下章
天草村での戦が終わり二日経った昼、鳳凰旗団本拠の評定の間に将が集められていた。戦の見聞を終え筆頭である灯火から大将を任せられていた陽奈に沙汰が下ろうとしていた。
「此度の天草村での防衛戦だが、まぁ、結果だけを見れば防衛の任を果たしたことになるのはたしかだが、与えた式兵は殲滅させられ与えた被害もこちらの半数程度と戦の内容は酷い、はっきり言うがこの戦果じゃ大将のお前に責任を取ってもらわないといけないんだが――、何か弁明することはあるかい、陽奈?」
「お待ちください! 此度の戦は私の独断専行が――」
「黙る、問われてるのは、陽奈」
灯火の正面で向かい合って座る陽奈が口を開く前に成実は横から口を出すが、成実の隣に座っている泉千に抜かれていない長刀の鞘を喉元に突き付けられ制される。
「し、しかし――」
「いいんです!」
制されても尚、弁明しようとする成実を制した陽奈はすでに覚悟はできていると言わんばかりに落ち着きながら灯火の眼を澄んだ瞳で見ていた。
「わたしは大将を任せられるような器ではないことは重々承知してます。戦場でも大将らしい働きなど一切してません。ですが、そんなわたしでも戦の責を受けるくらいは出来ます。……だから大丈夫です。ここはわたしに大将らしい働きをさせてください」
そう言って微笑みかけられた成実は何も言えずにいたが、まだ陽奈が責任を取ることに納得してない様子を見て灯火は戦場で軍師だった紅夜に意見を聞く。
「坊やはどう思う? 軍師として意見を聞かせてほしいんだが?」
灯火の隣に座っている紅夜に一同の視線が集まる。
「――そうですね、基本的に戦の責は大将が負うもの、この場合も同義だと思います」
「なっ!」
驚きの声を上げたのは成実だったが、それ以外からは何もなく灯火も意を決し陽奈に五日間、物置での謹慎という罰を下した。牢獄がないこの拠点にとって最早使われなくなってしまった窓一つない物置は獄と同じ意味を持っていた。
そうして評定は終わり、陽奈は灯火と泉千に連れられて部屋を出ていくと、紅夜も立ち上がり歩き出す。
「――待て」
無念そうに体を震わしていた成実は怒りを抑えながら紅夜を呼び止める。
「何故、貴様は陽奈様を擁護しなかった。認めたくはないが貴様とて陽奈様の家来だろ、あの戦で軍師だった貴様が! 貴様が――私に戦の責があるとあの場で言えば、陽奈様が罰を受けることはなかったはずだ!」
紅夜の襟元を掴んだ成実は自分の感情を露わにしながら迫った。
「戦の責を取るのは大将の役目、ましてや陽奈は筆頭の妹、血縁だから責を受けなかったと思われれば鳳凰旗団の信用と内部の結束に関わる。……そもそも誰のせいでこうなってるのか、わかってるのか?」
冷徹とも言える、その言葉に成実は何も言えず、襟元を強く掴んでいた手から力が抜け下唇を噛み、悔しそうな表情を浮かべ俯く。
「陽奈は大将としてお前の、俺たちの主として責を受けるんだ。それがわかったなら俺たちに出来ることは過去の失態について口論することじゃない。思うところがあるなら次の戦で戦果を挙げられるように剣でも振ってきたらどうだ?」
力の抜けた成実の手を振り払った紅夜はそう言い捨て、部屋の外へ出て戸を閉めると、部屋の中からは木張りの床を無念そうに叩く音と涙をすする音が聞こえてきた。
「随分と辛辣なことを言うんだねぇ」
苦々しい顔つきで拳を握り締めていた紅夜が部屋から離れようと一歩踏み出すと、廊下の両脇に立っている柱の一本に背を預けて立っていたと言うよりは紅夜が来るのを待っていた灯火にそう声をかけられる。
「……陽奈を連れて行ったんじゃないんですか?」
嫌なところを見られたと言わんばかりに一瞬灯火から視線を外し、表情を平坦に戻した紅夜は、陽奈の家来になり正式に鳳凰旗団の一員となったのでいつもの生意気な口調ではなく、立場も歳も上の灯火に対し最低限の敬意を持った口調で言葉を返す。
「泉千に任せたよ。それよりさっきの言葉、まるで自分に言い聞かせてるみたいだったじゃないか、坊やも陽奈一人に責を負わせるのは反対かい?」
「俺の個人的な考えなんて必要ないでしょ、まず考えるべきはどのような対処がこの鳳凰旗団にとって最善かということ、つまり俺はこうするのが最善だと考えただけですよ」
「まぁ、将としては正しい意見だが、あたしは坊やの個人的な言葉を聞いてるんだがねぇ?」
その問いに答えるのを一瞬躊躇した紅夜だったが、答えなければここを通さないと言わんばかりの圧を感じ、仕方がないと言った様子で吐露する。
「……陽奈に信頼され、期待され、軍師に任じられにも関わらず、結果はこの有様。しかも大将一人に罪を背負わせることになってしまった。自分の力の無さが憎く情けない」
紅夜の右の拳はやり場のない感情を抑えるように先ほどよりも強く握られ、震えていた。
「そこまで思ってるんなら、成実の気持ちも少しは汲んであげたらどうだい?」
「わかるからと言って、傷を舐め合っていては同じ過ちを繰り返すだけ、それに此度の戦によって鳳凰旗団が窮地に立たされる戦況になったのは事実ですから、鬼島にはそれをしっかり理解してもらい同じことを繰り返さないよう灸を据える必要があったんですよ。この敗戦をしっかり反省し精進すればきっと――」
「次の戦で戦果を挙げられる、ってかい?」
見透かしたような笑みを浮かべる灯火に対して紅夜はばつの悪そうな表情になり、押し黙ってしまったのを見た灯火は、満足そうな顔で紅夜の横を抜ける際「次の戦、頼むよ」そう耳元に言い残し去った。
評定が終わってから四刻ほど経ち旅館の外がすっかり暗くなった頃、成実は道場での一人稽古を終え食堂に来ていた。
自分の分の夕飯を大盛りにしてもらうと事前に用意していた笹の葉にご飯半分ほどをこっそり包み、周りに気づかれないように手早く夕飯を食べ終わり、「(陽奈様、今行きます)」そう思いながら駆け足で陽奈の謹慎先である物置へと向かった。
謹慎中は世話役以外の者が接触することは出来ず、謹慎中の食事は一日一食(粟の雑炊一杯)のみなので成実は陽奈がお腹を空かせていると思い、こっそり差し入れを持っていこうと思い立ったのだ。
怪しまれないように最善の注意を払いながら物置部屋の前に着いた成実は周りに監視がいないことを確認し、戸を開けて物置の中へ入る。
「陽奈様、差し入れを――」
「なんだい? お前も握り飯かい?」
背中を壁に預けて立っていた灯火はやれやれと言った様子でそう成実に尋ねてくる。
陽奈は灯火の奥で座っていて、なんとも複雑そうな顔で驚いている成実を見ていた。
「ど、どうして筆頭がこんなところに――」
「そりゃあ、あたしが陽奈の世話役だからね。そう言うお前は――って、聞くまでもないようだね」
口走った言葉と手に持った握り飯に灯火が目を落とし困り顔で成実の顔を見直す。
「す、すみません、これは私の独断で陽奈様は――」
「ああ、いいからそういうのは、とりあえず罰として道場を掃除して来な」
「……はい、承知しました」
成実はその場に笹でくるんだ握り飯を置き、踵を返し外へ出て行った。
「主思いのいい家来たちじゃないか」
灯火は置かれた握り飯を手に取り、懐からも笹で包まれた握り飯を取り出し、その二つを陽奈の前に置く。
「しかし、そのせいで自分たちが罰を受けるんですから――」
「素直に喜べないってかい? そうは言っても本当は嬉しいんだろ? 顔に書いてあるよ」
「……はい」
笹を広げた陽奈は不恰好な二つの握り飯を見て微笑みながらそう返事をした。
罰として道場の床を掃除するために雑巾を持ち道場の戸を開けようとすると、誰もいないはずの中から駆けるような足音が聞こえたので不審に思った成実は少しだけ戸を開けて中を覗く、するとそこには雑巾がけをしている紅夜の姿があり、何故紅夜がこんなところで雑巾がけをしているのかと一瞬、疑問に思ったが『お前も』と灯火が言っていたことを思いだし、ようやく合点がいくと悔しいような嬉しいような表情を一瞬浮かべ「よしっ」と気合を入れ直し成実は道場の戸を開け、互いにいがみ合い競い合いながらも同じ主の家来として同じ罰を受けたのだった。
その頃、七條家の本城、熊木城でも天草村での戦果の報告が行われた。
「――なるほど、報告通りの戦果であれば問題はないでしょう、どうでしょう? この二人の戦果を労い褒美を取らせるのは?」
玉座に座る金興を前に片膝を着きながら目を伏している羽葉、羽湯の二人から戦果の報告を受けた修立は金興にそう進言する。
「うむ、では禄の加増と金一貫を与える」
「はい、ありがたく頂戴いたします。……羽葉? 早くお礼を言って受け取って」
すぐに頭を下げお礼を申し上げる羽湯に対して羽葉は少し戸惑った様子でお礼を言おうとしなかったので、羽湯は急かすように小声でそう声をかける。
「で、でも、民のみんなは、苦しんでるのに、その民から巻き上げた物を貰うなんて――」
修立や金興に聞こえないように小声で羽湯に自分の考えを話していると、お礼が帰って来ないことに苛立ち始めたのか金興の表情が曇っていく。
「いいから、ここは素直に受け取って」
「で、でも――」
「どうかしましたか? まさかとは思いますが受け取らないと言うことは無いですよね?」
「い、いえ! う、受け取り……ます」
催促するかのような修立の言葉に躊躇していた羽葉は条件反射のように怯え、震えるような声を出しながら答えるとお礼を申し上げ褒美を受け取る旨を伝える。
そうして戦果の仕置きについての評定は何事もなく終わり、評定の間には金興と修立の二人が残っていた。
「修立、此度の戦はどう思う?」
「はい、私は上々かと、此度の完勝によって鳳凰旗団と我らの戦力差は決定的となりました。いくら鳳凰旗団にあの二人が居ようとも万に一つも勝てないでしょう。ただ――」
「なんだ? 気になることがあるのか?」
「敵方に殺し損ねた『赤眼軍師』がいたと言うのが気になります」
「『赤眼軍師』など、敵として気にするに値せぬ。現に此度の戦も圧勝であっただろう?」
鼻を鳴らすようにそう吐き捨てた金興の態度はふてぶてしく、傲慢そのままだったのだが、実際にその通りだったので「たしかに、そうですが……」と修立は力なく答えることしか出来ない。
「大体『赤眼軍師』など名前負けも甚だしいわ、あやつなど次の戦に勝ったついでに捕えて皇家へ売り飛ばし金に換えるほどの価値しか存在せぬ。しかしようやくだな、幾度となく天草村へ軍を送り馬鹿にならぬ遠征費を費やしておったが、奴らの兵力を削り確実に殺すというおぬしの回りくどい策を採用したのも、まさしくこのため、兵力差が決定的となったのであれば、あとは奴らを始末する日取りを決めるだけであろう」
「……我らと奴らの間にはすでに埋めがたき戦力差があります。故に焦る必要はないかと、具体的に挙げると一月後辺りが良いかと存じ上げます」
「そんなに待てぬ、おぬしもわかっておるだろうが、これまで奴らには散々煮え湯を飲まされてきたんだぞ、わしは一刻も早く、奴らを血祭りにあげたい。そうだ、いいことを思いついたぞ。奴らをその場で殺すのではなく捕え、しばし遊んだあと奴らを信望する馬鹿な民たちの前で生きたまま焼き殺すのはどうだ? よい見せしめになるぞ?」
下卑た笑いからは灯火たちを散々持て遊び焼き殺したときの光景を思い浮かべているのが見て取れるほどで、心から金興はそれを楽しみにしているようだった。
「魅力的な案でございますが、殺すのでさえ手こずる奴等を捕えるのは困難かと……ですが、一人だけならその素晴らしい刑に値する者に心当たりが――」
「もったいぶらずに言ってみよ」
「鳳ヶ崎 灯火の妹である、鳳ヶ崎 陽奈にございます。その者は鳳凰旗団の一員として戦場にも出ておりますが、聞く話によれば戦は不慣れだとか、自身の武勇も将としては未熟、加えて容姿がよい、身分、力、容姿、全てにおいて辱めるのにはちょうどいいかと」
「妹か、灯火ではないのは少々口惜しいが、まぁ、よかろう。ふんっ、今から楽しみだ」
「はい」
悪い笑みを浮かべる金興に対して修立は返事をしながら頭を下げた瞬間、口角が少し上がる。それというのも修立の頭の中では紅夜を殺し損ねたあの戦況が巡っていた。
「(――あのときの借り、返させてもらうぞ、鳳ヶ崎 陽奈)」
戦場に突如現れ、七條軍を撤退に追い込んだ彼女の愛らしくも憎き顔を修立は鮮明に覚えていた。
翌日の昼間、鳳凰旗団の本拠の評定の間で灯火と泉千が今後の鳳凰旗団の方針について話合っていると『失礼します』その声と共に部屋へ入って来たのは紅夜だった。
「なんですか? 急に話したいことって?」
気怠そうにそれでも一応目上の人間と話すような敬語を使う紅夜は、あまり乗り気がしないような様子で頭をかいている。
「おう来たか、とにかく座りな」
灯火と泉千は部屋の中央辺りで膝が触れ合いそうなほどの近い距離で隣り合って座っている、その正面辺りを灯火は指差したので、紅夜は二人の正面辺りに座る。
「話ってのは今後の鳳凰旗団の方針と言うか、七條家に対抗する手段みたいなものを泉千と探してたんだがどうも煮詰まってね。それで部隊長の経験もある坊やの意見も聞こうと思って呼んだってわけさ」
「聞きたい、意見」
灯火と泉千の真剣な表情を見て紅夜は(どうせ、酒の相手をしろとか、ろくでもないことに付き合わされるに決まっている)と思っていたので意外に真面目な様子の二人を前にして一瞬、間をあけて答える。
「――今後の話をする前に確認なんですが、目標である打倒七條家はこの状況でも変わらないってことでいいですか?」
「ああ、それは変わらない」
「だったら九割方俺らは殺されます、それくらいの戦力差になってる。それくらいはわかって言ってるんですね?」
「勿論わかってるさ、だからこそ、坊やにあたしらが七條家と戦って生き残るたった一割の可能性を聞こうと思ってるんじゃないか」
二人の目にはまだ輝きは残っていて、諦めといった様子は伺えないので少し安心したように息を吐くと、自身の考えを口にする。
「恐らくと言うか絶対なんですが、七條家は近いうちに鳳凰旗団を本気で潰しに来ます。これ以上戦力差が広がれば万に一つも勝てないのでその戦で決着をつけなければこちらに勝ち目はない。つまり七條家と戦い生き残る可能性があるのならそれは次の戦を総力戦として、王である七條 金興を殺すか、捕えなければならない、これがたった一割の可能性です」
「次の戦でただ勝つだけじゃ駄目ってことか」
「七條家と鳳凰旗団の総兵力差はすでに十倍近い、次の戦でその差が例え縮まったとしてもこっちの被害もある程度覚悟しなければならない。ただでさえ式兵が少ないのにこれ以上式兵の数が減れば戦自体できなくなりますから」
「こっちはかき集めてもせいぜい二百辺りが関の山、たしかに百体以下になればもう戦なんて呼べないだろうね」
「はい、おそらくこれが七條家の狙いだったんでしょう、こちらの戦力を十分に削り弱ったところを全力で叩く、万が一負けたとしてこちらは次の戦に向けての戦力を整えらない。そもそも資金面や軍備面に埋めようのない差がある以上、七條家と鳳凰旗団の式兵保有数が開き続けるのは明白、そうなれば今後勝ち目は出て来ない。故に今は絶望的な状況とは言え戦力差的に見ればまた勝ち目があり、尚且つ七條家は慢心してるはず、戦力的にも状況的にも勝ち目があるとするなら、次の戦が最後の機」
「次に賭けなきゃならないってことはわかった。それでこの勝ち目の薄い賭けをどう勝利に導くつもりだい?」
「たしかに薄いですね、でも零じゃない。戦で勝つには天の時、地の利、人の和、この三つが必要だと言われてます。この三つの内、地の利は迎撃するこちらに分があり、人の和も滅亡の危機ですから士気も高く全員やる気に満ちているでしょうからこちらが有利」
「天の時はどうだい?」
「それも多分大丈夫だと思います。手は打っておきましたから」
天の時を得るために手を打ったという言葉が引っ掛かると言った様子で訝しげに灯火は眉をひそめる。
「天の時ってのは言わば時の運ってやつだろ? 天に打つ手なんてあるのかい?」
「たしかに天の時は天から与えられる幸運ってことですけど、まぁ、正直好みの問題もあるでしょうけど、奇跡を寝て待つより狙って出すほうが俺は好みです」
紅夜はそう言うと二人はどうですか? と言わんばかりに視線を送る。
「それをあたしらに聞くかい?」
「当然、後者」
楽し気に笑う二人は気が合う仲間と気が合う話をするような調子でそう言い返すと灯火は続ける。
「つまり鳳凰旗団は戦の前から三つの利を持ってるってことになるね、そうなると当然負けることは無いってわけかい?」
「戦に確実なんて言葉は存在しませんから断言できませんが、戦と言うのは始める前に九割方勝負はついてるもの、そして俺が見たところすでに――」
「勝ってる? 私たちが」
泉千の言葉に紅夜は頷くと灯火は豪快に笑いだす。
「坊や、ほんとにお前って奴は人が悪い。最初から九割方勝ちが視えてるってのに一割しか勝てないとか言いやがって、あたしらを試しやがったね?」
「次の戦の戦力差を覆すには二人のやる気と覚悟が肝心でしたから」
「食えない奴だねぇ、臣下になって少しは丸くなったかと思ったけど、全然だね。まぁ、いいさ、それで、そこまで言うなら次の戦は坊やを軍師として軍備に関しても意見を聞かせてもらおうかね、これから戦が始まるまであたし等は何をすればいいんだい?」
「まずは物資の用意ですね、式馬用の干し草と――」
そうして戦までの準備などの打ち合わせを終え、紅夜は二人より先に評定の間から出ると廊下で待っていた成実に声をかけられ、強引に道場まで連れていかれる。
「貴様、私と稽古をする約束をしておきながら直前になって逃げだすとはどういうつもりだ!」
「逃げ出したわけじゃない、突然筆頭に呼び出されて今後の鳳凰旗団の方針について相談を受けてたんだ」
道場の床に対面しながら座り、成実は髪を逆立てる獣の如く憤慨しながら、腕を引っ張られ成すがまま連れて来られた紅夜に事の次第を問いただしたが、紅夜の話を聞いて怒りに満ちた顔から一変し深刻そうな顔つきになる。
「今後の方針? まさか! 七條家とはもう戦わないなどと言わないだろうな!?」
成実にとって先の敗戦で戦力が不足した鳳凰旗団がこれ以上は戦が出来ないと判断して白旗を上げ解散するということは是が非でも避けたく、また自らの失態で皆の目的を奪ってしまうことを恐れていた。だからこの数日間は気が気ではなかった。
「いや、それに関しては大丈夫だ。ただ――」
「ただ、なんだ? 勿体つけずに話せ」
「いいのか? お前にとっては耳の痛い話だぞ?」
「……あの敗戦以降自覚と覚悟はできている。話せ」
紅夜は灯火たちと繰り広げた話を所々省略しながら話すと成実は一瞬落ち込むように顔を落としたが、すぐに顔を上げ紅夜の目を見て言葉を発す。
「そうか、それで陽奈様にこのことは?」
「陽奈はまだ謹慎中だから言ってないが、なんでだ?」
「私が自ら陽奈様に言いたい。こうなったのは私の失態だからな」
敗戦の責任を痛感し後悔をし続けながらも自分の中で整理し、向き合い、次に進もうとしているのがわかり、紅夜は少し安心する。
「……わかった。お前がそうしたいならそうすればいい」
「それで、先の話だと次の戦は七條 金興の首を取らないといけないのだろ? だが、そもそも次の戦で七條 金興が戦場に出てくるかどうかも――」
「それに関しては天の時次第、本来なら願うしかないところだが、実は手を打ってある。確実とは言えないが十中八九、大丈夫だ」
そんなことは言われなくてもわかっていると言わんばかりに紅夜は一抹の不安を残しながらもそう言い切る。
「詳しく聞かせろ」
成実は七條 金興を戦場に引っ張り出す策を紅夜から聞き出すとすぐに立ち上がる。
「おい、どこへ行く気だ?」
「熊木城の城下町、私もその策を手伝う」
「人手が多いに越したことはないが、鬼島は七條家に顔を知られてるだろ? 城下町で七條家に見つかれば命はないぞ」
「わかっている。だが、こうなっているのは私の落ち度だから……、もし捕まったとしても今度は助けに来なくていい、それに策のことは絶対に口を割らない、だから私にも手伝わせろ」
「言われなくとも、もう、お前を助けに死地へ赴くなんて御免こうむる。捕まって辱めを受けようが殺されようが勝手にしろ、と言いたいところだが――」
「おい、口に出ているぞ」
苛立った様子で成実は紅夜に指摘するが紅夜はそれを気にもせずに言葉を続ける。
「陽奈を悲しませるなよ」
「――そんなこと貴様に言われるまでもない」
苛立った口調とは裏腹に少し嬉しそうに口角を上げた成実は紅夜に背を向け、熊木城の城下町へと向かった。
それから三日後、成実の助力もあって熊木城の城下町では金興についてのとある文が広がり、遂にその文の噂は熊木城内にも広がり始め、その噂を耳にした金興は兵に命令しその文を手に入れていた。
「なるほど、それが巷で広がっていると言われる文ですか。それでなんと書かれて?」
評定の間で玉座に座り手に入れた文をこれ見よがしに見せている金興に目を細め不思議そうに文を眺める修立が尋ねた。
「つい先ほど手に入れたばかりでな。わしもまだ目を通しておらん。今の言い方だとおぬしもこの文の内容を知らぬのだな?」
「その噂自体は耳にしていたので気にはなっていたのですが、(戦仕立てが忙しく手が回らなかったとはいえないな。機嫌を損ねる)所詮は民の噂と思い捨て置いておりました」
近いうちに来る戦に備えての戦仕立てにこの数日間は追われており、というのも七條家の政、軍事のほぼすべては修立に一任されているので戦となればその準備に奔走しなければならない。
「そうか、それはちょうど良い。この文をわしが読み終えればおぬしにも読ませてやろうと思っておったからな」
「はっ、ありがたきお言葉(そんなことで呼び出されたのか、こっちは昼夜問わず軍備を整えていたと言うのに、第一、文の内容など大方の予想はつく、噂によれば文は金興について書かれているものらしい、だとすればあの上機嫌な様子からしてどうせ自分を称える文を配下に作らせ、城下に撒いたのだろう。自作自演に付きあっている暇などないのだが)」
内心はそう思いながらも修立は心を静めていると金興は意気揚々と文を開く。
『七條 金興は豚である。豚であるゆえに真珠(民)の価値がわからぬ。圧政により蓄えた財を使い、豚は自分の腹に肉を蓄える。醜く肥えて太った豚は遂に表に出て来られなくなり城に引き籠っている。豚の仕事と言えばただ鳴くことだけ、熊木城から豚の鳴き声が聞こえてきたと言う話を聞いたことある、それは金興の鳴き声に相違ない。人間である民が醜き豚に指図されるなど屈辱以外の何ものでもないだろうが、しばし待っていてほしい、我ら鳳凰旗団が必ず豚を焼き殺し、豚の支配から民たちを解放させることをここに約束しよう。ちなみに豚肉は好きだが金興の丸焼きは腹を壊しかねないので俺は食わないが、食いたい者がいれば振る舞おう。 七條家の圧政に苦しむ民および金興(豚)へ――――『赤眼軍師』こと高桐 紅夜より』
そう書かれていた文を金興は握り潰す、文字を追っていた目は徐々に赤く血走り、床を踏み抜かの如く勢いよく立ち上がった足は怒りに震え、耳の端まで真っ赤に染めたその姿は正しく激昂しているというべきものだった。
「高桐 紅夜めぇ!! 必ず血祭りにあげてくれる!!」
「金興様? いったい何が書かれて――」
金興の予想外の反応に修立は眉を近づけながらも冷静に尋ねようとするが、金興の方は冷静さをすでに失っていた。
「うるさい!! 急ぎ軍備を整えよ! 今すぐにわし自ら鳳凰旗団を叩き潰す!」
「お待ちください! どうか冷静に、今すぐは不可能かと、どんなに早くても七日は――」
「ふざけるな!! 七條家当主にしてこの国の王であるわしをここまでこけにしておいて七日も待てるか!」
「(……まさか、文の中身は鳳凰旗団からの挑発文だったか、っち、確認しておくべきだった。だが、今更悔いたところでここまで激昂されれば最早聞く耳を持たないだろうな)わかりました。では五日で軍を整えます。これ以上は縮められませんのでご容赦を」
「ぐっ、五日だと――、何故今すぐ出陣できぬ!?」
「兵糧の確保や進軍路の調査、隣国の動きなども見ておかなければなりませんので、ただ勝つことが目的ではなく戦を仕掛けたいと言うのでしたら今出陣可能な数十体の式兵を率い僅かな兵糧を持ち出陣なされるのがよろしいかと」
怒りに震える金興に十分配慮しながらもただ言いくるめられるのではなく、この状況でよりよい状況を作るために修立は端正で冷静な顔つきを変えないままなんとか食い下がる。
「ぐぅぅぅ、ええい、五日だな! それ以上は待てぬからな」
金興は大いに不満そうにそう述べると、立ち上がり握りつぶした文を床に叩きつけ、自室へ戻って行った。あの状態でも修立に対して更に強く言えないところを見ても七條家の軍事は修立抜きでは機能しないところまできているのがわかる。金興もそれをわかっているからこそ、修立以外にそう言われたのなら即刻打ち首にするところをそうして見逃し、また修立もそれをわかっているからこそ、あそこで折れることなく言い返せるのだ。
一人残された修立は握りつぶされた文を拾い広げるとあまりに陳腐な挑発文だったので鼻で笑ってしまう。
「(しかし、これのせいで軍備を整える暇が無くなっただけではなく金興が戦場に引きずり出されたのも事実、あの様子であれば必ず次の戦は陣頭に立つつもりだろう。内容は粗末だが結果だけみれば思い通りと言うわけか、『赤眼軍師』)面白い、今回は後れを取ったが、次の戦で貴様の知略ではこの私に及ばぬことを証明して見せよう」
まるで次の戦を楽しみにするかのように修立は不敵な笑みを浮かべていた。