる灯火に対して紅夜は怒りたかったのだが、そんな気も失せてしまい安堵からため息が漏れる。

「坊や、人を信じるってのは簡単なことじゃない、ましてや、自分の命運が決まる時なんていうのは特にね。だけどね、そう言うときに限って決め手に欠いたり、どっちも悪手に見えるもんさ、そん時は腹括って信じきっちゃえばいいってもんよ。中途半端なことをしたほうが碌なことにならないもんさ」

 灯火のその言葉に何も言い返せずに僅かに天井を見上げた紅夜を見て灯火は成実に戦線に戻るように促すと、成実はすぐに立ち上がり引き締まった表情になって「はっ」と短く返事を返し戦線へと戻っていった。

「――よく笑えますね」

 嬉しそうな顔を浮かべる灯火に紅夜は気が気でない様子で問いかける。

「信じたからね、だから笑えるのさ」

「妹が殺されるかもしれないんですよ?」

「死なないさ、坊やの読み通りなら成実が手を出さず、時間さえ稼げれば陽奈が羽葉たちを説得できるんだろ? だったら陽奈は死なないし、むしろ戦の勝利が近づくってもんさ」

「あくまでも予想ですし、時間さえあれば陽奈が大揚たちを説得できると決まったわけじゃ――」

「だから、言ったろ? 信じ切るってあたしは坊やも成実も陽奈も、それに――あの馬鹿共も信じたのさ。だから大丈夫、だから笑えるのさ」

 そう言って本心から笑う灯火を見て、紅夜は思う、「(きっと一番不安なはずなのに、こういう窮地にこそ、それを見せない。こういう人が人の上に立つべき人なのだろう、そして自分はこの人の用には一生なれないのだろう)」と器の違いに驚きながらも感心した紅夜は覚悟を決め、しょうがないと言わんばかりの笑顔浮かべるのだった。



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