序章
稚拙な文ですがよろしくお願いいたします。
「進めぇ! 我ら皇家に歯向かえばどうなるか、無知な民共と第五部隊隊長――いや、裏切り者、高桐 紅夜に思い知らせてやれぇ!」
剣や槍などの近接武器を掲げ、和鎧を揺らし、隊列を組みながら威風堂々と進軍する百体の兵を率いる指揮官は騎馬の上から兵たちの士気を上げるため、そしてこの深い谷底を抜けた先にある小さな村の民たちの戦意を削ぐために声を上げながら進軍していた。
「――馬鹿が嵌ったな」
兵たちが進軍してくる谷底を崖の上から見下ろしながら、赤眼の青年はわずかに口角を上げて呟くと、崖の上で身を潜めていた貧相な姿の男たちが一斉に立ち上がり「今だぁ!」と声を上げ、事前に用意していた岩や丸太などを谷底に向け投げ落とす。
「な!? 敵の伏兵か! 農民の分際で小癪な、慌てるな! 隊列を乱さず敵を攻撃しろ」
「む、無理です! この崖は三丈三尺(約十メートル)ほどあります、近接武器しか持たぬ我々の兵たちでは反撃など不可能です」
思いがけない民たちの伏兵に指揮官は驚きながらも混乱する兵たちを鎮めて反撃の指示を出そうとするが副官に制されてしまう。
「何を言っている! 近接武器しかないのなら崖を登れ、奴らを皆殺しにしろ!」
「登りきる前に投石などで谷底へ落とされてしまいます! ここは一先ず撤退を」
「ふざけるな! 百人にも満たない小さな村一つ潰すのに百体も兵を連れてきたんだぞ! それなのに撤退なんてしてみろ! とんだ笑いものだ!」
「しかし――」
「いいんじゃないか、名誉のために死ぬなんて武士らしくて」
隊を率いる二人の将が言い争っているのを蔑むような目で見下ろし、皮肉めいた口調でそう呼びかけたのは先ほどの赤眼の青年。
「高桐ぃ――貴様! 貴様の入れ知恵だな!」
奥歯を軋ませながら青年に向かって叫ぶ指揮官に対し、軽く鼻を鳴らすだけで青年は何も答えない。
「相手は民とは言えあの第五部隊隊長だった高桐が本気で率いているのならこれ以上この場で戦うのは危険です急ぎ撤退を!」
「ぐっ……」
「どっちでもいいが、決断は早い方がいい、あの世で後悔したくないならな」
悔しさに顔を歪ませ、判断に悩む指揮官に青年はそう助言し、右手を軽く上げる。
その合図を待っていたかのように弓と矢を持った民たちが崖の上に姿を現し、谷底で負傷している兵たちに向け矢を構える。
「……撤退、撤退だ! 急ぎ城へ帰還する!」
指揮官は崖の上に佇む青年に憎しみの眼を向けると、負傷している兵たちに目もくれずに馬を走らせ一目散に逃げていった。
「馬鹿が相手だったからとりあえずは勝てたが……問題はこれからか」
たった三十人の民を率いて一揆を起こし、地形の利と自らの智謀を武器に戦い、名高い皇家の部隊を撃退したという噂は瞬く間に各地へ広がり、一揆を起こした『久谷村』の名を拝借し、その戦は『久谷一揆』と名づけられた。そしてこの絶望的な戦力差を跳ね返した一揆の首謀者とされる赤眼の青年、高桐 紅夜は『赤眼軍師』と呼ばれ、僅かな間ではあったが時の人となった。
そして久谷一揆から十日後、奇跡的な勝利を収めた久谷村に戦火が上がった。
部隊長格が三人、千体の兵を率いて村に夜襲をかけてきたのだ。
近々皇家からの襲撃が来ることは予想していた紅夜だったが、これだけの規模の兵を素早くまとめ、密かに進軍し夜襲をかけてくるとは思いもせず、紅夜が全てに気づいたときにはもうどうしようもなかった。
村に攻め寄せてくる敵兵たちを見て、全てが終わったことを悟り、膝から崩れ落ちる紅夜だったが村人たちは諦めていなかった。
勝利を諦めなかったのではない。
紅夜を生かすことを諦めなかった。
精強な兵たちを相手に女子供関係なく村人全員紅夜を逃がそうと武器とも言えない農具を手に取り「逃げろ、逃げろぉ!」と叫びながら、腕を斬られようが足を斬られようが命のある限り兵の足にしがみ付き、首と胴体が離れて赤々とした肉塊になるまで戦うことを止めなかった。
紅夜はその村人たちの姿を見て、声を聞いて、立ち上がりひたすら駆けた。
皇家への憎しみなのか、己の無能さへなのか、はたまた村人たちへの懺悔の気持ちからなのか、血の涙を流し、顔を歪ませ、必死に、無様に、戦場から逃げきった。
その地獄絵図を紅夜は忘れることが出来ない。
自分を慕い、自分を頼ってくれた民たちが自分を逃がすために無残に惨殺されたあの光景は今も尚、鮮明に瞼の裏に焼け付いている。
故にこうして夢に見てしまうのだ。あの日の敗戦を。
「!! ――はぁ、はぁ、はぁ、夢か」
悪夢から目を覚ました紅夜は勢いよく上体を起こし、額に手を当てながら荒くなった息を整えて落ち着くと同時に表情が暗く重くなる。
「……最近は見なくなってんだが、これもあいつらのせいか?」
辺り一面森林が生い茂り、戦とは無縁のこの山奥に役目を終えたのであろう小さく古いお堂があった。壁や障子には小さな穴が無数に開き、天井には大きな蜘蛛の巣がいくつもあり、歩くたびに軋む木張りの床が埃や黴に塗れている。仏はおろか人でさえ住まないであろうそのお堂に高桐 紅夜は住んでいた。
皇家から逃げるために国境を越え、七條家が治める隣国へ逃げた。地位も名誉も捨て、麓にある日高村と呼ばれる小さな農村を賊から守る用心棒として過ごし、その対価として食べ物を恵んでもらう、俗に言う浪人生活を送っていた。
「……もう一眠りでもするか」
用心棒としての仕事は主に夜間、村人たちが寝静まった村が山賊に襲われないように警護することが仕事なので日が昇って間もない現時点ではやることもなく、起き上がった上半身を再び倒し、瞼を閉じようとすると同時に障子を叩く音が聞こえてくる。
こんな時間からこんなところへ来る奴等に心当たりはあった。
だからこそ紅夜は再び目を閉じる。これも夢であってほしいと願いながら。