魔族との対談
ベヘルに守られた自分が、大森林を突破して人間界に入りもうどのくらいになっただろうかとイルアムは自問する。
人間界の空気はおいしく、食べ物は豊富。
そして、その清らかで美しい土地には、魔界では考えられないほどにたくさんの命が平穏を謳歌していた。
常に黒雲が空を覆い、大地は黒くひび割れ、慣れぬうちは呼吸さえ困難な瘴気の立ち込める魔界と比べれば、ここはまさに天国と呼べる地だ。
確かに、この地で安穏と生をむさぼる人族に対して怒りを抱く思いも分かる。
そして、これほどに満ち足りた土地に生きながらも、5000年の長きに渡り自分たちを魔界の中に閉じ込めていた人族を、断じて許してはならないことも。
なにしろ、自分自身もそうだったのだ。
人族は光のさす肥沃な大地にて平穏を謳歌する裏で、魔族を光刺さぬ焦土に閉じ込め続けてきた忌むべき存在なのだ。
……そう思ってきた。この人間界に来るまでは。
だが、その思いは人間界に来て打ち砕かれた。
リスタコメントスと呼ばれる国に送り込まれた自分は、そこで獣人族と呼ばれる種族を見かけた。
彼らの目を見た時、自分は彼らの目を見て瞠目した。
それは、イルアムの主イファールが竜人王ガンドラを滅ぼすまで、圧倒的強者であった竜人族におびえる自分たちと同じだったからである。
イルアムの生まれた種族は魔界内においてみれば決して屈強な部類には入らない。
ゆえに魔界内で、自分たちは当時隆盛を極めていた竜人族たちを常に怖れながら生きてきた。
……そして、獣人たちの目は、竜人族に恐怖する自分たちと非常に酷似していた。
それが信じられなかった。
人間界に生きる者達は、肥沃な大地にて平和を貪る愚かな者達だと思っていた。
だというのに、なぜ人間界に生きる彼らの姿が自分たちと被るのか?
イファールの命により人間界の調査に来た自分は、そのことに強い興味を示し、理由を調べ上げた。
結果としてわかったことがある。
彼ら獣人族には生まれながらに隷属魔法と呼ばれる魔法がかけられており、契約者と呼ばれる者達に決して逆らえないということである。
弱肉強食とは全く違った形での支配体制。
それが、人間界に存在していた複雑怪奇なルールであった。
それが、肥沃な人間界に魔界とは全く違った影を落とす者の正体。
食べる物にも、飲む水にも困らず、空気さえも一切汚染されていない土地で、なぜそのような影が落ちるのかがイルアムには分からなかった。
人間界に来てからの2か月間、そんな不可思議な疑問を抱きながら、イルアムは調査を続行していた。
そして、人間界に1つの変革が起こった。
吸血皇王ヴィラルドを滅ぼしたと思しき炎鳥と、それに組みする者達が権力者たちに反旗を翻したのである。
圧倒的な寡兵である中、炎鳥に組みする者達は権力者たちを打倒し、ついにはリスタコメントスを手中に収めていた。
そこで、イルアムは再び深く驚愕した。
炎鳥達が解放したその国には、喜びが満ちていたのだ。
人間界に来たばかりの時に感じた陰りは、どこにも見て取れなかった。
それは……かつてイファール様が魔界内部で専横を極めた竜人族を滅ぼしたときに、解放されたことに対して喜び勇む自分たちの姿そのものだった。
だからこそイルアムは深く困惑する。
何不自由なく生きていると思っていた人間界の住人達は魔界とは異なる支配を受けながら苦しんでおり、自分たちと同じようにその支配から解放されたことを歓喜していた。
魔界と人間界に住む者達の、一体どこが違うのだろうか?
形は異なれど、彼らは自分たちと同じように支配される苦しみを味わい、その支配から解放された喜びをかみしめている。
そして、だからこそ、イルアムの中では魔界の弱小種族であった自分たちを救ってくれた魔王イファール様たちと、人間界を解放した炎鳥に組みする者達が被るのだ。
なぜ、我々と彼らが戦わなければならないのだろうか?
魔族を魔界へと閉じ込め続けたのは彼らの前に人間界を支配していた帝国貴族と呼ばれる者達であり、断じて今人間界を束ねている者達ではない。
ノーストンの将軍、ジェクト。
リスタコメントスの神児、バストラング。
フォルシアンの剣士、トリストス。
帝国将軍の娘、シルディエ・グランガイス。
フォルシアンの女王、セレスティーナ・クララベル。
ノーストンの王女、フィナリア・ノーストン。
そして、炎鳥の宿主であるクウヤ。
連合軍の中核を担う彼らは決して人間界に生きる人々をないがしろにするような人物ではない。
というより、ないがしろにできないからこそ反旗を翻したのだ。
それは、自分たちのように魔界に生きる弱い種族を救うためにその力を振るったイファールにも相通じるものがある。
そして、そのことを知っているのは、この大陸内で自分だけ。
魔界と人間界の両方を詳しく知っているのは、魔界に生まれ育ち、人間界に潜り込み続けた自分だけ。
そう思った時、イルアムの足は自然とシェルビエントに向かっており、気が付けば彼らの前に現れていた。
はたして、彼らは本当に滅ぼさなければならないほどに邪悪な存在なのだろうか?
否、そうではないと思うからこそ、自分は間諜と言う役目を放棄し、深入りするなと言う魔王の命に背き、こうしてシェルビエントと呼ばれる砦の地へと足を運んだのだ。
「魔族の気配じゃ。それもシェルビエントの町から……」
「なに?」
「しかも、こちらに向かってくる」
気が付けば、イルアムの耳にそんな声が響いてきた。
考え事をしているうちに気配を消すことを怠っていた。
セレスティーナ・クララベルの探知力はイルアムもよく知っている。
一度補足されてしまえば、おそらくもう誤魔化しきれない。
だから、いっそ歩み出ることにした。
イルアムは知っている。彼らは、無差別に手を出すような存在ではないということに。
「警戒をお解きください。確かに、私はセレスティーナ殿のおっしゃる通り魔族の者ではありますが、あなた方との対話を望む者です」
「ほう?」
そんなことを口にしたイルアムに対し、先ほどイファール様と対峙していたらしい人物が口を開く。
「お主、名は?」
「イルアムと申します。魔王イファール様の命により、人間界の諜報を任されておりました」
突如俺たちの目の前に現れたイルアムと名乗った魔族は、ベヘルのような異形というわけではなく、むしろかわいらしい獣人族と言って差し支えない顔立ちをしている。
目つきが鋭い感じがするが、こうして対面している限りでは魔族と言われても信じがたい。
「イルアムといったな?」
「はい」
そんなことを考える俺の隣でロウセイ師匠がイルアムと名乗った魔族に問いをかけていた。
「お主はいつから人間界に潜入しておったのだ?」
「この砦の地が破壊されるひと月ほど前に」
「いかにして人間界に潜入した?」
「ベヘル様の協力の元、大森林を突破させていただきました」
「……なるほど」
イルアムの答えに、フィナリアが頷いた。
「確かにベヘルの存在が確認されたのがその時期です」
「なるほど」
フィナリアの一言に頷き、ロウセイ師匠はイルアムの方へ向き直った。
「で、お主はイファールの命によってこの人間界を調査しておったのだな?」
「はい。その通りです」
「ではこの世界のことをどれほど知っておる?」
師匠の問いに、イルアムは何のためらいもなく答えた。
「魔族の襲撃の後、帝国貴族と呼ばれる者達の支配を砕くためにあなた方が蜂起し、今こうして私達魔族と戦うためにこの砦の地に戦力を集結させている。といったところでしょうか?」
「……」
ほぼ完璧にこちらの情勢を把握している。
細部はどうあれ、概要は完全につかまれていたということだ。
その回答に苦笑しながら、師匠は再び問いを口にした。
「で、そんな間諜が、なぜわしらの前に姿を現した?」
核心を突くその問いに、俺たちの間にわずかばかりの緊張が走る。
間諜という役目を帯びている以上、見つかって素直に顔を出すのは常識外れも甚だしい。
である以上、彼女なりの目的があってこの場に出てきたと考えるのが普通だろう。
固唾を飲んで答えを待つ俺たちに対し、魔族の少女イルアムは口を開いた。
「……その問いに答える前にこちらの問いに1つ答えていただけませんか?」
「む?」
その一言に、ロウセイ師匠はやや意表を突かれたような表情を浮かべたのちに頷いた。
「ふむ。よかろう。こちらだけ聞くのも不公平だしな」
そんな師匠の答えに頷き、イルアムは問いを口にした。
「ジェクト将軍が先ほど口にされた言葉は、真ですか?」
「?」
問いの意味が解らず、俺はジェクト将軍とイルアムを交互に見回した。
それに対し、ジェクト将軍がイルアムに問い返す。
「人間界の中には、魔族との共存を望まれる方々がいる。ということでしょうか?」
「そうです」
二人の間に、重い沈黙が流れる。
ジェクト将軍はアルザスの腹心であるため、魔族との共存という思想を持っていても何の不思議もない。
しかし、そのことを魔族側から問いかけてきたということが、いささか以上に不思議だった。
「あの時、魔王イファール殿と側近の方以外にあのことを聞いていた方はいないと思いましたが?」
「私は種族がら耳がいいのです。ゆえに間諜を任されていました」
「……なるほど。納得しました」
イルアムの答えに、ジェクト将軍は頷き答えた。
「結論から言いますが、人間界には未だにその思想は根付いていません。これを抱いているのは、ごくわずかな面々だけです」
「……そうですか」
ジェクト将軍の解答に、イルアムはやや目つきを緩めた。
「今度はわしから質問してもいいか?」
イルアムに対し、再びロウセイ師匠が問いかける。
「どうぞ」
「なぜ我々にそのことを問いかけた?」
「先ほども申し上げましたが、私はあなた方との対話を望んでいます」
「ふむ。ならば、我らが魔族との融和を求めたなら、お主は応じるのか?」
「それを測るためにこの場に来ました」
師匠の問いに、イルアムはおくびもなくそんなことを口にした。
その答えに、突如ロウセイ師匠が笑い声をあげた。
「なるほど。わしらを前に大した度胸だ。気に入ったぞイルアム」
「私も、魔王イファール様たちと渡り合ったあなた方に興味があります」
しばし後、俺たちは場を変えて話し合いをすることとなった。
場所は俺とフィナリア、シルディエが使っていた指揮官棟の広間。
軍の再編成や見張りは……コルダイン王に丸投げしてある。
イルアムが魔族であるということは当然表向きには伏せてある。
「さて、こちらから自己紹介する必要はあるか?」
ロウセイの問いに、イルアムは首を横に振った。
「順に、クウヤ殿、フィナリア殿、シルディエ殿、セレスティーナ殿、トリストス殿、ジェクト殿、ロウセイ殿ですね。バストラング殿は休養中ですか?」
「ふむ。流石によく調べてあるな」
俺たちの名を順に口にするイルアムに対して、ロウセイがそんなことを口にする。
また、イルアムの言った通りで、バストラングは今現在イファールにやられた傷の療養中である。
本人は大丈夫だと言っていたが、念のためである。
「さて、まずはどちらから話をするか……」
「では、私からいたしましょう」
ロウセイのつぶやきに対し、イルアムがそう口にした。
「私はある程度人間界の事情に通じていますが、あなた方は魔界の事情にはあまり通じていないのではありませんか?」
「うむ。耳の痛い話だが、全くもってその通りだな」
イルアムの一言を師匠が認める。
確かに、俺たちは魔界の事情を何も知らない。
これは魔族との共存を望む俺たちにとっては大きな足かせとなっている。
思わぬ形とはいえ、こうして魔族と話し合いが出来るのはいい機会だ。
「まずは聞かせてもらってもいいか? こやつらが人間界で戦っている間に魔族が攻め込んでこなかった理由を」
「分かりました」
師匠の問いに、イルアムが頷いた。
「今でこそイファール様が魔界を支配していますが、およそ5年前までは全く違う勢力が魔界を支配していました」
「それは?」
「竜人王ガンドラ率いる竜人族、悪魔王テオローグ率いる悪魔族、そして吸血皇王ヴィラルドの三勢力です。この三種族は、過酷な魔界の生存競争に勝ち抜いた勢力として魔界に君臨していました」
「なるほど。テオローグは魔界を支配する魔族の一角だったわけか」
「ヴィラルドもか。確かにクウヤとファーレンベルクが来なかったら、俺はあいつにやられていた」
ロウセイとトリストスの一言に頷き、イルアムは話を続けた。
「ヴィラルド卿が支配に対して興味を示さなかったため、魔界は実質的に竜人族と悪魔族が支配し続けてきました。私たちはその二つの種族におびえながら生きる日々を過ごしていました」
「ふむ。しかし、その勢力に変化が生じたと?」
「はい。今からおよそ5年前、イファール様が私達弱小種族を束ね、当時の竜人族の長ガンドラを下し、新たな魔王として名乗りを上げたのです」
「ん? 竜人族って、ベヘルもそうだったか?」
俺の問いに、イルアムは頷く。
「ベヘル様は竜人族の生き残りで、戦後にイファール様に忠を誓われたのです」
「ああ。そうだったのか」
事情は詳しく知らないが、そのあたりは今の話の核ではないため流すことにしよう。
「三大勢力の一角が崩れた後、新たな魔王となられたイファール様は人間界に攻め込む準備を行うために魔王間にて休戦同盟を結ばれました。その準備が完了したのが……」
「シェルビエントの砦を破壊したあの一件ということですね」
フィナリアの問いにイルアムが頷く。
しかし、それに対して俺は一つの疑問を抱いた。
「けど、それまで魔族は人間界を攻撃しようとはしなかったんだろ? その竜人族や悪魔族は人間界を攻めようとはしなかったのか?」
「悪魔族と竜人族は魔界内でその暴威を振るっていましたので、人間界に対して興味がなかったのでしょう。イファール様自身も、私達のような力ない種族を共に繁栄させるためには人間界の肥沃な土地が必要不可欠だと考えて人間界に攻め込もうとされたのです」
「……なるほどな」
イルアムの説明にロウセイは納得したように頷いた。
「あ奴が人間界を攻めるのは魔界に住む力なき種族のために、か。ある意味では獣人解放のために戦ったお主らそっくりだな」
「……」
ロウセイ師匠の一言に、俺たちは頷いた。
戦ってみた限り、イファールという魔王はこれまで遭遇してきた魔族たちのような残虐性は全く感じられなかった。
確かに恐ろしいほどの殺意を放ってはいたが、それは一種の義務感、責務感からきているように思える。
そう考えればイルアムの言葉も納得がいく。
「なら、ヴィラルドとテオローグは人間界侵略の先兵として送り込まれたってことか?」
気になって問いかけた俺に対し、しかしイルアムは首を横に振った。
「あれは同盟を無視してお二方が独断先行したものです」
「そうなのか?」
「はい。イファール様も、砦を崩せばテオローグ卿が抜け駆けするのを予想していました。悪魔族は吸魂種です。敵を倒し、魔力と魂を奪うことで力を増す悪魔族であれば、砦を壊した時点で人間界に攻め込むことは十分に予想できていました。しかし、まさかヴィラルド卿まで人間界に攻め込むとは思っていませんでした。しかも、それが討たれるなど……」
「……ヴィラルドって、そんなにヤバイやつだったのか?」
途中参戦した俺にとって、ヴィラルドはファーレンベルクの一撃で燃え尽きた奴という印象しか残っていない。
ゆえにその凄さや強さというものが今ひとつピンとこないのだ。
そんな俺に対し、イルアムは重く口を開いた。
「ヴィラルド卿は、テオローグとガンドラが怖れ、イファール様でさえ戦いを避ける不死身の吸血皇王です。その身を滅ぼすことは誰にも叶わず、倒すたびに濃密な瘴気を生み出す彼の魔王は、魔界において間違いなく最強の一角に数えられる存在です」
「……あの魔王が、戦いを避けた?」
イファールは、セレスティーナの加護を受けて強化された今のファーレンベルクでも相手にならない位強いと断言できる。
だが、そんなイファールが戦いを避けたという吸血皇王は、この世界に来たばかりのファーレンベルクの一撃で焼き尽くせたのだ。
……何がどうなってんだ?
「ヴィラルド卿を滅ぼされたのは、あなたの持つ炎鳥の仕業と耳にしていますが、間違いは?」
「……ない。まあ、トリストスさんの力も借りたけど」
「……その様子では、なぜヴィラルド卿を滅ぼせたのかはあなたにも分からないようですね」
イルアムの問いに、俺は頷いた。
ファーレンベルクは女神レンシアから預かっている霊獣である。
しかし、だからといって決してそれだけで無敵というわけではない。
現に魔王イファールやロウセイ師匠と戦えば、恐らく今のファーレンベルクでは勝てない。
「まあヴィラルドの話はいったんおいておけ。今はその先だ」
ロウセイ師匠に促され、イルアムは頷き話を続けた。
「ヴィラルド卿を屠られたことを知ったテオローグは、その場で魔界へと撤退していったと聞いています」
「ああ。それはわしが確認しておる」
イルアムの説明をロウセイが認める。
師匠は帝都内でテオローグと一戦やらかしているらしいので、そのあたりはイルアムよりは詳しいのだろう。
「その後、テオローグは魔界内にてイファール様によって止めを刺されました」
「……なに?」
が、直後放たれたイルアムの一言にロウセイ師匠が眉をひそめた。
「それは事実か?」
「はい。元々イファール様はテオローグを倒す算段を付けていました。ただ、ヴィラルド卿と対立することを避けるあまりに、迂闊に手を出すことが出来なかったのです」
「……で、俺たちがヴィラルドを倒しちまったから動き出したと?」
「そう言うことです」
しばしの沈黙が流れる。
その話が確かなら、イファールはこれまで魔界を実質的に支配していた竜人族と悪魔族の二つを始末した最強の魔王ということになる。
であれば、確かにあの力も納得が出来る。
「しかし、だとしたらなおさら人間界内にて動乱が生じている間に攻め込んだ方が優位であったはず。お主が間諜として潜り込んでいたなら、なぜそうしなかった?」
ロウセイの問いに、イルアムはやや複雑な表情を浮かべた。
「古くから魔界を支配してきた三大勢力が滅び去った後、魔界内部においても騒乱が発生していたからです」
「騒乱?」
「はい。魔界は弱肉強食が唯一の律です。ゆえに、三大勢力という蓋を亡くした魔界内部には、次期魔王を名乗る種族たちが頂点を狙い暴れまわることとなったのです」
一度言葉を切り、イルアムは続きを口にした。
「ここから先の話は、私も直接目にしているわけではないのですが…」
竜人王、悪魔王、吸血皇王の三人が滅びた後、魔界は群雄割拠する動乱の時期へと突入したらしい。
イルアム自身も幾度か魔王イファールに対し人間界を攻める絶好の好機だと進言したのだが、イファール達は各地で暴れまわる魔族たちを平定し、牙をむく者達を殲滅するために魔界内に残らなければならなかったらしい。
下手に人間界に攻め込めば、残された傘下の種族たちが皆殺しにされてもおかしくないという状況の中、イファール達は魔界を統一するための戦争を繰り返していたのだとか。
「なるほど。それでお主らは人間界に攻め込んでこれず、魔界からは住処を追われた魔族どもが際限なくなだれ込んできたということか」
「そういうことになります」
今まで靄がかかったように分からなかった魔界の情勢が少しずつだがわかってきた。
つまり、魔族が人間界に攻め込んできたあの日を境に、大陸西部の人間界では革命が、大陸東部の魔界では群雄割拠の騒乱が発生していたのだ。
人間界の革命にかかわっている時、俺たちは魔族の侵攻に対する対処を行うことが出来なかった。
同様に、魔族たちも騒乱が起こっている中では人間界に手出しができなかったのだ。
「フム。話は分かった」
イルアムの話を聞き、ロウセイは腕組みをして再び口を開いた。
「イルアム。最後に1つ、問いをいいか?」
「なんでしょう?」
「なぜ、わしらにこのことを話そうとした?」
ロウセイの問いに、再び場に沈黙が広がる。
イルアムは確かに魔界の情勢をこちらに話してくれた。
それ自体は非常にありがたいことではあったが、魔族のスパイという立場から考えれば、これは明らかに反逆行為である。
ロウセイ師匠はそのことについてどう考えているのかということを問いかけているのだ。
それに対し、注目を一身に集めるイルアムはゆっくりとその口を開いた。
「……被るのですよ。あなた方とイファール様が」
「被る?」
イルアムの一言に、俺はそんな疑問を口にした。
それに対し、イルアムは頷き答えた。
「人間界が帝国貴族に支配されていたように、魔界は悪魔族と竜人族によって支配されていました。私達はその2種族がもたらす恐怖に、常に怯えて生きてきました。だからこそ、ガンドラ、テオローグを上回るほどの力を持ちながらも、その力を支配ではなく守護のために用いてくださったイファール様は、私たちにとって最早崇拝する対象なのです」
「……そんな魔王と、俺たちが被ると?」
「ええ」
戸惑う俺に対し、イルアムは迷わず首肯する。
「私はあなたたちの戦いを直接見てはいません。私が見たのは、あなたたちが解放したリスタコメントスの獣人族です」
「……」
黙って聞き耳を立てる俺たちに、イルアムは福音ともいえる言葉を口にする。
「解放されたリスタコメントスの獣人族の喜び様は大変なものでした。そしてそれは、イファール様の庇護下に入った私達と同様、いえ、それ以上に歓喜に満ち溢れていました。……当然でしょうね。私たちは敵に恐怖することはあれども立ち向かう自由があった。しかし彼らには、立ち向かう自由さえ与えられてこなかったのですから」
そう言って、イルアムは俺たちを見渡した。
「だからでしょうね。そんな彼らを解放したあなたたちの姿が、私たちの守護者であるイファールと被るのですよ」
そう言って、イルアムは椅子から立ち上がり、こちらに向かって佇まいを正した。
「恐らく、今この大陸内において、人間界と魔界の事情に通じているのは、私だけです。私は、あなた方とイファール様には戦ってほしくないのです」
はっきりと、堂々と、何の曇りも、ためらいもなく、イルアムは俺たちにそう言って頭を下げた。
「どうか、私たち魔族との共存の道を模索してください。私は、あなた方にそのことをお願いするために、この場にはせ参じました」
イルアムの答えに、俺は唖然としていた。
彼女の言う通り、俺たちは魔界を知らず、イファール達は人間界に踏み入ったことがない。
ゆえに、彼女以上に双方のことを知っている人もいないと断言できる。
そんな彼女が俺たちをそんなふうに見ており、魔族と人族の共存のためにこうして動いてくれたのだ。
それが、とてもうれしかった。
思わぬところからやってきた小さな波紋。
しかしそれは、今の俺たちにとって何よりも大きな流れに繋がるように思えた。
「ふ、ははははははは」
突如、俺の隣でロウセイ師匠が笑い声をあげる。
「はははは。見事な覚悟だ。そしてわしらにとっても渡りに船というものだ」
そう言って、ロウセイ師匠は立ち上がった。
「よかろうイルアムとやら。わしは、お主の話に乗ろう!」
「ロウセイ様、賛同者はあなただけではありませんよ?」
勢いでそう口にする師匠を前に、ジェクト将軍がいさめるようにそう言った。
「勿論。俺も!」
「私もです」
俺もフィナリアも何のためらいもなくその話に頷く。
もとより俺たちにためらう理由はない。
「どうやら、話は決まった様じゃな」
「みたいだな」
「異論はないわ」
そんな俺たちの様子を眺め、ロウセイが口を開いた。
「方針が固まったぞ。明日、魔界へと向かう」




