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鳳凰記  作者: 新野 正
13/33

鬼の目に涙と主従の契り


 夜が明けて翌日の朝、紅夜が目を覚まし評定の間へ行くと、先に起きていた陽奈を見つけお互いに挨拶をかわし自分の席へ座ると、すぐに陽奈がご機嫌なのがわかった。

「陽奈、どうかしたのか?」

「ふふっ、朝に弱い成実が珍しく早起きをしてきたかと思うと、『敵の奇襲に備えて式兵を貸してほしい』と言われまして、あまりの気迫にそのときは何も考えずに与えちゃいましたけど、今考えてみればこれは凄くやる気になってくれていると言うことですよね? だからわたし嬉しくて」

「……それがいいほうに出ればいいけどな、それでどれだけの式兵を貸したんだ?」

「えっと、四十体ですけど」

「はぁ? 四十ってこっちが今動かせる式兵の八割近い兵数を鬼島に貸したのか?」

「え、ええ、何でも『万が一のため』らしいです」

「万が一ねえ(あいつ、戦が始まっても式兵を返さないつもりか? そうなれば俺と陽奈は合わせて十体程度の式兵で戦場に出なければならない。――なるほど、俺に十分な戦果を挙げさせないためと多少無茶をするために式兵を……まぁ、俺は戦の戦果なんてどうでもいいからな、あいつが期待以上の戦果を挙げてくれるのなら別に構わないか)」

「あのぉ、もしかしてわたし余計なことを?」

「余計なことと言えばそうだが、ここの総大将は陽奈だからな、それに今のところ特に問題があるわけでもなさそうだし、もっとも鬼島が相手側に寝返りでもしない限りは、だけどな」

「成実が裏切る何てありえません!」

「わかってるって、そう怒鳴るな。だから特に問題ないって言っただろ?」

「す、すみません」

 大声を出してしまったことを恥じて陽奈は顔を赤くしながら俯き、身を小さくしながら小声で謝った。

 そんなやり取りから数刻、爽やかな朝の陽ざしは大地を赤く染める夕焼けへと変わり、その夕陽でさえも沈みかけていた。

「今日は攻めてきませんでしたね?」

「……ああ」

 七條軍はこれまでどんなに遅くても昼過ぎには攻め込んできていたので、二人は軍事拠点の近くにある物見櫓の上から竹林の方を見てそんな会話を始めた。

「たしか、高桐さんは今日からの戦が大事だと言っていたような気がするんですが?」

「ああ、たしかに言った、言ったが、今日攻め込んでくるとは言ってない」

 痛いとこを突かれたような顔をした紅夜はそんな言い訳をすると、陽奈が驚いたような顔で紅夜のほうを見る。

「い、いえ、今の別に皮肉のつもりではなくてですね、素朴にそう思っただけと言いますか、高桐さんの昨日の様子だと今日にも大きな戦があるような感じでしたので、少々拍子抜けと言いますか――」

「(陽奈の性格やこの様子からして悪意は全くないんだろうが……)」

 必死に弁解する陽奈の隣で面目ないといった様子の紅夜はそんなことを思いながら敵の様子と味方の様子を見ていた。

「それにしてもあいつ、大分気が立ってるな」

 紅夜の視線の先には村の前で隊列を組んでいる式兵たちの先頭に立っている成実がいた。竹林の方を見ながら辺りをうろついているその姿は遠目でも気が立っているとわかる。

「無理もありません、朝からずっとああやって、戦に備えて待機していますから。何度も休息を取るように勧めても頑なに戻ってこようとしませんでしたので、相当気合を入れていたんだと思います」

「それで肩透かしを食らったわけだからな、たしかに無理もないか。でも考えようによってはよかったのかもしれないな。今の状態の鬼島が式兵を率いるのは――」

 そこまで言ったところで紅夜の口が止まったのは、竹林から現れた七條軍が村に向かって攻め込んできたからだ。

「た、高桐さん! 七條軍が攻めてきましたよ!?」

「(こんな時間から進軍なんて何を考えてるんだ? もうすぐ陽が沈むぞ)とにかく、迎撃の指示を前線の鬼島に」

「で、でも――」

 陽奈がそう言って示したのは成実率いる先陣部隊がすでに向かってくる七條軍目掛けて進軍している様子だった。

「(あいつ、命を待たずに)……まぁ、命を聞いてからじゃ判断が間に合わないかもしれないからな」

 虚を突かれたことにより、指示の伝達が遅れることは予想できたので紅夜は仕方がないと言った様子で成実の判断を評価する。

「もうすぐ陽が落ちてしまいますけど、いいんですか? たしか、兵法では夜に戦はしないほうがいいはずでしたよね?」

「それくらいは知ってるんだな」

「わ、わたしだって勉強していますから」

 少し照れたような陽奈に対して紅夜はその兵法の意味を話始める。

「戦を夜に行わない理由は暗いと敵と味方の判断がしにくくなるからだ。だから戦力的に勝ってるほうは夜に戦を仕掛けない、逆に戦力的に劣っているほうは夜襲として戦を仕掛けるのは戦術的に有効とされている。とは言え夜の戦は相当の練度を積み、夜の暗さに式兵たちを慣らしておかないといけないから基本的には夜戦は行わないってのが普通だな。それなのに七條軍がこの時間帯に攻めてきたってことは――」

「まさか、あの部隊は夜戦専用の部隊ということですか?」

「いや、動きを見る限りは普通の雑兵にしか見えないし、数も三十体ほどだからな(どう見てもこのまま決戦をするつもりには見えないが)」

「……何か嫌な予感がします、高桐さん、わたしを連れて成実の援軍に行ってもらえないでしょうか?」

「行きたいのは山々だが、七條軍の動きが今までと違うし、まだ兵力を温存しているようだからな。敵の狙いがわかるまでは残りの式兵を率いてこの村を離れるのは避けたい」

「しかし、この村が七條軍に奪われることはないと高桐さんがおっしゃっていたはずです」

「奪われることは無い、だが一時的に占拠される可能性は十分ある。例えば俺と陽奈が残りの式兵全てを率いて援軍に駆けつけたとしたらこのがら空きの村を七條軍の別働隊が占拠するのはいとも容易い、そうなれば俺らは近場の拠点を失っただけではなく挟撃を受ける可能性が高くなる。故に今動くのは危険だ。それに前線の様子を見る限り援軍の必要はない」

 哀願するような顔を向けてくる陽奈に対して紅夜は戦況を見ろと言わんばかりに指で戦場を指す。その先にはこの時を待っていましたと言わんばかりに、剣を片手に暴れ回る鬼が一匹。その迫力は今までとは非にならないほどで、待たされたことによる怒りとこの戦にかける気合が相まって怒涛の攻勢を七條軍に向けていた。

「すごいです、成実」

「あれなら押し負けることは無い、とりあえず俺らのやることは七條軍の動きを警戒し物見を増やすことが第一、敵の真意を見抜き次第適切な行動をとる」

 紅夜はそう言うと軍事拠点に戻るために物見櫓に掛かっている梯子を降りようとするが、戦場を見たまま動こうとしない陽奈に声をかける。

「陽奈、どうした? 拠点に戻って七條軍の情報を集めるためにはお前が来てくれないと偵察兵や伝令兵に指示が出せないんだが」

「あっ、はい、わかってはいるんですが、心配で」

「あいつなら心配いらないだろ、あれだけ敵前線を圧倒してるんだから」

「ですが、どこか危ういような気がして」

「何言ってるんだ、あいつはいつも危ういだろ?」

「そう、かもしれませんが、その引っかかることがあって」

「引っかかること?」

「今になって思い出したんですが、今朝の成実の表情はどこか変だったような気がするんです。どこか影があったと言いますか、表情が暗かったと言いますか」

「(あいつ体調を崩してたのか?)……仕方ない、少しだけだぞ」

 紅夜は梯子にかけた足を再び上に向かうように動かし、陽奈の隣に立つと先陣で剣を振るう成実の戦ぶりに目を向けた。

「斬って、斬って、斬りまくれ! 眼前の敵に容赦するな!」

 成実はそう叫び味方の士気を上げつつ自分自身も眼前の敵を斬り捨てていた。

 乱戦の中、成実の目に珍しい顔が映った。

「あれは錦蛾 羽湯か? どうして前線なんかに」

 副将として主に戦略を立てることが仕事である羽湯は武術が苦手であり、今までの戦ではこのような前線に顔を出すことは無かった。

「(何が狙いかは知らないが、錦蛾が武術を苦手としていることは知っている、私なら簡単にあの首を取ることが出来る。そうすれば――)これ以上ない戦果」

 成実は意の決し、式兵たちに囲まれ守られている羽湯に向け突撃を開始する。

「(本当にわかりやすい子)あなたが鬼島 成実かしら?」

 羽湯は余裕の笑みを浮かべながら向かってくる成実に声をかける。

「ふんっ、幾度も戦を行っているというのに私の顔も知らなかったなんて、流石は臆病風に吹かれて陣営内に引き籠っているだけのことはある。その臆病者が何故前線などに出てきた? まさか、私に首を取られたくて出てきたのか?」

「ふふっ、武将たるものいくら武芸が苦手でも式兵たちが戦ってる以上はこうして前線に立ち、式兵たちの奮戦ぶりに声をかけるものですから。それに本当の引き籠りはそっちの大将ではなくて?」

「な、なにぃ!?」

「此度で四度も戦を仕掛けましたが、臆病風に吹かれ一度として前線部隊に加わっていないのはそちらの大将だと言ったんです。脆弱な私でさえこうして出てきていると言うのに情けない。そちらの大将はたしか猛将、鳳ヶ崎 灯火の妹のはずですが、今までの戦も惨敗続き、此度は善戦してますが前線はおろか戦線にさえ加わっていない。もしや、今まで惨敗続きだったのは無能な武将である鳳ヶ崎 陽奈が指揮官として式兵を率いてたからでしょうか?」

「黙れ! 陽奈様への侮辱はこの鬼島 成実が許さん!」

「大層な忠義心ですが、それは上辺だけではないのですか?」

「ふざけるな! 私の忠義心に嘘偽りなど存在しない」

「知ってるのですよ、此度の戦で指揮を執っている真の大将を」

「なっ!?」

「ふふっ、役職的には軍師だそうですが、今までの戦の指揮は全て彼によるものだと言うことはすでに知ってます。鳳ヶ崎 陽奈は彼に言われるがまま頷いてる傀儡に過ぎない」

「――黙れ」

「これでは一体誰が大将なのかわかったものではありませんね。それに彼の指揮に従って戦果を挙げてるあなたも心の底では彼を敬愛し、鳳ヶ崎 陽奈よりも彼のほうが――『赤眼軍師』のほうが大将として相応しいと思って――」

「黙れぇぇぇぇ!!」

 羽湯の言葉を大声で遮り、止めていた足を羽湯に向け踏み出す。

 向かってくる成実に対し羽湯は指揮下の式兵を成実へ当てるが、成実はその式兵たちを次々斬っていく、鬼の形相で徐々に近づいてくる成実は自分の想いを吐き出す。

「あいつが、大将だと、ふざけるな、あんな奴は絶対に認めない、私の大将は未来永劫陽奈様だけ、陽奈様こそ大将の座に相応しい!」

「(影の言う通り、仲違いをしてるようね)ふふっ、口だけじゃないこと、期待してますよ」

 その言葉を待っていたかのように羽湯は笑みを浮かべると成実に背を向ける。

「全軍撤退しなさい、殿は鬼島を抑え撤退の時間を稼ぎなさい」

「待て! 逃げる気か錦蛾 羽湯!」

 成実の叫びに羽湯は一瞬だけ振り返ると成実の顔をみて嘲笑して見せた。

「ぐぅぅっ、殺す、殺す! 殺す!!」

 撤退のために殿となり成実の行く手を塞ぐ壁となっている複数の式兵たちに向け成実は突っ込んでいき斬り伏せたのだが、その頃には羽湯は前線部隊を率いてすでに竹林内へと撤退していた。成実は悔しそうに下唇を噛むと振り返り味方前線部隊に呼び掛ける。

「我が部隊に告ぐ、このまま――」

 そこまで言うと紅夜の言葉と陽奈の言葉が脳裏に浮かぶ。

『七條軍を深追いして竹林へは入るな』

『お願いします、成実』

「(伏兵なんているとわかっていれば恐れることはことはない、ただ陽奈様の命に背くのは――いや、違う、あいつなんていらないこと証明するためにはあいつの指揮に従うのでは駄目だ、戦果を残せば陽奈様ならわかってくれるはず)このまま七條軍を追う! 私に続け!」

 その言葉に式兵たちも呼応すると成実の後に続き竹林へと入って行ってしまう。

 その光景を物見櫓の上から見ていた陽奈と紅夜は驚きの声を上げた。

「た、高桐さん! 成実が竹林の中へ」

「わかってる! くっそ、あいつ――、とにかくこのままここに居ても埒が明かない、急ぎ拠点に戻り、集まってるであろう七條軍の動きの情報を整理し、次の策を考えるぞ」

 紅夜は焦った様子でそう言うと陽奈と共に拠点へ戻り、敵の動きに関する情報を持ってきた兵たちから報告を受け、現状の整理を始める。

「集まった情報をまとめると、攻め込んでくる時間こそ遅かったが七條軍の動きはいつもと同じ『釣り野伏せ』を狙った動きだったようだな、別働隊も出ていないところを見ても間違いない、問題は何故、陽が落ち始めた頃に攻め込んで来たかと言うことだが、状況的に考えるのなら七條軍が常に雑兵ばかりを前線に出していたのはただの囮のためと言うだけじゃなく、精鋭部隊を竹林内での戦闘に特化させるためじゃないかと思う」

「それはつまり、七條軍は端から竹林外で戦をする気がなかったということですか?」

「ある程度は策を看破されたときのために違う手も用意してただろうが、今まで戦績から見て、釣り野伏せに十中八九掛かると思って戦を進めてたはずだからな、それにただ竹林内での戦闘に特化した部隊と言うわけじゃなくわざわざ陽が落ち始めてから仕掛けてきたと言うことは、きっと暗闇での戦に自信があると言うこと、夜目が効くように闇夜に目を慣らしているとみて間違いない、それらのことから考えるに今俺たちがやるべきことは急ぎ撤退の準備を行い八千代の町に帰ることだ」

 その紅夜の言葉に陽奈は驚いた表情を見せるとすぐに反論する。

「な、何を言っているんですか!? 成実を助けに行くのではないんですか!?」

「それは無理だ、たった十体の式兵でどうにかできる状況じゃない。式兵の数が負けているにもかかわらず、地の利すら相手にある。この状況で竹林内にいる鬼島を救出しに行けば命懸けだ――いや、言い方が生温かったな。九割九分無駄死になる。だからここは敗戦を受け入れ少しでも犠牲の数を減らし八千代の町へ撤退するのが――」

「嫌です」

「陽奈、これはもう仕方が――」

「嫌です! 成実を見捨てて逃げるなんてことはできません。たしかに成実は高桐さんに酷いことを沢山してきました、でも共に戦う仲間ではないですか! どうしてそんな簡単に見捨てるなんて選択ができるんですか?」

 涙を流し訴えかける陽奈に対し紅夜は何も言えずに黙ってしまう。

「――高桐さんがそう言うんなら仕方ありません、高桐さんは残りの式兵を率いて先に八千代の町に戻っていてください、わたし一人でも成実を助けに行きます」

 涙をぬぐい、覚悟を決めた陽奈は拠点の外へ向かおうと歩き出したが紅夜に後ろから肩を掴まれ止められる。

「待て、それは駄目だ。お前をこんなところで死なせるわけにはいかない」

「どうしてですか!? どうしてわたしは死んではいけないのに成実は死んでもいいんですか!? どうして――」

「価値が違うからだ。お前は鳳凰旗団筆頭の妹、それがこんな戦で死ねば鳳凰旗団の士気は落ちる。(きっと鳳ヶ崎も自暴自棄になるに決まってる)そうなれば鳳凰旗団は終わりだ」

「だったら、成実は死んでもいいと言うんですか!? 成実が死んでも鳳凰旗団は終わらないと――」

「ああ、そうだ! ――そもそもあいつは総大将である陽奈の命に背き、戦果に目がくらんでの独断専行。自分で考え自分で死地へと向かったんだ。死んでも本望だろ」

 紅夜の冷徹とも思える言葉を聞いた陽奈は初めて紅夜を睨んだ。

「駄目です! 勝手に死ぬなんてわたしが許しません!!」

 その眼光は鋭く、今までのおっとりとした陽奈の目とは思えないほどだった。

 そしてその強い思いの籠った眼は灯火の眼と重なって見えた。

「(似てないと思ったがやっぱり姉妹なんだな)だったら選べ、ここで鬼島を救出しに向かえば万が一、奇跡でも起これば助け出せるかもしれない、だが、失敗しお前が死ねば鳳凰旗団は壊滅するだろう、そうなれば当然鳳凰旗団に関わった者たちは全員七條軍に捕えられて斬首だ、勿論俺もな、お前を慕ってくれてるこの村の民も八千代の町の民も皆殺しになるだろう。それを承知で俺たち全員の命を秤にかけてでも鬼島を助けに行く気か?」

 紅夜の言葉に陽奈は何も言えずに戸の前で立ち尽くすだけだった。

「陽奈は何のために戦ってきたんだ? 民のためじゃないのか? 七條家の圧政に苦しむ民を救ってあげたいからじゃないのか?」

 陽奈の目から足元に向かって涙が零れ落ちる。

「そうです。わたしは民のために七條家を倒そうと、お姉ちゃんの力になろうと決めました。ですが! それだけではありません! わたしを慕い常に戦場の最前線で戦う成実のためにも戦ってきたんです! その成実を見捨てて何かを守ったとしても、それは意味を成しません。何故ならわたしが守りたい者は全てなんです。わたしを慕ってくれた者、わたしのために力を貸してくれた者、その全てを守りたい。守るために戦ってきたんです! それがわたしの願い、だから、もう二度と何かを諦めるような選択はしたくない!!」

 陽奈は自身の大きすぎる願いを口にすると、弓をその場に形成し、肩に置かれていた紅夜の手を払い、振り向いて紅夜に対して弓を構える。

「わたしの願いのため、わたしが鳳ヶ崎 陽奈であるために、ここは行かせてください」

 弓を持つ手は震えている。矢を持っていないのはあくまで撃つ気はないという意思表示だろうが陽奈の覚悟は十分紅夜に伝わってくる。

「(全てを守るか、大望にもほどがある、だが――)駄目だ、行かせるわけにはいかない」

 紅夜は腰の剣を抜き陽奈にゆっくりと近づく。

「高桐さん!」

「仮にも軍師である以上、常に最悪の状況を考えなければならない。故にお前を死地へ向かわせるわけにはいかない、たとえお前にいくら恨まれようとな」

 紅夜はそう言うと陽奈の目の前で剣を振り上げる。

 陽奈はそこまでされても矢を形成しようとはせずただ身を縮めて目を閉じるだけだった。

 何かが切られ崩れ落ちる音が聞こえたと思い、陽奈がゆっくり目を開けると背にしていた戸が切り壊されていた。

「だから、俺が陽奈の代わりに鬼島を救出しに行ってくる」

 陽奈の横を通り外へ出た紅夜の声に陽奈は驚き、すぐに振り返る。

「そんな危険なこと高桐さんに任せるわけには――、それに成実のために命を懸ける義理なんて高桐さんにはないはずです。やはりここはわたしが――」

「悪いが陽奈が選べるのはこのまま鬼島のことを俺に任せるか、俺と一緒に八千代の町へ退くかの二つに一つそれ以外は俺が許さない」

「だったらわたしも連れて行ってください、必ず役に立ちます!」

「駄目だ、俺が一人で行くからこそ意味がある、可能性が生まれる。はっきり言って足手まといのお前を連れていく余裕はない」

 その言葉に陽奈は打ちひしがれその場で膝から崩れ落ち泣き出してしまう。

「やはり、無能なわたしはまた待つことしか出来ないのですね」

「ああ」

「親友一人助けに行けないのですね」

「ああ」

「成実のために何も出来ないのですね」

「出来るさ、お前にしかできないことが、な」

「え?」

 思いもよらない言葉に戸惑いの声を上げながら陽奈は顔を上げると紅夜が振り返る。

「あいつが帰ってきたとき笑顔で迎えてやれ、それが親友であるお前が、――いや、お前にしか出来ないことだ」

 悲嘆に打ちひしがれている陽奈を見てそう言った紅夜は優しそうな笑顔で微笑むと、すぐに背中を見せ村の外へ向かって再び歩き出す。

 そんな紅夜を見た陽奈は涙を拭い立ち上がって「高桐さん!!」そう言って呼びかけると振り向いた紅夜に向け言葉を続ける。

「待っています、高桐さんと成実が帰って来るのを、だから、よろしくお願いします」

 一度下げた頭を上げる陽奈は涙を浮かべながらも、必死で笑顔を作っていた。それがまるで自分にできる唯一のことだと、笑顔で紅夜を送り出すことが今の無力な自分にできる最良のことだと言い聞かせるように。

 その笑顔に対して紅夜は何も言わなかったが振り返り背中を見せた紅夜の足取りは先ほどより軽く、そして強く変わっていた。


 その頃すっかり陽が落ちてしまい闇夜を照らす月明かりさえも高く生い茂る竹に阻まれ、ほとんど届かない闇夜の中に成実隊はいた。

 すでに竹林内に入り半刻が経っているが未だに敵と遭遇せず、時間だけが過ぎ去り奥へ進めば進むほど緊張感が増す。

「(竹林内がここまで暗かったとは)気をつけろ、敵は暗闇に紛れて伏兵を仕掛けて――」

 成実がそこで言葉を止めたのは味方の式兵が一体、急に倒れたからだ。倒れた式兵の首には一本の矢が刺さっており、一撃で急所を突かれ、やられてしまい消えていく。

「(こんな遮蔽物の多い竹林にもかかわらず弓矢? しかもこの暗闇の中で、敵の急所を的確に射抜く腕、まずい!)急ぎ、てっ――」

 この暗闇に潜み成実隊を狙っている伏兵部隊がこの地形での弓術に秀でた精鋭部隊だと察した成実が、危険を感じ部隊に撤退命令を出そうとした瞬間、あちこちで味方式兵たちの断末魔が聞こえてきたかと思うと、成実の周りにいた式兵たちも次々に倒れる。

「鬼島様を守れ!」

 残った式兵たちは成実の周りを囲み、成実にまで矢が届かないように盾になる。

「っく、すまない、急ぎ撤退する! 竹林から脱出するぞ」

 成実のその指示を聞き、残った式兵は成実の退路を切り開く先遣隊と成実を守る部隊の二つに分かれ撤退を開始した。

 一方、七條軍陣営では成実が釣り野伏せに嵌ったと報告を受けた羽葉は胸を撫で下ろし、羽湯は込み上げる笑いを必死でこらえ、小さく笑う。

「ふふっ、ここまで馬鹿だと逆に哀れに思えるわ」

「こ、これでわたしたちの勝ち……だよね?」

「ええ、圧勝よ、しかも鬼島 成実の首まで手に入るんだから完勝と言ってもいいわ」

「き、鬼島さんの首まで取るの? わたしたちと同じ女の子だよ、可哀想じゃない?」

「……仕方ないわ、戦だもの。それよりまさかとは思ってたけど今までの戦で鬼島の首を取らなかったのはわざとだったの?」

「だ、だって、わたしたちより年下みたいだし、あんな可愛い子の首を取るなんて出来ないよ」

「……まぁ、別にこの戦で首を取れるんだからいいわ、ただ一つ確認するけど、私とどっちが、かわ――いい?」

「え? なんのこと?」

「だから――、や、やっぱり何でもない、忘れて」

 照れくさそうに顔を赤らめた羽湯は顔を逸らすと羽葉は更にわからなくなり首を捻る。

「と、とにかく、この戦の勝ちは決まったわ、引き上げる準備を始めるわよ、念には念をいれてもう少し戦の様子を見てから撤退しましょう」

「う、うん」

 戦況を把握した上で確実な勝利を確信した羽湯の読み通りに戦は進んだ。

 わざと奥深くまで敵を誘い込んでから伏兵たちに攻撃させていたので成実隊は撤退に苦戦していた。ただでさえ暗く足元もおぼつかない竹林内でどこから放たれるかもわからない矢を警戒しながらの撤退は困難を極める、そんな窮地に更なる追い打ちがかけられる。成実の退路を確保するために先行していた先遣隊の式兵十三体が全滅したことを合計十三回の断末魔が知らせた。

「(っく、こんな早く先遣隊がやられるなんて)このまま直進するのは危険だ、迂回する」

 全滅した別働隊が通った道を行くのは危険だと判断した成実は立ち止まり、周りの式兵たちに指示を出し、進むべき道を示していた時一本の矢が成実目掛けて放たれる。

「鬼島様!」

 その矢に反応した式兵がとっさに成実を庇ったことにより、成実は間一髪のところで助かる。

「すまない、助かった」

 その場に倒れ、消えていく式兵にそう感謝の言葉を告げると、成実は覚悟を決める。

「立ち止まると危険だ! このまま竹林の外まで一気に突っ切る!」

 そう指示を出し成実隊は文字通り一丸となり竹林内を我武者羅に駆けた。途中何体もの式兵が矢に当たり倒れていったが、それを気にも留めず「すまない、すまない」とだけ繰り返し成実は駆けた。

 駆け続けたのが功を奏したのか、たまたま運がよかったのか、なんとか矢に当たらずに今まで来られた成実はあまりの疲れにまだ竹林内ではあるが少し立ち止まり息を整える。

「(どうやら、この近くには伏兵がいないようだな、それなら少し休憩を――)」

 立ち止まっても矢が飛んでこないことを確認すると、小休止を取ることを式兵たちに指示するため振り返るとそこにあったのは風に揺れる無数の竹林だけだった。

「う、嘘……わ、私、だけ?」

 成実を守る者たちは皆消えていた。我武者羅に駆けてきた成実はそれに気づいていなかった。たった一人になってしまった事実を受け入れられずに成実はその場で膝から崩れる。

「(そ、それじゃあ、私に任された四十体の式兵は全――)」

「いたぞ! 鬼島だ! 鬼島 成実がいたぞ!」

 そんな声が後方から聞こえたかと思うと、成実を探していた七條軍の捜索部隊である歩兵武装の式兵が五体、成実に向かって駆けてくる。

「(見つかった、急いで逃げないと)」

 駆け出そうとしたが目の前からも同じく式兵が三体、成実を見つけ駆けてきていた。

 挟撃された成実は逃げ道を失うがその顔に落胆の色はなく、僅かに口角を上げると逃げるために踏み出した足を揃え、剣を抜いた。

「憂さ晴らしにはちょうどいい」

 敗色濃厚な戦場でも成実の剣は冴えわたり危なげなく残り二体としたのだが、急に体が重くなり目眩を覚える。

「(今になって、睡魔が――)」

 目の下に見えるクマが全てを物語る。昨日から一睡もせず朝から七條軍に備えて気を張っていた疲れがここに来て成実を襲い始める。

 迫りくる式兵二体に対して成実はおぼつかない意識の中で剣を振るい、何とか一体の式兵を斬り倒して、最後の一体に相対した瞬間、足に激痛が走る。

「ぐっ、くそっ!」

 倒された式兵が最後の力を振り絞り消えゆく前に成実の足の甲に剣を突き立てていた。成実は倒れた式兵にとどめを刺し、足に立てられた剣が式兵と共に消えゆくと、最後の式兵が成実に斬りかかって来る。

「【天深結界!】」

 最後の力を振り絞るように霊術を発動させると式兵の剣は結界に弾かれ、無防備になった式兵の胸の辺りに剣を突き立て消滅させた。ようやく式兵たちを全滅させ、急いで逃げなければならないのだが、成実は駆けだすどころか、体を支える三本目の足のように剣を地面に突き刺さなければ立っていられないほどの疲労感に襲われ痛む右足が成実の気力を奪っていった。

「(お陰で眠気は冷めたが、もうこれ以上は)」

 そう思った瞬間、手から剣が離れ、体を支え切れなくなった成実はその場に倒れてしまい、仰向けになる。

「(こんなところで寝ていれば確実に殺される、急いで逃げないと――)」

 立ち上がろうとするが体は思い通りにならない、そして、自身の弱った心が囁いてくる。

「『逃げてどうする? 命令を無視、独断専行、部隊全滅、逃げ帰っても陽奈様に会す顔なんてないだろ』(しかし――)『あいつにも馬鹿にされる』(それでも――)『陽奈様はこの戦で本当に大事な者は誰か気づいたはずだ』(…………)『陽奈様はきっと成実ではなくこれからはあいつを重用するだろう、陽奈様の一番は成実でない、あいつだ』」

 自らの心の声に成実の心がついに折れる。

「(そうか、私はもう――)」

 沈みゆく意識の中、成実に近づく足音が複数聞こえ、自分の死が近づいていることを悟る。

「(敵の式兵、数は三体というところか)」

 成実の耳はたしかであり、倒れた成実を見つけた三体の式兵たちは警戒をしながらも成実を囲い、慎重に一歩ずつ距離を詰めていった。

「(もう、いいか)陽奈様、すみません」

 自らの死を受け入れた成実は目を閉じ、次の瞬間に味わうであろう苦痛を覚悟したが、味わったのはもっと屈辱的なことだった。

「その言葉は直接言ったらどうだ?」

 その声を聞いた成実は驚いた。その声の主はおよそ自分が知る限りこのようなところにくる奴ではなかったからだ。幻聴かどうか確かめるために成実は目を開けると、式兵たちを斬り捨てた剣を鞘に収めている、奴の――高桐 紅夜の後姿があった。

「何故、貴様が――」

「嫌々だが、馬鹿犬を助けに来たんだよ」

「――嘘をつけ、貴様がわざわざこんな死地に私を助けに来るはずがない、大方情勢不利とみて敵にでも寝返って私の首を――」

 紅夜はそんな言葉を気にもせず成実に近づくと手を差し出す。

「とりあえず立て、こんなところで寝てたら永遠に起きられなくなるだろ、急いで逃げないと色々と間に合わ――」

「本気で私を助けるつもりか?」

「さっきからそう言ってるだろ、言っておくがこれは陽奈の命だ、従っておけ」

 紅夜はそう言って手を取るように促すが、成実は首を横に振った。

「百歩譲って、その言葉を信じたとして、見ての通りだ。私はもう歩けそうにない、このままここにいれば貴様も殺される、――私のことは気にするな」

 しおらしい成実の言葉に一瞬、紅夜は面を食らったような顔をするが、すぐに成実の上体を起こすとそのまま背負ってしまう。

「なっ、なにをする、私のことはいいから貴様だけで――」

「少し黙ってろ、さっきから気味の悪いことばかり言いやがって、寒気がして鳥肌が立つ。馬鹿犬らしく、いつもみたいに吠えるなり噛みついたりしてればいいんだよ」

「なっ、貴様、また私を犬扱いしたな」

「そうそう、大分調子が戻ってきたみたいだな」

 紅夜のその言葉に不満そうに頬を少し膨らませた成実は、小さな声で紅夜の真意を問う。

「……それで、なんで私を助けに来た」

「陽奈の代わりに来ただけだ。陽奈の奴、このまま撤退するくらいなら自分でお前を助けに行くって聞かなくてな、大将を死地に向かわせるわけには行かないから仕方なく俺が代わりに助けに来てやったってわけだ」

「私は――貴様に散々酷いことをしてきた。そんな私のためにそんな理由で貴様が死地へ向かうはずがないだろ」

「たしかに俺はお前のことが嫌いだ、事あるごとに突っかかってきては傍若無人な態度、稽古のときも容赦なく打ち込んでくるから俺の体は痣だらけ、――それでも俺はこうしてここにいる。お前を背負って駆けている。つまりはそう言うことだろ。お前のことが嫌いなことは今も変わらないし一生変わらないんだろうけど、それでも、そんなお前を助けたいと思う理由が出来たってだけの話だ」

「理由? どんな理由だ?」

「お前に話す気はない、俺のことより陽奈のことは気にならないのか? 陽奈の奴、心配しすぎて今まで見たことないくらいに取り乱してたぞ」

「陽奈様にそこまで心配してもらえるのは素直に嬉しいが、私は陽奈様から信頼の証として受け取った式兵を全滅させ、この勝ち戦を負け戦にしてしまった。私はもう陽奈様に合わせる顔がない」

「たしかにお前がこの戦で犯した罪は重い、武将としてこれ程無様な敗北はそうはないだろう、それでもな、お前は陽奈のもとへ帰らないといけない。理由は三つ、一つは俺の苦労が無駄になる。二つは生きて今回の戦の罪を償い反省し、次の戦で汚名返上しなければならない。三つはお前の帰りを待っている陽奈の――親友のためだ」

「陽奈様の、ため?」

「武将として合わせる顔がなくても、親友として陽奈のもとへ帰ればいい。自分の命を懸けてでも救おうとしてくれた親友がお前にはいる。たった一人の親友を自分の手で助けに行けない非力さを嘆き、涙を流してくれる親友がお前にはいる。その親友の顔を晴らすことが出来るのはきっとこの世でお前だけだ。お前にしかできないことなんだよ。それでもまだ『合わせる顔がない』とか言うなら俺が引きずってでもお前を陽奈のもとまで連れていく」

 陽奈がどれだけ成実のことを想っていたか、それを知った成実は紅夜の言葉を聞き、何も言えずただ紅夜の背中を涙で濡らすだけだった。

 それからしばらく駆けつづけた紅夜だったが、さすがに成実を背負って追っ手から逃げきるのは難しく、後方から遠目で発見された紅夜たちは式兵に追われていた。

「――どうするのだ! このままだと、追いつかれる!」

 涙を拭い、後方から迫って来る式兵を見た成実はいつもの調子でそう声をかける。

「いや、ここまでくればたぶん大丈夫なはずだ。もうそろそろ――」

 心配そうな顔の成実に対し紅夜は涼しげな顔でそう言うと、竹林のあちこちから妙な破裂音が聞こえ始めた。

「な、何の音だ! いったい何が――」

「落ち着けって、これは俺が仕掛けたものだ。竹を燃やすとこんな音がするんだよ。残ってた式兵たちに松明を持たせ竹林のいたるところに火を点けさせた。きっと敵方もお前と同じような反応をしてるだろうから、その混乱に乗じて竹林内から脱出するってわけだ。まぁ、場合によっては俺らも蒸し焼きになる可能性もあったが、あの状況で追っ手を振り切る策なんてこれくらいしか思いつかなかったからな」

 そんなことを涼しい顔で、さも当たり前のように語る紅夜の横顔を見た成実は、紅夜の軍師としての才を一瞬認めそうになり、思いっきり顔を左右に振った。

 火計に使った式兵たちは全滅したが、紅夜と成実は無事竹林から逃げ出し、天草村へ戻って来られた。二人を村の入り口で待っていた陽奈がすぐに駆け寄ってきたのがわかり紅夜はそっと成実を下ろして、再会に水を差さないように数歩下がる。

「――成実!」

 勢いよく成実の名を呼び抱きしめた陽奈はすでに泣いていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい成実、わたし、主なのに、何も、何も、できなくて――」

「ひ、陽奈様?」

 どう謝ろうか考えていた成実はまさか陽奈から謝ってくるとは思っていなかったので、驚いてそんな声を出したが、すぐに陽奈の言葉を理解し、陽奈の想いを理解し、陽奈の慈悲深さを理解した瞬間、成実の眼に涙が溢れた。

「わ――わた、私こそ、陽奈様の信頼を、裏切ってしまい――すみませんでした」

 泣きながら陽奈の言葉に応えた成実はついに力尽き、その場で意識を失った。

 そして二刻の時が流れ、成実は軍事拠点の一室である寝室で目を覚ました。

「ここは……陽奈様と私が使っている寝室か? どうしてこんなところで……」

「陽奈と再会を果たした後すぐにお前は意識を失ったんだよ、疲れとその傷のせいでな」

 部屋と評定の間を遮る襖のほうから声が聞こえ驚きながらそちらを見ると、寝ている成実の傍らで紅夜が胡坐をかいて座っていた。

「こ、ここは陽奈様と私が使っている寝室だぞ! 何故貴様が――まさか、無防備に寝ていた私にやましいことを――」

「してない、するわけがない。陽奈に頼まれてお前の様子を見張ってただけだ。それで傷の具合はどうだ?」

 紅夜の視線は布団の中に隠れている成実の足の方へ向く。

「ん? (手当がしてある)まさか、これを貴様が?」

 何か余計なことをされたのではないかと警戒の視線を投げかけてくる成実に対して紅夜はため息をつく。

「怪我の手当てと言えば陽奈に決まってるだろ、それにしても陽奈の奴、お前が気を失ったときすごかったんだぞ。お前が死んだと思って大声で叫ぶわ、泣くわで、落ち着かせるのに四半刻(約30分)もかかった」

「そうか、陽奈様が……」

 嬉しいと思う反面、心配と迷惑をかけてしまったことを気にかけ、それ以上の言葉は成実の口からは出なかった。

「……それで傷のほうだが、お前のその傷はかなり深くてな、正直、傷は残るだろうと思ったんだが、陽奈が治癒術を使ったらあっさり傷が塞がっただけじゃなく、痕も残らないらしい。前から陽奈の治癒術は抜きん出てるとは思っていたんだが、あそこまでとは思わなかった」

「陽奈様の治癒術は大陸一だからな、この程度の傷――ぐっ」

 自らの主を誇るようにそう言いながら成実は立ち上がろうとしたが、負傷した足に激痛が走り、座ったまま傷口を手で押える。

「傷は塞がったが、痛みはまだあるみたいだな。無理せずに寝てろ。どうせ今晩はこの天草村で過ごすことになってるからな」

「何だと? まだ七條軍が目の前にいるのだろ? いち早く八千代の町へ逃げるべきだ」

「七條軍はまだ駐屯してるみたいだが、こっちの兵を減らす目的を達成した以上、お前を逃がしたとわかればすぐに退くさ、無駄な心配なんてせずに怪我人は大人しく寝てろ」

 紅夜に促され、成実は不満そうな表情をしながらも布団の中へ引き返す。

「それで、陽奈様は? 手当のお礼を言わなければ」

「(立とうとしたのはそのためか)陽奈なら今頃、戦が終わったことを民たちに説明してるはずだが、もうしばらくすればここへ戻ってくるはずだ」

「ふ~ん、そうか、――出来れば目を覚ましたとき、一番に陽奈様の顔が見たかったのだが」

「そりゃあ、悪かったな」 

 紅夜はそう言うと立ち上がり成実に背を向ける。

「どこへ行く?」

「目を覚ましたら報告に来るように陽奈から言われてるからな、なんだ? 心細いのか?」

「ふ、ふざけるな! 誰が――、ちょうど貴様と同じ部屋にいるのが不快になっていたところだ、さっさと出ていけ」

 いつも通りの成実の反応だったので紅夜は(これなら大丈夫だろ)と思い、そのまま部屋の襖を開け評定の間の方へ一歩踏み出す。

「ありがと、――高桐」

 小さく呟いた成実の声が聞こえたような気がして紅夜は振り返るが、成実はこちらに背を向けたまま寝ていた。

「今、何か言ったか?」

「べ、別に」

 紅夜は首を捻りながらも成実の寝ている寝室をあとにして陽奈のもとへ向かうために外へ出ると、こちらに向かってくる陽奈の姿が目に入った。

「陽奈? もう終わったのか?」

「はい、成実が心配だったので――成実は無事なんですよね?」

「ああ、不必要なくらいに元気だったぞ」

 いつも通りの姿と言葉を思いだし嫌味を込めてそう伝えると陽奈は胸を撫で下ろす。

「そうですか、それはよかったです」

 心の底から安堵した陽奈はようやく心からの笑顔を見せた。

 そしてわずかな沈黙の後、意を決したように二人は同時に話し始めたが、言葉が被ってしまい同じように言葉を止める。

「話があるなら、先に言えよ。俺のほうは大したことじゃないから」

「あっ、はい、それでは――えっと、立ち話で済ませることではないのでそこに座って、星でも見ながら話してもいいですか?」

 陽奈は軍事拠点近くの野外に置かれた長椅子を指差したので紅夜はそれに従い、長椅子に座ると陽奈も隣へ座った。

「それで話ってのはなんだ?」

「色々あって言いそびれていたのでちゃんと言おうと思いまして――」

 陽奈はそう言うと紅夜の方へ向いて深く頭を下げる。

「成実を死地より助けていただきありがとうございました」

「なんだ、そんなことか、それこそ大した話じゃないな」

「わたしにとっては大事な話なんです。もし、高桐さんがいなければきっとわたしと成実は共にこの地で果てていたでしょう」

「そんなこともないさ、俺がいなければあの馬鹿があそこまで無茶することも無かっただろうしな」

「そうだとしても、わたしは感謝の言葉を言わずにはいられません、わたしが何もできないばっかりに、すみません」

「――そう思ってるのならどうしてお前は鳳凰旗団にいるんだ? 何もできないことがわかっていながらどうしてここにいる?」

 情けなさそうに申し訳なさそうにしている陽奈に対して紅夜は試すように意地の悪い質問を投げかける。

「わたしがここにいる理由ですか? それは勿論、お姉ちゃんの助けになるため、そしてそれが民の笑顔に繋がると信じているからです。自分自身でもわたしが何もできていないのはわかっています。それでも、わたしは、わたしたちを信じ、慕ってくれる全ての民が心から幸福を感じ、心の底から笑えるようにしたい、その夢をわたしは叶えたいんです。そしてそれはきっとお姉ちゃんに助力し、七條家を滅ぼした先の未来に存在すると思っています。今は何の役にも立てないですけど、だからって何もしなくていいわけじゃないといいますか、何ができるのかを探している途中なんだと思います。だからわたしは鳳凰旗団ここにいるんだと思います」

「自分を慕ってくれる全ての民を笑顔にするのが夢か、随分と大きく出たな、いや――ここは強欲と言うべきか」

「強欲なんて、わたしはただ――」

「強欲だ、全ての民を笑顔にするなんて本当に夢物語だ。その夢は決して叶わない」

「そんなことありませんよ、それに民のことを想う者なら誰でも願うことではないでしょうか?」

「そうだな、誰もがそれを目指し、誰もが挫折する。俺だって大きな挫折をした。民のためと思って無謀な戦を行い、村は焦土と化した。……俺はもうあんな思いは御免だ」

「そうですか……だから、鳳凰旗団に入るのを拒んでいたんですね」

「お前は平気なのか? お前だって俺と似たような経験をしたって聞いたが?」

「はい、だからあの日わたしは誓いました。二度と助けを待っている民を見殺しにはしないと、そして生きている民たちが生きていてよかったと幸せだと思えるようにしようと、例え何もできなかったとしても、きっとそれがわたしのせいで死んでしまった者たちに向けて生きているわたしが出来る最低限なんだと」

 その言葉は紅夜の耳には実に痛い話だった。二度と同じ過ちを起こさないようにと心に誓った紅夜は何もしないという行動をとった。何もしないことで世間と干渉しないことで、過ちを起こさないようにした。だが――それは体のいい言い訳、本当はただ眼を逸らしたかったのだ。自分のせいで村人たちが全員殺されてしまったと言う事実から。

 それに対し、眼の前の陽奈は自分の過ちと正面から向き合い、強い後悔を胸に抱えながらも大きな夢に向かって歩もうとしている。そんな陽奈が紅夜の眼には輝いて見えた。

「(本当に太陽みたいな奴だな、道理で地に伏していた俺の眼には高く眩しく映るわけだ)――何もできないなんてことはないさ、何せ俺があいつを助けようと思ったのだって鬼島のためでもなければ自分のためでもない、お前のためなんだからな」

「え、わたしの? それって――」

「生きて帰って来たら言うことがあるって言ったのを覚えてるか?」

 陽奈は紅夜の言葉に黙って頷くと、紅夜は意を決し、頭を下げ、言葉を発す。

「俺をお前の――いや、鳳ヶ崎 陽奈様の家来にしてくれ」

「え、……えええ! わ、わたしのですか!? お姉ちゃんではなくてですか?」

 予想外の言葉に陽奈は若干取り乱しながら、信じられない様子で確認を取る。

「ああ、確信したんだ、陽奈なら俺が成し遂げられなかった夢を叶えることができるって、いや、違うか、俺は陽奈の想いや考えに触れて素直にその夢を陽奈に叶えてほしいと思った、いや、思えるようになったって言うのが正しいな。だから、俺はその手助けをしたい。一度の挫折で空っぽになっていた俺に、その大きな夢を叶える手助けをさせてほしい」

 紅夜のその真剣な言葉に陽奈はようやく落ち着きを取り戻し、慈愛に満ちた表情を浮かべ紅夜に近づき手を差し出す。

「高桐さん、顔を上げてください」

 陽奈の言葉に従い紅夜は顔を上げると、陽奈が優しく微笑んでいた。

「高桐さんのような方が家来になってくれるのはすごく嬉しいことです。ですが、わたしの家来になるためにはある約束を守ってもらわなければなりません」

「約束?」

「はい、わたしの家来になっていただけるのなら、絶対にわたしより先に死なないと約束してください。それがわたしの家来になる条件です」

 自分の命を命懸けで守るように家来に命じる主は多くいるが、家来に自分より先に死ぬことを許さない主はそうはいない、紅夜自身そんなことを言われたのは初めてで面を食らってしまうが、すぐに陽奈らしいと思いその条件を呑み平伏した。

「……俺の方は言いたいことは言った、陽奈様の方はどうだ?」

「わたしのほうも言いたいことは言えましたけど、その陽奈『様』と言うのは止めてもらえませんか? なんだか高桐さんにそう言われるとむず痒いです、できれば今まで通り気楽に話してもらえないでしょうか?」

「――陽奈がそう言うならそうするが、一応正式に家来になったんだから対面ってものもあるだろ?」

「お姉ちゃんと泉千さんは評定の場や限られた場所以外では畏まった話し方をしていないですし、わたしたちもそうするのはどうでしょう?」

「まぁ、それでもいいが、でもなんで俺だけなんだ? 鬼島の奴は普通にどこでも畏まった話し方じゃないか?」

「成実は昔からああでしたので違和感を持つ前に慣れてしまいましたが、高桐さんの場合は慣れていないと言いますか、違和感がありすぎてちょっと――」

「(俺が畏まるとそんなに変なのか?)」

 腑に落ちないような表情を浮かべながらも紅夜は立ち上がると、村の外の方へ歩き出す。

「どこへ行くんですか?」

「もう撤退してる頃だろうが、一応七條軍の動きを見てくる」

 念には念を入れ七條軍の動きを探るため紅夜が村の外へ向かおうとしている頃、七條軍陣中に留まっている羽湯と羽葉のもとに吉報と悲報が同時に届けられていた。

「っち、鬼島を逃してしまったようね」

「で、でも、本来の目的である敵の式兵の殲滅は出来たみたいだし――」

「そうだけど、もう少しだったのに」

「そ、そんな悔しそうな顔しないで、わたしたち勝ったんだよ、勝ったんだから嬉しそうな顔しないと、ねっ、羽湯ちゃん」

 嬉しそうに笑顔を浮かべる羽葉から羽湯は顔を逸らす。

「……喜べないわ、だって、今回の戦は鳳凰旗団を完全に詰ませることが出来る絶好の機会だったのに、私の詰めが甘かったせいで――」

 それ以上の言葉を遮るためか羽葉は羽湯の体を正面から優しく抱きしめる。

「は、羽葉!?」

「戦に勝てたのは羽湯ちゃんのお陰だよ、ありがとう羽湯ちゃん」

 逸らしていた顔は真っ赤になり、何も言えずにいる羽湯に羽葉は続ける。

「戦も勝ったんだし、ここにこれ以上いる意味ないよね、竹林内の小火ぼやも広がるかもしれないし、早く帰ろ?」

「は、はい」

 あまりの幸福に言葉が出て来ない中なんとか一言絞り出すと、それを聞いた羽葉は頬を羽湯の首もとに当て、嬉しそうに上下に擦ると、羽湯はあまりのことに動転し、緊張と動揺によって気を失ってしまった。

 そうして七條軍は目的を達成し、火の手が広がることを警戒して、夜のうちに撤退していった。

 七條軍の撤退を遠目に確認した紅夜は一安心と言わんばかりに一息漏らすと、曇りがかった夜空を見上げ「さて、どうするかな?」と困り果てた様子で今後のことに頭を巡らす。

 それは七條家に対してでもあったが、自分が陽奈の家来になったと成実が聞いたら何をするかわかったものではなかったからだ。

 案の定、翌日になってそのことを聞いた成実は不満の言葉を散々並べ、紅夜を罵倒し、喚き散らすように暴れたのだが、陽奈が少し宥めると渋々ではあるが紅夜が家来になったことを認める成実を見て(思ったより騒がなかったな)腹を刺されるぐらいの覚悟をしていた紅夜は思わずそう思ってしまった。



長いので誤字脱字あれば報告よろしくお願いいたします。

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