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鳳凰記  作者: 新野 正
11/33

中章

ここから物語が動きだしますので、これから文字数多めで投稿します。

その分投稿遅くなるかもしれませんがご容赦を……。


 紅夜が鳳凰旗団の客将として八千代の町に来てから三日が過ぎていた。

「(これは、大分酷いな)」

 紅夜は旅館内にある銭湯の湯船に浸かりながら左肩に出来た痣を見ていた。

 成実との約束を破った日のこと、旅館へ帰ると激怒した成実が仁王立ちで玄関の前にいた。約束を破っただけではなく陽奈と二人で出かけていたことを知った成実はその場で紅夜を斬り捨てようとしたが、陽奈に説得されてその場は踏み止まり事なきを得たのだが約束の埋め合わせとして紅夜は翌日から成実の早朝稽古に付き合うことになった。稽古と言ってはいるが実際は木刀による本気の仕合なので打ち込まれるとこうして痣になる。純粋な剣の腕は成実のほうが強く、天深結界まで使われれば紅夜に勝ち目などなかった。

 そんなことはお互い承知の上、成実は憂さ晴らしのために紅夜と稽古を行い、紅夜は成実との約束を破った償いという形を取っていたが、実際には軍を離れていたせいで鈍っていた実戦感覚を取り戻すいい機会にしていた。

「(あいつ、手加減を一切しないからな、ひどいもんだ)」

 三日間負け続けたことによりできた体中の痣を見ながら紅夜はそう思う。

「(だが、お陰で実戦感覚は大分戻って来た)鬼島の奴、次こそは――」

「なにか言ったか、負け犬?」

 紅夜の声が聞こえたのか、隣の女湯から成実の声が聞こえてきた。

 勿論、男湯と女湯を隔てる壁は存在しているが、壁の上部が吹き抜けになっているので視線を遮ることはできても声を遮ることはできない。

「ただの負け犬の遠吠えだ。気にするな、馬鹿犬」

「なっ、貴様、今私のこと馬鹿犬と言ったな!?」

「主にべったりくっついて馬鹿みたいに尻尾を振り、主に近づいてくる奴には馬鹿みたいに剣を振る。お似合いだと思うがな、馬鹿犬」

「稽古で私から一本も取れないくせにぃ――」

「な、成実落ち着いてください、高桐さんもあまり成実をからかわないでください」

 憤慨し、湯船から立ち上がり、今にも男湯へ殴り込みに行きそうになっている成実を隣でお湯に浸かっている陽奈が腰を抱きしめるような形で慌てて仲裁に入る。

「ひゃっ!」

 陽奈に裸で抱き付かれ柔肌の感触や、ささやかの胸の膨らみを肌で感じてしまった成実は今まで聞いたことがないような女の子らしい声を上げたかと思うと、そのまま崩れるように湯船へ倒れ込む。

「な、成実? 成実!?」

 最初はどうなったのかわかってなかった陽奈だが、湯船に力なく浮かび返事を返さない幸せそうな顔の成実を見て、驚きの声をかける。

「(なにやってんだか)」

 紅夜は女湯からの騒がしい音を聞き、呆れたようにそう思いながら、湯船から上がり脱衣所の戸を開け浴衣に着替えようとしていると予想外の人物たちが押しかけてくる。

「おっ、やっぱここにいたか、坊やにちょっと用があるんだがいいかい?」

 男湯の脱衣所に女である灯火と泉千がお構いなしに入って来る。

「なっ! 何で入って来るんだ!? こっちは男湯だぞ!」

「ん? 知ってるってそれくらい、それに坊やとあたしらしかいないんだから別にいいだろ? そう思うよな、って、泉千? ん? どうしてあたしの背中に隠れてんだい?」

「恥ずかしい……から」

 灯火の両肩に手を置き、額を灯火の首元に押し付けるようにしながら泉千はそう言った。

「はぁ? 恥ずかしいって、別に泉千が裸を見られるわけじゃないだろ? ほら、今なら坊やの上半身見放題だよ?」

 下半身を手拭いで隠しているだけの紅夜の半裸を指差しながら後ろの泉千に話しかけるが、泉千は首を横に振る。

「裸、見たことないから、男の人の」

 頬を赤く染めて拒絶するその姿は無垢な少女のようで正しく純情可憐なのだが、その姿と言葉に灯火は苛立ちを見せる。

「な、何少女みたいなこと言ってんだい! あたしらはもうそう言う年じゃないのさ! そうやっていつまでも穢れなき乙女でいられると思ったら大間違いだよ! お前だってもうすぐ――――」

 泉千と向かい合いそんなどうでもいいことで説教を始めた灯火を横目に、紅夜は着替えを済ませると、頃合いを見計らって声をかける。

「それで、俺に用ってなんなんだ?」

「あ? 今それどころじゃ――って、坊やいつの間に着替えたんだい?」

 紅夜の姿を見て灯火は我に返ると、それまでずっと紅夜の裸を見ないようにと一生懸命目を瞑っていた泉千もゆっくり目を開け恐る恐る着替え終えた紅夜のほうを見ると安堵した表情に変わる。

「そんなことはどうでもいいだろ? それより早く用件を教えてくれないか?」

「まぁ、いいか、とりあえずここで話すようなことじゃないからね、評定の間に来てもらえるかい」

 灯火にそう言われて紅夜たちは評定の間に着く。

 膝を突き合わせるように座った三人の中央には七條家領内の地図が広げられていた。

「用って言うのはね、実は七條軍があたしら鳳凰旗団の傘下に入ってる村に進軍を開始したらしいのさ」

「(なるほど)それを俺に討ってこいってわけか、それはいいが詳しい戦況を――」

「待ちなって、そう慌てる必要はないのさ、すぐに援軍に向かわないといけない状況じゃないからね。とりあえず、戦に出てもらう前にちょっとあたしらの昔語りに付き合ってもらおうと思ってさ」

「……それが今回の戦と何か関係があるのか?」

「直接的には関係ないかもね、けど、『鳳凰旗団』がどういう経緯で作られたか聞きたくないかい? 坊やは正式な家来じゃなく客将だが戦場に出れば命懸けなのは変わらない。だったら命を懸ける『もの』のことを知っておいた方がいいと思ってね」

「たしかに、時間があるって言うなら、一応聞いて置いて損はないだろうな」

 紅夜のその言葉を聞いて灯火は昔語りを始めた。

「まず言うべきはこの鳳凰旗団が発足した理由だけどね、『敵討ち』なんだよ」

「は? 鳳凰旗団は七條家の圧政から民を守るために作られた革命軍なんだろ?」

「それは今の形、昔は違った。あたしと泉千は七條家の元武将だったんだけど、修立が政治の実権を握った頃から七條家はおかしくなってきてね。金興と修立は自分たちの地位を固めるために先代の王から仕えてきた有力な家臣を次々消していったんだが、その消された家臣の中に旦那がいてね、ありもしない謀反の罪を被せられ自害させられた。その旦那の仇を討つために鳳凰旗団を作ったってわけさ」

「そうか、(まぁ、主家に反乱を起こす理由としては復讐なんて珍しいものでもないからな)それでその旦那って誰の旦那だ? 親しい友人のか? それとも敬意を込めた呼称か?」

「あ? 何言ってんだい? あたしのに決まってるだろ?」

 敵討ちと言う理由以上に予想外の言葉が灯火の口から聞こえ、紅夜は声を失っていると泉千が灯火の横で口を開ける。

「灯火は二十七歳、ちなみに子持ち」

「は、はぁ!? こ、これが子持ち!?」

 予想外の言葉たちに普段は冷静な紅夜も取り乱しながら驚きの声を上げる。

「おい、仮にも鳳凰旗団の筆頭を指して『これ』呼ばわりとは、随分だね」

「仕方ない、そう言う風に、見えないから」

 拗ねたように機嫌を損ねる灯火に泉千がそう言うと、灯火の顔は少し上機嫌になる。

「それはつまり、あたしが若く見えるから子供がいるようには見えないってことだね」

「精神年齢が、だけど」

「ぐっ、またあたしを年寄扱いする気だね?」

「年相応に接しただけ、年寄り扱いはしてない」

「くぅう、こいつ――」

「待ってくれ、今のは取り乱した俺が悪かった。だから話を戻してくれ」

 話が逸れるのを嫌った紅夜はいつも通りの二人の会話を遮り、軽く謝罪を口にする。

「ん? ああ、そうだな、――なんか、真面目なことを言う雰囲気じゃなくなったね、まぁ、率直に言えば、あたしの旦那も七條家の家臣だったんだが、金興からしてみれば旦那の存在が邪魔になって無実の罪を被せて自害に追い込んだってわけさ」

 口調はいつものように軽く明るく話していたが、言葉の端々には七條家への七條 金興への憎しみが滲んでいた。

「どうして、無実の罪だと言えるんだ? 確証はあるのか?」

「少し長くなるぞ」

 その言葉に紅夜が黙って頷くと灯火は悲しい過去を語り始める。

「そもそも金興は当主、つまりは国の王になるはずじゃなかったのさ。金興には三つ上の姉がいたから正統な跡継ぎはその姉になるはずだったんだが、金興は王の座を諦められず当時から自分の右腕だった修立と共謀して実の姉に毒を盛った。表向きには病ってことになってるが、金興が毒を盛ったのは明白、その事実を知らない家臣はいなかったろうね。それでも金興は強引に家督を継ぎ自分を支持する者を厚遇し地盤を強め、思う通りに政を始めた。それが善政なら家臣も口を閉じ従ったかもしれないけどね、元々あった強大な軍事力で民を脅し、税を絞り上げ、至福を肥やすだけの金興に古参家臣が黙ってるわけもなく、金興の政に口を出すことが増え始め、それを目障りだと思った金興がありもしない罪を古参の家臣に被せ粛清していったわけだ。そのうちの一人があたしの旦那ってことさ、ほれ、これがその証拠だ」

 灯火は上着の袖から折りたたまれた書状を取り出すと紅夜の元へ投げる。

「金興から側近たちへ送られた書状の一つだ」

 そこには灯火の旦那に当たる鳳ヶほうがさき 武弘たけひろを謀反の罪で裁くために仕掛けられた謀略の数々が描き示されていた。そして最後に口裏を合わせるようにと書かれており、成功した際には褒美を取らせるとも書いてあった。

「たしかに、書状の最後に押されてる印は間違いなく王印、(始万霊と契約を交わした王のみが押すことができる特殊な霊力を宿した印)疑う余地もない完全な証拠だな。つまり、これを見て弔い合戦を始めようと思った訳か、だがこんなものどうやって手に入れたんだ?」

「泉千が手に入れてきたんだよ、あたしの旦那が自害したことを知って色々動いてくれたみたいでね」

「怪しいと思った、武弘殿が謀反なんて、調べた、真相が知りたくて、脅した、金興派の将の一人を、そしたらくれた、それを」

 紅夜が持っている書状を指差しながら泉千は淡々と語った。

「泉千のおかげであたしは真実を知ることが出来て、そして復讐と言う炎を心に宿すことによって失意から立ち直れた」

「それじゃあ、鳳ヶ崎って苗字は――」

「ああ、元々はあたしのじゃない、旦那(あの人)の名を継いで七條家を、七條 金興を殺そうと心に決めた証さ」

「それじゃあ、なんで陽奈まで鳳ヶ崎を?」

「……あたしが言うのも難だが、愚妹なんて言ってはいるが、あれで出来た妹でね。『姉妹なんですから苗字が違うのは変だと思います、だから今日からわたしも鳳ヶ崎を名乗ります。いいですね、お姉ちゃん』だってさ、ほんと陽奈には助けられてばかりだよ」

「陽奈のお蔭、今の鳳凰旗団が、あるのは」

「陽奈のお蔭? あの陽奈が何をしたんだ?」

「七條家から逃げ出したあたしらは鳳凰旗団を立ち上げたんだが、まず必要だったのは言わずもがな兵力でね。そのために『悪政に苦しむ民のためのために戦う』なんて大義名分を掲げ民の支持と味方をしてくれる者たちを募ったんだが、そんな上辺だけの空っぽな言葉に騙される奴は少なくてね、まぁ、当時のあたしらは只々憎しみをぶつけるために七條軍と戦い、民なんて全く見ちゃいなかったから当然と言えば当然なんだが」

「…………」

 自虐気味に語る灯火に対して紅夜が何も言えなかったのは思い当たる節があったからだ。今でこそ野心も復讐心も全て捨て去った紅夜だが、あの敗戦から数日の内は気が狂いそうなほどの憎しみと悲しみに心を蝕まれていた過去があったからだ。

「兵も金も食い物も集まらないくせに、それでも七條軍の攻撃は日に日に増していく、そんな中、陽奈があたしらと一緒に戦ってくれるって言い出してね、あの子は当時まだ十三、本音を言えば巻き込みたくはなかったんだけど、背に腹は代えられない状況でね。陽奈の申し出を許可して鳳凰旗団に加えたわけさ、そのときに一緒に鳳凰旗団に入ったのが陽奈の幼馴染の成実ってわけだ。そうは言ってもあいつら戦場に出たことがなかったから兵法も軍略も何一つ知らなくて、戦じゃほとんど役に立たなかったんだけどね。せめてもの救いは二人とも武器は違うが武芸のたしなみがあったから自衛ぐらいは出来たってことかね」

「聞く限り、陽奈が鳳凰旗団の情勢をよくした風には聞こえないんだが?」

「陽奈の奴は成実よりも戦では役に立たなかったが、あいつが鳳凰旗団に貢献したのはそこじゃない。あいつはあたしの掲げた空の言葉を信じてたみたいでね、だから陽奈はあたしらとは違い本当に民のために戦ってた。民を守り、民を思い、民を導いた。民に誠実であろうとした陽奈の健気な働きがあったからこそ、民たちの鳳凰旗団に対する見る目が変わり、鳳凰旗団は民のために戦う正義の軍だと言われるようになったわけさ。そのおかげで兵は集まって来るし支援したいと言う者たちから少しだが軍資金も貰ってる、それにこの旅館だって元はあたしの伝手なんだが、鳳凰旗団の良い噂が広がったおかげであたしの活躍がここの女将の耳にまで届いたわけだ」

「古い馴染み、ここの女将と灯火。女将に預かって、もらってる、灯火の子」

「流石に革命軍筆頭が母親の真似なんてできないからね、危険に巻き込みたくないし……そうだ、坊やはこの旅館の女将を見たかい? あたしには劣るが美人で髪の長くて紫の着物をいつも着てるんだが?」

「ああ、(初めてこの旅館に来たときに廊下で会ったあの人のことか)会ったが、俺には鳳ヶ崎より美人に見えたんだが?」

「あっははは、坊やの癖に相変わらず口だけは一人前だな」

「変わった、灯火。そんな風に、笑わなかった、陽奈が鳳凰旗団に、入る前までは。だから陽奈の一番の功績、灯火を今の灯火に、変えたことが」

 豪快に笑う灯火を微笑みながらも感慨深そうに泉千は見つめた。

「まぁ、そうかもしれないね。あたしの言葉なんかを信じて一生懸命、民に向かって訴えかける陽奈の姿を見て、復讐心に囚われるだけじゃなく民のために仲間のために戦えるようになったんだからね」

「(陽奈のお節介も色々役に立ってるんだな、まぁ、そう言う俺も陽奈のお節介のお陰で生きてるようなものか)」

「とまぁ、色々言ったが鳳凰旗団の話はこんなもんだ、どうだい? こんな話を聞いてもあたしらに力を貸すかい? 去るなら早い方がいいだろ? お互いに」

「正直言って色々意外だったがだからと言ってここを去ろうとは思わなかったな、あとは命を救ってくれた陽奈に恩を返すためと自分が生きるために七條軍と戦うだけだ」

「そうか、それならいっそ陽奈の家来になる気はないかい?」

「は?」

「さっきも言ったろ? 陽奈は人を惹きつけ人を導く才に恵まれてる。それは間違いないんだが、戦に関してはからっきしだ。そこで坊やのような兵法、軍略に通ずる者が配下に居ればあたしも安心できるってことさ」

「そっちの都合ばかり並べて俺が首を縦に振ると思うか?」

「嫌なのかい? 姉のあたしが言うのも難だが、陽奈は主の器を持ってるし、容姿は玉のように可愛く内面も純情可憐、仕える者のいない坊やにはうってつけだと思うがね?」

「まぁ、否定はしないが俺から見れば陽奈は太陽のように高くて眩しすぎる。地に伏せたままで起き上がれない陰湿な俺なんかが仕えるべき相手じゃないさ、そもそも俺はもう……そう言うのに懲りたんだよ。だから戦に手を貸すだけの傭兵で十分。それにしても自分の妹のことをよくそこまで褒められるな?」

「大好きだから、灯火は陽奈のこと」

「ほっとけ、まぁ、何はともあれ、これからのことだ、少しは考えて――」

 楽しそうに小さく笑う泉千の言葉に灯火は少し顔を赤らめながらも紅夜に向き直り、真面目なことを言いだした矢先、廊下から慌ただしい足音が聞こえてくる。

「ひ、筆頭、取り急ぎ報告したい儀がございます!」

「なんだ? 七條軍が天草村に向かっていることならすでに知ってるよ」

 部屋と廊下を隔てる襖越しに伝令兵と灯火が言葉を交わす。

「い、いえ、陽奈様のことです。どうやら七條軍の動きをどこかからか知ったらしく、鬼島殿と手勢の式兵三十を引き連れて天草村へと向かわれたようです」

「っち、陽奈の奴また勝手なことを――わかった、報告ご苦労、下がっていいよ」

 灯火の言葉に返事をした伝令兵の気配が遠退き、灯火がため息をつく。

「今の話が本当なら、陽奈の奴、まさか勝手に動いたのか?」

「ああ、あいつは天草村が襲われるたびにあたしの命を待たずに迎撃に出るんだよ、今回は陽奈に漏れないようにしたつもりだったんだがね」

「例のお節介か?」

「お節介ねぇ、そんな甘いものならとっくにあたしらが止めてるさ。あの子がこんな勝手をやるのは二度と後悔をしないため」

 その言葉に怪訝そうな顔をして首を傾げる紅夜を見て灯火は言葉を続ける。

「そもそも七條軍が天草村を攻めるのは陽動作戦でね、あたしと泉千がこの八千代の町から離れた隙にここへ攻め込もうって算段さ、だからあたしと泉千はここを離れるわけにはいかない、それじゃああたしらが陽動に引っかからないのを知って何故陽動を続けるか、その理由は単純、式兵を引き連れた陽奈たちの部隊があまりにも戦に弱く簡単にこちらの戦力である式兵を削ることが出来るから」

「つまり七條家は天草村に兵を進めているが本気で村を攻め取る気はないってことだろ? だったら援軍に行かなければいいだけだろ?」

「……少し前の話になるが、あたしらの傘下に入っていた村は天草村の他にもう一つあった。まぁ、もう地図上にも存在しないんだがね」

 その言葉で紅夜はなにが起きたのかを察したが、それでも灯火は自ら説明した。

 その村は天草村と同じように陽動作戦のために七條軍が利用し、兵を進めた。灯火たちは七條軍の狙いをみきり援軍を派遣しなかったのだが、その決定に最後まで不服を唱えたのが陽奈だった。

 それでも灯火たちに説得されて陽奈は渋々その決定に従った。そんな鳳凰旗団の耳に入って来た報あまりに衝撃的だった。援軍を出さなかった鳳凰旗団に対し怒りを表したのは七條軍を率いていた修立だった。修立は見せしめとしてその村の民たちに乱暴狼藉を繰り返し、挙句の果てには村ごと大火で焼き払ったのだと言う。七條軍が退き、様子を見に行った灯火たちは変わり果てた村……村だった何かを見て愕然とした。

 血肉が焼けた匂いと炭となった民家、そう言ったものが無数に転がる地獄のようなところで陽奈は一人泣き崩れた。助けに行けなかったことに対して、助けることが出来なかったことに対して、涙を流し、懺悔の言葉を骸になった民たちに向けた。

 そうした経緯があり、あんな病的なまでのお人好しな陽奈になってしまった。

「――――そう言う訳だ。村を消滅させたのは七條家だが、救援を送らなかったあたしに責がないとは言えない、だからあたしはこの件に関しては陽奈に強く言えなくてね」

「そうか……、それで陽奈の戦績はどうなんだ? 弱いとは言ってもさっきの口振りなら天草村への強襲は何度か行われてるんだろ?」

「全て防衛しきってるつまりは四戦四勝だ。って言ってもそれは表向きの話、防衛しているとはいえ全ての戦でこっちは戦に投じた式兵を全て失ってるのが現状だ」

「七條軍はそもそも天草村を取ろうとしてない、目的である兵力の削減さえ達成すれば軍を退くのだからその内容なら陽奈の戦は負け戦だろ?」

「だから言っただろ? 『表向きは』って、あたしらだって勝ったとは思ってないさ。そしてこのまま陽奈が指揮を執れば此度の戦も式兵の全滅は免れない、あたしら革命軍にとって式兵は貴重だからね、なんとか被害を抑えたいわけさ」

「なるほど、八千代の町に縛られ天草村の防衛戦に二人は参加できない、しかも救援に向かう陽奈の指揮では毎度式兵を無駄にしてしまう。このままだとじり貧だと考え、陽奈たちの代わりに戦で指揮を執れる者を探し、元皇家部隊長の俺に目を付けたってことか」

 地図上の戦況と今までの話を聞きどうして自分を登用しようとしたのか理解する。

「まぁ、そう言うことさ、ただ、戦で指揮を執れる者が早急に必要で陽奈たちに探させたのはたしかだが、坊やに目を付けたのはあたしじゃなくて陽奈だけどね、何せあたしは『兵法や軍略に通ずる者なら誰でもいい』って言ったからね――さて、坊や、ここに至る経緯と戦況は以上だ。あとはあたしが言わなくてもわかるだろ?」

「このまま何もしなければ陽奈は多くの式兵を失う、そうならないようにここから動けない御二人の代わりに援軍として俺が天草村に行き、陽奈を助ければいいと?」

「そう言うこと、期待してるから頼んだよ、坊や」

「二人のこと、よろしく」

 灯火と泉千にそう言われて送り出された紅夜は天草村に設置されている小さな軍略拠点の評定の間にて陽奈と成実に自分がここに来た経緯を話していた。

「――――と、まぁ、そんなところだ。あとこれはその際に鳳ヶ崎から預かった物資だ」

 紅夜は八千代の町を出立する際に灯火から式符(式兵に姿を変える札)を二十枚渡されていたのでそれを陽奈に渡す。

 大きな長机を挟み対面している陽奈は立ち上がりそれを受け取ろうとするが、途中で手を止める。

「それはわたしが持つより高桐さんが持っていたほうがいいと思います。いえ、それだけではなくここにいる式兵や警備兵や伝令兵などの指揮権も高桐さんに譲渡します」

「な、何を言っているのですか陽奈様! この戦の総大将は陽奈様です! 決してこのような負け犬ではありません」

 陽奈の隣に控えている成実が声を上げ、陽奈の思い切った行動を止めようとする。

「……成実、高桐さんの話を聞く限りわたしたちは七條軍の真意も見抜けずに村を防衛できたことを喜んでいました。――しかしその勝利はわたしたちが掴み取ったものではなく元々与えられるべき勝利だったんです。この程度のことも見抜けないようなわたしは大将の器ではなかったようです。高桐さん、もしよろしければわたしの代わりにこの部隊を率いてはくれないでしょうか?」

「ひ、陽奈様……」

 頭を下げる陽奈を諌めるように成実はなんとか声を絞り出すが、陽奈は僅かばかり首を左右に振る。

「敵は目の前まで迫っています。このまま敵と戦う以上有能な人が指揮官として部隊を率いるほうが民や兵士たちのためになるはずです」

「そんなことありません! ここにいる者は皆、陽奈様を慕っています。陽奈様こそ総大将に相応しいと誰もが思っています。ですからそのようなことをおっしゃらないでください」

 膝を着き、項垂れるように陽奈を説得する成実の忠誠心に対し、感謝をするように陽奈は成実の頭を優しく撫でて微笑んだ。

「陽奈、悪いがその儀は受けられない」

 紅夜のその言葉に二人は驚き、成実は顔を上げて陽奈と共に視線を紅夜に向ける。

「理由はいくつかあるが、新参者である俺が鳳凰旗団筆頭の妹である陽奈から指揮権を奪ったとなれば鬼島のように俺のことをよく思わない連中が多くなるはずだ。ただでさえ数的不利な戦で内紛まで起きれば勝ち目なんて戦の前から存在しない。故に俺が総大将をやるわけにはいかない、そもそも俺は客将、正式な鳳凰旗団の一員じゃないのに総大将なんて道理が通らない。この戦で俺が出来ることはあくまで手を貸すことだけだ」

「……わかりました。それでは高桐さんはわたしの軍師としてわたしに力を貸して下さい」

 少し考えた後、軽く一礼して微笑む陽奈を見た紅夜はばつの悪い顔をすると口を開ける。

「いや、陽奈。勘違いしてるのかもしれないが、俺は軍師なんてやったことないんだぞ?」

 紅夜の言葉に陽奈と成実は一瞬固まり『えっ』と驚きの声を上げる。

「高桐さん、たしか『赤眼軍師』って呼ばれていましたよね?」

「勝手に呼ばれてただけだ。俺は元部隊長で軍師なんて役職についたことはない」

「それなのに『赤眼軍師』なんて大層な名で呼ばれていたとはな」

 成実は鼻で笑うようにそう吐き捨てる。

「だから周りが勝手にそう呼んでただけだ。それに前に言っただろ、『赤眼軍師』なんてのはただの噂に過ぎないって」

 嘲るような成実の言葉にそう反論すると、続けて紅夜は陽奈に視線を向ける。

「そう言う訳だから、俺に軍師なんて重役を任せるのは止めておいたほうがいい」

「大丈夫です、きっと高桐さんなら軍師として活躍できます」

「根拠のないことを言うな、お前はこの部隊を預かってる総大将なんだぞ、慎重に――」

「根拠が必要なのですか? ――ではこう言うのはどうでしょう? 『赤眼軍師として名を馳せた高桐さんが此度の戦で真の軍師としての戦果を挙げ、『赤眼軍師』の異名はただの噂ではないと証明する未来がこの眼に視えたから』では駄目ですか?」

 自分の澄んだ右目を人差し指で指し微笑む陽奈に紅夜は呆れる。

「買いかぶりすぎだ、それに俺がその異名で呼ばれ始めてから一度も戦で勝ってない」

「それではこの戦が『赤眼軍師』の初勝利になりますね。今まではただの噂だったのかもしれませんが、これから『赤眼軍師』の名は伝説になってしまうかもしれません」

 その言葉を聞いて紅夜はようやく理解した。どうしてこの少女が人を惹きつけるのかを、ただ善行を行い、人に優しく接し、慈悲深いからではない。この少女の行動や言葉は人の心を突き動かし震わせる。

「(そうか、俺は命を助けられたとき――いや、もしかしたらそれよりももっと前から、こいつに惹かれ始めてたのかもしれないな)」

 始めて会ったときから変わらない澄んだ瞳でそんなことを言われてしまい、不覚にも心が震えてしまった紅夜は自分がどうしてここにいるのか、その本当の理由に気づいてしまい、『ふっ』と笑ってしまう。

「(もう二度とこんな昂る気持ちになんてなることは無いと思ってたんだがな)」

「あ、あの、やっぱり駄目でしょうか?」

 あれだけのことを言っておきながらすでに不安そうな顔をしている陽奈の顔を見て紅夜の顔は僅かに緩む。

「……わかった。この戦は軍師として陽奈の手助けをするよ」

 いつもならため息をつきながら渋々承諾していただろうが、紅夜の顔に曇りはなく、まるで太陽に照らされているかのような優しく暖かな顔をしていた。

「よ、よかったですぅ。勢いで色々言ってしまったので、もし断られたらどうしようかと」

 胸に手を当て力なく椅子に座り込んだ陽奈が安堵しながらそんな弱々しいことを言った頃、七條軍はすでに迫っていた。


少し長くなったので見落としが多発するかもしれません。誤字脱字あれば、是非教えてください。

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