遺体簒奪
人間界の中心部に位置するトルデリシア帝国の首都ヴァルシアにて、ドルガー軍の指揮官であるゼインは寝る暇を惜しんで職務に励んでいた。
ドルガーが色々と手を回していたとはいえ、長年人間界を支配してきた帝国貴族たちがまとめて失脚してしまった以上、後始末に追われるのは当然の話なのだ。
現在トルデリシア帝国を実質的に束ねることが出来る連合軍の面々は魔族迎撃のためにシェルビエントに戦力を集めているため、それがゼインの仕事量を増やしているといっても過言ではない。
とはいえ、ゼインにとってこれらの業務は過酷ではあっても苦しいものではなかった。
ゼインは元々魔導師よりの人間であり、武官というよりは文官に近い立ち位置にいた人物である。ドルガー軍に配属されていた時も書面関係の仕事を行うことは非常に多かった。
何より、今こうして行っている業務は帝国貴族の尻拭いをするわけでもなければ、肥え太らせるための業務でもない。
ドルガー将軍と共にゼインを始めとするドルガー軍の誰もが……というより、帝国貴族以外の誰もが望んでいた未来に向かうための仕事なのだ。
忠誠を誓ったドルガー将軍が思い描いていた未来が、今目の前に近づきつつある。
そう思っただけで、ゼインは疲れを忘れるような思いだった。
ゼインにとって将軍の死は無念以外の何物でもない。
しかしこれはドルガー将軍本人が望んだことであり、ゼインは敬愛するドルガー将軍の意志を尊重するほかに取れる選択肢がなかった。
もっともドルガー軍の兵士たちは将軍の考えに大きく反対するのが目に見えていたため隷属魔法を用いて強引に口封じをさせていた。
そうでもしなければ情報漏えいは避けられなかったからだ。
「……ゼイン様。少しお休みになられては?」
「構わない。これは私が望んでいる事であり、何よりドルガー様が願われたことなのだ」
「ですが、万が一にもゼイン様が倒れられては、帝国の執政の全てが滞ってしまいます。連合軍の方々がここにおられない以上、ゼイン様が倒れられてはドルガー様の夢がかなうのが遅れる直接の原因となってしまいます」
部下の言葉に、ゼインはふむと手を止めた。
リスタコメントスやノーストンの方からも多数の文官が派遣されてきてはいるものの、未だに帝国政務の全容を知っているのは自分だけだ。
確かに今自分が倒れれば、残った中央貴族たちが反乱を起こしかねない。
激務については慣れているつもりだったし、ドルガー軍の調練にて体も鍛え上げているつもりではあったが、それでも人間である以上は疲労がたまるのは道理だ。
「そうだな。お前の言う通りだ」
「では」
「うむ。今日はこの書類を片付けたら終わりにしよう」
言いながら二つの書類の山を指さすゼインに対し、補佐官は苦笑を浮かべた。
「仕方ありませんね。では、私は疲れの取れるハーブティーでも入れてまいりましょう」
「すまんな。助かる」
「お気になさらず」
そう言って補佐官が部屋を出ようとした時。
ズドオオオオオン!!!
ヴァルシア内部に爆発音が響き渡った。
「何事だ!」
響き渡った爆発音を聞き、ゼインは反射的に立ち上がった。
直後、ゼインの部屋へと伝令兵が到着する。
「報告します! ヴァルシア城内に侵入者が現れました!」
「侵入者だと! 馬鹿な! 今のヴァルシアの警備を突破できる軍を起こせる貴族など居るはずがない!」
伝令兵の言葉に補佐官が声を荒げる。
補佐官の指摘はもっともだ。
現在帝国に残っている貴族どもは中央貴族どもに媚を売る事しか能のない連中で、要害堅固なヴァルシアを攻撃することが出来るだけの能力と度胸を持った者など居はしないのだ。
愚鈍な貴族どもの襲撃など、察知した上で撃滅できる。
そんな考えを浮かべたゼインは、しかし直後全く想像していなかった報告を受けた。
「貴族の軍ではありません! 侵入者はたったの二人! それも空から奇襲をかけて来たとのことです!」
「空からだと! いったい何者が!」
「報告します!」
そんな中、新たな伝令兵が執務室へと到着した。
「二人の襲撃者が来たということまでは聞いた。その先の情報はあるか?」
ゼインの問いに新たな伝令兵は敬礼したまま大声で答えた。
「は! 襲撃者の内、片方は悪魔族とのことです!」
「あ、悪魔族!? 馬鹿な! 魔族がここを襲撃してきたというのか!?」
再び粟を食ったように怒鳴り声を上げる補佐官。
もしそれが事実であれば、連合軍はシェルビエントの防衛に失敗して魔族の侵入を許したということになる。
しかしそれはありえない。もしそんな事態になればシェルビエントから通信が入るはずだし、それ以前にゼインもシェルビエントについては独自の情報網を張り巡らせている。
ゆえにその報告に大きな違和感を感じるゼインは、しかし直後更なる驚愕に見舞われた。
「加えますに悪魔族と共に襲撃をかけてきたもう一人の人物は、我々と同じ人族だったとのことです!」
「な、なんだと!?」
その報告に、補佐官は完全に絶句していた。
悪魔族が襲撃をかけて来たというだけでも驚くべき事態だというのに、さらにその悪魔族が人族を伴って襲撃をかけてきた。
ありえない。そんな言葉が頭の中に反響する中で、しかしゼインは冷静に判断を下した。
「角笛を鳴らせ! 敵の位置を知らせ、全軍をそこに集めるのだ!」
「了解しました!」
ゼインの指示に伝令兵が窓から身を乗り出して腰に付けていた角笛を吹き鳴らす。
直後、ヴァルシア内の各所から角笛の音が響き渡る。
そしてその中に一つ、敵の発見を伝える音が混じっていた。
「私も出る!」
「な、ゼイン様! 危険です!」
「魔族が襲撃をかけて来たというのであれば、衛兵程度では抑えきれまい。ドルガー軍全軍に、敵の元に集まるように召集をかけよ」
「ゼイン様!」
「急げ。敵を迅速に排除しなければ私は休めない」
全く退くそぶりを見せないゼインに、補佐官はため息を吐いて伝令兵に指示を出した。
「では、急ぎましょう」
「ああ」
ドルガー軍内で鍛え上げられた彼はその判断力も非常に優れている。
恐らく内心で思うことはあれどもゼインにしたがったほうがいいと判断したのだろう。
そんな補佐官と共に現場へと駆けつけたゼインは、既に敵を包囲している自軍の兵士たちに内心で賛辞を送りながら敵の姿を確認し……。
「な!」
初めて、息が止まるほどに絶句した。
ドルガー軍の面々が包囲してる敵の魔族は悪魔族であるとは聞いていた。
なので驚いているのは異形の怪物である悪魔族にではない。
その悪魔族の隣に立っている人族の姿に、である。
「なぜ、お前がここにいる! ライエット・メイスナー!!!」
叫ぶゼインの問いに、悪魔族の傍らにいた男がちらりと視線を向けた。
特に声を返さないライエットに対し、ゼインは内心で落ち着けと言い聞かせながら問いをかける。
「……上級隷属魔法にて死体が上がっていない人物にお前も含まれていたが、まさか本当に生きていたとはな。どんな手段を使った?」
答えを返すどころか眉一つ動かさないライエットに対し、ゼインは内心で舌打ちをした。
何かしらの反応があればそこから情報を得ることもできるのだが、まるで奈落の底のような目をするライエットからはいかなる情報も得ることが出来ないのである。
恐らく捕らえたとしてもロクな情報を引き出すことは出来まい。あれはそういう手合いだ。そして何より、悪魔族は加減して勝てる敵では断じてない!
「全軍! 捕縛は考えるな! 全力を以て敵を駆逐せよ!」
ゼインの命令に、ドルガー軍の前衛が武器を構えたまま後衛の魔導師部隊が魔法を放った。多数の魔法が過たずに二人の侵入者の元へと迫り、激突した。
「がは!?」
だが、苦悶の表情を浮かべたのは魔法の攻撃を受けた敵ではなく、命令を下したゼインの方だった。否、ゼインだけではない。ゼイン以外のドルガー軍の面々も同様に苦しそうに片膝をついているのだ。
一方で攻撃魔法の雨を叩き込まれた悪魔族とライエットは涼しい顔で立っていた。
「な、何を……こ、これは、魔力が」
直後、ゼインは自分の身に何が起こっているのかを理解した。
魔力が抜け出ているのだ。否、抜け出ているなどという可愛いものではない。まるで魔力の源である魂その物が引き抜かれているようにさえ錯覚するような勢いで魔力が枯渇しているのだ。
「こ、この力、まさか、その悪魔族は……」
歴戦のドルガー軍でさえ驚き戸惑う状況下において、ゼインのみが敵の正体を看破した。
いや、看破したというのは正確ではない。ドルガー・グランガイスの補佐官として、これによく似た事例を以前耳にしていたというだけの話なのだ。
シェルビエントの砦が破壊されたのち、僅か二人の魔族の襲撃によってトルデリシア軍は潰走した。その際、片方の魔族は帝国兵に一切の傷を付けず、まるで魂のみを引き抜くような殺し方をしていたと。
生存者さえもが極々僅かしかおらず、ドルガー軍の情報部が集めたかすかな情報を頼りに導き出された結論はたった一つ。
「悪魔王、テオローグ。帝都を、襲撃した、悪魔族……」
胸を押さえながら辛うじて敵の正体のみを口にするゼインに対し、初めてライエットが口を開いた。
「……驚いたな。わずかこれだけの情報でこの者の正体を看破するとは。やはり、ドルガー軍はこの帝国において異次元の高みに達していた部隊だったということか。いや、というよりはドルガー・グランガイスという人物が突出しすぎた傑物だったということか?」
ドルガー軍の兵士たちが膝を屈する中、悪魔に守られたライエットはテオローグと共にゼインの元に歩み寄った。
激しくなる魔力の枯渇に喘ぎながらも、ゼインは苦し紛れの返答をした。
「ライエット、新参の上級貴族であるお前が、一体、今になって、なぜ……」
僅かでも情報を得ようと、答えを期待もしていない問いをかけたゼインに対し、ライエットは感情の見えない表情を浮かべたまま口を開いた。
「手駒を増やすため」
「手駒?」
「お前には関わりの無い話だ」
直後、ライエットは隣に立つ悪魔王テオローグに抱え上げられ、ある方向へと飛躍した。
「? あの方向は……まさか!」
手駒を増やすというライエットの謎めいた言葉の真意は分からない。
だが、ライエット達が向かった先に何があるのかを思い出したゼインは背筋を泡立てる。
何しろ二人が向かった先には死してなお自分と自分の率いる部隊の誰もが敬愛してやまない帝国最強の偉人が眠る場所なのだから。
霞む目と震える足を叱咤して歩を進めるゼインに、どうにか意識を繋ぎとめていたドルガー軍の面々が続く。テオローグの吸魂能力は並の人間を僅かな時間で絶命させえるだけの力を持っているにもかかわらず死者がいないのはドルガー軍の誰もが並外れた練度を持つ戦士だということなのだろう。
だが、そんな彼らだからこそ共通の予感を抱いていた。
そしてその予感は、最悪の形で的中することとなった。
ドルガー軍の誰もが敬愛してやまない帝国の英雄であるドルガー・グランガイスの遺体が安置されている墓所。そこに悪魔王テオローグと、帝国貴族のライエット・メイスナーが立っていたのだ。
そしてライエット・メイスナーの手には漆黒の魔力が湛えられ、その手が真っ直ぐにドルガーの眠る棺の埋められた地に向けられていた。
あれは、絶対に行わせてはならない!
目的も不鮮明なまま、ゼインはそんな予感を抱いた。
同じことを察知したドルガー軍の面々もライエットの行おうとしている行動を止めようとする。
だが、再びテオローグが何かを呟いた瞬間、再びドルガー軍は膝をついた。
満身創痍となっていたドルガー軍の面々は、ゼインも含めてライエットの行動を止めることが出来ず、ただ見ていることしか出来なくなってしまった。
苦悶に歯を食いしばるドルガー軍の目の前で、ライエットがその手に集約した漆黒の魔力を……ドルガーの遺体の安置されている墓の中へ放出された。
ボコン!
直後、ゼイン達はありえない光景を目の当たりにした。
ライエットが漆黒の魔力を送り込んだ先の地面から、一本の腕が這い出て来たのである。
否、這い出て来たなどという生易しいものではない。
尋常ならざる怪力によって、地面が地中から持ち上げられたのである。
「……まさか、そんな」
誰が何をしたのかは理解している。棺桶の上にかぶせられた大量の土も、あのお方にとっては大した重さではないだろうとゼインは思う。
だが同時にありえないという考えが脳内に響き渡っている。
何しろ自ら棺の蓋をあけ放ったのは、既に死したはずの帝国最強の将軍、ドルガー・グランガイスその人であったからだ。
「将軍……手駒とは、まさか!」
目の前の光景に、ゼインは唖然としながらも一つの仮説がつながった。
ライエットは先ほど手駒を増やすと言っていた。それはつまり帝国の英雄ドルガー・グランガイスを手駒にするということだったのだ。
理屈も原理も分からない。だが、現にドルガー将軍はゼインの目の前で蘇った。否、蘇ってしまったのだ。
「ドルガー、将軍……」
胸を抑え込みながらも、ゼインは右手に魔力を集約させた。
ライエットの目的ははっきりとはしないが、一つ断言できることがある。
目の前にいる敵の目的は恐ろしいまでに悪いことであり、このままであればドルガー・グランガイスという英雄の生き様が無駄になってしまうと。
止められる確証はない。
だが、ライエットを仕留めれば、あるいは……。
その一念でテオローグの吸魂に抗いながら魔法を紡ぎあげようとしたゼインは。
「やれ」
ライエットの一言に従って剣を振り抜いたドルガーによって切り伏せられた。
「しょ、う、ぐ」
倒れ伏したゼインの眼前で、ドルガーは生気の宿らぬ表情を浮かべたままテオローグと共にライエットの元へと歩み寄った。
直後、テオローグが何かを呟き、三人の姿は虚空へと消え去る。
空間転移。
帝国内でも使える者の少ない超高等魔法によって敵が撤退したことを認識した直後、ゼインは意識を保てなくなった。
――――――――――――――
「ロイルド! なぜ撤退などした! あのまま戦っていればあ奴らを殲滅させることが出来たものを!」
空間転移を用いて撤退したロイルドに対し、エベルスが掴みかかりながらそんなことを口走る。
そんなエベルスをなだめるように、ロイルドはゆっくり諭すように口を開いた。
「落ち着いてください。竜人王が屠られ、竜人族という手駒の大半を失ってしまったあの状況で戦闘を続行すれば、私達三人だけでシェルビエントの全戦力を敵に回すことになっていましたよ?」
「ならば全員叩き潰せばいいだけの話ではないか!! 今の我々にはそれが出来るはず! 違うのか!?」
力を手に入れたせいで帝国に居たとき以上に図に乗っているエベルスを相手に、ロイルドは諌めるように話を続ける。
「エベルス卿、我々の力はあくまでこの身に埋め込まれた黒核によってもたらされているものです。確かに、この黒核の洗礼がある以上、我々がまともな者達に後れを取ることはまずあり得ません。ですが、あの場にはこの黒核の力を無効化する存在がありました」
「なに?」
ロイルドの説明に、エベルスは眉をひそめた。
「件の炎鳥ですよ。実験体1号を葬り去ったあの炎鳥は、どういうわけか我々の黒核を焼き尽くすことが可能なのです」
「……この力は我々に永遠の命と不死の肉体を授ける代物ではなかったのか?」
「それは間違っていません。現に、あなたはシルディエ殿とあの獣人を相手に幾度も殺されながらも問題なく復活しています。だからこそ、あの炎鳥は異質なのです」
「……で、ならばどうするというのだ? まさか炎鳥を恐れてここに隠れ続けるなどというつもりではないだろうな?」
短絡的なエベルスの問いに、ロイルドは苦笑しながら答えた。
「それこそまさかです。あの炎鳥は厄介な相手ではありますが、決して倒しきれない相手ではありません」
「ふん。勝機ありか。ならその炎鳥の相手はお前に任せるとしよう」
上から目線で厄介ごとを押し付け、高笑いしながらその場を後にするエベルスに対して苦笑を浮かべるロイルドは、直後自分たちが転移のために用いた魔法陣の方を向いた。
魔法陣が突如輝きだし、その場に三名が転移してきたからである。
「おや、これはお早いお帰りですねライエット卿。その様子だと、首尾は良くいったようですね」
「……そちらは上首尾とはいかなかったようで」
ライエット・メイスナーの問いに、ロイルドは頷いた。
「申し訳ありません。あなたから借り受けていた竜人族と竜人王という駒を失ってしまいました」
ロイルドの謝罪に、しかしライエットは何の反応も示さず返答した。
「……構わないでしょう。私の駒は所詮使い捨ての代物。変えならいくらでも効く」
「そう言っていただけると助かります。それに……」
そう言って、ロイルドはライエットの背後にたたずむ二人の駒を眺めた。
1人は異形の怪物である悪魔王テオローグ。
そして、もう一人は。
「ガンドラの代わりとしては十分な働きをしてくれそうな駒ですね。元帝国将軍、ドルガー・グランガイス卿」
「……そうですね」
ライエットの一言に、ロイルドは頷く。
「それで、要塞都市ヴァルシアの方はどうなりましたか?」
「立ちはだかった者達は始末させたが、別に虐殺などはしていません」
「ははは。流石はライエット卿。仕事に抜かりはありませんね。では、再び戦力を整え直すと致しましょうか」
「時間はどの程度かかる?」
「そうですねぇ。実験体たちを動かせるようになるまで、後一月といったところでしょうか?」
「なら、こちらもそれに合わせましょう」
そう言って、ライエットはいつも通り感情の一切を含めない表情のままその場を後にした。
「やれやれ、相も変わらずそつのない方だ。……おや?」
ライエットを見送ったロイルドは、この場にいるはずの人物が1人かけていることに気が付いた。
「シャクトは、どこへ?」